【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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想い一つで

 その日、鬼人族に犠牲者が出た。

 死者の名はカズラ。当代巫女アオイの実兄であり、御歳148歳を迎える歴戦の戦士である。

 

 屋敷の一画に居を構える会議室兼作戦室は、白い生地を赤く染める遺体の破片を前に静寂に包まれていた。

 

「……何があった」

 

 厳しい口調のリンドウに、その最期を見届けた一人の鬼人族の男が答える。

 

「繁殖の竜が、()()を。カズラさんを囲んでいた蛹たちが、一斉に……!」

 

 男は、唯一持ち帰ることができた()()に背を向け、その場にうずくまって吐き散らした。

 目の前で蚕食されたカズラの姿が、網膜に焼き付いて離れなかった。

 

「——よくぞ、持ち帰ってきてくれた。ゆっくり休め」

 

 リンドウは男に優しい言葉をかけ下がらせる。

 その場に残ったのは、リンドウと、旧友のツバキ。

 

「ツバキ。これは……」

 

「間違いないだろうね。()()()()()()

 

 数百年単位で訪れる、繁殖の竜の全盛期。今回の一斉羽化は、その()()()だろうというのが二人の共通の認識だった。

 

「現役で知っているのは……」

 

「無論、儂とお主だけじゃ」

 

 前回の繁殖期を生き延び、未だ全盛期を保つ二人はことの深刻さに口をつぐんだ。

 

「羽化したものは? どうなったんじゃ?」

 

「カズラが一矢報いたらしい。死に際、三体を道連れにしたと。それでも四体、帰還を許したそうだ」

 

「次からが正念場のようじゃな。“羽化”は、加速するでな」

 

 

 豊穣の地に住まう者たちは、繁殖の竜に名前を与えないために細心の注意を払っている。

 しかし、戦い続けるに当たり、どうやっても情報伝達の関係から“名付け”が必要な部分が存在する。

 幼竜、蛹、成竜……この区分はその最たる例であり、また、“羽化”も避けることのできなかった名付けである。

 

 繁殖の竜は成長する。幼体から蛹へ、蛹から成体へ。その変遷は蟲に近いものであり、厄介なことに、成体に近づくほど繁殖の竜は獰猛に、残忍に、狡猾になってゆく。

 

「正念場じゃな」

 

 リンドウの言葉に頷いたツバキは、カルラの様子を問う。

 

「あの子は、今どうしている」

 

「……今はアオイ様のところにいるようじゃな」

 

()()()()()()()?」

 

 冷徹な声音のツバキに、リンドウは毅然として首を横に振った。

 

「無理じゃな。繁殖期相手では、如何にカルラとて覚悟のできておらんままでは無駄死に、だろうて」

 

「そうか。……モミジが、僕のところに直談判に来てね」

 

「知っておる。……覚悟があるのなら、次から戦場に出すつもりじゃ」

 

 紛れもなく過酷な初陣となることは想像に難くなく。二人が非情な決断を迫られるほど、状況が逼迫していることを表していた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 同日。

 唯一持ち帰られた右手を申し訳程度に火葬し、皆が喪に服す夜。

 

「アオイさん」

 

 静かな庭で、一人佇むアオイにカルラがそっと声をかけた。

 

「眠れないの?」

 

「そうですね。カルラさんは?」

 

「私も。眠れないわ」

 

 二人は暫し無言を貫き、どちらからともなく、縁側に肩を並べて腰を落とした。

 

 カコン、カコンと。ししおどしが刻む獣避けの音だけが響く。

 

「……泣けないんです」

 

 アオイは、堪えきれなくなったようにそう漏らした。

 

「兄さんが死んだ、そう聞かされても実感がないんです。あんな……あんな、右手の一つ、たった、それだけで!」

 

 感情の昂りに呼応するように魔眼が輝きを帯び、彼女のものではないその瞳が激しく揺れる。

 

「何も、なにも残っていませんでした。わかるわけがない! わかりたくない! カズラ兄さんだなんて言われて、この眼は何も映さなかった! 魂のひと欠片も、兄さんと呼べるものは、なにも……! なのに、なのにみんな泣いていて、悲しんでいて! 私の魔力は……五本指の輪郭を……私の頭を、よく撫でてくれた、あの手のひらを……!!」

 

 

 繁殖の竜。

 それは、“繁殖”の概念を有する群体。概念保有体との戦いに常識は通用せず、豊穣の概念の加護があるこの地でも例外はない。

 死神は常に鎌を首にかけている。それを少しでも遠ざけるために魄明(はくめい)の継承は行われて、鬼人族たちは生きるために足掻いている。

 

 カルラとアオイは知らなかった。直近30年、繁殖の竜の侵攻は比較的大人しく、戦いによる死者は0人だった。当然、怪我人は出た。寿命……老衰で安らかに眠りについた者たちはいた。

 

 だが、唐突な別れは彼女たちの知らない事象だった。

 

 涙の一滴すら流すことなく悲痛な慟哭を上げるアオイに、カルラはかける言葉を持っていなかった。

 触れ合う肩から伝わるアオイの震えに、カルラは唇を噛み締めて俯くことしかできない。

 

 どんな言葉を送れるというのだろうか。

 もう間も無く成人を迎えるというのに。すでに戦う力を持っているというのに。ただ命を奪うのが怖いからと逃げ続けている、弱虫で泣き虫な自分が。

 

 あまりにも唐突で残酷な最期を迎えた肉親の死の実感を得られぬまま、ただ情報だけで事実を突きつけられる盲目の巫女に。

 

 送る言葉など、ありはしなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 全盛期を迎えた繁殖の竜との戦いは熾烈を極めた。

 繁殖期の恐ろしさは、終わりが見えない隆盛。昨日より今日、今日より明日——繁殖の竜は日を追うごとに侵攻の強度を飛躍的に上昇させる。

 

 連日に渡る襲撃に、豊穣の地は瞬く間に疲弊していった。怪我人も死者も、襲撃の苛烈さに比例するように増えていった。

 

 

「あ〜、いたいた」

 

 そんな中、運良く襲撃が途切れたある日のこと。

 モミジは、同族たちを避けるようになったカルラをいつもの丘の上で見つけた。

 

「半月ぶりくらい? なんか久しぶりだね〜」

 

「…………」

 

 2年経って、カルラたちと同じように二十歳を迎えようとする苗木は、もう苗木とは呼べない。まだ立派な木とは言えないが、それでも確かにその片鱗を感じさせる成長を見せる若木を挟み、モミジは空を、カルラは地面へ視線を向ける。

 

「カルラちゃん、最近リンドウおじちゃんと話してないんだってね」

 

 骨折した左腕を体に固定したモミジは、その腕が、仮にカルラが振り返っても見えないように上着で隠す。

 

「心配してたよ〜、ちゃんとご飯食べてるのかな〜って」

 

 昼夜逆転の生活、とまではいかないが。カルラは、肉親と顔を合わせることすら避けていた。この半月、リンドウはカルラの声を聞いていない。

 

「ご、はんは……食べてる、わよ」

 

「……カルラちゃん、わかりやすい嘘つくね〜。本当は1日一食とかでしょ〜」

 

「んぐっ……!」

 

 若木の向こう側で返答に窮したカルラが潰れた蛙のような声をもらした。

 

「だめだよカルラちゃん。ご飯はちゃんと食べないとさ〜」

 

 モミジは懐から、三つほど大きな握り飯を取り出した。

 

「はいこれ。食べてないだろうな〜って思ってたから、作ってきた」

 

 包みに包んで、モミジは右手を後ろに、あたりをつけてカルラの左脇に握り飯を置いた。

 

「……お腹、空かないのよ」

 

 カルラは、ぼそぼそと覇気のない声で呟く。

 

「私みたいな穀潰しじゃなくて、ちゃんと戦ってるモミジが食べないと」

 

「カルラちゃんは真面目だね〜」

 

 モミジはいつもと変わらぬのほほんとした雰囲気で、しかしどこか真剣味を帯びた声音で語りかける。

 

「私はね、カルラちゃんが生きてくれているだけで十分だよ。力とか、才能とかなくたっていい。みんな同じだと思うよ?」

 

「そんなこと……!」

 

「あるよ」

 

 モミジは、優しく寄り添うよう。

 誰よりも己の才能に縛られる親友に。

 

「みんな、カルラちゃんが戦えなくても責めたことないでしょ? リンドウおじちゃんだって、無理強いは絶対にしなかった」

 

 いたずらの結果の罰は、例外だろうが。

 

「戦場から引退する人だっている。みんな、『戦って死ね』なんて言わないよ」

 

 繁殖期であろうと、豊穣の地の空は変わらず晴れ渡っている。流れ込む雪解け水が大地を潤し、雨降らずとも命が循環する不思議な土地に、「玉砕」を強いる者は一人としていない。

 戦えない同族を排斥する者は一人もいない。

 

「ちょっとだけ、不謹慎だけどね。私、嬉しいんだ〜」

 

 少し照れくさそうに笑うモミジに、ほんの少し、カルラが耳を傾けた。

 

「私は今、カルラちゃんを守れてる。多分一生守られ続けるんだろうなって、そう思っていた相手を守れてる。まあ、私はまだまだ弱くて、幼竜の相手するので精一杯だけどさ〜」

 

 折れた左腕の痛みさえ、今は勲章のように誇らしかった。

 

「優しいカルラちゃんを守れている。私は、それが嬉しい」

 

 

 虫の一匹を大事にする子供だった。

 モミジが物心ついた頃にはすでに、カルラは優しい子供だった。

 

 地面に落ちた幼虫を葉に戻したり、餌をあげたり。

 その優しさは、当然同族にも。

 畑仕事で手を擦りむいた男に、自分がすっ転んで膝を擦りむきながら包帯を届けた。

 目の光を失った巫女に、形は違えど世界を見る方法を伝えた。

 

 それは子供の気まぐれなどではなく、間も無く二十歳を迎える今日になっても変わらない。くだらない、些細なことなのかもしれない。だがモミジは、全ての行動はカルラという少女の優しさに即したものだと確信していた。

 

「だからさ、カルラちゃん。戦えなくてもいいんだよ。私は、どんなカルラちゃんでも好き。だから、ご飯食べて?」

 

「…………でも、私は」

 

「大丈夫。何があっても、誰がなんと言っても、私がカルラちゃんを守るから」

 

 戦場は、想像を絶する熾烈な環境だった。

 覚悟を決めたはずが、その覚悟はあまりにも薄っぺらく、モミジは初陣で全く動けなかった。

 

 それでも、少女は戦場に立ち続ける。

 

「今も、みんなの足を引っ張ってばかり。でも、必ず強くなるから。カルラちゃんが自分のこと責めないでいいように。今まで通り、笑って、競い合って、怒られて。そうやって過ごせるように」

 

 小さな体に、モミジは大きな想いと一つの覚悟を乗せる。

 

「カルラちゃん。私思うの。人は、想い一つでどこまでも強くなれるって」

 

 親友への愛で、モミジは笑う。

 

「だから待っててね。私、絶対にカルラちゃんを追い越すくらい強くなるから。繁殖の竜を一人で退けたスイレン様よりも強くなってみせるから」

 

 決して一人で背負わせたりしないと、モミジは言葉と想いをカルラに伝えた。

 

 そこに、狼煙が上がる。

 召集の合図だった。

 

「侵攻……。ごめんねカルラちゃん。行ってくる」

 

 モミジは立ち上がり、尻についた泥を払った。

 

「ごはんちゃんと食べてね〜!」

 

 別れ際の言葉に、カルラは反応しなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「5分前、繁殖の大群を確認した。到着まで、目算であと15分。先行する成竜は後10分で会敵する見込みじゃ」

 

 リンドウに続いて、ツバキが補足を加える。

 

「成竜の数は目視で15。これまでで最大規模の侵攻になると予測される。皆、心して配置につけ!」

 

『——応!』

 

 一斉に散らばる。既に用意のできていた者は前線へ。そうでない者は自宅へ獲物を大急ぎで取りに行った。

 

 たった一人、リンドウの目の前に残ったモミジは、カルラの様子を伝えた。

 

「やっぱり、ご飯食べてなかったよ。一応握り飯を置いてきたけど、無理強いはできなかった。ごめんね、リンドウおじちゃん」

 

「……いや、多少であれ会話ができることがわかっただけで十分じゃ。世話をかけたのう、モミジ」

 

「全然。私がやりたくてやってることだから」

 

 モミジは左腕のギプスを取り、治癒魔法を得意とする同族に治療を行ってもらいながら微笑んだ。

 

「ありがとうございます。ミツバさん」

 

「気にしないで! これが私の仕事だから!」

 

 ミツバ、24歳。たった四年早く生まれただけでカルラとモミジと微妙に距離を置いてしまったことを今更ながらに悔いる女は、やや強めにモミジの背中を叩いた。

 

「頑張って、頑張りすぎず、帰ってきなさいね!」

 

「はい!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 繁殖の成竜。

 鋼を凌駕する鱗殻に全身を包み、鋭い爪と靱尾の先に伸長する口吻を有する。頭の上半分は露出した脳のようにひしめく複眼に覆われ、顎肢と小顎がギチギチと不快な音を奏でている。

 移動方法は甲殻類を思わせる二対の羽を羽ばたかせる飛行。目にも止まらぬ速度で縦横無尽に空を駆け、鱗殻と鋭利な爪は容易に人体を解体する。

 

 それが、目視できる範囲で15体。

 蛹の孵化を考慮すれば、リンドウの試算では総数は二十を超える。

 

「さて、ツバキよ。一人頭十匹は流石に厳しいのう」

 

 将来、スズランの師匠となるリンドウは肩に斬馬刀を担ぎながらため息をついた。

 隣に並ぶツバキは、「士気が下がるようなことは言わないでくれ」と肩をすくめる。

 

「正念場だからね。気張っていこうか! 全員、構えろ!」

 

 ツバキの号令に、全ての鬼人族が武器を構える。

 

「開戦だ! 我らが家を、豊穣の地を守り抜く!!」

 

『おぉおおおぉおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!!』

 

 

 ——これが、400年前の繁殖の全盛期。その、最後の日となる。

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