【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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思い出が終わらない

「……これが、私の親友の、モミジの最期よ」

 

 淀みなく、まるでつい昨日のことのように。

 師匠は400年前の記憶を俺に語った。

 

「その後……侵攻はどうなったんだ?」

 

「モミジを喰った竜は、ツバキさんと()()()になったわ。よほど大事な身体だったのか、討伐と同時に繁殖の竜は死骸を引きずって、踵を返して撤退したそうよ」

 

 豊穣の地に追撃の余力はなく、そもそも、ツバキが切り裂いた腹の中に、モミジはいなかったらしい。

 

 強酸性の体液に骨の髄まで溶かされたのだろうか、真実は定かではない。少なくとも、キキョウの曽祖母に当たるアオイの実兄のように体の一部だけでも残ることはなかったのだろう。

 

「……目が覚めたら私は、すぐに戦場に戻ったわ。喚き散らしながら、自分の弱さを呪いながら、あの子の痕跡を探し続けた」

 

 当時を思い出しているのか、師匠は無力感を強く滲ませる表情で俯いた。

 

「なにも、見つからなかったわ。あの子に関わるもの……武器も、服も、爪の先の一片まで。三日三晩探し続けて何も得られなかった私は、そのままこの木の前でずっと泣き続けた。……泣き虫女の語源は、きっとここね」

 

 冗談めかして吐き捨てる師匠の横顔は、笑顔なのにちっとも笑っていなくて。

 きっと今も、想いを堪えているのだろう。

 

「未練ってのは……酒か」

 

 師匠の前に転がる空の酒瓶。

 度数の低い、飲みやすい一本。師匠は優しく、宝物を抱えるように瓶を腹に抱く。

 

「ええ。ここに帰ってくる度、ここにいる間は毎日こうしてるの。二十歳を迎えなかったあの子は、飲んでくれないけど」

 

 果たせなかった約束への未練。それは、痛いほどよくわかる。心臓が締め付けられるなんて言葉では到底足りない、自分の胸を掻きむしって、今すぐにでも心臓を握り潰したい——そんな衝動に駆られるのだ。

 

 俺自身、今でも、時々。

 

 随分と長い間話し込んでいたのか。空がいつの間にか白み始めていた。

 地平線の彼方、豊穣の結界を一歩踏み越えた先にある豪雪の大地から朝日が顔を覗かせる。

 

「なんで、師匠は冒険者になったんだ?」

 

「単純な話よ。ここに居たくなかったの」

 

 師匠は、子供の癇癪ね、と自嘲する。

 

「ここには思い出が多すぎる。忘れたくなくて、でも思い出したくない。板挟みの私はここから逃げ出した。逃げた先で自分の命を路傍の石よりも軽く見積もって、ひたすら異界を踏み越えた」

 

 師匠は強かった。凡百の冒険者など既に彼女の足下にも及ばない。竜と戦える実力を持っていた師匠は瞬く間に階級を上げた。

 

「戦いの間は全部忘れられた。頭の中を真っ赤に染め上げて、斬り合って……何十年も、そうやって過ごしていたわ。恥ずかしい話、冒険者相手に辻斬りじみたこともやってたわね」

 

 何十年にも渡る八つ当たり。師匠の軌跡は、まるで我を忘れたいともがいているように見えた。

 

「『魔剣世界』を訪れたのはその頃よ。そこでエルレンシアに絆された。エスメラルダやエステラとも出会って、少しだけ『極星世界』に……私の故郷に目が向いた」

 

 懐かしい名前だと感じた。まだ1年も経ってないのに、もう随分と昔のことのように感じる。エステラという名前に聞き覚えはないが。

 

「極星に戻った私はジルエスターの手足になった。アイツは何も聞かずに私を受け入れてくれたわ。『極星のために働くなら何も聞かねえ』って。それが、今も昔もありがたい。……で、300年くらい時間を潰して——あなたに会った」

 

 唐突に師匠が口を噤んだことで静寂が訪れる。

 もう間もなく朝日に目覚めた生き物たちが動き出す頃。

 

「……ねえ、エト」

 

 朝日から目を背けるように視線を落とした師匠が問う。

 

「私は……どうすれば良かったのかしら」

 

 視界の端に、迷子の子供のように揺れる瞳が映る。400歳以上も年上なのに、今は何故か、師匠がひどく幼く見えた。

 

「毎日のように夢に見るのよ。あの最期を、変えられないのよ。400年間夢で繰り返しても……私はモミジを、助けられない。どれだけやり直しても、強くなった私でも、届かないのよ……」

 

 師匠は、拳を握って震えていた。

 

「言いたいこと、やりたいこと……本当にたくさんあって。約束も……まだ、なにも」

 

 全ては終わってしまったこと。言葉を交わすことはできない。約束も、果たすことはできない。

 思い出にすることも、記録に残すこともできない宙ぶらりんの口約束。

 

「教えて、エト。私は、間違ってたの? 何が正解なのか、あなたにはわかる?」

 

 確信する。

 師匠は、ずっと、迷子なのだ。400年前、親友であるモミジを失ったその日から、彼女はその日に囚われ続けている。

 どれだけ時が移ろっても、どんなに縁が広がっても、どれだけ強くなっても、カルラ・コーエンは400年前で止まっているのだと。

 

「……」

 

 言うべきことが、ある気がした。

 師匠として多くを俺に教えてくれた、ここへ導いてくれたこの人に、伝えなくてはならないことがあると。

 

「師匠、俺は——」

 

 その“なにか”が形になろうとした、その時。

 

「——よお、不自由師弟。大方話は済んだか?」

 

 そこに、赤肌の鬼人が乱入してきた。

 

「バイパー……夜通し飲んでたのか?」

 

「クカカッ! 夜通し過去に浸ってたテメェらに睨まれる筋合いはねえなあ!」

 

 あいも変わらず馬鹿でかい嗤い声を上げたバイパーに、師匠が苛立ちを多分に含んだ視線を向ける。

 

「……なんの用? また笑いに来たわけ?」

 

「そりゃ自意識過剰って奴だ泣き虫。用があるのはこっちのクソガキだ」

 

「俺? なんの——ちょおっ!?」

 

 目にも止まらぬ速さで、バイパーの左腕が俺の首根っこをガッチリと掴んでひょいと持ち上げた。

 

「エト!? ちょっとバイパー! あんたいきなり——」

 

「黙ってろ」

 

「……っ!」

 

 黒金の瞳で睨みつけられた師匠が身を強張らせる。次いで、バイパーは掴み上げた俺を見て、嗤う。

 

「気が変わったぜ、クソガキ。テメェが強くなれる環境に連れてってやる」

 

「はあ!? 気が変わったって……つか環境ってことはアンタ結局放置じゃねえか!」

 

「クカカッ! 俺が()()()()()()って言ってんだ。黙って受け入れやがれ。泣き虫女、コイツは借りてくぞ」

 

「待ちなさいバイパー! せめてどこに行くのかだけでも——」

 

 師匠の静止を聞かずに、バイパーは大気を()()()()勢いで加速する。

 

「ゴッ……!?」

 

 暴力的な加速を全身に叩きつけられた俺は意識を保つことができず、とてもあっさりと気を失った。

 

「——この程度の加速で参るたあ、情けねえな」

 

 意識が黒く染まる直前、そんなぼやきが聞こえてきた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「エトくんが!?」

「バイパーに!?」

「攫われたんですか!?」

 

「「「と言うかバイパーって誰!!?」」」

 

 早朝、カルラからエトラヴァルト誘拐の一件を聞かされたイノリたちは屋外で素っ頓狂な叫びをあげた。

 

「落ち着きなさい、ちゃんと1から説明するから」

 

 唯一犯行現場を目撃したカルラは、欠伸を噛み締めて状況を説明した。

 諸々を聞き届けた三人は、険しい表情で復唱する。

 

「えっとつまり、そのバイパーさんって人は私を助けてくれた人で?」

 

「本人的にはそんな気ないでしょうけどね」

 

「〈星震わせ〉の異名を持つ〈異界侵蝕〉で?」

 

「補足するなら所属なしの歩く災害よ」

 

「そんな化け物がエト様を連れて何処かへ行ってしまったと?」

 

「そうね。その通りよ」

 

「エトくんはトラブルに愛されすぎじゃないかなあ!?」

 

 怪我上がりの寝起き一番、相棒の行方がわからなくなったイノリの叫びにラルフとストラが「全くだ」と強く同意した。

 

「カルラさん、エトの……違うな。バイパーの行先ってわかります?」

 

「多分、推測だけど……異界ね。ポラリスが所有する異界か、その周辺世界の何処かだと思うわ。アイツなら

小一時間あれば往復できる距離よ」

 

「小一時間で」

「往復……?」

 

 隣近所と言えど他世界。そんな長距離を小一時間で移動できる化け物具合にイノリとストラの頬が引き攣った。

 

「エトくん、生きてるかな……」

「エト様なら多分大丈夫でしょうが……」

 

 なんとなく生きて帰ってくるだろうという確信はあるが、それはそれとして。案の定また地獄のような目に遭っているんだろうなと想像する二人だった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ってえ……」

 

 呻き声を上げながら覚醒する。

 ありえん超加速に意識が置き去りにされたのを最後に途切れた記憶から、バイパーによって何処かへ連れ去られたことだけはわかる。

 

 わかる、のだが……

 

「……嘘だろ?」

 

 意識を取り戻した俺の目の前で、体高5Mは超えていると目される牛頭人(ミノタウロス)の突進を右手の指一本で完封するバイパーの姿に激しく困惑した。

 

「やっと起きやがったなクソガキ。……ハッ、退屈しのぎにもなりゃしねえ」

 

 デコピン。

 それだけでミノタウロスの全身が爆散し、余波で魔石と遺留物(ドロップアイテム)の角すら砕け散った。

 

「ここは、異界か?」

 

「ああ。もっと言うと()()()だ」

 

「は? ……それじゃ、今の異界主か!?」

 

「ったりめえだろ。何を驚いてやがる」

 

 デコピンを喰らわせた右の中指にふっと息を吹きかけ、バイパーはにやりと嗤う。

 

「ここがテメェの修行場だ。俺たちの領域に近づきてえなら、生きて地上に這い上がって来い。——ああ、当然だが、《英雄叙事(オラトリオ)()使()()()

 

「……なんでだ。なんで急に、俺に手を貸した」

 

 つまらない、興味ないと。

 バイパーは俺に対して、勝手に強くなれと不干渉を貫く姿勢を示していた。が、急に態度を変えた。

 その豹変ぶりに納得がいなかった俺は、俺を一人異界の最深部に置いて去る気満々なバイパーを呼び止めた。

 

「アンタは、俺に興味を示してなかったはずだ」

 

「ハッ——、んなもん決まってんだろ! そっちの方が面白そうだからだ!」

 

 男の感情の昂揚が世界を震撼させる。

 〈星震わせ〉の名に偽りなく、バイパー・ジズ・アンドレアスが獰猛に嗤う。

 

「俺の行動にそれ以上の指針はねえ! テメェが強くなった方が面白くなる、そう直感しただけだ!」

 

 背を向けたバイパーは、去る寸前、ほんの一瞬視線を俺に向けた。

 

「来てみろよ、クソガキ。テメェが本気なら、この程度の巣穴超えてみせろ」

 

 それだけ言い残して、バイパーはその場から姿を消した。

 超高速で移動した風圧の余波が俺の頬を叩く。

 

「……やってやるよ、〈異界侵蝕〉!」

 

 辿り着かなくてはならない境地、そこに立つ男からの挑発を真っ向から受けた俺は、鎖によって雁字搦めに縛られた愛剣を背負い、踏み出した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「〈魔王〉、先ほどの異界封鎖の件ですが——」

 

変異個体(イレギュラー)発生ってことにでもしとけ。アレは殆ど同じ存在だ」

 

「畏まりました」

 

 珍しく執務室で腰掛け書類仕事に勤しむジルエスターは、つい先ほど訪れた珍客の横暴極まりない要求にため息をついた。

 

穿孔度(スケール)6を貸切にしろってか……無茶苦茶だぜ、〈星震わせ〉。にしても、あの災害が手ずから、ねえ……」

 

 左腕にぶら下がっていた、割と最近訪れた客人。初対面の自分に物怖じせずに発言してきたエトラヴァルトが辿る地獄が容易に想像できたジルエスターは、大きなため息をつきながら判子を押した。

 

「数奇な星の下に生まれたもんだな、全く」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 エトラヴァルトが誘拐されるという珍事が発生した豊穣の地だったが、()()()()()に意識を割いている余裕はなかった。

 

 繁殖の全盛期、その真の恐ろしさは途切れることのない襲撃と、時を追う毎に増していく戦力。

 そして400年前初めて観測された繁殖の“母体”。魄導を操るツバキを含む多くの同胞を犠牲にしてようやく終息した繁殖期は、昨日、始まったばかりである。

 

 

「気を引き締めなさい、イノリ。次はもう助かる保証はないんだから!」

 

「わかってる。もう足は引っ張らない!」

 

 右翼最前線、リベンジに燃えるイノリの気迫が空回っていないことを確認したスミレが少しだけ笑みを浮かべた。

 

 対する左翼では、スズランが仲間を連れ去られたラルフを気遣う様子が見られた。

 

「大丈夫か、ラルフ」

 

「平気だ。エトはなんだかんだ生き延びるからな。俺にできるのは、戻ってきた時、俺たちがいないなんてことがないように全力を尽くすことだけだ!」

 

「それでこそ俺の親友だ! 帰ったら秘蔵のコレクションを見せてやろう!」

 

『よっしゃあやる気出てきたぁ!!』

 

 ラルフのみならず周囲の男たちが女性たちからの絶対零度の視線を受けながら士気を高めた。

 

 

 中央、最前線に立つカルラは迫る繁殖の竜を睨みつける。

 

「今日も、アイツはいない、か……」

 

 落胆とも安堵とも取れるため息をついた。

 

「モミジ、私は、あなたに……」

 

 それより先の言葉が紡がれることはなく。

 

 両翼、スズランとスミレの号令によって始まった戦いに、カルラは小太刀を抜き放ち身を投じた。

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