【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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デイドリーム

 夏が終わり、秋が来る。

 校門から出た時には既に日は傾きかけ、空は茜色に染まっていた。

 車通りの多い大通りの向かいにある住宅街の、家々の隙間から漏れた赤々とした陽の光に目を細める。

 

「この時間だけやたら光が強いのはなぜなのか……」

 

「エトくんが起きてるのがこの時間くらいだからじゃない?」

 

「そんなことはない。朝と昼は起きてるぞ」

 

「普通の学生は日中ずっと起きてるんだよ。不眠症の夜行種(ナイトウォーカー)じゃあるまいし」

 

 そこまで言ってから、隣を歩くイノリは大きなため息をついた。

 

「まあ、エトくんは普通の学生じゃないもんね」

 

「……。まあな」

 

 お前の兄貴と比べたら普通だよ——という言葉を飲み込む。これを喉で堰き止め損ねると、超絶ブラコンな彼女の兄貴自慢が爆発するのだ。

 

 つい一昨日、別のクラスの男子生徒がこの地雷を踏み抜きえらい目に遭っていた。御愁傷様である。

 

 ……合ってるよな?

 

 ——ああ、合っている。

 虚空の疑問はすぐに解けて消えた。

 

 

 

 大都市圏から少し外れた、それでも俺の地元と比べれば大都会。

 そんな街で、俺たちは生きている。

 

 ——そう、昨日までも。これからも。

 

 生まれる微かな疑問は、何処からともなく答えがやってきて溶けて消える。良い、心地良い。

 

 俺とイノリは、とある公立高校に通っている一年生だ。

 友人関係は中学校に上がってから。

 俺が、仕事でイノリの兄貴と知り合ったのがきっかけだ。

 

 歳も同じで、話が合う。

 俺たちが意気投合するのに時間は要らなかった。

 

 電車で二駅。別に走る方が圧倒的に早いのだが、()()()()があるので大人しく大衆に埋没する。

 

 目立ちたいわけではないからいいのだが、満員電車に乗るのは毎度気が滅入る。

 

「早く卒業してえなあ……」

 

「まだ入学して半年だよ?」

 

あと二年半もあるという事実に打ちのめされ、俺は暗くなってきた空を見上げた。

 

「畜生……お前と先輩の口車にまんまと乗せられた」

 

「ひ、人聞きが悪い!」

 

「冗談だ。半分な」

 

「半分は本気なんだね……あ、私ここだから」

 

 平凡な一軒家の玄関前でイノリが足を止めた。

 クーポン付きのチラシが一枚飛び出たポストの上には、“樺樹”という表札が下げられている。何を隠そう、イノリたちが暮らす家だ。

 

 彼女と、姉と、兄。3人で暮らしている。両親のことは聞いていない。いないとも、死んだとも知らない。

 

 俺は、普段家を空けることの多い兄貴……シンに変わって、イノリの登下校のボディーガードをしている。

 

「じゃあエトくん、また明日」

 

「ああ、また明日」

 

 扉を開けて、『ただいまー!』と元気よく姿を消したイノリの姿を見送ってから、俺は自分の家へと向かった。

 

 

 

「……何度見てもボロいよなあ」

 

 社宅なんてこんなもの——と先住の先輩たちは言っているが、何度見てもボロい。ありえんほどボロい。

 

 何がなんでも隠したくなる、俺の住むアパートである。

 

 絵に描いたようなボロアパート。

 完全に錆びきった階段に欄干、支柱。

 コンクリートの壁には幾重にも亀裂が走り、耐久性には不安しかない。

 

 周囲の雑草こそ最低限刈り尽くされているものの、落ち葉なんかは完全放置。

 人間ひとりの体重でギーギーと外階段が鳴り響く様はまさしく廃墟だ。

 

 また、防音という言葉に唾を吐き捨てている我が家の壁は非常に薄く、耳をすませば多分少し離れた道路の上からでも中の生活音が聞こえるだろう。

 

 不審者の人は是非とも試してみてほしい。

 

「まあ、ウチに不審者が来ることなんてないが……ん?」

 

 俺の部屋は203号室。

 2階(全三階建)のど真ん中というあらゆる上下左右斜め、全ての部屋の雑音が届く最悪な立地である。

 

 その隣、204号室の扉がちょうど開いた。

 夜に差し掛かる町の風に薄水色の長髪を揺らしながら出てきた女性……ミゼリィは、俺の姿を視界の端に認めるとふっと微笑んだ。

 

「——あ、今帰ってきたんですね。お帰りなさい、エト」

 

「ただいま先輩。今から仕事ですか?」

 

「いえ、今日は非番ですし緊急の要請もありませんよ。今日はただ、自炊用の食材を買いに」

 

 その一言に、俺は雷に撃たれるような衝撃を受け思わず仰け反った。

 

「先輩が……自炊!?」

 

 ちょっと信じられない発言だった。

 

「大丈夫ですか? 熱ですか? 病院、行きます!?」

 

「なっ、なんですかその反応はっ!」

 

 俺の失礼極まるリアクションに、ミゼリィはカッと頬を朱に染めた。

 

「私も自炊くらいしますよっ! ちょっとレパートリーが少なくて、たまに黒焦げにして、稀に半生になるくらいで……!」

 

「俺に二年半教わってその進捗だから驚いたんですよ」

 

「——ぐう」

 

 ぐうの音はギリギリ出たミゼリィは不服そうに頬を膨らませてジトリと俺を睨んだ。

 

「だってエト、最近全然教えてくれないじゃないですか」

 

「まあ、()()が変わってからはシフトぐちゃぐちゃですしね」

 

「ですね。ところでエト、この後お仕事は?」

 

 なんとなく意図が読めた。

 

「なにも。飯食って寝るくらいですね」

 

「なら、買い物に付き合ってください。元上司の命令です」

 

 にっこりと微笑むミゼリィに、俺はため息をひとつ。

 

「それ拘束力ないですよ……わかりました、お供します」

 

 仕方なし、と了承するとミゼリィは楽しそうに俺の手を取った。

 

「それでは行きましょう」

 

「せめて鞄は置かせてください」

 

 学生鞄を廊下に放り投げ、扉を閉める。

 とある住民の趣味でオートロック化した扉はわざわざ鍵をかける必要がないので、そのままミゼリィに連れられ近くのスーパーを目指した。

 

「ちなみに、今日は何を作るつもりで?」

 

「クリームコロッケですね」

 

「なんで最高難易度に挑戦しようとしてんですか。爆発オチ間違いなしじゃないですか」

 

「そっ、そんなことはありませんよっ! 私も成長してますからっ!!」

 

 

 

 ——そんな彼女の意気込みとは裏腹に。俺の予言通り、約3時間後、アパートには小規模な爆発が数回とミゼリィの情けない悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 時は、イノリが自宅にたどり着いた頃に遡る。

 

「ただいま〜!」

 

 元気よく扉を開けて、戸締りを忘れない。

 学校指定のローファーを脱ぎ捨てたイノリは、廊下の電気をつけて真っ先にリビングへ飛び込んだ。

 

「お(ねえ)、ただいま!」

 

「——お帰りイノリ」

 

 台所から、イノリと同じ艶やかな黒髪の女性がひょっこりと顔を出した。

 

「夕飯、あと10分くらいでできるよ」

 

 左目が長い髪に隠された、穏やかな笑みを浮かべるエプロン姿の女性——リンネ。

 イノリの()()()()であり、()()()()シンの恋人でもある。

 

「手を洗って着替えたら、お皿の用意をお願い」

 

「は〜い!」

 

 リンネの言葉に素直に従ったイノリは、二階の自室へ入るや否や鞄をベッドへ放り捨て、制服一切を脱ぎ散らかしてそそくさと部屋着に着替えた。

 

 一刻も早く、姉のいるリビングへ。その一心だった。

 

「——制服はちゃんと伸ばしなさいよ〜!」

 

 一階から響く見透かしたような姉の声に、イノリはおもいきり言葉を詰まらせた。

 

「……っ! わ、わかった!」

 

 

 どたどたと騒がしく足音を鳴らす妹に、リンネはスープ味を確かめながらクスッと笑った。

 

 ちょうどその時、ガチャ、と玄関の鍵が開く音がした。

 

「……!」

 

 ほんの一瞬リンネの表情に警戒の色が宿り……安堵の表情。

 リンネは扉を開けて音もなく家に帰ってきたのが誰なのかを気配で悟った。

 

「もう……普通に入ってくればいいのに」

 

 扉の開閉以外の音がしない。

 あらゆる音を殺す心臓に悪い歩法を常日頃から使っているために、リンネは()を気配で認識するしかない。

 本人曰く『普通に歩いている』とのことだが、リンネとイノリは『いやそんなわけないでしょ』と毎度のごとく突っ込んでいたりする。

 

 ……そんなことはさておき。

 

 帰ってきた家主にリンネは輝く笑みを向けた。

 

「お帰り、シン!」

 

 上下ともにラフなジャージ姿。

 灰混じりの黒髪に気だるそうな紅の眼光。やや猫背気味の男は、不器用に口端を痙攣させ、()()()()()笑顔で軽く頷いた。

 

「ただいま」

 

「——あっ! 兄ぃお帰り〜!」

 

 駆け足で2階から降りてきたイノリが、リビングの扉を開けるや否やシンへと飛びかかり抱きついた。

 

「おっと」

 

 シンは左手一本で完全にイノリの勢いを殺し、自分の体で優しく少女を迎え入れた。

 

「ただいま。学校はどうだった?」

 

 やはり本人的には笑っているつもりの痙攣で、シンはイノリの学校生活を尋ねる。

 ほぼ無表情に等しいシンに対して、イノリは満面の笑みで頷いた。

 

「楽しかったよ! エトくんがいつも通り爆睡してたけど!」

 

「……昨日、緊急の招集があったからな」

 

「兄ぃ、エトくんのフォローはいらないよ。なくても寝てるし」

 

「……そうか」

 

 同じ職場で働く後輩(エト)を想ってのシンの気遣いはあっさりと却下され、シンは少しだけ悲しそうに眉尻を下げた。

 

「——おしゃべりはそこまで。二人ともご飯にするよ〜」

 

「は〜い」

「わかった」

 

 リンネの言葉に二人はぴたりと世間話をやめ、机の上を片付けて夕飯の準備を整えた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ——人は、夢をみる。

 

「……ねえ、今日さ。二人と一緒に寝ちゃだめかな?」

 

 食後、不安げな上目遣いでそう尋ねてきたイノリに、シンとリンネは揃って目を瞬かせた。

 

「別にいいけど、どうした?」

「昨日、怖い夢でも見ちゃった?」

 

 リンネの“夢”という言葉に、イノリは少し、言葉に詰まる。

 

「夢……うん。そうかも」

 

 どこかぎこちなく頷く。

 

「怖い夢……見た。だから、一緒に寝たい」

 

「……そっか」

 

 服の裾を掴んで小さくなるように肩を窄めるイノリを、リンネは彼女の後ろに周りこんで優しく抱きしめた。

 

「ならしょーがない! 久しぶりに一緒に寝よっか! 良いよね、シン?」

 

 リンネの確認に、シンは即座に首を縦に振った。

 

「もちろん」

 

「よーし! そうと決まれば今日は一緒にお風呂も入っちゃお! ね?」

 

 リンネは元気よく、『ほらほら〜』とイノリの背中を押してリビングから出る。

 その直前、くるりと振り返り、シンを見てニヤッと笑う。

 

「シン、覗かないでね?」

 

「わかってるよ」

 

「む〜、揶揄い甲斐がなくなっちゃったな〜」

 

 軽く頬を膨らませたあと、リンネは軽く微笑んだ。

 

「冗談。お風呂入ってくるね」

 

「兄ぃが初心な反応するの、想像できないんだけど……」

 

「ん〜? そりゃあ会った頃のシンはピュアっピュアだったからね〜」

 

「え〜?」

 

 昔のことを掘り返しながら楽しげに風呂へ向かう二人の背中を、シンは嘆息混じりに見送った。

 

 

 

 

 

 ——人は、夢をみる。

 

 記憶の整理、願望の発露、他者との意識共有……夢という機能は科学によって解明され、しかしオカルト的に()()()な部分と()()()な領域があるのもまた確か。

 

 ——生命体は夢をみる。

 

「そう、私たちは夢をみる」

 

 夢紫の夢魔は、うっとりと頬を綻ばせる。

 

「私の夢、君の夢、みんなの夢。木々の夢、土の夢……世界の夢」

 

 繋げて、繋げて、つぎはぎを消して。

 みんなで手を取り合って、輪を描いて。

 

「みんな仲良く、夢の中」

 

 ()()()()()()は、今さっき夢の中で目覚めた男女に向けられる。

 

「ねえ……二人はどんな夢をみるのかな?」

 

 自由自在に、夢魔は夢の中を泳ぎゆく。

 夢は……人の意識とは深大で未知に溢れている。

 

 思考の介在しない本能の発露。欲望の坩堝(るつぼ)は、夢魔の少女の思いのままに。

 

 

 ——神話錯綜する集(オネイロイ・シーナ)世の夢意識(・アペイロン)

 

 

「みんな、良い夢見てね」

 

 ——全ては醒めない夢をみる。

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