【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
——何かが、欠けているような。
「エトくん。ルビィちゃんが今日商店街に行かないかって……」
——大切なモノを見失っているような。
「エト、今日はクラインさん主催のBBQらしいですよ」
満たされた日常を受け止める心の器、その底が抜け落ちてしまったかのような軽さがあった。
◆◆◆
気づけば一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ……一年が過ぎた。
進級という一つの山場こそあったが、俺は無事に2年生に。
公認探索者の仕事は、最近はダンジョンの出現が落ち着いているため減少傾向だが。俺やシンが対処しなくてはならない規模のダンジョンが少ないというのは良いことだ。
良いこと、なのだが……。
「アパート居住者全員が有給取って旅行は、流石に気ぃ抜きすぎじゃないか……?」
俺は今、アパート居住者15人(大家除く)全員で夏のビーチでBBQに来ていた。
なお、学校は夏休みに入っているので安心されたし。
「そんな格好で言っても説得力ないですよ、エト」
「そうですかね」
「はい、それはもう」
苦笑するミゼリィ。
麦わら帽子に薄水色のワンピースでめかし込んだ彼女の言葉に流されるがまま自分の体を見下ろす。
黄緑色のショートパンツの水着にアロハシャツ。右手にはフルーツジュース……なるほど、説得力皆無だ。
「まあ、出不精なあの人たちがこぞってやる気出すなんて滅多にないですからね」
「ふふ、それもそうですね」
「おーう! 盛り上がってるか〜!?」
海ではしゃぐ先輩たちに微笑ましい視線を向けていると、背後からガシッと肩を組まれた。
俺の肩に回された右手が持つ冷えた缶ビールと陽気な声。見るまでもなく誰かわかった。
「ハーヴィー、もう飲んでるのか?」
俺とお揃いのアロハシャツをはだけさせ、黒く日焼けした肌と鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなくさらした男、アパート102号室の居住者、ハーヴィー。
「あったりめえよ! 旅先で飲めるなんて自動運転様々だな!」
陽光を浴びて煌めくツンケン尖った金髪の上に真っ黒なサングラスを乗せた男は、『キラリン』と音がなりそうなくらいに輝く白い歯を剥き出しにしてキザに笑った。
「どうだ、お前も飲むか!」
「俺はまだ
「んだよ〜お堅いやつだなぁ……ミゼリィちゃんはどうよ? 飲んじゃう?」
ものすごく軽いノリで未成年飲酒を勧めるハーヴィーに、ミゼリィは『あはは』と曖昧な笑いを返した。
「私はジュースだけでいいかな〜、と」
「そうか〜? 勿体ねえぞ〜? 高校卒業したんだから実質成人みてえなもんだしよ〜」
「「それは暴論すぎる」」
俺の肩をロックする右手から左手へ。
指先で器用にパスを決めたハーヴィーは缶の中身をあっさり飲み干して水平線の彼方を見つめる。
「シアの奴も来りゃよかったのになぁ。こんな開放的な場所で我慢なんざ毒だぜ、毒!」
「まあ、その発言に一理があるのは認める」
青い空、白い雲。
燦々と照りつける太陽に熱された砂浜と、見渡す限りに広がった輝く海と果ての水平線。
これらの開放感を示すのに、これ以上の言葉は不要だろう。
「クラインに感謝だな」
「そ〜そ〜。存分に感謝しなさいよ、青年」
俺たちが話していた左横、ビーチパラソルの下でデッキチェアに全身を委ねた女性がひらひらと右手を振った。
新緑色の長髪をハートのついたヘアゴムをつかって後頭部一本に束ね、ハート型に曲がったストローで冷えた果実水(氷と果物がハート型)を飲む、ハート型のサングラスをかけた女、アパート304号室の居住者、クライン。
水着の柄やサンダルの鼻緒まで、何から何までハート型づくしな彼女が、今回のイベントの主催者である。
「難色示す探索省のお偉い方を丸め込むの、すんごい大変だったんだから」
「やっぱり反対はされたんだな」
「そりゃあそうでしょ! 公認探索者15人が一斉休暇、しかも管轄が近い奴ばかりなんて、上からしたら噴飯物なんだから!」
何を当たり前のことを、と鼻で笑うクライン。
なぜ俺が世間知らずのような扱いを受けているのかは甚だ疑問だが、そこ突っ込むのは面倒なのでスルー。
「まあ? キミやミゼリィ、ヘイルまで連れ出せたんだから骨を折った甲斐はあったよね」
「感謝してるよ、本当に」
「ありがとうございます、クラインさん」
本心から謝辞を述べる俺とミゼリィに、クラインはサングラスの下の翡翠色の瞳を露出させて笑った。
「なら
「そうするよ。……で、件の引きこもり筆頭はどこに?」
「アレなら、あっちのパラソル下で格ゲーやってるよ」
「彼、本当にブレないですね」
「やってること変わってねえじゃん……」
相変わらずな引きこもりに嘆息した俺は、せっかくだから日の下に引っ張り出すか——とヘイルの元へ向かった。
◆◆◆
向かった先のビーチパラソルの下は、最早屋内となんら変わりない姿だった。
「うわめっちゃ室内。引きこもりの鑑すぎるだろ」
辛辣なツッコミも思わず漏れるというもの。
断熱材と簡易クーラーで周囲の温度を確保し、その内側にモニターとサーバーを設置。小型冷蔵庫を含む電子機器はパラソル上に設置された最新の太陽光発電と接続され、ついでにヘイル自身の
真夏の浜辺で見事に引きこもりルームを作成した俺の先輩にして101号室の居住者、ヘイル。
蛍光黄色の髪を『シャンプーが楽だから』という理由で短く切り揃える効率厨の彼は、俺の接近に気づいていたのだろう、次のマッチングを開始する前にゴツいヘッドフォンを外して首にかけ、かったるそうにこちらを振り返った。
「楽しそうだね、エトラヴァルト」
「そりゃあな。そういうお前はダルそうだ」
「真夏のビーチでみんなしてBBQなんて、陽キャすぎてついていけないって」
自分から死にに行くなんて正気の沙汰じゃないと、ヘイルは『うへえ』と舌を出してダルそうに肩を落とした。
が、これは彼なりの照れ隠しなのだと俺は知っている。
「そうは言っても、ついてきてくれたんだな」
予想通り、ヘイルは少しバツが悪そうに目を逸らした。
「別に。……ただ、無碍にするのも違うだろ」
クラインが奮起したことを知っているヘイルは、彼女の頑張りに報いる手段が“参加”だと知っている。
だから、出不精筆頭で引きこもりガチ勢でありながら、今回のイベントに参加したのだ。
——ドバーーーーン、と。
見渡す海の一角で盛大な水柱が立ち上がる。
視線を向けた先では、アルジェ、ティルティエッタ、ガルタス、エイミーの四人が揃って悪役みたいな笑い声を上げながら、戦争みたいなビーチバレーを繰り広げていた。
「ここ、一応一般客もいるって話だけど」
加減しろよ、と項垂れる俺の横で、ヘイルは少し間を置いてから鼻を鳴らした。
「手遅れでしょ。ま、その辺もクライン……と、ヤウラスがなんとかしてくれるって」
「なら、それに賭けて俺も存分に遊んでくるかな!」
「…………」
ビーチバレーに混ざるべく、俺は軽く準備体操を開始。
いくら超人的身体能力があろうと、アクセルを踏み誤れば怪我もする。むしろ、出力がヤバいだけ怪我の規模も洒落にならない。
なのでその辺は入念にエンジンを温めねばならないのだ。
「……なあ、エトラヴァルト」
手首足首や肩甲骨周りを念入りにほぐす俺に、ヘイルはどこか遠慮がちに声をかける。
「君……今、何歳だっけ」
「……? 突然どうした?」
たまに会う親戚のおじさんみたいな質問をしてきたヘイルに、俺は『熱でもあるのか?』と素で返してしまった。
「至って平熱だ。僕の作り上げた簡易ゲーミングルームが夏の暑さに負けるわけないだろ」
「なんで負けねえんだよ……
「そうか……」
訝しみながらも答えると、ヘイルは噛み締めるように無言で何度か頷いた。
「やっぱり、お前の魂の願いはそこにあるんだな」
「何言って……ゲームやり過ぎて熱出たか?」
「だから平熱だと言っているだろ。アレだ、まあ深い意味はない……とは、言えないか。そうだな」
「ヘイル?」
ぶつぶつと。
要領を得ない発言を繰り返す同僚を前に、俺は眉を顰めて首を傾げる。
やがて、ヘイルは何かを決心したように一つ、大きく頷いた。
「僕はさ、使命とかそういうの、心底くだらないと思ってる人間なんだ」
そして突然、自分語りを始めた。
「力の責任とか……そんなのめんどいじゃん。そんなの、ゲームの中くらいで十分でしょって。でもまあ、
ひと呼吸。
一度区切って、ヘイルは己の心情を断言した。
「僕としては……うん。このままでも良いのかなって」
「…………」
言っていることの意味がわからなかった。
何もかもがさっぱりで、ヘイルが何を伝えようとしているのか、俺にはちっとも理解できない。
ただ、彼が真面目に話していることだけは確かで。
「君が望むなら、僕はここが終着点でも構わない。だって、ここは良いところだからね。悪意がないとは言わないけど、それ以上に優しさがある」
だから俺は、黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「君は多くを背負って来た。親友、友達、青春、世界……他にも色々。それは、君が望んで選んだ道で、君の原動力だった。でも最近の君は……ちょっと抱え込み過ぎている。キャパオーバーだ」
優しさを感じた。
やっぱり言っている内容はさっぱりだけど、ヘイルが俺を心配してくれていることだけは、穏やかなに声音と態度から滲み出ていた。
「運命とか、宿命とか。因縁とか……色々あるのかもしれないけど。
「…………そう、なのか?」
「ああ、そうだとも。望んだものだけ拾っていけば良いんだ。その分、余計な苦労はあるかもしれないけどね。でも、人間ってそんなに頑丈じゃないんだから。適度にサボっていいんだよ」
達観した表情で、一歳年上の先輩は優しく目を細めた。
「君は、もう十分頑張った。そもそも、初めの目標はもう達成できただろう? ここらで休んだって、誰も文句なんて言わない。でも、それでも……」
ヘイルの真剣な瞳が、珍しくまっすぐに俺を射抜いた。
「君が走り出すのなら。進むのなら。……その決断も、
「何言ってんのか、全然わかんないんだけど……」
多分、俺は困った顔をしているのだろう。
普段のヘイルであれば『自分語りなんて馬鹿か承認欲求お化けがすること』とせせら笑うこと間違いなしなのに。
それでも彼は、俺に何かを伝えるためにそれをした。
だから、言うべきことは……多分、これで合っている。
「ありがとな、ヘイル」
「気にしなくて良いさ。これも先輩の役目ってやつだよ……っと」
ヘイルはモニターとサーバーの電源を落とし、死にそうな顔になりながら日光の下に身を晒した。
「らしくないことしたついでに、もう一つらしくないことしようかな」
「と、言うと?」
「真夏の浜辺でビーチバレーだよ。お〜い! 僕も混ぜろ〜!」
『——!?』
滅多に大声を出さないヘイルの、しかも信じられない発言に彼を除く14人が揃って度肝を抜かれた。
「あのヘイルが!?」
「万年引きこもりサボり魔が!?」
「真夏の海で運動だとーー!?」
『fooooooooooooooooooo!!!!』
当然のように、俺たちはめっちゃ歓迎した。
「うわっ! 思ったよりも反響がデカいな!?」
全3日の夏休暇。
その初日は、日没にヘイルの情けない悲鳴が響き渡るまで続いた。
◆◆◆
「きっと……いいや。必ず、お前は進むことを選ぶだろう」
とあるダンジョンの最奥部。
クラインたち15人の穴を埋めるべく単独で十五箇所の管轄を引き受けたシンは、錆切った刀を鞘に納めた。
刹那、ダンジョン内の全てのモンスターが木っ端微塵に切り刻まれる。
なんの前触れもなく、元々の形がそうであったかのように頽れる肉塊の雨を避け、シンは地上へと帰還する。
「……ああ、俺です。五日後、大規模なダンジョンが
未来予知でもするように、電話の向こう側の探索省関係者へと、シンはダンジョン出現を断言した。
「対処は俺と……エトラヴァルトを派遣してください。クライン、ハーヴィーを筆頭に連鎖出現への厳戒態勢を」
もう2、3言交わしてから、電話を切ったシンは溜息をついた。
「……さて。先輩として、兄として。後輩を見送るとしよう」