【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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明かされる真名

「待っている……って、どういうこと?」

 

 玄関にて。

 シンの影法師は、約束通りエトの言葉をイノリに伝えた。

 

「意味までは聞いてない。でも、イノリなら分かるんじゃないか?」

 

 限りなく無表情に近く、しかしイノリを思いやる気遣いに満ちた視線。

 シンはイノリに伝える情報を必要最低限のものに留め、『待っている』という言葉の意味に、エトラヴァルト以外の意思が介在しないように努めた。

 

「どう……なんだろ。明日の待ち合わせのことかな……?」

 

 イノリは目を泳がせながら、やや震えた声音で疑問符を浮かべた。

 

「……うん。多分そうだと思う! ね、ありがとう兄ぃ、お風呂沸かし直してるから、早く入ってきて、ね!」

 

「——ああ、そうするよ。ただいま、イノリ」

 

「うん、お帰り兄ぃ」

 

 違和感に気づきつつも、シンはそれ以上何も言わない。

 自分が影法師だからではない。影法師ではない本来のシンであっても、その選択をすると信じて疑わないからだ。

 

 シンはリビングにいるリンネがうたた寝をしていることを気配で察し、声をかけることなく脱衣所へ向かった。

 

「……そうだよね」

 

 廊下に独り残されたイノリは、少し伸びた前髪で目元を覆うように俯き、微かに声を絞り出す。

 

「エトくんは……そうするよね」

 

 彼が迷わないことを知っている。

 どこまでも真っ直ぐなことを知っている。

 

 ——眩しくて、目が眩みそうなほどに。

 

「そっか。待っててくれるんだ」

 

 ごしごしと、流れそうになった雫を乱暴に拭って上を向く。

 

 動きがなかったせいだろう、自動化された廊下の電気はイノリに気づかずに消灯した。

 リビングと脱衣所から漏れる僅かな灯りのみが頼りの薄暗闇、少女は消え入りそうな震える声で呟いた。

 

「しんどいなあ」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

「この世界なら君は、君自身の魂は《英雄叙事(オラトリオ)》がなくとも上手いこと存在できる」

 

 ヘイルの説得はなおも続く。

 俺が口を挟むのを許さない剣幕で、畳み掛けるように彼は俺がこの世界に留まるべき理由を説く。

 

「鎖を使えば、砕け散った君の魂だって繋ぎ止めることができる。《英雄叙事(オラトリオ)》を使った()()()()がなくたって……!」

 

「ヘイル」

 

「……っ!」

 

 俺は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「いいんだ。もう、決めている」

 

「なんで君は……!!」

 

 下唇を噛み締めて、先代継承者は苦渋に満ちた表情を浮かべる。

 

「今の君は、境界が曖昧になっている! そうだ、君が《英雄叙事(オラトリオ)》を理解していなかった頃みたいに、精神が冒されているんだぞ!? わかってるのか!?」

 

 善意でもない、ただの気まぐれだった。

 ヘイルは生前、ただ『気持ち悪いな』という理由で一つのプログラムを作成した。

 それは、『電脳世界』の中枢システムが抱える誤謬を完璧に解消する革新的なものだった。

 

「リステルを助けたい、その想いは遂げたじゃないか! なら、ここから先は……君にとっては余談だろう? 背負わなくていいんだよ。何千年も昔の因縁なんて、今を生きる君には関係ない!」

 

 ヘイルは、『次』を求められた。

 ただの気まぐれが彼の世界を一変させたのだ。

 

 ただ一度、やりたくてやったこと。

 それだけのことだったのに、彼の卓越した技能と頭脳を世界は放っておかなかった。

 

 ヘイルは、自分の境遇と今の俺を重ねているのだろう。

 

「……そうだな。俺と《終末挽歌(ラメント)》には、なんの繋がりもない」

 

 『花冠世界』ウィンブルーデで、俺は《終末挽歌(ラメント)》への……いや、()()()()()()()への怒りを消化した。

 全ては俺のものだと、アイツを殴り飛ばした。

 

 ヘイルの言うとおり、因縁は《英雄叙事(オラトリオ)》と《終末挽歌(ラメント)》のものだ。

 俺が《英雄叙事(オラトリオ)》を喰らい、“記録の概念保有体”となった今なお、その因縁は俺のものではない。

 

「それでも……関係ないとわかった上で、君は背負うのか?」

 

 重荷を下ろす最後の機会なんだぞ、と。ヘイルはどこまでも俺を慮る。

 

 俺の答えは、一つだ。

 

「ああ。俺は背負う。誰の因縁だろうと関係ない。俺は背負って、《終末挽歌(ラメント)》と決着をつける」

 

「それは、どうして?」

 

「まだひとつ、果たしてない約束がある。俺の死に場所は、アルスの隣だって決めてんだ」

 

 たとえ、ここが最後の機会だとしても。

 この先に俺の知らない物語が立ちはだかるとしても。

 

「大丈夫だ。1年間、十分過ぎるほど休暇は貰ったからな」

 

 一時の幻のような時間と群像であっても、得難い時間と友人に恵まれた。

 だから、俺はまた歩き出せる。

 根拠がない自信だが、もう、呑まれることはない。

 

 俺の宣言に、ヘイルは力なく肩を落とした。

 

「……ああ、わかっていたよ」

 

 降参だと、ヘイルは出口への道を開けた。

 

「この世界に、彼女をはじめとした“死者”が再現されない時点で、君が本質的にはここを受け入れていないことくらい。わかっていたよ」

 

「……そうか」

 

「ああ、全く頑固な継承者だ」

 

 ヘイルが困ったように笑った直後、部屋の中に突風が巻き起こり、見覚えのある(ページ)が舞い踊った。

 古ぼけた(ページ)の数々はあっという間に狭い部屋中を満たし、一本の長い長い通路を生成した。

 

 門番のように立ち塞がっていたヘイルは姿を消していた。

 

 ——『それじゃあ行こうか、継承者』

 

「ああ、行こう」

 

 そうして俺は、不可思議な世界に背を向けた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 そこは、ともすればあの世界よりも不思議な空間だった。

 

 延々と続く一本道。

 無数の思考や感情の糸が混ざり合った極彩色の床、天井、壁。

 下手に(さわ)ればまたあの世界へ巻き込まれてしまいかねない奔流。

 

 本来なら入り口として使われるはずの通り道を、ヘイルの“異能”によりハッキングして擬似的な出口に変える力技で、俺はひたすらに終点を目指した。

 

 音がない。

 

 澱みなく歩く俺の両足は、思考の渦に足を取られないように一定のリズムを刻む。

 

 軽やかに、力強く、真っ直ぐに。

 

 その歩みが、緩む。

 

 視界の先、終点……いや、始点に立つ門番の姿を認める。

 

 夢紫の髪を揺らす、オーロラ色の瞳の少女。

 俺の記憶より幾分か成長した姿だが、曲がりなりにも旅路を共にした過去がある少女だ。見間違えるはずがない。

 

「……お前の仕業だったんだな、シーナ」

 

 名前を呼ぶと、藤紫色のワンピースを着たシーナは何度か瞬きをした後に首を傾げた。

 

「あれっ? お兄ちゃんにこの姿、見せたことあったっけ?」

 

「お前が可変式なのは初めて知ったな。でも、その目と気配は変えられないだろ」

 

「おお〜、お兄ちゃんが鋭くなってる」

 

「……っ、暗に昔の俺を鈍感だと揶揄するんじゃありません」

 

「はーい、ママ」

 

「俺はママじゃねえ……!!」

 

 相変わらず図々しいというか、自由というか掴みどころがないというか……。

 

「……ったく。単刀直入に聞くぞ」

 

 咳払いをひとつ、俺は『お前のペースには乗らないぞ』と決意を新たに、ニコニコと楽しそうに笑うシーナに早速本題をぶつけた。

 

「あの世界は、お前が作ったのか?」

 

「うーん、半分は?」

 

 スッと目を細めた俺に、シーナはぶんぶんと首を横に振った。

 

「あ、誤魔化してるわけじゃないよ? 私はただ“核”を作ってみんなを招いただけなの」

 

 少女の胸元に、淡く輝く“種子”が出現する——恐らく、あれが世界の核だろう。

 

「“夢心界催”……私の世界は、すべての夢の統合。意識、無意識に関わらず、招いた人のあらゆる記憶や知識、()()を取り込んで反映するの。——お兄ちゃんには拒まれちゃったけど」

 

 ——私の世界。

 シーナは今、確かにそう断言した。

 

 つまるところ……目の前の少女は、こと魄導の扱いにおいて限りなくバイパーに近い領域にいるのだろう。

 

「——あっ、流石にあの人ほどじゃないよ? 私は概念の力を借りてるから」

 

「しれっと俺の思考を読み取るんじゃねえ。というか、やっぱり概念持ちか」

 

「うん。私は“夢の概念保有体”だから」

 

 夢……つまり、あの世界は『夢の世界』なのだろう。

 取り込んだ人々の思考や意識、願望を反映する、まさに理想の世界というわけだ。

 

 ——なんとも()()()な世界だ。

 

 口には出さない。それは、この先の議論に不要な情報だから。

 

「教えてくれるか? なんで夢の世界を作ったのか。なんで俺たちを取り込んだのか」

 

「——うん、いいよ」

 

 シーナは思いのほかあっさりと要求を飲んだ。

 

「私の役目は、『幻窮世界』への道を閉ざすこと。そして、私の夢を超える人がいたら、素直にその通過を許すこと」

 

 加えてシーナは『相手の疑問には全部答えていいって言われてるよ』と想像以上の親切を見せる。

 

「随分と優しい門番だな。叩き返すとかはしないのか?」

 

「うーん。それもできるけど、()()()()()()()したくない、かな」

 

「そうか。……今、お前は『私の役目』って言ったな。ってことは、他の役目を持った仲間がいるって認識でいいのか?」

 

 シーナが頷くのを待ってから、俺は質問を続ける。

 

「教えてくれ。お前たちの目的はなんだ?」

 

 一拍置いて、シーナは少女らしくない妖艶な微笑みを浮かべた。

 

「私たちの目的は、『幻窮世界』が保有する“無限の欠片”の奪取だよ」

 

「…………。【救世の徒】か」

 

 返答は、首肯だった。

 

「私は〈花園〉。【救世の徒】()()()()、シーナ・ティルフィレア」

 

「……何人来ている?」

 

「私を入れて四人。〈竜人〉、〈冰禍〉、あと〈天穹〉」

 

 〈竜人〉ジークリオン、〈冰禍〉エステラ・クルフロスト、そして未だ謎多き〈天穹〉。

 

 ——全員、最低でも〈異界侵蝕〉クラスと目される特級戦力だ。

 

「教えてくれてありがとな。——最後にひとつ、聞かせてくれ。なんでわざわざ、出口を用意したんだ?」

 

 完全に閉じ込めることだってできたはずだ。

 だが、シーナはそれをしなかった。……むしろ、違和感を残し、『脱出すること』を望んでいるような気配すらあった。

 

「……一人ね、助けてあげてほしい子がいるの。任務とは関係ない……というか、任務と正反対の事なんだけどね。私としては、その子には幸せになってほしいっていうか」

 

 珍しく力強い口調でシーナは“出口”の意味を問う。

 

「この夢を超えられる人じゃなきゃ、その子を助けることはできないから」

 

 断固として譲れないという意志があった。

 

「いいのか? 組織の任務に背くかもしれないことして」

 

「うん、いいよ?」

 

「えっ、いいの!?」

 

 思ってたよりずっと軽い返事に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 

 シーナはごく自然に、自分の役目や組織の内情をペラペラと喋る。

 

「今回、私が結界担当になる上で『そうなったら仕方ない』って妥協して貰ってるから、いいの。あとは運任せ」

 

「組織公認なのかよ……どうなってんだ【救世の徒】」

 

 いまいち掴みどころがない、本音が見えてこない組織だ。

 だからこそ不気味で、全容が掴めないのだろうが。

 

「……頑張ってね、お兄ちゃん」

 

 頭を悩ませる俺に、シーナは脈絡なくエールを送った。

 

「いいのか? 俺、多分お前たちと敵対するぞ?」

 

「いいの。お兄ちゃんはいい人だから」

 

「お前のいい人判定がチョロそうでママは心配だよ」

 

 冗談混じりで『悠久世界』での設定を持ち出すと、シーナは珍しく、お菓子がないのに笑顔を浮かべた。

 

「お姉ちゃんたちにもよろしく、お兄ちゃん」

 

「そうだな、宜しく言っとくよ。ちなみに、ここを通ったのは俺で何人目だ?」

 

「お兄ちゃんが初めて。でも、これをきっかけに増えるよ」

 

「そっか。なら、後から来る俺の仲間によろしくな」

 

「ん!」

 

 いつの間にか別れの挨拶を始めていたが、これでいい。

 

 あまり長居するのは得策ではない。早々に遅れを取り戻さなくてはならないのだから。

 

「……さて、なんで滅びたはずの世界が今もあるのか謎なんだが」

 

 出たとこ勝負だ。

 『海淵世界』の代表として、『弱小世界』の騎士の力の見せ所である。

 

「——行くか!」

 

 最後に、夢の主人である少女に手を振り別れを告げる。

 そして夢を飛び出し、現実へ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 目を覚ました俺は、ふかふかのベッドの上にいた。

 

 木製の天井。

 常夜灯だけが照らす暗がりの部屋。

 時間は深夜なのだろうか? 窓の外は真っ暗闇で、人の気配は感じられなかった。

 

「——おっ、やっと起きたな寝ぼすけ英雄」

 

 たったひとつ、むせ返るような血の臭い以外には。

 

 体を起こし、視線だけを声のした方向へ向ける。

 それは椅子に腰掛け足を組み、丸テーブルに肘をついて大きなあくびをした。

 

「三日も爆睡しやがって、ったく」

 

「三日……やっぱり、夢の世界は時間の流れが狂ってたのか」

 

「あんま驚かねえな? もっと『どんだけ寝てた!?』って取り乱すと思ってたのによ」

 

 あーつまんねー、と落胆する男。

 部屋の中に充満する臭い、全て、俺を殺す用意ができていた。

 

「違和感はあった。でも、考えないようにしていた」

 

 それが事実だったのであれば、多かれ少なかれ、俺の旅路には()()()()()()が介在していたことの証明になってしまう。

 

「けど、今更ビビることもないだろ。わかった上で、斬り伏せるだけだ」

 

「いいじゃねえの。嫌いじゃねえよ、そういうの」

 

「あの時は知らなかった。その後も、あえて調べないようにしていた」

 

 だが、もう目を背けることは()()()

 向こうから来た厄介ごとであっても、その心意の糸が絡んでいたのであれば、こっちから巻き取って背負うまでだ。

 

「——『火の神の鍛冶場』は、()()()()にある異界だ。第四大陸から日帰りできるような距離じゃない」

 

 だが、超抜級の例外なら可能だ。

 

「卓越した空間跳躍、転移……もしくはそれに類する技能があるなら、その前提は覆る」

 

 俺の目覚めを待っていた()()()は、暗闇の奥でゆっくりと笑みを深める。

 

「目覚めてわかった。今ここは、シーナが展開した『夢の世界』が覆い尽くしている。通過者は俺が初めて……なのに、お前は俺より先にここに居て、目覚めていた」

 

 吸血鬼は何も言わない。

 俺が答えを言い当てるのを待っていた。

 

「なら、答えはひとつだ。アンタが〈天穹〉なんだろ? ——紅蓮」

 

 果たして、吸血鬼は。

 

「キヒヒッ!——大正解だ」

 

 血の臭いが、一層強くなった。

 

 薄暗闇よりも昏い、濃い、血の色。

 

 二年前、腐れ縁を無理やり繋いできた吸血鬼は『やっとだな』と、いつものぶん殴りたくなるニヤケ(づら)を浮かべる。

 

 そして、勿体ぶった仕草で正体を告げた。

 

「お前の言うとおりだぜ、エト。俺が【救世の徒】最高幹部、〈天穹〉紅蓮・ヴァンデイルだ!」




大体50話くらいの『魔剣世界』にて

エステラ「なんであの二人いるの?(休暇)」
シーナ「二人、監視に来た?(仕事)」
紅蓮「なんで二人が!?(サボり)」
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