【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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幻窮回帰行⑦ 終点

 『幻窮世界』に降り注ぐ雨。それはまるで誰かの後悔の具現化のようだった。

 半年以上繰り返した輪廻の中で、ただの一度も降らなかった雨。〈星宿〉オフェリアの言う“偽りの空”から絶え間なく落ちる雫は、自然と俺たちの観光の足を止めていた。

 

「うげぇ、まーた酷くなってやがる」

 

 地面を打ちつける雨音に紅蓮は辟易したように舌を出した。

 工場見学を終えた俺たちを出迎えたのは、より一層強まった雨足。次の目的地までは車を使うには近すぎるが雨の中歩くのは中々気が滅入るような距離感ゆえに紅蓮はげんなりと空を見上げた。

 

「雨嫌いなんだよなぁ、血ぃ不味くなるし」

「俺、初めてお前から吸血鬼らしいこと聞いた気がする」

「なんか風味っつうか、混ざるんだよな。雑味みてえな?」

「水増しされた牛乳のようなものでしょうか?」

「いや、泥水でコーヒー淹れた感じだな」

 

 農家さん大激怒間違い無しなエルリックの想像に対する紅蓮の回答はかなり想像し難いものだった。

 雨の中の移動はエルリックも望ましくないのか、そのまま紅蓮と二人で飲み物談義へ移行。

 そっちに興味はないのか、エステラがさりげなく俺の隣に寄った。

 

「どうエト。何か新しい収穫はあった?」

「収穫と言えるかはわからないけど、産業はかなり昔から停滞してるっぽい」

「産業……今までにない視点だね」

 

 俺の発言にエステラは興味深そうに目を細めた。

 

「停滞っていうのは具体的にどういうこと?」

「技術的進歩がない。少なくとも二千年前に〈贋作〉プリシラが起こした技術革新以降、目新しい変化が起きていないように見えた」

「情報元は《英雄叙事(オラトリオ)》の記録だね。誰の記録かわかった?」

「最有力はシンシアなんだが……ちょっとわからん。他の使徒の可能性もあるし、全く関係ない誰かかもしれない」

「ふうん?」

 

 俺の煮え切らない回答に、桃髪のハーフエルフは訝しむように片眉を上げる。

 俺が何かを隠しているんじゃないか、そんな疑惑を孕んだ視線が突き刺さった。

 

「今までの記録の閲覧と違うんだ。今までは縁を結んだ英雄たち……エルレンシアなんかは、彼女と繋がったことで彼女の人生を垣間見た」

「今回は違うの?」

「違う。今回は……なんか、情報が断片的だ。それに誰かと繋がっている感覚がない。今までのが“対話”だとするなら、今回のは“閲覧”……本を読んでる気分だ」

 

 幸せな記録がある。

 暖かな感情が伝わる。

 肌に触れる空気や鼓膜を揺らす声がある。

 憧れが、勇気がある。

 けれども、実体だけが感じられない。

 

 本来ならあるはずの、その人生の“厚み”だけが致命的に欠如している。

 

「ふうん。私にはよくわからない感覚だね」

「悪いな、上手く説明できなくて」

「そんなもんだよ。概念保有体の奴らってその辺が結構大雑把というか感覚的だからね。大抵は他人には理解できない捉え方しててね。シーナとかもその筆頭」

「ああ、そういえば“夢の概念保有体”だって自称してたな」

 

 本来敵である俺にアイツは色々喋りすぎではなかろうか。

 

「シーナはエトに餌付けされてるからその辺甘いんだよね。肉体年齢が幼い時は特に」

「誘蛾灯みたいに釣れたのが懐かし……というか当たり前のように思考を読むな」

「防御が疎かになってたよ」

「忠告どうも」

「どういたしまして。それじゃあ忠告ついでに」

 

 魄導(はくどう)で思考を隠した俺に、エステラは空を見上げながら問う。

 

「君は雨が好き?」

「嫌いだ。……なんでそんな質問を?」

 

 意図を理解する前に俺は即答した俺に、エステラは二、三度瞬きをしてから肩をすくめた。

 

「特に意味はないよ。私は好きだったからね」

 

 地面にぶつかり弾ける雫たち。俺たちの足下に散らばる飛沫を分解しながら、エステラは残念そうに肩を落とす。

 

「でも即答は少しショックだね。参考までに、なんで嫌いか訊いてもいい?」

「俺の親友が、暗いのが苦手だからな。闇も、寒さも。だから雨は嫌いだ——アイツが怖がるから」

 

 俺は一歩、雨の下へと躍り出た。

 止まない雨は俺に当たることなく、〈勇者〉の剣気を模した斬撃に弾かれてゆく。

 

「だから此処では終われない。さっさと帰って傘をさしに行ってやるんだ」

「——変わらないね、エト」

 

 エステラも、エルリックと言い争っていた紅蓮も、急に黙った紅蓮に疑問を覚えたエルリックも。皆、俺を見た。

 

「初めて会った時からずっと、君は真っ直ぐ自分の道を見続けている」

 

 俺は俺の道を進んでいると彼女は言う。そして、彼女もまた、【救世の徒】としての自分を持っている。

 だからこの言葉は俺への称賛のようで、しかし。決して俺たちの道が交わらないことを改めて突きつけられたような——少しだけ寂しさを覚えるものだった。

 

「自分の、道……」

 

 エステラの言葉に、一人。

 エルリックは彼女の言葉を噛み締めるように呟いた。

 

 

◆◆◆

 

 

 降り始めた雨が止むことはない。

 結局五日目の宿である民宿〈浮世〉に到着した頃には、宿自慢の枯山水もすっかり乱れてしまっていた。

 

 秘纏十二使徒の一人、〈浮世〉ヤウラスが営んでいたこじんまりとした温泉宿。

 ヤウラスは自分の“神名”たる〈浮世〉を一般には公開していなかったため、英雄を一目見ようと客が殺到することこそなかった。しかし宿の評判は良く、十個の部屋は常に満室状態だった。

 

 今でこそ彼女の手を離れているが、宿のクオリティは高い水準を維持している——そうエルリックは自慢げに語っていた。

 

「あと一日か〜」

 

 布団に寝転がりながら同室の紅蓮がぼやく。

 

「また記憶が取られちまうって考えると胸糞悪ぃな」

「安心しろ、毎度同じこと言ってるから」

「それ全く安心できる材料にならねえぞ?」

 

 降りしきる激しい雨は雷こそ伴わなくとも豪雨と呼ぶに差し支えない勢い。屋根を叩く音が天井から持続的に響く中、俺と紅蓮は互いに口を閉じた。

 雨音に包まれる部屋で心音に耳を傾ければ世界の音は遠ざかり、自然、雨が弱まったかと錯覚してしまう。

 

「——俺の認識では、幻窮(ここ)は二千年前に、滅亡惨禍で滅びてる。食い荒らされた多くの世界と同じようになくなった——そのはずだった」

 

 改めて考えてみれば、それはあまりにもおかしな認識だった。

 

「馬鹿げてるよな。幻窮が滅びてるって自分で言っておきながら、俺は“七強世界”の存在を疑わなかった」

「知ってて知らないふりをしたわけじゃないんだよな?」

「ああ。つってもエトからすりゃ信じられねえ話ではあるだろうけどよ。本当によ、俺の中でその二つは両立してたんだ」

 

 二つの状態の両立、認識を委ねる。

 その形に既視感を覚える。

 

「【救世の徒】としてあちこち世界をかけずり回って、長いこと生きてきて……それなのに、俺は欠片も疑っちゃいなかった。疑う瞬間があるべきだった。俺は——」

 

 紅蓮は布団からはみ出して、畳の上に転がって雨音がうるさい天井を見上げた。

 

「俺は、故郷に残っていて欲しかったのに」

「…………なら、なんで【救世の徒】に入ったんだ?」

 

 その問いは、吟味する前に自然と口をついて出た。

 

「幻窮を滅ぼすとも……全世界に宣戦布告するともエステラは言ってた。紅蓮、お前の言葉と矛盾する」

「……()()、か」

 

 紅蓮は口端を歪める。その表情は自虐のようで、自分自身を強く嘲っているようだった。

 

「矛盾してたつもりはねえんだ。物心ついた頃には一人だった。親もわからねえ、親戚なんて一人もいねえ。物盗りのセンスだけでその日暮らしして——ある日、盗る相手を間違えた。けどその人は怒らなかった。それどころか俺の才能を買って勧誘までしてきた」

 

 それはきっと、エステラが言っていた“紅蓮の勧誘”の話なのだろう。物盗りの相手がエステラだったのか、他の幹部だったのかは俺にはわからなかった。

 紅蓮は天井を見上げながら、過去を眺めるように遠く目を細める。

 

「すぐに乗ったよ。こんな世界に用はない、世界が滅びても生き残る術があるってんだから乗らない手はなかった。——まあ、間抜けなもんだよな。いざ出て行こうってその日に未練を作っちまうんだから」

 

 視線が北に——遊園地の方角へ。

 

「でも決めたし……なによりその人の力になりてえって気持ちは嘘じゃなかった。今もだ。だから矛盾しねえんだよエト。俺はこの世界に残っていて欲しかったし——この手でケリをつけたいとも思ってんだ」

「……だから、俺たちは交わらないんだな」

「ああそうさ。エト、お前がこの世界を守るってんなら——俺はお前を殺す。殺して、滅ぼして、ケリをつける」

 

 真紅の双眸が爛爛と輝いて俺の灰色の瞳を覗く。

 真意を探るとかではない。正真正銘の、〈天穹〉紅蓮・ヴァンデイルから〈黎明記〉エトラヴァルトへの宣戦布告だった。

 

「——なら、俺は俺の道のために……立ち塞がるならお前を退ける」

「…………」

「…………」

 

 互いに睨み合い——そして、俺の方から殺気を消した。

 

「トイレ行ってくるわ」

「廊下の右にあるぞー」

「助かる」

 

 お互いに先ほどの衝突はなんだったのかと思うほど気が抜けた会話で、レギンスを履き直して外に出る。

 

「いや、下駄で良かったじゃん」

 

 わざわざ面倒な方を履く必要なんてどこにもなかったことに後から気づいたが、履いたものは仕方ない。そのまま足だけ重装備という不恰好でトイレへ向かう。

 

「えっと、向かって右側、に……………」

 

 右を向くと、女子トイレから顔を出したエルリックと目が合った。

 

「「………………」」

 

 互いに固まった。

 俺はその堂々とした覗き行為に唖然とし、エルリックは犯行現場を見られた焦りからだろう、顔面に大量の冷や汗を浮かべた。

 

「え、エルリックお前……」

「ち、ちちちちちちち違うんです違うんです!」

 

 俺の軽蔑の視線を受け、エルリックはわたわたと両手を荒ぶらせて思い切り声を荒げた。

 

「お、女将さんに清掃の手伝いを申し出たんです! なので、はい! 覗きとかではなくてですね! だからあのそのええと……!!」

「————————」

 

 エルリックの弁明は俺には届かない。

 決して見苦しいものを見て、弁解の余地なしと切り捨てたわけじゃない。

 

「そんな、ことが——」

「あ、あるんですってエトさん! 信じてくださいよ!」

 

 繋がる。

 彼のミスと、彼女のミスが。

 

 繋がる。

 彼と彼女の慌て方が。

 

 繋がる。

 彼と彼女の願いが。

 

 違和感が紐解かれ、点と点が線で繋がっていく。

 力の在り方が、認識の誤謬が、記録が、行動が、態度が。『幻窮世界』で経験してきた全ての事象が、繋がっていく。

 あり得ないと履き捨てたくても、脳裏で鳴り響く直感が無視させてくれない。

 

 ——そんなはずはない。

 

 理性が冷静さを求める。

 

 ——目を逸らすな。

 

 本能が突き進めと背を押した。

 

 たった一つの——ともすれば、ここが異界ではないかと推測したあの瞬間よりも出鱈目で荒唐無稽な答えが、俺の中で産声を上げた。

 

「異界主——」

「……っ!?」

 

 俺の呟きに、エルリックが……いや、目の前の()()()()()()()()が目を見開いた。

 

「シンシア、あんたが——」

 

 その瞬間、俺は自分の最大のミスを悟った。

 

 世界の空気が変わる。

 雨の音が遠ざかる。吹き荒れた凍てつくような殺気に、俺は反射的に目の前の案内人を左腕で抱き抱えた。

 

「目を閉じろっ!!」

 

 叫びに従ったか確認する間すら惜しんで、俺は右手を部屋へ向ける。

 

「来い!」

 

 俺が鞘を掴むのと、()の攻撃は同時だった。

 

「『咲き誇れ』」

「『アルカンシェル』ッ!」

 

 魔法と魔剣の始動。顕現の瞬間に宿二階が跡形も残らずに消し飛んだ。

 開けた景色の向こう側、無表情のエステラと僅かに視線が交錯した。

 大輪の氷花が放つ絶滅の吹雪と虹の魔剣が激突する。

 拮抗は一瞬。僅かに溜めが小さかった俺の魔剣が砕かれ、世界を凍させる一撃が殺到する。

 

「『望郷を守護せし(クレイウィル)——』」

 

 だが、不完全な魔剣はその一瞬を稼ぐために。

 

「『白亜の若葉(コルアスタ)』!」

 

 生前シャロンが得意としていた鋼鉄の草木による防御魔法が間一髪で完成し、吹雪と俺たちを遮るように白の城壁を生み出した。

 

 俺の選択は離脱。

 二階部分から飛び降り——血の匂い。

 

「すまん!」

「ふえっ!?」

 

 ほんの一瞬案内人を手放し、抜刀。

 殺到する血の小刃を斬り落とす。

 着地と同時に案内人を再度受け止めた俺の数メートル前方に、エステラと紅蓮が雨を厭わず着地した。

 

「契約満了だな、エステラ」

「そういうことだね、エト」

 

 俺が犯した致命的なミス。

 それは、答えを思いついた瞬間、そのあまりの衝撃に思考の防御を怠ったこと。

 あの一瞬で駆け巡った記憶と推理は、全てエステラに読み取られた。

 

 つまりこの瞬間、真実を明らかにするまでの共同戦線は終わりを告げたのだ。

 

「案内人を……ううん。〈覚者〉シンシアを渡して貰うよ、エト」

 

 俺の腕の中でビクッと。シンシアと呼ばれたエルリックが大きく震えた。

 

「そりゃ無理だ。俺は救難信号を受けてやってきたからな」

 

 俺とエステラの間で遠慮のない殺意による火花が散る。

 互いの魄導(はくどう)の残滓が弾け、中空で不自然な破裂音と共に雨粒が弾けた。

 

「——ありがとうございます、エトさん」

 

 沈黙を破ったのは、記録の中で何度も聞いた優しい声音とはかけ離れた、喉を火傷をしたように枯れ切った声。俺の腕に抱えられていたエルリックを偽っていた使徒。

 腕の中から抜け出した彼女が欺瞞を解く。

 

 俺の視界が僅かに乱れたかと思えば、直後。エルリックが立っていた場所には青い髪を雨に濡らした女性がいた。

 

「流石は《英雄叙事(オラトリオ)》に選ばれた英雄です。私のことをこんなにも早く見つけるなんて」

 

 記録の中で浮かべていた輝かしい笑顔は影も形もなく、そこにあるのは、深い絶望と後悔。

 

「そしてごめんなさい。私は、貴方に守って貰えるような人ではない」

 

 俺を一瞥した後、青髪の彼女は一歩前へ。

 エステラたちと向き直った。

 

「私は、シンシア・エナ・クランフォール。『幻窮世界』リプルレーゲンを滅ぼした女」

 

 そして、自らの真名を打ち明ける。

 

「そして、穿孔度不明(オーバースケール)・『幻窮異界』リプルレーゲンの——異界主です」

 

 シンシアの首に巻かれた鎖型のチョーカーが、鈍い輝きを放った。

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