【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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虚構の扉

 秘纏十二使徒。

 『幻窮世界』を守る、“神名”を名乗ることを許された十二名の使徒。神秘をもって敵を討ち果たし、民を守り、世界の明日を約束する。

 

 彼らは英雄だった。人々にとって、そして(シンシア)にとっても。

 

 私にとっての憧れでした。

 私にとっての目標でした。

 私にとっての隣人でした。

 私にとって、たった一人ずつのかけがえの無い最愛たちでした。ずっと——今でも。

 

 クラインの言葉に、みんなの信頼に応えたい。

 その一心で努力を重ねました。

 私は力が強いわけじゃない。戦いのセンスも平凡、神秘との親和性が特別高いわけでもない。

 

 だけど、みんなは私の歌が好きだと言ってくれた。私の踊りが綺麗だと言ってくれた。元気が貰えると言ってくれた。

 

 だから私は歌いました。私の歌を好きだと言ってくれた人たちのために。

 私は踊りました。私の踊りが綺麗だと言ってくれた人たちのために。

 なにより、私は歌と踊りが好きだったから。

 

 いつかきっと、みんなと並び立って“神名”を名乗れるようになるために。

 どうやって辿り着くのかはまだわからないけれど、きっとこの“道”が未来に繋がっていると信じて。私は、私にできる全力を尽くしてきました。

 

 

 追いつきたい。

 みんなに追いつきたい。

 その背中に守られているだけは嫌だった。

 私は、シンシア・エナ・クランフォールはみんなと一緒に戦いたかったのです。

 みんなと同じ景色が観たかったのです。

 私は、みんなと共に生きたかったのです。

 

 

 ……みんなと一緒に、死にたかったんです。

 

 

 もう二度と叶わない夢を。

 縋る意味もない幻想を。

 私は今も、捨てられないでいるのです。

 

 

◆◆◆

 

 

 白かったはずの薄汚れたワンピース。紐が千切れたボロボロのスニーカー。まるで自らが罪人であるかのように主張する鎖状のチョーカー。

 雨に濡れた青い髪を肌に張り付かせるその表情に生気はなく、絶望染まりきった虹彩は虚ろだった。

 

 雨がうるさい。

 エトは自分の呼吸が遠ざかるのを感じた。

 目の前の女性は確かにシンシアだ。だが、記録の中で笑っていた彼女とは似ても似つかない、別人のように憔悴しきった顔色に確信が持てなかった。

 

 どんな言葉をかけるべきか、エトはシンシアを前に戸惑った。

 

「滅ぼしたって?」

 

 声の主は紅蓮。

 『幻窮世界』で生まれた吸血鬼の隠しきれない怒気を孕んだ問いかけに、シンシアはピクリとまつ毛を震わせた。

 反応は、たったそれだけ。

 シンシアは淡々と、無感動に肯定する。

 

「はい。私が滅ぼしました」

「〜〜〜〜ッ! テメェ!!」

 

 体を穿つような殺気と雨の中でも濃密に漂う血臭を纏った紅蓮がシンシアへ怒声と共に肉薄する。

 血液から生成した剣を動く気配のないシンシアの首元に叩きつけ——銀の長剣(エストック)がそれを阻んだ。

 

退()きやがれエト!」

「退かねえよ!」

 

 エトの肉体から迸る銀の魄導(はくどう)が紅蓮を血の直剣ごと押し除け、エステラと紅蓮、両名から守るようにシンシアの目の前に立ち塞がった。

 

「邪魔すんじゃねえエトラヴァルト! テメェの後ろにいるのは異界主だぞ! ソイツが幻窮を、俺の故郷を滅ぼしたと言った!」

 

 真紅の瞳にかつてない怒りを滾らせ、紅蓮の全身に赤黒い魄導(はくどう)が満ちる。

 

「テメェは世界を守るんだろ! だったら“異界”を、異界主を守る必要なんざ欠片もねえだろ! なんでテメェが阻むんだ!」

「——っ!」

 

 紅蓮の言葉に、僅かにエトが目を見開く。

 ほぼ反射で飛び出して迎撃を選択したエトだったが——紅蓮の言うとおり、守るための動機がなかった。

 

「わかんだろエトラヴァルト! ソイツは異界主だ! 俺ら【救世の徒】の目的で、冒険者としてのテメェの敵だ!」

 

 それはどうしようもない正論だった。

 エトがこの世界に……否。この異界に来たのは、救難信号の真意を調べるためだ。ここが異界だと分かった以上、エトラヴァルトの最優先事項はイノリたちの回収と帰還、そして情報の報告となる。

 

 異界は世界の敵だ。

 それも、『始原世界』ゾーラにある“深層大異界”と同じ穿孔度不明(オーバースケール)という、一般的な穿孔度(スケール)という物差しでは比較ができない未知の異界。

 異界の心臓たる異界主を庇う理由など、あるはずもなかった。

 

「——迷ったね、エト」

「このっ……」

 

 ほんの刹那の逡巡をエステラは見逃さない。

 たとえ思考を読まれないようにエトが対策をしたところで、エステラが積み上げてきた時間の蓄積は肉体に表面化したほんの僅かなエトの動揺を目敏く捉えた。

 

 シンシアを守るエトの側面に躍り出たエステラの回し蹴りが無防備なエトの脇腹を痛烈に抉る。

 

「かっ……!?」

「迷わないキミは強い。でも逆に、少しでも揺れたキミを崩すのは容易いよ」

 

 エトの体を容易く吹き飛ばしたエステラは視線をエトに、右手では紅蓮を制する。

 

「血が上りすぎだよ紅蓮。殺すのは今じゃないでしょ」

「…………、チッ」

 

 窘められた紅蓮は不服そうにしながらも血の剣を分解した。が、彼の瞳はいまだ怒りを燃やしたまま、俯くこともしないシンシアの空虚な瞳を睨みつける。

 

「お久しぶりです、紅蓮さん」

「——ッ!」

「お元気そうですね」

 

 紅蓮の表情に一瞬、悲痛が浮かんだ。

 

「…………クソッ。エステラ、尋問はお前が」

「全て、お話しします」

 

 シンシアは紅蓮の言葉に被せるように告げた。

 その場にいたエトを含む三人がシンシアの予想外の恭順に反射的に閉口した。

 

「……いいのかい?」

「はい」

 

 エステラの問いかけを肯定したシンシアは少しだけ目線をずらし、脇腹に付いた泥を払うエトを見た。

 

「もう、十分知って貰えました。もう、いいんです」

 

 

◆◆◆

 

 

 シンシアの言葉に。

 

「——っ」

 

 俺は、静かに息を呑んだ。

 その瞬間、湧き上がったのは己への怒り。

 

 ——ふざけるなと。ほんの数秒前の己を叱責した。

 

 自分を見た空虚に染まった瞳。諦観に満ちた声音。絶望に彩られた表情。疲れ切った佇まい。

 その奥に、俺は確かに見た。

 

 空虚に染まった瞳の奥で。

 もういいと。そう告げたシンシアは痛みに悶え、狂おしいほどに悲鳴を上げていた。

 

「〜〜〜〜ッ!!」

 

 ギリリ、と奥歯を噛み締める。

 

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!

 

 何が正論だ! 何が守る理由がないだ!

 常識に囚われて、大局にばかり目を向けて!

 俺は今——目の前の痛みから目を逸らそうとしていた!

 

 夢とも記録とも言えない、あの灰色の世界で——俺は聞いただろう!

 シンシアという一人の人間の声を!!

 

 何のための剣だ、何のための誓いだ!

 俺の剣は守るためにあるんだろう!?

 

 ならば今この瞬間、目の前で悲鳴を堪える彼女に手を差し伸べないで……あの日の誓いを果たせるはずがないだろう——ッ!!

 

 

◆◆◆

 

 

「“収束顕現”……!」

 

 怒りと決意にエトの心臓が強く鳴り響く。

 湧き上がる魄導(はくどう)が出口を求めて荒れ狂う。

 《英雄叙事(オラトリオ)》が(ページ)を捲り、かつての英雄譚を呼び覚ます——!

 

 右足を下げ、誓剣を持つ右腕を胸へと引き絞り突貫の姿勢。

 両足が大地を強く踏み締め、膂力に悲鳴を上げたぬかるんだ大地がひび割れた。

 

 魄導の圧縮によってエトの周囲に生成される六振りの剣。そして彼自身が手にする誓剣。

 鋒が指し示す先はエステラと紅蓮。その全てに、虹の魔力が充填されている。

 

「——っ!?」

 

 隠す気のない吹き荒れるエトの意志にエステラが目を見開いた。彼女のお株を奪う超高速展開。ハーフエルフの魔女が気づいた時には既に、溜めは終わっていた。

 

「『アルカンシェル——七重奏(セプテット)オオオオオッ!!』」

 

 かの〈勇者〉アハトすら受けに回した七色の輝き、その七重!

 圧縮された七筋の擬似魔剣が解放される!

 

 シンシアに意識を割いていたエステラは7つの虹に瞠目し、花弁の生成に致命的な遅れを取った。

 

「ああ——信じてたぜエト。お前ならそうするってな」

 

 だが、紅蓮だけは違った。

 この瞬間、誰よりも……エト自身よりも彼を信じていた紅蓮はエトと視線を交わし、パチンと指を鳴らした。

 

 その瞬間、豪雨のカーテンを突き破り一直線に突き進む魔剣の進路上に、七つの空間の裂け目が現れる。

 僅かな拮抗すらなく、裂け目は『アルカンシェル』を一滴も残さず飲み干した。

 

「なっ……!?」

 

 エトの喉から驚愕が漏れる。

 転移魔法を疑うエトの視線の先で、空間の裂け目は何事もなかったかのように消失した。

 

「〈覚者〉シンシア。洗いざらい話してもらうぞ」

「わかりました。こちらへ」

 

 エトのことなど歯牙にも掛けない様子で紅蓮はシンシアに話しかける。

 

「行かせねえ!」

 

 エトは魄導(はくどう)を放出して疾走、一息で紅蓮の背後を取る。エステラが対処する気配はなく、エトはそのまま誓剣を振り抜いた。

 

「なん……ぐっ!?」

 

 直前、エトの体は紅蓮とシンシアをすり抜けたように彼らの前方へと()()した。

 勢い余って水たまりへと突っ込み、左手で泥を掻いて制動をかける。

 何が起きたのか理解できないまま顔を上げたエトの前には、大輪の氷花を咲かせたエステラと、冷徹に自分を見下す紅蓮がいた。

 

「——本来、空間に裂け目はない」

 

 紅蓮は語る。

 

「空間とは連続したものだ。世界同士を隔てる膜ですら本質的には繋がっている」

「それがなんだ——“収束顕現”!」

 

 最早自分を視界に入れていない紅蓮に対して、エトは再び六振りの剣を生成。紅蓮を囲むように飛ばした。

 

「だからこそ、俺の手はあり得ざる断絶を生み出す」

 

 紅蓮の首を穿つはずの剣は全て新たに生まれた裂け目に呑まれ、裂け目と紅蓮を結んだ対角線上から何事もなかったかのように飛び出して地面に突き刺さった。

 

「ある筈のない断絶を、ある筈のない接続を。俺は、あらゆる“虚構”を肯定する」

 

 紅蓮は自分の右手側に人間大の裂け目を……本来はあり得ない、離れた空間同士の接続を成し遂げる。

 

「俺は不可能の肯定者、“虚構の概念保有体”だ」

 

 エトの眼前でエステラが躊躇いなく裂け目に身を投げ、紅蓮はやや乱暴にシンシアの背中を押す。

 

「クソッ……逃すかよ!」

 

 紅蓮の首を刎ねんと再びエトが突貫する。

 エステラの置き土産である氷花の吹雪を虹の魔剣で相殺し、がむしゃらに直進する。

 

 ——行かせてはいけない。

 ——今、その手を掴まなければいけない。

 

「シンシア——!」

 

 そんな強迫観念にも似た衝動がエトを前へ前へと突き動かす。

 だが——

 

「視野が狭えぞ、エトラヴァルト」

 

 そんなエトを嘲笑うかのように、紅蓮は空間の裂け目を生み出した——エトの眼前へと。

 

「——っ!?」

 

 急制動をかけるも間に合わない。

 

「じゃあな、エト。またどこかで会うだろうよ」

「紅蓮……っ!」

 

 なす術なく裂け目に飲み込まれるエトに、紅蓮は投げやりな別れの言葉を送った。

 エトが飲み込まれてすぐに裂け目は消え、彼らを阻むものはいなくなった。

 

「進め、〈覚者〉。幻窮に何があったのか、一切合切教えてもらうぞ」

「——わかりました。ですが一つ、お願いがあります」

「内容による」

 

 シンシアは屍人(しびと)のような足取りで裂け目を潜りながら、たった一つの要望を告げた。

 

「全てを話したその後は——どうか私を殺してください」

 

 

◆◆◆

 

 

「——クソッ!」

 

 裂け目から投げ出された先は、死に絶えた赤土の荒野。灰色の空とひび割れた空間。

 そこはまるで、夢とも記録ともつかぬあの僅かな時間、シンシアの言葉を聞いた空間に瓜二つだった。

 

「何処だよここ……!」

 

 見覚えのない、生命の気配がしない空間で悪態がついて出る。

 

「でも、行かないと、早く——!」

 

 ——行かなくてはいけない。

 そんな衝動が絶えず俺の体を突き動かす。

 瞳の奥に見えた悲痛は、決して偽物なんかじゃない。俺の脳が見せた都合のいい幻なんかじゃない。

 

 そんな確信が、何もない荒野であっても俺に一歩を踏み出させ——

 

 “落ち着きやがれください、継承者”

 

 直前、脳裏に響いた敬語と暴言の狭間のような言語にピタリと足が止まった。

 

“闇雲に歩き回っても体力の浪費じゃねえかです。一旦冷静になりやがれください”

 

「…………は?」

 

 脳に声が響く、それ自体は別に不思議じゃない。

 シャロンを始めとした継承者たちは割と好き勝手に俺と導線(パス)を繋げて会話してくるため、そんなことには慣れっこだ。

 問題は、響く声にまるで聞き覚えがないこと。そして、その接続に関して、シャロンたちが一切関知しないように沈黙を貫いていること。

 

 導線(パス)の先は、間違いなく《英雄叙事(オラトリオ)》だ。俺の内側から何かが繋がっている感覚がある。

 

「お前、誰だ……?」

“全く、今はそんなこと重要じゃねえです”

「いや、俺的には割と一大事——」

“シンシアを助けやがりたいんだろ、です”

「……!」

 

 正体不明の声に思わずハッとする。

 

“私の正体なんて後からいくらでも教えてやるです。継承者、いま貴方がすべきは救うための鍵を見つけやがることです。私はそれを見せるためにこうして声をかけてやったんだ、です”

「救うための、鍵?」

 

 疑問の声に、胸の奥で肯定を感じた。同時に、抑えきれない記録の奔流も。

 

「おい、待てお前——!」

 

 記録の一斉閲覧の気配。

 それは閲覧が終わるまで、俺の意識が途切れることを意味する。

 

「今はダメだ! 一刻を争うのに——!」

“黙って見やがれください。必要だと言っただろ、です。どっかの世界には『急がば回れ』なんて言葉がありやがるんです。大人しく閲覧しやがれください”

「んな横暴な……!?」

 

 俺ですら感知できない“記録の深奥”、その鍵が開く気配がした。

 

 ——途端、急速に意識が遠くなっていく。

 

「お前、ふざけ……!」

 

“《英雄叙事(オラトリオ)》による検索を実行——承認”

 

 俺の抵抗を嘲笑うように、声の主は記録を掘り起こしては俺の魂を通して脳へと繋げていく。

 

系統(カテゴリ)・“滅亡惨禍”への閲覧(アクセス)を司書権限にて強制実行——継承者エトラヴァルトへのインストールを開始しやがれです”

 

「こんな、時に……!!」

 

 抵抗も虚しく、俺の意識は記録の海へと落ちていった。

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