【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
——二千年前・『幻窮世界』リプルレーゲン
〈駒鳥〉遊園地が開演してから二年が経った。
市民が笑顔で過ごせる場を、“楽しい”を共有できる場所を作りたいというハーヴィーの願い通り、遊園地は二年経った今も変わらぬ盛況を維持している。
「今日もいい天気だ〜」
「洗濯物がよく乾く。午後は散歩にでも行くか」
「ははは! ガキ共も楽しくはしゃいでやがる!」
「ああ! それもこれも使徒様たちのおかげだ!」
「違えねえや!」
その事実は必然、『幻窮世界』が外部からの脅威に晒されていない何よりの証拠。
三千年前から他世界で観測されるようになった異界の出現とも無縁であり、秘纏十二使徒の庇護も健在。
神秘に満ちた世界の明日は約束されたも同然だと、人々は使徒たちがもたらす平穏に感謝を捧げて日々を過ごしていた。
◆◆◆
「『幽境世界』が滅びた」
同日、使徒の本拠地であるシェアハウスのリビングで、〈王冠〉クラインはシンシア以外の使徒十一人にそう告げた。
『…………』
集った使徒たちの反応は沈黙だった。
内心の動揺こそ計り知れなかったが、集う彼らはここで騒ぐことの無意味を知っていた。ゆえに皆、クラインの説明の続きを待った。
「『
「…………冗談キツいっしょ」
〈猟犬〉ティルティエッタの呟きは、クラインを含めたそこにいる全員の総意だった。
後世で“滅亡惨禍”と語られる史上最悪の
第一大陸の北西端に位置する『幽境世界』と第五大陸の『幻窮世界』とは大きく距離が離れている。
また、魔物や他世界の侵攻を阻む“寄る辺無き大海”に周囲を囲まれる『幻窮世界』に魔物の軍勢が押し寄せるにはそれ相応の時間が掛かるだろう、と皆考えた。
——だが、裏を返せばその思考の一致は
「どう戦うんだ? リーダー」
腕を組んでソファに身を預けるハーヴィーに視線が集まる。
「俺らにこれを言うってことは、要するにそういうことだろ」
「ハーヴィー……」
「今更そんな顔すんなよリーダー」
クラインの申し訳なさそうな表情を、ハーヴィーは『らしくもねえ』と一蹴した。
「俺たちは守護者だ。覚悟は全員、とっくの昔にできてる。
「そうね、ハーヴィーの言うとおり」
肯定したのは〈星宿〉オフェリア。
「クライン。私たちはあなたに声をかけられた日、そして“神名”を名乗ったその日に誓ったわよ。生涯を捧げるって」
「当然っしょ。わたしらは“秘纏十二使徒”なんだから」
ティルティエッタの肯定に続くように、他の使徒も未だ命令を告げないクラインの決断を肯定した。
代表するように、もう一度ハーヴィーがクラインを見る。
「言ってくれリーダー」
「……うん。君たちに声をかけて良かった」
自分の選択に間違いはなかったと、クラインはこれまでの自分の正しさに安堵した。
「それじゃあみんな。未来のために、私と一緒に戦って死んで欲しい」
この瞬間、彼らの末路は決まったのだ。
◆◆◆
「意外であったな」
使徒たちが各々のやるべきことをしようとシェアハウスを経ってから少し。
たった二人リビングに残っていたうちの一人である〈忠義〉エンラは壁に寄りかかった姿勢のまま、ベランダに出て空を見上げる少女のような見た目の女に声をかけた。
「何がさ」
艶のある黒髪を白いシュシュで束ねたポニーテールを揺らす。その後ろ姿は、『つまらないこと言ったら殺す』と明確な殺気を振り撒いていた。
「お主とプリシラ殿が参加を躊躇わなかったことであるな」
「なに、尻尾巻いて逃げるのがお似合いって言いたいわけ?」
「いやまさか。ただ、お主らは『生きてこそ』と言うであろう」
「…………ふーん」
エンラの指摘を、アカリは少なくともつまらないとは思わなかった。
なるほど確かに、この選択は私らしくなかったと納得すらあった。だが、この選択以外になかったとも同時に知った。
「エンラ。私の“神名”が〈応報〉である理由を知っているか?」
「復讐ではないのか? 世に蔓延る全ての悪を滅すると、お主は我らの前で誓ったであろう」
アカリの母は、彼女が幼い頃に暴漢に襲われて命を落とした。買い物に出かけた何気ない日常の一幕で、共に外出していたアカリを庇って死んだ。
そして母を追うように父も病に倒れこの世を去った。
エンラはその憎悪を知っている。天涯孤独となったアカリがこの世界に強い憎しみを向けていることを理解している。
「そうだな、悪は全て滅ぼす。だがそれでは半分だ」
だがアカリはそれでは不十分だと言う。
エンラの理解では足りないと指摘する。
「応報とは善悪両方に対する報いだ。その行動に対する世界の返礼だ。悪しき行いに罰を、それは確かに私の原点だろう。だが同時に、善き行いへの褒美もなくてはならないんだ」
「善き行いにも、報いを……であるか」
「そうさ」
アカリはベランダに腰掛けたまま、家の中へと目を向ける。
テレビの前に置かれた集合写真。
クラインを中心に撮ったその写真は、皆に背中を押されてクラインに肩を抱かれたシンシアの姿がある。
「今、あの子は頑張っている。自分にできることをやろうともがいてる。なのに」
全てを飲み込む災害が起きようとしている。
善も悪も関係なく、生きとし生ける全てが消えようとしている。
「みんなを笑顔にしたいって善の願いから来る行いに、報いが訪れる前に全てが終わろうとしている。それを、〈応報〉が見逃せるわけがない。背を向いて逃げられるはずがない」
「アカリ殿……」
「きっとプリシラも同じだ」
アカリは同じ使徒である〈贋作〉プリシラの心中を想う。
「あの子も、シンシアの中に“本物”の輝きを見ていた。だから、あの子も決断したんだよ。たとえ私たちが
アカリはどこか吹っ切れたような晴れやかな笑みを浮かべる。
未来に待つ死闘を予感しながらも、そこに挑むことになんの後悔も躊躇いもないような眼差しだった。
「貴方はどうするの? エンラ」
「決まっているであろう。俺は〈忠義〉を名乗ったその瞬間から、アカリ殿。貴殿に全てを捧げると決めている」
「そ」
素っ気ない一言だったが、エンラにはそれで十分だった。アカリは刀を腰に差し、ベランダから一歩中庭へと踏み込んだ。
「なら一緒に、私たちの世界を荒らす不届者に応報の刃を突き立てるぞ」
「貴殿の、望むままに」
〈忠義〉エンラは胸に拳を当て、片膝をついてアカリへこうべを垂れた。
◆◆◆
その光景を、エトラヴァルトはまるでその場にいたかのように閲覧していた。
リビングの端から、エンラとアカリの一幕を。まるで過去、ここに見ていた誰かがいたような視点で。
「どういうことだよ、これ」
「どうもなにも、継承者。貴方が見るべき記録の欠片でいやがります」
「いやそうじゃなくて……」
エトは隣に立つ妙な言葉遣いの背の低い女に視線を向ける。
藍色の布地に金の刺繍を施したローブ。緩いカールのかかった茶髪に翡翠色の瞳。ムッとしたような表情の童顔は、やはりエトには見覚えがなかった。
「この記録は誰のものなんだ? あとアンタの名前は?」
「私の名前なんて重要じゃねえですよ。あとその質問には答えられねえです」
「なんで」
「そういう契約でいやがるんですよ。あと私は名前言いたくねえです」
横暴な回答でエトの表情に僅かな苛立ちが浮かんだ。
「俺は幻窮で見てきた記録を、シンシアが継承したタイミングで《
「……ま、勝手に推測しやがる分には好きにしやがれください」
女の横柄な物言いをそういう性格だと割り切って、エトは自分の推測を勝手に話す。
「けど、ここにはシンシアがいない。どう足掻いても彼女の記録として《
「ん? ああ、そういうことでいやがりましたか」
エトの推測を聞き流していた茶髪の女は、そこで何か得心がいったようにひとつ頷いた。
「貴方は勘違いしていやがります。そもそも、《
「……は?」
「彼女が継承を放棄したのは継承の前でいやがりますから」
シンシアは《
「なっ……え? いや……ど、はあ?」
何か話そうにも思考が言語化できず、意味のない言葉をただ呟く。
「え、じゃあ……今までの、記録は?」
「全て《
「じゃあ、誰の記録なんだよ?」
「それに気づけないようでは貴方はまだまだ二流でいやがりますよ、継承者」
女は翡翠の瞳でじっとエトを見上げ、困惑に染まった彼の表情を見てどデカいため息をついた。
「そこにある想いを汲み取りやがれください。頭がカチコチじゃねえですか」
「想い……」
「さ、そろそろ次の記録へ向かいやがれください。閲覧の主導権は
「途中起床の選択肢はないのか……」
不満を垂らしながらも、エトは正体不明の女の指示に従って次の記録へと意識を切り替える。
エトの意識に呼応するように世界が揺らぎ、潮騒にも似た音と共に景色が塗り変わっていく。
「なあ、アンタは《
「…………。それ、今必要な質問でいやがりますか?」
徐々に見覚えのある民宿の一室へと景色が変わっていく中、エトの質問に女は質問で返した。
「必要だ。ここに来てからわからないことだらけだからな。少しでも疑問は減らしたいんだよ」
「私としては、さっさと記録に集中しやがれと言いたいんだが」
明らかな拒絶の意思表示。これ以上聞くなという女の回答だったが、エトは構わず再度問いかけた。
「集中するために教えて欲しいんだよ」
「……全く、食った上に概念の本質すら把握してない継承者が偉そうにしやがりますね。こっちが引越し作業でどんだけ苦労しやがったと思っていやがるんですか」
「その節は本当に申し訳い……!」
言い訳のしようがなかったエトは深々とお辞儀して謝罪を述べた。
そんなエトの姿にまたもどデカいため息をついた女は、
「イルル」
と一言。
「いつまでもお前とかアンタと呼ばせるのは面倒でいやがりますからね。それにいつまでも特徴で呼び分けるのは非生産的でいやがります」
「イルル……、ん?」
「まだ何かありやがるんですか?」
もういい加減次の記録見ろよ、と辟易するイルル。
そんな彼女の翡翠色の瞳を一瞥したエトが眉を顰めた。
「いや、なんか……名前を初めて聞いた気がしなくてな」
「——!」
気のせいか? と頭を悩ませるエト。ちょっとだけ驚いたように小さく口を開けたイルルは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「気のせいではねえです。貴方に名乗ったのはこれが二度目でいやがりますからね」
「は? いつ?」
「それは言えねえ契約になっていやがります。あといい加減記録見やがれ」
いつまで一時停止するつもりだと膝裏を蹴り飛ばすイルルに、エトは『すまん』と肩を落とした。
「それじゃ見るぞ。いつか、言えるようになったら教えてくれ」
「そんな日、来ない方がいいと思うが」
やたらと辛辣なのは、もしかしたらその名乗りが原因なのかもしれない。そんなことを思いながらエトは記録の閲覧を再開した。
いつも読んでいただきありがとうございます。