【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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悲劇の舞台

 たった一人の烈火に海は消し飛ばされ、ことを為した〈祭日〉エイミーを起点に海底が扇状に露出した。

 ぐつぐつと煮えたぎる地表は滝のように流れ込む膨大な海水をことごとく蒸発せしめ、あたり一帯は白色の蒸気に包まれる。

 

「はあっ、はあっ、はあっ、……ぅああ」

 

 拳を振り抜いたまま、エイミーは両肩を激しく上下させ酸素を求める。

 顔面は蒼白、四肢は震えて指先は血の通った感覚がない。グレイギゼリアを殴り飛ばした右腕は自分が生み出した灼熱に耐えきれず、肘から下が溶解していた。

 

「どうだ……我、らの……熱は……っ!」

 

 それでも、彼女の顔に浮かぶのは獰猛な笑み。

 右腕が最後に伝えた命を貫く感触は、確かに、グレイギゼリアを葬った証左だった。

 

「エイミー。よくぞ我慢してくれた」

「へへっ……当然、じゃん!」

 

 〈無尽〉ガルタスの感謝に、エイミーは左の親指を立てて胸を張った。

 

「ルーナたちが繋いで、くれたんだから……!」

「ああ、そうだな!」

 

 オフェリア、ルーナ、アカリ、エンラ。

 四人の使徒が命を落とした。

 

 死別を覚悟して戦いに挑んだ。それでも、人より長い時を生きる中で共に過ごした友人との別れは辛く。

 それでも彼、彼女らは決して無為に命を散らしたわけではないのだと。未来を繋いでいったのだと証明するために。

 エイミーは涙を振り切って役目を果たした。

 

「……だが、すまないみんな。我、今ので完全にガス欠だぞ」

 

 立つこともままならないエイミーを、そっと横から〈浮世〉ヤウラスが支える。

 

「十分ですよエイミー。ガルタスの目論見通り、クラインを温存できましたから」

 

 そう、彼らの最終目標は終末挽歌(ラメント)グレイギゼリアの討伐ではない。秘纏十二使徒はそもそも、今、眼下に広がる未曾有の大氾濫(スタンピード)を止めるために出陣した。

 

 見据えるのは未来。

 グレイギゼリアを排除した次は、唯一、()()()()()()神秘の減衰を受けないクラインを中心に大氾濫(スタンピード)を迎撃する。

 

 それが〈無尽〉ガルタスが『幻窮世界』を存続させるために下した、仲間の死を前提としながらも不確定要素が大きい、綱渡りな作戦だった。

 

「ハーヴィー、ティルティ。みんなの遺体を頼むよ」

「任せろリーダー」

「当然っしょ」

 

 クラインの頼みを受け、二人はアカリたちの遺体を回収する。血に塗れた口元を拭うと、心臓を貫かれた人間とは思えないほど穏やかな表情を浮かべていた。

 

「ありがとう。アカリ、エンラ」

 

 クラインは冷たくなってゆく二人の頬を撫で、立ち上がる。

 

「——みんな、役目を果たしてくれた」

 

 〈王冠〉の視線は下方へ。

 未だ白色の蒸気に包まれる戦場であっても、オーロラの瞳はその奥で蠢く無数の魔物と〈災禍〉ルーナの魂の残滓を確かに認めた。

 ルーナの肉片は完全に蚕食され、呪いの効果はほとんど消えかけている。それでも、確かにそこにあった証明だった。

 

「私の誇りだ」

 

 大氾濫(スタンピード)が行軍を再開するまでもう一刻の猶予もなく……しかし、猶予があるという事実が賭けの勝利を如実に語った。

 

「みんなが繋いでくれた。だから、ここからは私が——」

 

 

 

 

 

 

 

「……うん。君ならそうするだろうね、クライン」

 

 

 

 

 

 

 

 

『は————?』

 

 それに咄嗟に反応できたのは、クライン、ハーヴィー、ティルティエッタ、プリシラの4名のみだった。

 

 臓腑を掻きむしられるような、心の底から不快感が湧き出てくる声。嫌悪を掻き立てる言葉選び。

 

「…………えぁ?」

 

 聞こえた時には、ずぶりと。

 〈門番〉アルジェの胸から、火傷一つない綺麗な右腕が生えていた。

 

「クライン、君は常に()()()()()であろうとする」

 

 アルジェの胸を貫いた……それは、グレイギゼリアの右腕。

 闇色の魄導(はくどう)を纏った五指は残酷にもアルジェの心臓を握る。

 

「ざ、けんなや……! なん、で……生きてっ……があああっ!?」

「さっきも言っただろう? 人と世界は、決して等価ではないよ」

 

 肩越しに振り返ったその質問を遺言にさせるように、グレイギゼリアは闇色の魄導をもってアルジェの魂を心臓ごと握り潰した。

 

「————っ!?」

 

 誰かの息を呑むような悲鳴、アルジェが白目を剥いて崩れ落ちる。

 彼の体の裏側から、それは無傷の姿で現れる——ついでのように手にかけていた、ガルタスの巨大な亡骸と共に。

 

「取りこぼした君らしい欲望だ。だからこそとても読み易い」

 

 エイミーの一撃によって灰も残らず燃え尽きたはずだった。そうでなくてはあり得ない至近距離……否、ゼロ距離の放熱だった。

 しかし現実に、グレイギゼリアは全くの無傷で。いつものように軽薄な笑みを浮かべていた。

 

終末挽歌(ラメント)ォ……!」

「ああ、()()()()んで貰うのは気分がいいね」

 

 クラインの怨嗟が込められた声を心地良さそうに受け取り、グレイギゼリアはガルタスの死体をその場に捨て、アルジェをただの土塊であるかのように踏みつけた。

 

「アルジェたちから離れなさいな! 〈浮世の風〉よ!」

 

 死後をも弄ぶ蛮行にヤウラスが激昂する。

 普段はサポートに徹する彼女が感情のまま、真っ先に風の刃をもってグレイギゼリアを強襲した。

 倒せるとは思っていない。有効打になる可能性も極めて低いだろう。だが、共に長い時を過ごした友の死後すら貶めるのは我慢できなかった。

 

「せめてその足をどけなさい——!」

 

 減退した神秘を振り絞ったヤウラスの抵抗は。

 

「おや」

「え……?」

 

 彼女の予想とは反して、風の刃は一切の抵抗なくグレイギゼリアを粉微塵に切り裂いた。

 

(とお)っ、た?」

 

 怨敵を葬ったとは思えないほど間の抜けた声をヤウラスが上げる。

 バラバラに刻まれたグレイギゼリアは状況を理解できていないのか、その表情は喜怒哀楽を感じさせなかった。

 

 そんな瞳から一粒、濁った雫が世界に溶け出し。

 

「——こういうのを、意趣返しと言うんだったね」

 

 次の瞬間、ヤウラスとエイミーの背後に()()()グレイギゼリアがいた。

 

「二人とも!? 逃げ——」

「もう遅いよ」

 

 クラインの悲鳴のような懇願は届かず。

 グレイギゼリアが右手と左手、それぞれに嵐の刃と灼熱の火種を生成し二人の首元に叩きつけた。

 

「こひゅ」

「——————?」

 

 ヤウラスは刎ねられた喉から間抜けな呼吸音を漏らし、エイミーは断末魔はおろか、自らの死を認識することすら叶わず灰になった。

 風に吹かれて散るエイミーだった灰と、鮮血の噴水を上げながら崩れ落ちるヤウラスを眺め、グレイギゼリアがため息をついた。

 

「神秘を失った君たちは脆い。たったこれだけで死んでしまうのだから」

「うるせえってさっき言ったっしょ!」

 

 落胆に肩を落とすグレイギゼリアの背後に爪を立てたティルティエッタが接近を試みる。

 

「死ぬまで殺し続ける!」

「君は神秘を失っても元気だね、〈猟犬〉」

 

 肩越しに振り返った闇色の瞳と視線が交錯する。

 

「あと何回で殺せるかな?」

「その口閉じろクソ野郎ッ!」

 

 躊躇なく振り抜かれた貫手(ぬきて)はいとも容易くグレイギゼリアの胸を貫き、その奥の心臓を抉り取る。

 何度も、何度も、誰かが体感した命を貫く気配。

 

「——残念。ハズレだよ」

 

 それでも、声が途切れない。

 胸を抉られたグレイギゼリアの肉体は泥のように溶けだす。その場から跡形もなく消え去ったはずの男は何事もなかったかのように現れて、ティルティエッタの背後で貫手を振りかざした。

 

「クライン。君は英雄にはなれない。三千年前のあの日も、そして今日も、君は自分の世界を取りこぼす」

「お前が、それを……っ!?」

 

 魂が揺れる。オーロラの瞳が揺れる。

 対処が、間に合わない。

 

「君は、今日も見ていることしかできない」

「やらせるかよっ! ——〈駒鳥の空〉!!」

 

 貫手がティルティエッタの胸を貫く寸前ハーヴィーが血反吐を吐きながら重力の檻でグレイギゼリアを閉じ込めた。

 直撃を受けた右手がバキボキと凄惨な音を立てて砕けるも、グレイギゼリアはまるで痛みを感じさせない風貌で不気味に嗤う。

 

「命を削る……素晴らしい覚悟だね。発想もいい。僕を殺さないように、()()()()()()()重力圏を広げるなんて」

 

 空虚な笑顔で、パチパチと惜しみない拍手を送った。

 

「消えかけの神秘で僕を最大限足止めするために工夫を凝らしたんだろう」

「ごちゃ、ごちゃと……! 嫌味かよ、クソが……! テメェに褒められても……欠片も、嬉しくねえぞ……!!」

「うん? 本心からの称賛だったんだけど、お気に召さなかったかな?」

 

 薄気味悪いのは、グレイギゼリアがそれを本心から述べていること。彼は純粋にハーヴィーの技量と、この場で実行し成功させる度胸に感服したのだ。

 

 ——それは余裕の裏返し。

 目の前の使徒たちが既に詰んでいると。自分には決して届かないと確信しているからこそ生まれる褒め言葉だった。

 

「……ふむ。それじゃあご褒美の一つでもあったら信じてくれるのかな?」

「……なに、言ってやがる?」

「褒賞だよ〈駒鳥〉。君の実力に敬意を表して、僕の力を()()()()()()見せてあげよう」

 

 グレイギゼリアはうやうやしく左手を掲げ指を鳴らす。

 乾いた音が鳴った直後、ハーヴィーの重力圏が跡形もなく、容易く破砕された。

 

「クソ……っ!!」

 

 破られることは承知の上。だが、触れることすらなく、力の衝突すらなく破壊されたことにハーヴィーが悪態をついた。

 

「悔しがる必要はないよ、〈駒鳥〉。ただ、相手が悪かった。相性が悪かった。それだけなんだよ」

 

 不気味に笑みを浮かべるグレイギゼリアの胸元に一冊の本が……《終末挽歌(ラメント)》が浮かび上がる。

 ぱらぱらと、ひとりでに表紙を開き(ページ)がめくれた《終末挽歌(ラメント)》から、一雫の濁った涙がこぼれ落ちた。

 流れ落つ雫は世界に溶け出し、()()する。

 

 

「『——心喰礼惨(シンクライサン)』」

 

 

 刹那、グレイギゼリアを中心に空間そのものに亀裂が走った。

 

 『幻窮世界』を囲む“寄る辺無き大海”、そこはかつて異なる世界があった場所。

 三千年の時の中で滅び、消え去り。星の上に生まれた、いずれの世界にも属さない星の空白である。

 

 そんな“無の荒野”を、グレイギゼリアが放出する闇色の魄導(はくどう)が侵蝕していく。

 

「君たちは〈異界侵蝕〉という言葉を知っているかい?」

 

 揺れる。

 底なしの奈落を思わせる瞳がハーヴィーたちを睥睨し、世界を満たす魄導(はくどう)がグレイギゼリアの存在圧を天井知らずに引き上げてゆく。

 

「僕の旧友であるとある男を起源とする言葉でね。彼が有する“世界の上書き”を恐れた者たちが名付けたんだ」

 

 揺れる。

 膨れ上がるグレイギゼリアの気配に反比例するように、あれだけ感じていた『幻窮世界』の息吹がクラインたちの感覚から剥がれ落ちてゆく。

 世界の気配が遠くなるように感じて、自分たちの根本が脅かされるような気配に震える。

 

「簡単な話だよ。僕も()()()()()()()()()()()()()、摂理をも塗り替える世界を持っていた、それだけなんだ」

 

 揺れる。

 あり得ざる世界の出現に。星の摂理すら則る馬鹿げた力の発露。自らが世界そのものへと昇華する感覚に、グレイギゼリアが喜びにうち震える。

 

「悲劇を越えなくてはならない。世界は、悲しみを乗り越えなくてはならない。その先にこそ僕が望んだ未来がある。だから……僕は何度でも君たちの前に立ちはだかろう。全ての悲劇が世界を覆うその日まで」

 

 ——空虚な闇色の瞳の中に、ほんの僅か、刹那の歓喜が明滅した。

 

 

「『万象輪廻・終末挽歌(リ・ラメント)』」

 

 

 空虚な笑みと共に世界が割れる。

 それはまるで硝子が砕けるようで、割れた世界の破片が無数に空間を漂った。

 世界の裏側は闇色で、ここがグレイギゼリアの支配下であることを何よりも明瞭に語る。

 

「言っただろう? 僕は、一つの世界だって。さあ、これでご褒美は終わりだ。ここからは——」

 

 グレイギゼリアはおもむろに世界の破片を掴み、

 

「仕切り直し、というやつさ」

 

 躊躇なく自分の喉を掻き切った。

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