【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑩

 ジークリオンは目撃する。自らの首を落とさんと地を疾る二人の彗星を。

 一つは、かつて友だった女の意思を継いだ〈歌姫〉。

 もう一つは、長く……本当に長く帰還を待ち望んだ〈英雄〉。

 

 己の天敵である“竜殺しの概念”へと昇華した二名。それはジークリオンとて、たとえ万全の状態であったとしても油断ならない相手だ。

 

『……素晴らしい』

 

 だが、この瞬間。

 

『本当に素晴らしい日だ』

 

 自分に迫る二人の姿に竜が感じたのは、えも言われぬ()()だった。

 

 切望した帰還と、それに感化され新たに紡がれた誕生。その二つが互いに手を取り、竜の巨体を斬り伏せんと迫る。

 ジークリオンは、どうしようもなく興奮を抑えきれなかった。

 

 ——だから、全力で。

 ——本気で、命を賭けて叩き潰す。

 ——だからどうか、折れてくれるな。

 

結晶竜鱗核(ルーナ・アルバ・イラ)……!!』

 

 そう願いながら、ジークリオンは結晶の肉体の膨張を加速させ、最も苛烈な生存競争に身を投じた。

 

 

◆◆◆

 

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA——ッ!!』

 

 竜の大咆哮が轟く。

 大気を震わせ、それ自体が衝撃波として世界を砕く馬鹿げた絶叫。

 天地がひび割れ、輝く結晶の破片が雨のように降り注ぐ。

 夕焼け空に照り返る初雪のような幻想的景色。

 しかし、その全てが二人の挑戦者を殺すための武器となる。

 

『出し惜しみは無しだ、竜殺したちよ!』

 

 竜主が声高に告げ顎門(あぎと)を開く。

 目を焼く閃光の収束。次の瞬間、口腔の奥に溜められた灼熱の熱閃(ブレス)が解き放たれた。

 触れたものを一切合切を蒸発させる竜の必殺。

 疾走するエトラヴァルトとシンシアは、真っ向、加速。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 二人はジークリオンに負けじと声を張り上げ、互いの剣と拳に残り少ない力を結集させた。

 

「『輝け、アルカンシェル』!」

「〈火天の祭日〉!」

 

 虹の魔剣と烈火の焔拳が竜の熱閃(ブレス)を正面から迎え撃ち、相殺。

 近づく限界、否応なく落ちる出力。しかし、“竜殺しの概念”が二人の竜に対するあらゆる行動に絶大な特効(バフ)を与えたことで力比べは拮抗を維持する。

 

「私が右翼を叩きます! エトは左翼を!」

「任せろ!」

 

 攻めの共有。互いに頷きあい、ジークリオンを挟み込むように展開する。

 《英雄叙事(オラトリオ)》の内側で絶叫する無銘の怒りすらも加速剤に、二人は膨張を続ける〈万晶竜主〉の両翼に躍り出た。

 

『その刃、届かせてみせろ!!』

 

 竜の双眸が軌跡を捉える。取り回しで劣る巨体は特効を得た二人に対してあまりにも不利——それは、ジークリオンが()()の範疇に収まる竜であった場合の話だ。

 

『眷属たちよ!』

 

 ジークリオンの叫喚に全身の結晶鱗が逆立ち、そこから無数の結晶飛竜(ワイバーン)が生まれ落ちた。

 

 ただの一言で誕生する万の軍勢。

 個体性能は〈繁殖〉の成竜を上回り、個体危険度は魔物の尺度に押し込むなら危険度10を超える。

 高穿孔度(スケール)の異界の大氾濫(スタンピード)にも匹敵する産声。

 

『gigigigigigigigigigigigiーーーー!!』

 

 ジークリオンの体を蹴り飛竜(ワイバーン)が次々と飛翔する。彼らはギチギチと爪を鳴らし不協和音を響かせ、全身を畳み砲弾と化して自らを射出した。

 

「関係ありません!」

「押し通るッ!」

 

 音を突き破り迫る大質量の大群に、しかし、二人の英雄は怯まない。

 殺到する飛竜(ワイバーン)の弾幕に両者、剣と拳を構え空を蹴った。

 

「収束顕現……!」

 

 魄導(はくどう)の圧縮。

 エトラヴァルトの噛み締めるような詠唱に、彼の左手の中に細長い長剣(エストック)が生み出される。

 構える二刀、顕在化した脅威に、ジークリオンは飛竜(ワイバーン)の弾幕越しにエトを注視した。

 

 危険視すべきはエトの真骨頂とも言える円環の斬撃。

 こと防御、あるいは対多数相手との戦闘で真価を発揮する我流剣技。

 竜殺しの概念となった今、エトが飛竜(ワイバーン)の群れを突破するのは確定的だった。

 

 ジークリオンの警戒は至極正しかった。

 ——その正しさを、〈歌姫〉は逆手に取る。

 

「圧し潰す——」

『ッ、しまった……!』

 

 痛恨を悟る。

 ジークリオンの意識の配分が乱れた一瞬、彼女は歌った。

 

「〈駒鳥の空〉よ!!」

 

 飛竜(ワイバーン)の弾幕に左腕を大きく抉られながら、身を捨てたシンシアの重力圏がエトラヴァルトの周囲の飛竜(ワイバーン)を大地に叩きつけた。

 

「もってけエルレンシア!」

 

 開ける視界。〈英雄〉と〈竜主〉、彼我の間に阻むものはなく。

 

「『アルカンシェル・二重奏(デュオ)』!!」

 

 二本の長剣(エストック)の切先から放たれた虹の閃光が、ジークリオンの左翼を根本から抉り飛ばした。

 

『ぐおっ……!? この、程度……!』

「眷属を辿り、ここに、〈災禍の糸〉は結ばれた」

『!』

 

 自らの魂に何かが触れる感覚にジークリオンの竜の瞳が揺れる。右目の端で、冠を(いただ)いた流水色の長髪が鮮血と共に激しく靡いた。

 

 シンシアとジークリオンの眼差しが交錯する。

 歌姫の全身から吹きこぼれる鮮血に、竜はその意図を……あまりにも危険な()()を悟った。

 

『——貴殿、被弾は()()()か!?』

「その通りですっ!」

 

 身一つで弾幕を突破したもう一人の竜殺しが、ボロボロの体で凄絶に笑った。

 

「神秘装填」

 

 カチャ、と鞘が立てた音に、ジークリオンの全身が警鐘を鳴らす。

 既に、鯉口は切られていた。

 

「——〈応報ノ太刀〉!」

 

 一閃。

 刀が振り抜かれ、シンシアの全身に刻まれた傷がジークリオンへと叩き返された。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAーーッ!?』

 

 絶叫する。

 たった一振りで竜の巨躯をズタズタに抉る規格外の一撃。

 竜殺しの概念の後押しを受けた応報の一撃にジークリオンの全身を覆う結晶が弾け飛び、雨のように鮮血が吹き出した。

 

 本来、〈応報〉の神秘では届かない眷属を介した応刀。

 だが、シンシアは〈災禍の糸〉を用いて『眷属を生み出す』という行動にまで因果を遡った。

 

『再生が遅れる……竜殺しの傷か……!!』

「エト!」

「おう!」

 

 間髪入れず、エトとシンシアが空を蹴り竜の首へと迫る。尽きかけた体力を(みなぎ)る意思で振り絞り、喉が裂けるほど雄叫びを上げる。

 苦し紛れに射出される結晶の弾幕を斬り伏せ、殴り飛ばし。

 重力圏から抜け出した飛竜(ワイバーン)の追撃を振り切って加速する。

 

「ここで、貴方を倒す!」

「お前を斬る!」

 

 精神が擦り切れたエトはもちろんのこと、シンシアもまた限界が近い。

 神秘の継承に次いで、《英雄叙事(オラトリオ)》への刻銘。初めての解放と同時に竜殺しへの『概念昇格』を経たことで、シンシアの体力は彼女の想像を絶するペースで消耗していた。

 

 だからこそ振り絞る。ここで確実に仕留めるために。

 

「捉えた……! エト、首の付け根です!!」

「——っ!」

「そこに、ジークリオンの肉体(ほんたい)が!!」

 

 オーロラ色の〈王冠の瞳〉が輝き、〈万晶竜主〉唯一にして致命的な弱点が看破される。

 

「振り絞れ、《英雄叙事(オラトリオ)》……!」

「力を貸して、ティルティ!」

 

 眦を決した二人が加速する。

 狙いは、竜の首元ただ一点。

 

 銀纏う長剣と、牙を幻視させる拳が竜主に肉薄した。

 

 一撃が届く——その刹那。

 

『舐めるなァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 大叫喚と共に、竜の体躯が内側から食い破られるように爆発を引き起こした。

 

「ぐっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 不発に終わる必殺。爆風に吹き飛ばされたエトとシンシアは、それでも敵から目を離さなかった。

 

 ゆえに、目撃する。

 

 竜の体の内側から無数の結晶が爆発的に成長する……自分たちの奮戦を無に帰す()()()()を果たしたジークリオンの姿を。

 

「あの野郎、まさか……!」

「自分で、内側から傷を抉った!?」

 

 竜殺しの概念は、竜に対するあらゆる特効を得る。威力の強化、再生の鈍化、本能への圧迫感……数え上げればキリがない。人生のすべてをその一点に燃やし尽くした無銘の怒りが為せる奇跡はそれゆえに強力だ。

 そして再生の鈍化はジークリオンですらも著しい効き目を発した。

 

 だから、竜は己の肉体を捨てた。

 傷を受けた肉体を自らの手で内側から抉り捨て、呪いのようにまとわりつく“竜殺しの概念”から魂を守ったのだ。

 

『少しばかり肝が冷えたぞ』

 

 しかし、その捨てた肉体すら。ジークリオンは結晶を用いた修復ができる。

 声音に宿る焦りは本物。しかし、あと一手足りないことから余裕が伺えたのもまた事実。

 

『仕切り直しだ、英雄たちよ!』

 

 竜の咆哮に、無尽蔵に湧き上がる結晶の大瀑布がエトラヴァルトたちを急襲した。

 

 

◆◆◆

 

 

「なんだ、これは…………?」

 

 『幻窮異界』上部。

 先遣隊に遅れて到着した本隊を率いていた『海淵世界』アトランティスの〈守護者〉リントルーデは、その奇妙な光景に困惑を露わにした。

 

「どうなっている……?」

「これ、死んでないよね? 寝てるの……?」

 

 リントルーデの隣、普段から周囲に「喧しい小豆」と称される〈円環者〉イナですら、普段とは打って変わって静かに困り顔を浮かべていた。

 

「あ、カルラちゃんみっけ……うっわ凄い。ぐっすりスヤスヤだよ。起きる気配ぜんっぜんない」

 

 ヨルムンガンド討伐の前後で交友を深めた他世界の友人がヨダレを垂らして爆睡していた。しかも、先ほどまで激戦が繰り広げられていたことが確定的な荒れた大地の上で。

 カルラと、所属不明の騎士五名。そして『海淵世界』の先遣隊全員……一人残らず、すやすやと呑気に寝息を立てていた。

 

「意味がわからん……『覇天世界』は、〈主天〉エイレーンはどうした? 彼らがいたのではないのか?」

「んー、報告聞いてすっ飛んできたけど……もう帰った後だったとか?」

「そもそも、なぜ寝ている? 疲れ果てたにしては奇妙だ。外傷がない者もいる……いや、ここまで行儀良く寝ているのは……? だめだ、考えるほどわからん!」

 

 異常と言う他ない、異界であっても早々お目にかかれない光景にリントルーデはますます混乱し、頭痛に頭を抱えた。

 

「魔法で眠らされたってわけじゃなさそうだよねー、轍の剣(ウロボロス)が反応してないし……あるぇ?」

 

 一人一人無事を確認していたイナは、カルラの近くで爆睡する所属不明の五人の身元を調べる最中、とある矛盾に気がついた。

 

「リンちゃんリンちゃん」

「部下の前でちゃん付けをするな。示しがつかん……で、どうした?」

「いやさ、私ら報告受けた時、イノリちゃんも交戦中だって聞いたじゃん」

 

 イナの確認にリントルーデは少し考える素振りを見せてから頷いた。

 

「ああ、確かに聞いた。彼女は海淵では有名だからな」

「でしょ? この子らが見間違えたとは思わないじゃん。けど……いないんだよね」

「何?」

 

 イナは寝ている兵士たちの顔を見回しながら、もう一度『うん、いない』と頷いた。

 

「イノリちゃん、どこにもいないよ」

 

 世界のどこかで、クスリと。

 夢紫の髪が微笑みに揺れた。

 

 

◆◆◆

 

 

 とん、とん、とん、と。

 一定のリズムで一人分の足音が洞窟状の異界に響く。

 射干玉(ぬばたま)のように先が黒く窪んだ道を進む影は二つ。

 ひとつ、黒髪を揺らし足音を立てる人族の少女。

 もうひとつは、ふわふわと浮き上がりながら空を泳ぐ、自らの種族を隠す気のない夢魔の少女。

 

「あのクソ天使……なんで急に帰ったんだろう?」

「わかんなーい。アレの考えてることはずっと意味不明だから」

 

 二人の少女……イノリとシーナの会話の矛先は、突然手を引いた『覇天世界』と〈主天〉エイレーンに向く。

 

「カルラさんと一合交えたら、急に飽きちゃったみたいに」

「んー。もしかしたらお兄ちゃんが目的だったのかも?」

「エトくんが?」

 

 シーナの推測にイノリは懐疑的な声を出した。

 およそ接点がなかった相手だけに、シーナの発言はイノリにとって割と意味不明だった。

 

「うん。《英雄叙事(オラトリオ)》ってさ、ある意味“人の象徴”みたいなものじゃん? だから、神様気取りたいエイレーンにとっては邪魔なんじゃないかな」

「えっと……?」

「アレは、自分が一番じゃないと納得できない子供だから」

 

 辛辣な評価に、イノリは『そんなまさか』と首を振った。七強世界の支配者がそんなことで目くじらを立てるわけがないだろうと。

 

「そんな単純な話かなあ? ……ところでシーナちゃん」

「んー?」

「なんで私だけ寝かさなかったの?」

「聞いちゃう?」

「だって、話があるからそうしたんでしょ?」

 

 ズバリ核心をついたイノリの問いかけに、シーナはふよふよと体を浮かせながら目を合わせる。

 

「うーん。バレるの早かったなあー」

「流石に誰でも気づくよ……というか」

 

 イノリの黒晶の瞳が、前を浮くシーナの体を頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。

 

「シーナちゃんの変身ってさ、年齢を変えてる感じ?」

「そーだよ? あと、肉体に精神が引っ張られがち」

「ふーん」

 

 今の見た目は15〜16歳ほどの人族と相違なく。藤紫のワンピースを押し上げる、慎ましくもしっかりと主張のある胸に少しの間イノリの眼差しが昏くなった。

 

 少なくとも、シーナは自分より幼かった頃の時点で自分より育っていたんだなぁ、と。少女はなんだか少し虚しい気分になった。

 最近ではストラも出会った頃より大人びて、背も胸も成長しているというのに。

 

「お姉ちゃん、目に怨念が見えるよ」

「世の中の不公平を恨んでる。……で?」

「で? ……ああ、お姉ちゃんだけ眠らせなかった理由だよね?」

 

 脱線した話を戻し、シーナは『おっほん』と大袈裟に咳払い。真剣な表情でイノリとの対話に臨む。

 

「邪魔されたくなかったの。これからの話を」

「…………」

 

 歩きながらも、イノリもまた真剣に返すように頷いた。

 

「これが私のもう一つの役割。私たちの目的に必要な最後のピースの獲得だよ」

「……どういうこと?」

「スカウトだよ」

 

 シーナは夢紫色の癖毛を揺らし、妖艶に微笑んだ。

 

「ねえ、お姉ちゃん。私たち……【救世の徒】の仲間にならない?」

 

 

◆◆◆

 

 

 茜色に染まる結晶の空を飲み込むように、荒れ狂う結晶の大海が唸りを上げる。

 

「コイツ、不死身かよ!?」

「体力の底が見えない……っ!」

 

 竜殺しの概念を纏ったエトラヴァルトとシンシアが苦悶の声を上げた。

 

 届かない。

 エトの剣が、シンシアの拳が……竜殺しの概念が。

 

 千の荒波を断ち切った。

 万の植物を振り払った。

 身を捨てる結晶の飛竜(ワイバーン)の特攻をいなし、時には受け止めながらも進み、幾度となくジークリオンの巨躯へ渾身を叩き込んだ。

 

 ——それでも、〈万晶竜主〉は倒れない。

 

『オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ!!!!』

 

 響き渡る勇猛な雄叫びに結晶が震え、傷を内側から食い破るように結晶の暴威が膨れ上がる。

 

 天地は結晶の眷属に覆い尽くされた。

 

「ティルティとエイミーの火力でも、攻めきれないなんて!」

 

 馴染みつつある神秘をもってしても届かない。

 〈浮世の風〉と〈門番の盾〉で被弾は凌げても、決定打を与えられない事実にシンシアは歯噛みする。

 

「エトが戦えるうちに、なにか、なにか……!!」

 

 ——こんな時、と思う。

 

「こんな時、クラインなら、みんななら……!」

 

 憧れる使徒たちならどうしただろう?

 

「私がクラインなら——」

 

 何をした?

 そう、考えて。

 

「違うっ!」

 

 シンシアはその思考を否定する。

 

「違う! ここにいるのは私だ! 受け継いだのは私だ! ——私も使徒だ! 秘纏十三使徒だ!!」

 

 自分の弱さは受け入れた。

 今の自分は使徒なのだから。守護者としてここに立っているのだから!

 

「今の私にできる、全力を!!」

 

 

 

 ——その全力を尽くし。

 死力を超えて、それでもエトラヴァルトは誓剣と共に舞う。

 一刀、即座に再生される傷を与えれば。二傷、癒えぬ傷を返しに受けても攻撃の手を緩めない。

 

「ハァッ、ハァッ……! まだ、終わるな……まだ!!」

 

 だが、視界は再び霞み、意識が遠のく感覚にエトは焦りを覚えた。肩で息を繰り返し、痺れる血まみれの手足に血を回そうと心臓が脈打った。

 

「——ッ、潜るぞヘイル!」

“これ以上は無茶だ、継承者!”

 

 目の前を覆う結晶の壁を越えんとするエトラヴァルトの呼び声を、ヘイルは内側から『自殺行為だ』と咎めた。

 

“今の状態で使えば、下手すれば()()()()()()! 世界の情報圧に潰されて、精神を千切られるぞ!”

「賭けるしかない! このままじゃ削られて終わる! だから、一か八か、首元に飛び込んで全部ぶつける!!」

“だが……!”

 

 胸を貫く結晶植物の突貫を、エトは左手の魄導剣で受け流す。

 ——ピシ、と。

 左手の剣がひび割れる、致命的な音が響いた。

 

「クッソ……」

 

 魄導の維持限界。

 つまり、エトラヴァルトが戦える正真正銘の限界時間(リミット)だった。

 

 剣が砕けた瞬間、敗北が確定する。

 だから、エトは覚悟と共に眦を決した。

 

『来るか、エトラヴァルト!』

「『座標定義』——!」

“待て、継承者!”

 

 ヘイルの意見を無視して、エトが構築を始める。

 脳をスパークが走り、膨大な情報量に悲鳴を上げた脳が激痛を発する。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?」

 

 二回の遷移を経た脳の負荷はイノリの魔眼使用をも上回る。確実に待ち受ける破滅、しかし、エトは躊躇わない。

 

「位相把握」

“継承者、頼む!”

 

 ヘイルの静止は、届かず。

 

「摂理改変! 『電脳……』」

 

「——エトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

「せん…………、あ?」

 

 刹那、呼ばれた自分の名前に、エトは構築を止めて視線を巡らせた。

 自殺行為を引き止めるよう響いた声の主は、シンシア。

 ジークリオンの右翼側から退き、彼女は再び竜の正面に立っていた。

 

『貴殿、なぜそこに?』

「シンシア、なんで……っ!?」

 

 ジークリオンとエトラヴァルト、両者がシンシアの行動に疑問を呈する。

 今までジークリオンを挟み込むように展開していたシンシアが、突如持ち場を捨てて眼前に躍り出た。

 一見エトラヴァルトを見捨てたような動きであり、挟み撃ちの構図を捨てるのはジークリオンから見ても明確に悪手だった。

 

「何かを狙って……」

 

 その時、エトとシンシアの視線が交わった。

 《英雄叙事(オラトリオ)》を通さずとも伝わる、目が訴えかける強い感情。

 

 ——私を信じて。

 

 シンシアの瞳は、そう叫んでいた。

 

「わかった」

 

 触手のように殺到する結晶植物を振り払い、エトは左翼側を離脱。

 何かを狙うシンシアを護るように、彼女の前に降り立ち誓剣を構えた。

 

「シンシア、平気か?」

「大丈夫、と言いたいところですが……ごめんなさい。正直、結構限界です」

「ははっ、お互いにボロボロだな」

「ですね、本当に」

 

 見るも無惨な傷を負った二人は、それでも軽口を叩いて笑い合った。

 

『仕切り直しは悪手じゃないか? エトラヴァルト』

「……かもな」

 

 ジークリオンのどこか同情的な言葉に、エトは自嘲気味に頬を引き攣らせる。

 

「けど、信じろって言われたからな。——頼むぞ、シンシア」

「任せてください」

 

 静かに、決然とシンシアは頷いた。

 彼女はふと、駒鳥の意匠のヘアピンに触れる。

 

 それは淡い光を放ち、次の瞬間、ヘッドセットマイクへと変貌した。

 

「〈盟主〉ジークリオン」

 

 マイクを通して、結晶の大地にシンシアの声が響く。

 

「あなたは強い。十二の神秘と竜殺しをもってしても、私たち二人の刃は届かなかった」

 

 それは、明確に『届かなかった』と自らの力不足を認める弱音だった。だが、

 

「——けれど、私はまだここにいる。私たちはここに立っている!」

 

 決して、『勝てなかった』と敗北を認める降伏宣言ではなかった。

 

『…………』

 

 ならばどうする。

 そう問いかけるような竜の視線に、シンシアは大きく右手を天へと掲げる。

 

「十二の神秘は、()()()()()届かなかった。けれど、ここにいる。私たちは秘纏()()使徒! なら! 今ここに! まだ神秘は残っている!!」

 

 ——パチン!

 

 シンシアの指が軽快な音を鳴らした。

 どこからともなく風が吹き、流水色の髪が揺れる。

 結晶の大地に立つ〈歌姫〉を、虚空から現れた三つのスポットライトが眩く照らし出した。

 

 

「——『心殿顕現』」

 

 

 刹那、シンシアのオーロラ色の双眸が激しく渦巻く。

 観魂眼の能力は魂の観測——そして、()()

 

 十二の神秘は記録され、世界は今、少女の胸の中にある。

 

「ジークリオン。ここは、私たちの世界……私たちの舞台です!」

 

 魄導による世界の書き換え……それは言い換えるなら魂の拡張。ならばこそ、少女の瞳はかつて滅びた世界すらをも拡張する——!

 

「これは……?」

 

 どこからともなく響く心地よい手拍子のリズム。

 シンシアを取り囲むように舞い踊るスポットライトにエトは思わず振り返った。

 

「——!」

 

 その舞台に息を呑む。

 

 いつの間にか、シンシアが纏う服が変わっていた。

 水色をベースにした、ミニスカートのアイドル衣装。いつかの輪廻でエトが見た、シンシアがステージに立った時に身につけていたそれだった。

 

「エト。私の歌を、聞き届けてくれますか?」

「ああ、カーテンコールの最後まで」

「……! それは、歌い甲斐がありますね!」

 

 少女は決めた。自分にできる全力を尽くすと。

 

『……踊りなんて。私の、歌なんか……! なんの意味も、なかったじゃないですか——!!』

 

 かつて、シンシアは歌を諦めた。救えなかった、無力だったと投げ捨てた。

 

 ——だが、違うのだ。

 シンシアと使徒たちを繋いだのは他でもない歌なのだから。クラインがシンシアを見つけた時、少女は歌っていたのだから。

 

 〈歌姫〉歌に力があると、彼らはずっと、信じ続けてくれていた。

 

「行きます」

 

 つま先がリズムを刻み、結晶の大地がひび割れた。

 オーロラの眼差しが喜楽に弾け、〈歌姫〉が全開に笑った。

 

 

「『——形無き継承戦線(ノーネーム・クラウン)』!」

 

 

 その()()()()()()に、極彩の結晶世界を無数のサイリウムが染め上げ。

 

「見ろ、これが……私たちの世界だっ!!」

 

 シンシアが拳を突き上げ——、ジークリオンの世界が内側から木っ端微塵に砕け散った。

 

『ばっっっっっっっっっ——————!!?!?』

 

 世界の崩壊に竜が絶句する。

 結晶植物は枯れ果て、眷属の飛竜(ワイバーン)も一頭残らず形を維持できず、墜落の中でガラスのように分解される。

 照り返る茜色の空は、流れ星が瞬く美しい夜空へ塗り替わった。

 

 

◆◆◆

 

 

「ええー、うっそでしょ」

「な、何が起きて……!?」

 

 結晶世界の崩壊は当然、外の者にも観測された。

 

 エステラとストラは同じ視線で、結晶の壁をぶち抜き拡大する()()に、正確な表現を見つけられずに心のままポカンと口を開けた。

 

「この気配……異界主の。概念の創出なんて出鱈目すぎでしょ」

「…………」

 

 それを貴女が言うのか? とストラは若干突っ込みたい気持ちを抱えた。が、概ねエステラの意見には同意であり、一緒になってひたすら驚いた。

 

 

 

「なんじゃあれぇ!? と、都市が!?」

「あの二名……ジークの世界を破るか」

 

 ラルフとオズマもまた、自分たちを飲み込む勢いで拡大を続ける世界へ、隠すこともなく驚嘆した。

 

 

 

 砕けた結晶世界の残滓すらも誕生を祝うように降り注ぎ、シンシアの足下が迫り上がりネオン煌びやかなステージを形成する。

 

 風船が夜空へと舞い上がり、空中を駆けるように敷設されたレールをジェットコースターが滑走する。

 

 大地から屹立した支柱、夜空に吸い込まれる棒状の光の群れ。自らも光を発し、『幻窮世界』を一望できる巨大観覧車が夢を乗せて緩やかに回った。

 

『『幻窮世界』を、再構築したのか……!?』

 

 愕然と呟くジークリオンの体躯は大きく削り取られていた。

 世界からの補助を失った結晶竜鱗が剥がれ落ち、竜の真体の本来の大きさへと回帰してゆく。

 それでも50Mの巨躯は健在だったが……消耗した今、その()()はあまりにも頼りなかった。

 

「……皆さん。もう一度だけ、私の歌を……聞いて、くれますか?」

 

 ジークリオンの声はシンシアには届いていなかった。

 彼女が耳を澄ますのは、遠い遠い過去の残響。

 

 ネオンが彩る夜の遊園地、舞台に一人立つシンシアは目を閉じ、静かな呼吸を繰り返す。

 

 やがて。

 一人分の手拍子が響く。

 異界全土を覆い尽くす“駒鳥遊園地”。そこに一人、また一人と。

 波が伝播するように、手拍子の輪が広がっていく。

 

 それは、異界に揺蕩っていた魂の残滓たち。

 死すら与えられなかったとシンシアが後悔に泣いた『幻窮異界』の住人たちであり、かつての『幻窮世界』の民。

 そして、シンシアの孤独な戦いを、二千年もの間見守り続けてきた……現代における、彼女の()()()()()()である。

 

「…………っ! ありがとう、ございます!」

 

 瞳の端に涙を浮かべ、笑顔を浮かべたシンシアもまた手拍子に加わった。

 世界を包む手拍子の雨。高鳴る鼓動とリンクするように、期待の熱は天井知らずに上がってゆく。

 

「みんな——」

 

 訪れる静寂。

 〈歌姫〉は全力全開、ステージの上で拳を上げて飛び上がった。

 

「いっくよーーーーーー!!」

 

 

 メロディの開始と共に、キャノン砲が連鎖的に轟き輝くテープと紙吹雪が吹き荒れて。

 

 世界全土から、歓声が爆発した。

 

 鼓膜を突き破るような、全身を駆け抜け臓腑を揺らす怒号のような大声援。

 

 ステージの上でリズムを刻み可憐に踊る〈歌姫〉に、割れんばかりの喝采が届いた。

 

「——エト! 私が歌います! あなたの物語を……英雄の舞台を!!」

 

 エトラヴァルトは、自然。疾走の構えをとった。

 

「この命が尽きるまで、あなたの道を歌い続ける! 今度こそ、この声は止めません!!」

 

 誓剣を握りしめる手に力が籠る。

 新たに抱えたその意思に、長剣(エストック)が応えるように凛と鳴り響いた。

 

「だから行って、私たちの英雄! 行って——」

 

 一筋の光があったからこそ、今、シンシアはこうして歌っている。ならば、言わねばならない。

 今、彼に最も相応しい称号()を。

 降り積もった悪夢を振り払い、終わらせた彼にこそ相応しいそれを、シンシアはありったけ叫んだ。

 

穿孔度不明(オーバースケール)を超えてくれた、私だけの〈異界侵蝕〉!!」

 

「————ッ!!」

 

 一歩、最速。

 〈歌姫〉の歌声を背に、蒼銀の双眸を引き裂いたエトラヴァルトがジークリオンの知覚を置き去りに突貫した。

 

『——、は?』

 

 気づいたその時には首元にいた。

 最速の竜の思考が間に合わない絶技。

 理解の追いつかない現象に、ジークリオンは反射的に首へ防御を集中させ——間に合わない。

 

 誓剣が、銀を纏う。

 

 

 二人では届かなかった。十二の神秘と《英雄叙事(オラトリオ)》と竜殺しを携えても届かなかった。

 

 ならば、新たな神秘を用いて、その全てをたった一人に集約しよう。

 覚悟も意思も、願いも、想いも……全てを歌に乗せて!

 

 想いの丈だけ強くなる誓剣の騎士(エトラヴァルト)に、何もかもを相乗して!

 

「行くぞ——」

 

 命を燃やして迸る銀の魄導が、彗星の如く夜空に輝いて。泰然と聳える〈万晶竜主〉に反撃の一撃を叩き込んだ。

 

「俺たちの未来を切り拓く!!」

 

 響き渡る〈歌姫〉の歌声を背に、〈万晶竜主〉ジークリオンと〈異界侵蝕〉エトラヴァルトの死闘が幕を開けた。

 

 

 

 

      目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑩

    〈英雄〉の舞台、絶唱の〈歌姫〉

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