【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
戦う前から勝敗は決まっていた。
認めたくないが、俺たちが奴の動きに気づいた時には、すでに結果は定まっていたんだろう。
——いや、それよりも、もっとずっと前から。
奴と俺が『花冠世界』ウィンブルーデで出会った時から、俺たちの……違う。
◆◆◆
俺とシンシアの目覚めと行軍の再開はほぼ同時だった。
これまでのメンバーに〈顔無し〉アルトを加えた八名は、単独で飛行可能なジークリオン以外を師匠の“
第二大陸への上陸を既に《
紅蓮の“虚構の概念”を使った転移も候補に上がったのだが、『
「気難しい顔してるわね、エト」
「そう見える……よな。自覚ある」
主に、眉間に皺が寄っている。
「あんまり考え込みすぎないほうがいいわよ。そういうの、抜け出せなくなるわ」
七羽もの“紅鷲”……魄導で作成した移動特化の技をほぼ無意識下で操る師匠の気遣いに頷く。
「わかってるんだけどな。いい加減、無視するのも限界が来てるっていうか」
《
今回の事態に関わってそうなものだけでも、五つ。
そのほかにもジークリオンからの好感度がやたらと高い件とか、一向に尻尾を掴めないイノリの兄……シンの存在とか。
あと、俺が初めてイノリと出会った時……紅蓮が他の冒険者には目もくれず、
積み重なって、無視できなくなってきた。
誰もが『自分で探せ』と言うが、そのとっかかりがまるでわからない。
彼らの言い草じゃ、まるで俺が全てに関わっているようにすら聞こえるが……そんなはずはない。
だって俺は、今代の《
自分が特別な立場にいることは理解している。けど、だからといって隠された過去を解き明かせる立場にいるわけじゃあない。
「わけ知りの奴らが身近にいるのもストレスなんだよな」
「模範解答があるのに見てはいけない、自分の考えの正誤もわからない、というやつですね。少しわかります」
「だろ? 答え合わせさせてくれないって結構しんどいんだ」
王立学園や魔法学園に通っていた時のことを思い出しながら相槌をうったストラに同調する。
そんな俺の様子に師匠は小さく苦笑い。
「確かに結構なストレスね。でも、目の前の問題から目を逸らしちゃダメよ」
「それはわかってる。もう間違えないよ」
かつて〈勇者〉の強さに打ちのめされた時、俺は強さを求めるあまり視野狭窄に陥った。
原点のこととか、そばにいてくれたイノリたちの言葉も耳に入らないくらいに視界を狭めてしまった。
だからもう、同じミスをするつもりはない。
「じゃあ、心配そうな視線には気づいてる?」
「気づいてるし、ちゃんと見てる。切り替えるよ」
「ならよし。次の戦闘、頼りにしてるわよ」
師匠は俺の背中を乱暴に叩いてから先頭のジークリオンに並びに行った。そして同時に、イノリが乗る紅鷲が近くへ寄ってきた。
前を見ると、師匠が右手でこっそり親指を立てていて、そのお節介に思わず笑みがこぼれた。
「エトくん、大丈夫?」
「大丈夫ではないし問題だらけだけど……ま、平気だ」
「それは平気じゃないと思うんだけど……」
黒晶の瞳が呆れ混じりな眼差しを向ける。いや実際イノリの言う通りで、これは完全な強がりだ。
でも、ここで悩んで立ち止まるほうがダメだ。俺が知らなくても《
それに、異界の掌握はなんとしてでも阻止しなくちゃいけない。
「切り替えはできてるって意味だよ。イノリこそ大丈夫か? アルトになんか言われてただろ?」
「あ、うん。なんか“矛盾の娘”?って……エトくんを守ろうとした時に言われたから、多分、私のことだと思うんだけど」
「矛盾……矛盾かあ」
俺はイノリの顔をじっと観察してみる。そして、『ジロジロ見ないで』と恥ずかしがるイノリの左目に視線が動いた。
「イノリの場合、矛盾ってよりは“時間”とか“無限”のほうがしっくり来ると思うんだけどな」
俺の視線を察して、イノリは左の瞼に指を這わせる。
「ん、私もそう思うんだよね。矛盾って言われて思い当たること、なんにもないし」
「わたしも、イノリと矛盾という単語には関連を見出せません」
三人揃って、紅鷲の上で頭をひねる。
そもそもアルトの存在が謎めいているし、そんな奴の発言なんだから気にするなと言えばそれまでなんだが。
(気になるんだよなあ……)
俺たちの信頼を得ていないことから、アルトはジークリオンの少し後ろを飛行している。
最悪裏切られても、背後を取られるのがジークリオンだけならいいか、という総意だ。……自分たちでやっておいて、しかも敵に対してこう言う評価をするのはどうかと思うが、アイツはかなり損な役回りを担っているのではなかろうか。
なんかこう、苦労人の気配を感じずにはいられない。
いや、考えてみれば部下にあの
(出会い方が違えば、今とは違う関係になってたかもしれない……か)
『絡繰世界』の外交官たちや繁殖の竜、そして《
ただ立場や信条が違った、それだけの敵対関係。
俺に対してやたらとアイツの好感度が高いのは不気味で仕方ないけど、それ以外には特段不快感がない……というのが正直な感想だ。
——と、思考がだいぶ逸れた。
結局のところ、俺たちは〈顔無し〉アルトを名乗る鎧を信用していない。けど、アレの真に迫った声や仕草に嘘は感じなくて、近くにいても直感が働かないことから敵対の意思はないのだろう。
だからこそ俺もイノリも、奴の発言の真意が気になるのだ。
「それで言いますと……もしかしたら、“矛盾”とはイノリを指した言葉ではないのかもしれません」
「ストラちゃん、どういうこと?」
「あの鎧は、“矛盾の娘”と言ったんですよね? なら、“矛盾”という単語に相応しい別の人物……この言い回しなら、もしかするとイノリの両親を指しているのかもしれません」
「両親かあ……」
別角度からのアプローチに、イノリは困ったように顔を顰める。
「そう言われても私、その辺の記憶ないからなあ」
「覚えてるのって、お前の兄貴に助けられたってところからなんだっけか」
「うん。といっても、そこピンポイントで覚えてる感じでさ、前にも言ったようにそれ以外の記憶は本当にすっからかんなんだよね、私」
記憶がない、というのは俺からすればとても怖い……自分の足下が不安定になるような感覚なのだが、イノリは特段気にした様子もなくあっけらかんと喋る。
それは多分、出会って間もない頃に『記憶の有無』を俺が気にしないと不安を拭ったから、というのも一因ではあるんだろうけど。
「だからごめんね、ストラちゃん。せっかく提案してもらったけど、そっち方面は私がどうしようもないや」
「いえ、それなら仕方ないです。でしたら、この話は一旦しまったほうが良さそうですね」
試算ではもうあと数分で『四封世界』に突入する。意識を戦闘に切り替えるために、俺たちは頭を悩ませる問題たちを一度忘れることにした。
《——すみませんエト様。念話で失礼します》
のだが、その前にストラから直通の念話が届いた。
《……イノリに聞かせたくない話か?》
《そうです。わたしの方で隠蔽していますが、念のためエト様の方でも……》
《任せろ》
俺は周りに悟られないよう、ヘイルの異能を用いて念話の隠蔽を入念に行う。幸いと気づかれることなく工作は済んだようだ。
《で、話ってのは》
《イノリの記憶に関してです。エト様、シーナさんの夢境の景色を覚えていますか?》
《あのしっちゃかめっちゃかな舞台な。覚えてるぞ》
《これはラルフに伝えた推測なのですが……わたしはあの世界のベースになったのはイノリの記憶だと睨んでいます》
ストラはかつてラルフと行なった考察を、おそらく要点を絞って伝えてくれた。
曰く、あの世界はイノリと……もっと言えば、彼女の兄である“シン”との親和性があまりにも高かった。よって、シンを唯一知るであろうイノリの記憶をベースに構築された世界なのではないか——というものだ。
《その上で、イノリのこれまでの発言を振り返ると……
《……イノリが忘れている景色が再現されている、か》
《その通りです。もちろん、街並みは別の誰かの記憶という可能性も十分にあり得ますが……》
ストラはそこで言い淀んだが、彼女の意図は伝わった。
《忘れてるんじゃなくて、“思い出したくない”ってことかもしれない……そう思ったんだな?》
《無意識下で記憶を封じている可能性は捨てきれないのかもしれません》
念話越しにも伝わる憂を含んだ声に俺は静かに同意する。
……そして、ストラの懸念とは別にひとつ、嫌な推測が浮かんだ。
(イノリは、自分の元いた世界の名前すら知らない。不自然なまでに。……ストラがああ思っても無理はない)
俺は知っている。その不自然が罷り通るという事実を、この身をもって。
(……あいつは、俺の記憶を封じていた)
それは、『羅針世界』ラクランでの出来事。
アハトとの死闘を経て、記録の概念保有体になってようやく振り解けた鎖。
(シンが……イノリの兄貴が、彼女の記憶を閉じているかもしれない)
俺は、シンと一度会っている。それは紛れもない事実だ。だからこそ、浮かび上がる疑問。
もし仮に……本当にシンがイノリの記憶を封じていたとして。その上で、こうして俺が思い出す可能性というリスクを冒してでも接触してきたのなら。
シンが、イノリという血の繋がっていない肉親を蔑ろにしているわけではないのだとしたら……。
(その存在を知られないように動かなくちゃいけない……そうしたい立場にいるってことになる)
前を向けなかった。
今、視線を前に向けると、この僅かな揺れを悟られそうだったから。
(縁も接点もなかったはずの紅蓮が、冒険者になったばかりのイノリ
ただのお節介と割り切るにはあまりにも……そう。あまりにも、出来すぎた話だ。
でも、ひとつの荒唐無稽な仮説であれば、その違和感を解消できる。
(シンは、【救世の徒】に所属しているのかもしれない)
だとすれば、俺はいつか、彼と刃を交えなくてはいけなくなる。
どうか、外れていてほしい。そう願わずにはいられなかった。
◆◆◆
その日、男はいつもより早めの店仕舞いを始めていた。
男は街の隅っこで小さな定食屋を営んでいる。
2、3年前まで冒険者だった男はパーティーの調理担当で、引退してからは故郷に帰り、経験を生かして開業に漕ぎつけた次第だ。
10席にも満たない小ぢんまりとした店内で、男はひとり、ゴミ袋の口を縛る。
「こういう日に限って客入りがいいのはなんでだろうな」
なんでも各地で検問が厳しくなったとかで、入荷予定の食材が滞ったのだ。ままならないものだと、男は肩を落とした。
せっかく来てくれた客の残念そうな顔が脳裏に思い起こされて、つい、陰鬱なため息をつく。
——ちょうどその時、来店を告げる鈴を鳴らして店の正面玄関が開いた。
「おう悪いな、食材が切れちまったよ。今日は店仕舞いなんだ」
看板を“閉店”に変え忘れていたか。
うっかりしていたなと自分の軽率さを顧みながら、男はカウンターから顔をだす。
「良ければまた明日、来て、くれた……ら…………」
そして、玄関先に立っていた懐かしい狼人の……かつての仲間の顔を認めて動きを止めた。
「おま、なん……」
「ギルドの司令で近くの世界に来てたんだ。だから、もしかしたら会えるかもって」
灰色の立髪は昔よりきちんと手入れされていた。肉体は一回り逞しくなっていて、別れた数年の間に修羅場を潜ってきたことが引退した男の目にも明らかだった。
もう昔のような
「
「元気だったか、
かつて、『花冠世界』ウィンブルーデで《
——英雄の落命まで、残り二時間。