【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
「——行け、エトラヴァルト!」
シンシアと念話が被るや否や、〈片天秤〉ジゼルは叫んでいた。
「竜人は僕が相手をする! キミは二人のところに!」
「でも——」
イルルネメアと鍔迫り合うエトは、視線を竜人とジゼルの間で往復させ逡巡を見せる。
その視線の意味を汲み取ったジゼルは、舐めるなとちょっとキレた。
「甘く見るな! 戦いは苦手と言っても〈異界侵蝕〉だ! 君らほどではなくとも竜くらい足止めしてやる!」
アハトのような超越も、ジークリオンのような圧倒も、エトラヴァルトのような不屈も、そのいずれもジゼルにはない。
それでも彼は〈片天秤〉の名を賜った〈異界侵蝕〉。個人で
「——わかった、任せる!」
竜人の鳩尾に蹴りを入れて距離を取る。ほんの一瞬の空白に、エトは戦域を一足で離脱した。
『あ、あ……ある……!』
初めて言語らしい、感情に類する何かを発するアルビノの竜人がその背を追わんと翼を広げ、しかし割り込んだジゼルに寸刻、躊躇いを見せた。
『だ、め…………!』
だがすぐに、眦を吊り上げて赤い瞳を爛と輝かせる。爬虫類のように裂けた口から細長い蛇舌を覗かせて、目の前の邪魔者を鋭く威嚇した。
『ど、どい……て…………!』
「随分と彼にご執心じゃないか。悪いけど僕と遊んで貰う」
振り抜かれた竜爪に、小人は懐刀を左で抜刀。右手に輝く天秤が音を立てて傾き、イルルネメアの一撃と互角に撃ち合った。
この瞬間、ある男が目的に至るための、全ての準備が完了した。
「やあ——」
亜光速に迫るエトの疾走。七強世界の規模だろうと、五分と経たずに縦断する馬鹿げた速度に。
——トン、と。軽い歩調で追走し、それは悠々と追いついた。
「久しぶりだね、《
「——ッ⁉︎」
灰色の髪がエトの瞠目を攫う。奇襲に対して直感が働かなかった時点で、エトの初動は完全に負けていた。
「グレイ……ッ!」
「君の物語を、終わらせに来た」
両者、慣性を無視した急制動。
しかしエトが剣を振り抜くより速く、初動で勝った《
「ギッ————⁉︎⁉︎」
想像を絶する、
「やっぱり……」
相反するように、《
「君の心臓はもう止まっていた。君の肉体は、魂の容れ物足り得ない」
「…………るせぇよ、伽藍堂!」
攻撃を受けながらも、エトは反撃に転ずる
「輝け……」
切先には、七色に輝く砲撃の予兆。
「『アルカンシェル——
必殺のゼロ距離砲撃に、空虚な男はただ、笑う。
防御もせず、回避のそぶりも見せないまま、虹の砲撃を無防備で浴びた。
「——クラインとの戦いで、少し考え直してね」
爆煙の向こう側から現れた肉体は、
「なっ……!」
エトの両目があらん限りに見開かれる。
「正面戦闘の力を鍛え直したんだ。こんなふうに」
《
刹那、地平を切り裂くように振り抜かれた
「わかりやすい殺意だ」
《
「オズマ。死を名乗るには、君には怖さが足りない」
鎌を弾き上げ、エトをオズマに向かって投げ飛ばす。もつれる二人を尻目に《
その頭上で、極彩の竜人の一撃が空を切る。
「久しぶりだね、ジークリオン」
「貴様——ッ⁉︎」
交錯の刹那。全身を跳ね上げたグレイギゼリアの回し蹴りが、〈竜主〉ジークリオンの結晶外殻を突破し、ガードに動いた右腕ごと肋骨を粉砕した。
「づっ……⁉︎」
致命傷になりかねない一撃にジークリオンが飛行を乱して墜落。砂塵を巻き上げながら砂漠を跳ね転がった。
グレイギゼリアは、策謀と暗躍に長けている。——是である。
グレイギゼリアは数多くの手駒を持ち、物量で戦うことを好む。——是である。
ならば、グレイギゼリアは直接戦闘の技量が劣っているのか?——否である。
蒐集の概念保有体、《
それはあらゆる知識、技術、研鑽を集め、時に奪い、その身に集約し続けた。ゆえにその身へと積み重なった年月は比類なく。
その存在は、星の上で最も完成された“個”である。
「——誓剣の騎士よ、無事か」
「………………っ」
背中を支えるオズマの問いかけに、エトは拳を握ることで答える。それは戦闘継続の意思を示すと同時に、発声が苦しい状態にあることを端的に伝えた。
「我が身は敵なれど、盟主の願いに応じこの場では其方に助力する。——ジーク!」
大鎌を握り直したオズマが呼びかけると、砂煙を上げて極彩の竜人が立ち上がった。
「不覚を取った」
苛立たしげに翼を羽ばたかせ、ジークリオンは《
「次はない」
「そう思うなら、やってみるといいよ」
「無論」
《
「『
極彩の鱗から、透明な結晶の鎧へ。エトラヴァルトとの一戦でも見せたジークリオンの人型における最高速形態。
軌跡すら伴わない視認困難な超加速で、竜爪を《
「『
その一撃を、脇腹から生えた竜の顎が受け止める。
《
「ヌルいよ」
繰り返させる竜爪の連打に加え、挟み込むように動いた〈死神〉オズマが振るう大鎌を悠々と捌ききる。
〈異界侵蝕〉に名を連ねる者とて容易には受けきれない二雄の猛攻を、あろうことか身一つであしらい続ける。
「『豊穣の大地に希う。開花を恵む陽天の加護をここに』!」
最中、砂漠の大地に詠唱が響いた。
「流石に頑丈だね、《
なおも余裕を崩さない《
「『竜を貫く撃剣を。我が名はここに刻まれた』!」
完成の刹那、翼を広げたジークリオンの背後で眩い銀光が拡散。膨れ上がった剛の剣の気配に竜が仕掛けた。
「シッ——!」
右の竜爪が目を、左が心臓を潰しに動く。
「『混成改花』」
ただ、つまらなさそうに鼻を鳴らす。《
ジークリオンに合わせたオズマ渾身の一撃もまた、不振。
「次は君だね、《
笑みを崩さない《
どこに攻撃が来ようと変幻自在の『混成改花』がもたらす鉄壁を持つ男は、心を折るべくエトの一撃を待った。
「今の君で、僕に届くか——」
「剣身一切、竜滅を
「っ⁉︎」
しかし、それこそが三人の狙い。
必殺の威力を孕む、絶滅の一撃のための囮に、蒐集の主に初めて動揺が走った。
「概念昇格——」
それは、司書イルルとの連動。無銘の励起をイルルに任せ、エト自らは異なる詠唱を紡ぐ。
そして、記録の概念保有体であるエトはそのどちらも記録し、保存し、
——擬似並行詠唱による異能の同時発露。
「『——
腰溜めに誓剣を構え銀の視線が告げる。
「————」
須臾の間、グレイギゼリアに緊張が走る。
想起するのは『花冠世界』ウィンブルーデの一幕。男は当時、未熟そのものだったエトラヴァルトに竜殺しの一撃で頭部を破壊された。
蒐集してきた竜のわずかな因子に反応した、妄執じみた特効の対象ですらあの威力。
以前とは比べ物にならない成長を遂げたエトが詠唱を経て魄導を存分に圧縮した一撃は、さしものグレイギゼリアとて無策で受ければ痛手となろう。しかし、竜の顎で受けた時点で、竜殺しの力によってそれ以上の被害を被るのは必然だ。
果たして選択は——後方への離脱。
《
「ゴッ……⁉︎」
無防備なままに受けたオズマは、側頭部を砕かれながら——ひび割れた髑髏の面の下で
オズマのボロ切れのような黒い外套が翻り、銀の剣閃が《
(馬鹿な——っ)
そこには存在しないはずの、背後で構えているはずのエトラヴァルトの誓剣の軌跡。
それが、
『くらえニヤケ面!』
どこからともなく少女の声が響く。
——『
光の概念保有体、ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンが生前に得意とした光学迷彩魔法。
『——
大人びた女声に呼応し、重ねて剣身に集う虹の輝き。
——四つの擬似並行詠唱が、ただ一撃を《
驚愕するグレイギゼリアは、斬断を目前に……嗤った。
「その一撃を待ってたよ」
悪意に満ちた破顔にエト、ジークリオン、オズマのそれぞれが戦慄する。
悠久のような一瞬、交錯の刹那。加速したエトの思考と視野の中でなお迅速に、《
「——————は」
エトの双眸が、あらん限りに見開かれる。
竜殺しの憤怒が、鬼の慟哭が、虹の輝きが。
等しく、鎖の音を前にかき消えた。
「『混成改花・鎖』」
《
「あ、れは……!」
その異様に、ジークリオンが喉を震わせた。
「逃げろっ、エトラヴァルト——!」
「遅いッ!」
——パキンッ、と。儚い金属音が鳴った。
グレイギゼリアが、万力をもって誓剣を半ばからへし折った音だった。
「…………………………」
静かに。
エトが膝から崩れ落ちる。
言葉を発することなく、ただ一度、咽せるようにおびただしい血糊を吐き出した。
「「…………っ!」」
誓剣の折損に、オズマとジークリオンが言葉を失う。
対して、グレイギゼリアは歓喜する。
「致命傷だね、《
虚な眼差しに、今ばかりは喜びの情を宿す。
「長い長い僕らの因縁にようやく終止符、ガッ⁉︎」
その僅かな油断、慢心に。全身を跳ね上げたエトが渾身の回し蹴りを側頭部に叩き込んだ。
それは完璧な不意打ちだった。概念的な防御も用意もなく。目的を完遂したと確信した《
脳が揺れた。人族の肉体で活動するゆえの弱点に、寸刻、《
「…………っ」
しかし、追撃はなく。光のない眼差しで、エトは受け身もせずに砂の海に落ちる。
——その直前、駆けつけた鎧の騎士アルトが見た目に似合わぬ優しい抱擁でエトを受け止めた。
「ぁ、ぁあ……! 完遂、者、よ……!」
鎧で曇っても伝わる悲壮に満ちたアルトの声に、エトは未だ折れた誓剣を手放さない右手を震わせる。
「り、だつ……する…………イ、るる」
エトの声に、その身の内側から司書が応える。
——ヘイルの異能の発露。
その気配を知るオズマとジークリオンは《
『——座標固定、電脳遷移』
後悔と怒りの滲んだ詠唱。四人の肉体が、即座に世界へ溶け込んだ。
「……参ったな。彼らのしぶとさはわかってたのに」
エトを取り逃した《
「仕方ないから少し前倒して動こう。——やれ」
◆◆◆
「エト……?」
誓剣が折れたその時、《
「ダメ、ダメです……!」
近くにいた誰かが、どこか遠くへ行ってしまう感覚。
そばにあった命がこぼれ落ちていく
「イノリ、エトが……! エトに何か……!」
「…………」
取り乱すシンシアの声にイノリは応えない。怒りに身をやつした少女は、砂を掴み上げて無造作に振り撒く。
たったそれだけで、時を止めた無数の砂粒が散弾となって周囲の家屋を吹き飛ばした。
「おお、怖い怖い」
ボロ切れのようになった法衣を地面に脱ぎ捨て、散弾から逃れたロードウィルが不敵に髭を撫でる。
「儂の記憶より、随分と攻撃的な力の使い方を——」
「うるさいよ、お前」
「する……むっ⁉︎」
次の瞬間、コマ送りのようにイノリがロードウィルの目の前に移動した。
魔眼による時間の圧縮。気配による察知より早く距離を詰めたイノリは、ロードウィルの喉を掴み、握り潰す。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ‼︎?」
飛び散る鮮血を厭わず、熱砂の大地に老爺の痩躯を叩きつけた。
手の中で再生を始めるロードウィルの肉体を無感動な眼差しで見下して、体を起こしたかと思えば右足で頭蓋を踏み砕く。
「お前も《
イノリがおもむろに空を撫でると、反撃に動くロードウィルの四肢が突風に潰され、砂の上で磔に遭った。
「けど、供給源を絶てばどうなるのかな」
少女の視線は、枯れた老爺の左手、その薬指に。指輪を嵌めた、明らかに浮いた瑞々しいその一本を無造作に掴み、引きちぎった。
——ピタリと、ロードウィルの動きが止まる。
「死なないでよ。お姉ちゃんの受けた苦痛、何倍にして返すんだから」
物言わぬ痩せ細った老爺の肉体から目を切って、イノリは希うように、千切り取った薬指を握る右手を額に当てた。
「ごめんね、お
「——リさん、イノリさん!」
「え?」
そうしてようやく、自分がシンシアに呼ばれていることに気づいた。
「…………シンシアさん、なに?」
「…………っ! エトの、気配がおかしいんです。《
自分を見る、まるで人として認識していないような透明な目に怯えながらもシンシアは捲し立てる。
「予定も連絡もないですけど、エトのところに向かうべきです」
「エトくんが…………」
イノリは、ほんのわずか視線をロードウィルに戻す。
かの老爺に未だ再生の気配がないことを確認したイノリは——どうせ見つけ出すからいいや、と視線を外した。
「わかった。それじゃシンシアさんは私の視界にいて。時間飛ばして移動するから——」
——雷のような音が断続的に鳴り響いた。それはさまざまな距離で、音がズレて聞こえたのは、場所が違うからだと二人にはわからなかった。
次いで、地響きが。小さかったが、確かに砂の大地が揺れた。
「なんだろう、今の」
「戦闘音……?」
◆◆◆
それは、ハルファの目の前で起きた。
イノリの頼みを受けて住民の避難を任されていた彼は仲間と共に街を大きく離れ、それでもなお途切れない戦闘の音に、その規模に冷や汗を流しながら避難誘導を続けていた。
(もし万が一、余波がこっちまで来たら……余波なら、弾けるか?)
悔しいが、巻き込まれただけで死にかねないと悟ったハルファは自分の背後に最大限の警戒を割いていた。
だから、反応が遅れた。
逃げる群衆の中で、数人。はたと足を止めた者たちに。
その者たちが、自決用ナイフを胸に突き立てる様に愕然とした。
「お前ら何して——ッ⁉︎」
『我らの…………』
その掛け声は、怯える群衆の雑踏と、不安と恐怖に彩られた声の中でもよく響いた。
『——新世界のために』
それは、《
『四封世界』フリエント内にいる彼の信徒たちは全員がこれを身に宿し、命令の瞬間、自決し、起爆する。
その規模は——ひとつにつき、半径300メートル。
最低でも銀三級冒険者クラスの肉体強度でなければ即死する威力の人間爆弾が、今。
《
——かつて、世界の仕組みを調べた絡繰がいた。
彼らは気づいた。
総人口95%の殺害、および建造物80%の崩壊によって世界の滅亡が確定すると。
『四封世界』フリエントはたった今、その条件を満たした。