【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)   作:銀髪卿

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約束の果て

 冷たい雨が降り頻る夜、俺は揺れる視界で暗い森を見上げていた。

 近くからは乱れた息遣い。遠くからは怒号にも似た獣の雄叫びが聞こえてくる。

 ——走っているのは、俺じゃない。俺を抱き抱える誰かだ。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

「まだ、追ってきてる……! あなた、腕は……!」

「だい、じょうぶ……! まだまだぁ……!」

 

 疲労が滲む聞き覚えのない声。けれど、どこか心が安らぐ。抱き抱えられる腕の温かさも、不思議と落ち着く。

 上手く体が動かせない俺は、ドクドクと早鐘を打つ心臓の音を耳にしながらただ身を委ねていた。

 

 ——少し、場面が飛んだ。

 

 怒号が近くなっていた。

 俺を抱える人の息遣いはさらに酷くなっていた。

 怒号の正体には覚えがある——魔物だ。彼らは、魔物から逃げているのだ。

 ふと、鼻腔を血の匂いが充した。

 視線を動かすと、俺を抱き抱える人が変わっていた。さっきまで俺を抱えていた人——知らない、青い髪の男だった——は、口の端から流れる血を、剣を持った手の服裾で拭った。

 

「クソッ、やっぱりなまってた、な……ははっ」

 

 自分を鼓舞するように笑う男は背中にひどい傷を負っている。視線を動かせば、そんな彼を悲痛な面持ちで見る白髪の女が目に入る。——やはり知らない顔だ。夫婦だろうか?

 

「大丈夫、大丈夫だ……! お前たちは、俺が必ず守る!」

 

 飛びかかってきた四足の魔物を斬り伏せ——中々良い太刀筋だ——男は毅然と笑った。

 

 

 それでも、数の暴力には敵わなかったのか。

 また切り替わった先の景色で、男は右腕を喰われ、俺を抱く女は腹を貫かれて死の淵に立っていた。

 まもなく魔物の大群は、俺と二人を飲み込むだろう。そんな光景を他人事のように、記録のように眺める。

 ——軍勢の前に、どこからともなく鎧の騎士が立ちはだかった。

 

「——間に、あった。こんど、は……こんど、こそ、は」

 

 鎧の反響で曇った声で、男は俺たちに告げる。

 

「しばし、待たれ、よ。希望、は、ここ……に」

 

 まもなく、騎士によって追っ手の魔物は狩り尽くされた。

 

 ——木々の葉を叩く雨音だけが強く響いていた。

 煙となって消えていく魔物の死体に背を向けて、鎧の騎士は夫婦と思われる男女と俺の前に。そして、片膝をついて敬礼をした。

 

「急ぎ、ここを……はなれ、る。先導、を、任され、よ」

 

 騎士の言葉に、夫婦は顔を見合わせて——頷いた。

 

「騎士様、お願いがございます」

「——この子を、逃して」

 

 そう言った女は、震える両腕で俺の体を抱きしめる。

 

「私たちは、この傷です。……足手纏いになりますし……ゴホッ、もう……長くありません。ここで…………」

 

 女は、覚悟を決めた声音で告げた。

 

「ここで、囮になります」

「………………」

 

 鎧の擦れる音が、騎士の動揺を表す。

 

「なり、ませ……ぬ。子が、親に、抱かれぬ、ままに育つ、など……それ、は。残酷、です」

「わかってます……ケホッ。でも、このままでは……逃げきれ、ない……!」

「……っ!」

 

 血を吐きながら、しかし、その血が子をわずかも汚さぬように女は嘆願する。

 

「俺からも、頼みます」

 

 次いで、男も。

 右腕を失い、左腕も数多の切り傷で壊死寸前の重傷。一桁の気温と雨に体温を奪われ、低体温症を患った男の表情は悪い。

 

「我が子一人守れない情けない親に変わって、その子を守ってくれないか、騎士様」

「…………」

 

 しかし、男の灰色の眼差しはなお強い熱を発していた。

 

「我に、生涯守る力、は……ない。だが…………安全な場所に、連れていく。約束、し、よう……」

 

 今一度、鎧の騎士は敬礼する。

 

「アルトの、名に、誓って……必ず、や。この、魂に……変えて、も」

「……………お願い、します」

 

 母は、震える両手で俺を騎士に手渡す。父は、上がらない腕の代わりに、額を俺に優しく押し付けた。

「逞しく、健やかに生きろ。いつまでも、お前のことを見守っている」

 

 額に触れた母の唇は、冷え切っていた。けど……どうしてだろうか、暖かさを覚えた。

 

「愛してるわ————エトラヴァルト」

 

 

 

◆◆◆

 

 

(いま、のは…………?)

 

 ——不意に“電脳遷移”が途切れ、エトを含む四人が砂漠のただ中に放り出された。

 原因は世界の座標の乱れ。そして、その乱れに対応する演算に今のエトが耐えられないこと。

 

「騎士よ! エトラヴァルトは——」

「無事、で、ある……!」

 

 翼で制動をかけたジークリオンに、自分の体をクッションにした騎士アルトがエトの無事を伝える。

 もっとも、その無事とは()()死んでいないだけのこと。脈拍はなく、呼吸も極端に浅く少ない。世界を見る目に生気はなく、唯一、彼が持つ魂の強靭さだけがその命を繋いでいた。

 

「……誓剣の騎士よ、これを」

 

 オズマがエトに棒のような破片を手渡す。それは、折れた誓剣の刃だった。離脱の際に回収していたのだ。

 アルトの腕の中で、胸に加わった僅かな重みに反応したエトが右手をキュッと握った。

 

「……俺様のミスだ」

 

 その弱々しい姿に、ジークリオンが奥歯が割れるほど歯噛みする。

 

「奴が簒奪したのは、異界の制御権ではなかった……!」

「——その通りだよ」

 

 パチ、パチと。

 緩慢な拍手と共にグレイギゼリアが姿を現す。エトの不意打ちで受けた傷も後遺症も既に完治させた男は、左手に《終末挽歌(ラメント)》を携え、右腕には鎖を巻きつけていた。

 

「紅蓮・ヴァンデイルは来れない」

「っ⁉︎」

「彼の虚構は安定した世界でこそ発揮されるからね」

 

 ジークリオンの眼差しが揺れる。隠しきれない動揺に、グレイギゼリアが笑みを深めた。

 

「さっきの爆発で、この世界の滅びは決まった」

「——貴様ッ⁉︎」

「生存の境界は壊れた。世界は曖昧に、あらゆる虚構が現実的に罷り通る」

 

 逃がしはしないと、語気を強める。

 

「君たちは僕の目的を、滅亡惨禍の再来だと捉えていたけど……ヌルい。僕の目的は、初めから『聖女の権能』にあった」

 

 誓剣を折った右手で、力強く握り拳をつくる。

 

「“鎖”、“封印”、“不朽”……三つの概念と、無限の欠片。それらが融合した、あらゆる事象を封じ込める鎖の聖女の権能。奪うのに苦労したよ。なにせ、異界の末端から少しずつ、少しずつ掌握を繰り返したんだから」

 

 ——長い、永い旅だったと。

 グレイギゼリアは三千年の旅路を想う。

 

「全ての異界は今、僕の手の中にある。だから——」

 

 急速に近づく気配に、殺気を当て。

 

「邪魔はさせない」

 

 ——遥か上空、緋色の鳥が鳴いた。

 

「『鬼気炎翔』!」

「『概念模倣——繁殖』!」

 

 直上から緋の翼と子竜の軍勢が殺到する。対する《終末挽歌(ラメント)》は、仁王立ちの構えを解かず。

 

「『壊滅因子(デストラクション)』」

 

 ただ一言、《終末挽歌(ラメント)》を開いて迎撃する。

 

「『——繁殖』」

 

 闇色の魄導が繁殖の竜を形成する。グレイギゼリアは一瞥もくれず、カルラ、ストラ両名の奇襲を受け止めた。

 同時に、遥か天空へと命ずる。

 

「焼け——オクト・リラ、フルバール」

 

 カルラが飛ぶ超高度よりさらに上。成層圏を泳ぐのは一頭の竜。枯れ葉のような四対の羽でそれぞれ単眼をギョロつかせた竜……危険度15、《竜星》オクト・リラが地上に向けて極太の光線を放つ。

 そしてもう一頭。

 彼方にいつのまにか聳えていた巨大な山脈が震撼し、立ち上がる。

 亀が甲羅を背負うように山脈を背負った巨竜……《脈竜》フルバールが地平線を薙ぎ払うように灼熱の咆哮(ブレス)を叫んだ。

 

「チッ……!」

 

 太陽すら霞む眩い閃光と煉獄。防御を強制する二頭の介入にカルラが舌打つ。彼女が全魄導を防御に回したことで必然、火力は半減。

 《終末挽歌(ラメント)》は悠々とストラの概念模倣を受け止め、意識を外す。

 

「そこで耐え続けるといい。——さて、僕はなぜ聖女の鎖を欲したのか?」

 

 ゆっくりと持ち上がった右手の人差し指が、エトを指した。

 

「英雄の残り火を……《英雄叙事(オラトリオ)》を、この世から完全に消し去るためだ」

「………………」

 

 アルトの腕に抱えられるエトは、痙攣する両目をゆっくりと動かして真意を探る。

 その視線に気づいたように、《終末挽歌(ラメント)》はニコリと人好きのする笑みを浮かべた。

 

「英雄も、その火に群れる蛾も、ここで死に絶える。さあ——終幕だ」

 

 闇色の魄導(はくどう)が吹き荒れ、一歩。

グレイギゼリアが踏み込んだ時、世界が悲鳴を上げるようにひび割れた。

 

「『心淵廃絶——反転する新生の滅日(ラストライト・ラメント)』」

 

 ——ガシャリ、と。遠く、鎖の千切れた悲鳴が響く。

 その()()に、ジークリオンは最悪を悟る。

 

「『真体顕現』——ッ!」

 

 奥の手を切る。

 結晶の爆発とそれに伴う竜の躯体への変貌。巨木のような竜の右腕がグレイギゼリアを殴りつけた。

 

『逃げろ、アルト——!』

 

 竜の叫びに反応した鎧の騎士がエトを抱き上げ、即座に戦いに背を向けて逃走を計る。

 

「『概念昇格——竜封の楔(だから、逃がさないと言ったろう)』」

 

 しかし、エコーのようにグレイギゼリアの声が響く。

 わずかに苛立ちを孕んだその声に応じて、砂の大地を突き破り無数の鎖がジークリオンの真体を抉るように貫いた。

 

『ガァアアアアアアアアッ⁉︎』

「この鎖が何年、君の同胞を捕らえてきたと思っている」

 

 たまらず絶叫する竜に、グレイギゼリアは容赦なく追撃の鎖を伸ばす。が、それらは半ばから大鎌に刻まれた。

 

「止まるなジーク!」

 

 《死神》オズマの無慈悲とも捉えられる言葉。しかし、即座に立て直した竜は結晶の竜爪を振るう。

 大気を唸らせる一撃に併せ、グレイギゼリアの背後に回ったオズマも大鎌による連携を仕掛けた。

 

「…………っ」

 

 反撃を受ける《終末挽歌(ラメント)》は動けず——二人の一撃が中空で、何かにぶつかったように奇妙に静止した。

 爪と大鎌の切先は、浮き上がるように出現したポリゴン状結界によって阻まれた。

 

「『——ッ⁉︎』」

「ああ、言い忘れていたよ」

 

 竜と死神の攻撃を前に涼しい顔を浮かべながら、《終末挽歌(ラメント)》はまるで、教師が教壇の上でテストの補足をするような気楽さで、自分を囲む結界を叩き。

 

「『聖女の権能』の簒奪は、()()()()()()()()()()()()()に及ぶ。君たちを阻んだコレは、原初の異界を封じ続けてきた結界だよ」

 

 あまりにも、絶望的な事実を告げる。

 

「本当はもう少し後にするつもりだったけど、君たちの攻撃が中々苛烈だったからね。思わず使ってしまったよ。ああ、当然だけど、大氾濫(スタンピード)は始まっている」

『貴様……っ!』

 

 もののついでのように、穿孔度(スケール)8の大氾濫(スタンピード)という悲劇を巻き起こした。

 空虚な視界は、逃げる騎士の背中に。

 

「さて、君にはそろそろ退場してもらおうか」

『待て——』

「逃がさぬ——!」

 

 “切断の概念”による、空間を切り取る圧縮移動でジークリオンの背後を取り、アルトを追う。だが、そんな()()を竜が見逃すはずもない。結果的に無防備に背中を晒した《終末挽歌(ラメント)》に対して、ジークリオンとオズマが渾身を振るう。

 

「『結晶竜爪(ルーナ・グリネアーレ)』——!」

「『命界断ち』」

「無駄だよ」

 

 しかし《終末挽歌(ラメント)》の言葉通り、決死の一撃は無惨にも結界に阻まれる。五千年に渡り原初の異界を封じてきた結界の強度は尋常ではなく、ひび割れひとつ、起こさなかった。

 

「『終末の歌——風吹かぬ(君たちはそこで這いつくばっ)無辺(ていろ)』」

 

 全力の攻撃で隙を晒したジークリオンとオズマは、空間の全方位から蛇のように這い出た無数の鎖によって砂の大地に縫い付けられる。

 その様子に、オクト・リラの熱戦を防ぎ続けるカルラが表情を歪める。

 

「ストラ! なんとか隙を——エトが逃げる時間を……っ!」

「わかってます! わかってるんです! でも——」

 

 悲痛に叫ぶストラは、しかし、地上から噴き出るように絶え間なく襲い来る繁殖の軍勢を押し返せない。

 全力の概念模倣。肉体の魔力許容限界を超えたストラの神経はすでに、末端から壊死を始めている。

 なのに、だというのに。

 

「火力が足りない——っ!」

 

 限界まで全神経を振り絞った最大火力でも、《終末挽歌(ラメント)》の片手間にも劣る攻撃すら押し返せない。

 男は、足を止めない。一瞥すら向けない。

 

「役不足だよ。君は運良く戦う術を得ただけの、ただの有象無象に過ぎない」

「うるさい……」

「運良く相性のいい相手と戦えて、運良く生き延びて——」

「うるさいっ」

「自分も戦えると勘違いしてしまった、ただの弱者だ」

「うるさいんですよ——っ!」

 

 叫ぶだけで、悠々とエトに迫る宿敵の背中を、ただ涙を堪えて睨みつけることしかできない。

 

「二十二年前のようにはいかない。今度こそ確実に仕留めるよ」

「させ、ぬ……!」

 

 逃げられないことを悟った騎士アルトは、エトを砂の上に横たえて振り返る。左腕に巻き付いた鎖を祈るように握りしめて、グレイギゼリアを睨みつけるように腰を落とした。

 

「約定、を……! 我は、果たす、のだ……!」

 

 それは果てなき誓い。騎士アルトの存在理由。

 

「今度こそ、必ずや——」

「無駄だよ」

 

 《終末挽歌(ラメント)》は無慈悲に断じる。

 ただ無防備に一歩踏み出し——“切断”——アルトの眼前に立つ。

 

「おおおおお——っ!」

 

 殴りかかるアルトを《終末挽歌(ラメント)》は酷くつまらなさそうに眺め、軽く足をかける。

 よろめいた隙を逃さず、アルトの頭部を引きちぎった。

 

「——ッ」

「君では無理だ。なぜなら——」

 

 しかし、鎧の奥から血は出ない。

 否、そもそも、鎧の中には何もいない。

 

「君はアルトでもなんでもない……」

 

 グレイギゼリアは、無造作に中身のない兜を投げ捨てた。

 

「ただの異界の魔物(デュラハン)なんだから」

「我……は…………っ!」

 

 もののついでのように、アルトの……否、魔物の左腕から鎖を奪い取る。そのまま主導権を“簒奪”した鎖で魔物を拘束。遮るものはなにもなく、エトのもとへ進む。

 

「完遂、者……っ!」

「エトラヴァルト——!」

「駄目っ、エト様——!?」

 

 名前を呼ぶ声に、エトは動かない。

 瀕死の中、折れた誓剣だけは離さず、ただ、虚な目でグレイギゼリアを見上げた。

 

「苦しいだろう、()()()()()()()。『花冠世界』の一件でね、君はただ殺しただけでは死なないと思った。だから、こうして舞台を整えた」

 

 グレイギゼリアは、おもちゃを自慢する子供のように両手を広げる。

 

「息苦しいだろう、存在が希薄だろう。デュラハンの腕は、原初の記憶を想起させたろう? 刻み込むんだ、それが世界の滅び……君の終わりだ——『四封世界』のエトラヴァルト」

 

 ——キラキラと。崩れかけの空が星屑のように、大地に降り注ぐ。砂の海は、まるで蒸発するように白い光を放ってその形を失ってゆく。

 それは紛れもない世界の終わりの始まり。『四封世界』フリエントと、それに連なる命の終わり。

 

「“観測”のいるリステルに逃げていたとはね。あの魔物も考えた。本能かな、僕の目が異界にしか届かないと察していたのか……なんにせよ、君を見つけるのに手間取った」

 

 生まれながらに《英雄叙事(オラトリオ)》を持ち、歴代の誰よりも適正を持っていた。

 だからこそ赤子の時点で始末しようとしたが——余計な邪魔が入った。さらに、見つけた時にはエトが継承者として目覚めてしまっていた。

 

 だから、《終末挽歌(ラメント)》は万全を期すことにした。

 

「肉体の死、剣の破壊、世界の滅び、《英雄叙事(オラトリオ)》を通した記録の強制励起。全てを同時に達成することが君を殺し切る必要条件だった。僕は英雄(きみたち)のしぶとさを知っている。だから、君は、この先の終末に万に一つも関わらせない」

 

 《終末挽歌(ラメント)》の悲願。

 それは時代を、過去から未来に至る現在(いま)を繋ぎ続けてきた英雄たちの記録の、完全な抹消。

 

「——お別れだ《英雄叙事(オラトリオ)》。アルトの、忌々しい英雄の残り火よ」

 

 貫手を構える。

 それはかつて、彼がアルスという一人の少女の心臓を潰した所作。

 伽藍堂の男は、その場に集ったすべての者に見せつけるように、手を振り下ろす——

 

 

 

 

「………………エトくん?」

 

 

 

 

 偶然か、必然か。

 少女はそこに居合わせた。

 ほんの僅かに冷静さを取り戻した少女は、神秘の継承者と連れ立って無二の相棒のもとへ辿り着いていた。

 その時、《終末挽歌(ラメント)》の腕はエトラヴァルトの胸に狙いを定めていて、その場にいた誰もが間に合わない。——ただ一人、少女を除いて。

 運命共同体の命が尽きるその瞬間、少女の心はたったひとつ。

 

(——助けなきゃ)

 

 何があろうと、自分に何が起きていようと。もう二度と、誓いだけは破らないと、彼だけは裏切らないと決めていた。

 だから、短剣を抜いた。

 距離も、時間も、少女には関係ない。輝く左の魔眼さえあれば、その身に宿る時間を統べる魔法があれば、必ずそこへ辿り着ける。

 

 

「——ははっ」

 

 

 それを、伽藍堂の男は知っていた。

 急速に近づく気配。空間の歪みに、その少女の到着を確信していた。

 ——だから、初めから。

 

 貫手は、エトを狙っていなかった。

 

 

(えっ……?)

 

 

 引き伸ばされる時間の中で少女は見た。

 まるで予定調和のように、男の右手が自分に向けて振られる光景を。

 寸分の狂いなく、左目へ……“無限の欠片”に狙いを定めて。

 

 それは完全な不意打ちだった。

 少女の移動は、“切断”のように空間や事象を切り取る『スキップ』ではなく、そこに至るあらゆる事象を圧縮する『早送り』。

 つまり、事象の全ては存在している。ゆえに、完璧なタイミングで攻撃がそこに()()()()いたのなら、少女にとって、それは致命的な一撃になる。

 

 

(ダメ、避けられない——っ!)

 

 

 交錯の刹那、鮮血が散る。

 

「……?」

 

 それは、少女の……イノリのものではなかった。

 少女は誰かに押されたのか、不自然にのけ反った姿勢で目撃する。——答えはすぐに。

 

 《終末挽歌(ラメント)》グレイギゼリアの攻撃対してその身を捩じ込ませた、〈黎明記〉エトラヴァルトの姿がそこにはあった。

 

 青年の風穴が空いた胸の向こう側では、()()()()とグレイギゼリアが嗤っていた。

 

「君なら動くと、信じていたよ」

 

 

◆◆◆

 

 

 時間が、とてもゆっくりだった。

 自分の時間も、誰かの時間も……世界の時間すら思い通りにできるのに。

 私はただ、茫然とそれを見ることしかできなかった。

 

「…………エト、くん?」

 

 砂漠の大地に、エトくんが仰向けに倒れ込む。穴の空いた胸から流れ出る血を砂の海はごくごくと飲み干していて、()()()()()()()私の足を濡らすことはなかった。

 エトくんの目は、ゆっくりと……私を見ていた。

 

「……………あに、き」

 

 エトくんは、絞り出すように。

 

「み、つけ…………ろ、……よ……………………っ」

 

 気泡混じりの声でそう言って、糸が切れた人形みたいに脱力して。——崩壊していく世界と一緒に、光の粒になって消えてしまった。

 

 砂漠に突き刺さった誓剣も、後を追うように錆びて、朽ちて。

 

 

「…………………………………………ぇ?」

 

 

 ——恍惚とした《終末挽歌(ラメント)》のため息と、狂乱したストラちゃんの悲鳴だけが、嫌に鼓膜を刺激した。

 

 

 

 この日、冒険者イノリの運命共同体は。

 弱小世界の英雄は。

 《英雄叙事(オラトリオ)》の継承者は。

 

 ——エトくんは、私の目の前で、息絶えた。

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