【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
時間は、ラルフが〈仇花〉シーナと秘密協定を結んだ時から少し遡る。
『弱小世界』リステルの謁見の間は、凍えるような静寂で満ちていた。その場にいるだけで身を刻まれるような痛みの漂う空間にいるのは、玉座に腰掛けるリステル王・ハイレインと、道化姿の宰相フェレスの二人のみ。
両名は、既に『霊峰世界』へ向けて王城を発った〈歌姫〉シンシアからエトの訃報を聞かされたばかりだった。
「余はまた、見送るのか……」
ハイレインが灰黄色の髪をくしゃりと握りしめて悲鳴を零す。
「また、我らに尽くしてくれた若者を、ただ、見送るのか……?」
それが王という存在なのだと、理屈の上ではわかっている。
だが、ハイレインは自分が凡庸だと知っている。王としての器は小さく、ただ周りに恵まれたから、辛うじて、今のリステルがあることを強く理解している。
だから、息子のガルシアの訃報を聞いた時。
限りない才女であり、未来を照らしたアルスの勇姿を聞いた時。
リステルの未来を想い、数多の兵が命を散らしたと実感した時。
ハイレインは、身を裂かれるような痛みと、腰掛ける玉座の空虚をこれでもかと思い知った。
「まだ……なにも、返せてはいないではないか…………」
そして今日も、限りない功績をもってリステルを支え続けてきた一人の英雄の死を知った。見送ることもできない、あまりにも虚な一報を。
「……………………フェレス」
「なんでしょう?」
天井を見上げ、細く長く息を吐いたハイレインは、隣に控える道化師に告げる。
「エトラヴァルトは、我らの誇りだ」
「ええ、その通りです」
「民には、余の口から直接告げる」
声の震えを、拳を握り込むことで無理やり止めた。
「それまでは決して気取られるな」
「畏まりました。では、ボクは外部情報の封鎖を担当いたします」
「………………」
道化師は恭しく一礼して、速やかに玉座を後にする。
「——待て、フェレス」
その背中を、ハイレインが鋭く制す。ピタリと足を止め振り返った道化師は、いつも通りの柔和で、何を考えているのか測りかねる笑顔を浮かべていた。
「なんでしょうか、ハイレイン様」
「…………其方が、騎士団に中の守りを固めるよう命じていると報告があった。その中に、エトラヴァルトを参加させるよう伝えていた、とも」
「………………」
ほんの僅か、フェレスの瞼に痙攣が走る。ポーカーフェイスに亀裂が走った。
ハイレインは王の表情で、後悔を飲み込んで、王としての使命のために感情を殺し、側近の男に問う。
「答えよ、其方には……見えていたのか?」
「…………………」
道化師は答えない。
しかし、少しずつ。刻一刻と貼り付けたような笑みは消え失せ、無感動な表情が現れる。
「フェレスよ。長きに渡りリステルを支える出自なき道化師よ」
「………………」
「あるいはロキ、ロビン、ヘルメス……余の知らぬ名もあろう。名を変え、我ら王族を支え続けてきた忠臣よ」
宰相フェレスは、いつのまにかそこにいた。
彼が“観測”されたのは三百年前。種族や魔法の性質によっては怪しまれることのない
先代宰相ロキの後継として、男は登用された。
それは野心を見せることなく、ただ純粋に、真摯に、リステルを支え続けてきた。その正体は王位継承者にのみ伝えられ、秘匿され続けてきた。
あるいは、フェレスと名乗る男こそがリステルが『弱小世界』として“観測”されながらも生き延びてきた理由とすら言える、たった一つの、特大の秘密。
「余は、其方の忠誠を知っている。其方の献身を知っている。ゆえに、今日に至るまでのあらゆる
「……………………」
「ゆえに、話せ。エトラヴァルトの死は、其方の思惑通りか?」
唐突な裏切りの告発に、フェレスは怒ることも慌てることもなく、静かに現王ハイレインの目を見つめた。やがて、
「……何故、
それは肯定と同義だった。
一人称は、冗談めかした“ボク”から、落ち着きを感じさせる“俺”へ。
そこにいるのは“宰相フェレス”ではなく、正体を隠した何者かであった。
それでもなお敬語を忘れないのは、ハイレインという
「……エトラヴァルト、そしてアルス。破天荒で傍迷惑な子らであったが……紛れもなく彼らは才にあふれた稚児であった」
死した二人の名を呼ぶハイレインの表情は慈愛に満ちていた。リステルを支えた英雄、そして亡き第二王子ガルシアの友人二人。
彼らは、ハイレインにも大きな影響を与えていた。
「二人と接してきたことで、余も勘が鋭くなったのやもしれぬ」
「……俺も、変身魔法を見よう見まねで使われた時は肝を冷やしましたよ。……なぜ、赦してくださるのですか?」
「其方のリステルへの貢献は計り知れぬ。真意こそ推し量れぬが、その過程でこの世界は多くの利益を得ることができた」
他世界との戦争を避けるための外交や異界資源の調達。
時に自ら特別講師として学園に顔を出して生徒たちの地力の底上げに貢献した。
そも、今のリステルが弱小の名にそぐわぬ立派な戦力を有しているのは、王立学園という世界の規模と比較してあまりに不釣り合いなほどに充実した学び舎の存在があるからだ。
そも、
——そして、王立学園創立の発起人こそ、他ならない宰相フェレス本人——名を変える前の、“ヘルメス”なのだ。
その他、書き連ねればキリがないほど、フェレスという男はリステルの平穏に寄与してきた。
「……しかしだ。エトラヴァルトの死が其方の思惑通りなら。息子の対等な友人であった彼を、間接的に殺めたのであれば。余は、
「…………」
「答えよ、フェレス」
ハイレインの問いかけに、男は長い沈黙を貫いた。
それはとても痛い沈黙で、王は宰相の言葉を辛抱強く待った。
「…………では、この場限りでお暇を頂かねばならぬようですね」
男の解答に、ハイレインがくしゃりと表情を歪める。
「……何故だ。貴様とて、情があったはずだ!」
声は、震えていた。後悔は殺しても、怒りは殺すことができなかった。
ハイレインは知っている。
小世界ラドバネラの侵攻で多くの命が奪われた時、男が心の底から彼らの死を悼んでいたことを。
エトラヴァルトの身を案じ、その活躍に心を躍らせていたことを。それは決して、打算だけから来る感情ではなかったことを、宰相フェレスを側に起き続けていたから知っている。
「情で絆されるほど、俺の“使命”は軽くないからですよ」
「“使命”……よりにもよって、その言葉を使うか」
「持たぬ者などいないでしょうが……確かに、当てつけが過ぎましたね」
男は片膝をつき、拳を胸に置いて敬礼をした。
「王よ、いえ、リステル王家よ。今まで得体の知れぬ俺を登用してくださった御恩、決して忘れません。では——今生の別れです」
「待て——!」
身を翻した男の背中に呼びかける。
「貴様の使命とはなんだ⁉︎ 貴様は……
「…………。ハイレイン様、やはり貴方は聡明であられる。王としての手腕なら、貴方は七強の王たちにすら劣らない」
男は足を止めて振り返り、シルクハットの唾にピンと伸ばした指先を当てる仕草をした。
それはとある世界の、とある
「俺は約束したのです。始まりの英雄……〈顔無し〉アルトと。決して情に絆されず、役目を遂行すると……エトラヴァルトを導くと」
「導くとは……死へ、か?」
「いいえ」
男はシルクハットを取り、燕尾服を脱ぎ去る。男は内側に、迷彩柄の服を着込んでいた。
「——始まりへ。全ては、正しき『輪廻』を取り戻すために」
再び身を翻した男は、今度こそ止まらずにハイレインの下から去ってゆく。
「俺はタカオミ……
その姿を、ハイレインは玉座から静かに見送った。
◆◆◆
…………長い、とても長い、夢を見ていたような気がした。
「うあ……?」
目を開けると……仰向けになって寝ていたのだろう。建物の隙間から照りつける日差しを直視してしまい、俺はその場で芋虫みたいに身をよじった。
「まぶし……ん?」
背中を擦るじゃり、という不快な感覚。
どうやら、俺は地面で……しかも屋外で寝ていたらしい。いや、それ以前に
「さっきから、“俺”って……?」
〈——る。イルル! あの人起きてるよ!〉
「あ、ホントじゃねえですか」
「ん……?」
上半身を起こして声のした方を向くと、路地の出口に立つ茶髪の少女がその翡翠色の眼差しを俺に向けていた。両手には重そうな紙袋を合計4つも持っている。
——いや、だから。
〈ねえねえ、なんでお外で寝てたの? お家ないの?〉
「え、いや……は? 蛇?」
自分の内側に沸いた疑問を解消するより早く、大人の人間を丸呑みできそうなくらい大きなアルビノの蛇が、少女の足下から俺の膝下までスルスルと這ってきて質問攻めをしてきた。
「喋ってる……?」
〈喋ってないよ。これはね、テレパシー!〉
「俺、いつのまに蛇語を?」
〈違う違う! ぼくが人語を勉強したんだよー!〉
凄いでしょー、と誇らしげに舌をチロチロさせる。その仕草やつぶらな赤い瞳はどことなく自慢げだった。
「本筋からズレてやがりますよ、ネメア」
〈あ、ごめんねイルル!〉
イルルと呼ばれる茶髪の少女は、ずっしりと重みのある外観の紙袋を地面に置き、一歩、俺の方へ近寄った。
「ところで、貴方はどうしてこんなところで寝てやがるんですか?」
「いや……それが俺にもサッパリで」
気づいた時にはここにいた。
今までなにをしていたのか、なんでここで寝ていたのかもまるでわからない。
なにか、とても大切なことをしていたはずなのに。
この胸の中にあったはずの想いも、記憶も……解けて遠くへ行ってしまったような、そんな空っぽな気配だけがあった。
「記憶の混濁でいやがります……? 貴方、名前は?」
「名前……」
わかる。それだけはわかる。自信を持って言える。
「エトラヴァルトだ」
そう、俺はエトラヴァルトだ。それだけは、この名前だけは、はっきりと覚えている。
「エトラ……………
「なんで???」
勝手に短縮された。
「そういうのって、普通頭から略さない?」
「“エト”とか“エトラ”って『えっと』みたいにどもってる感じじゃねえですか。だから『アルト』」
「ええ……」
しかも半音を清音に勝手に昇格された。横暴だろ。
〈よろしくねアルト!〉
挙句定着された。よりにもよってわけわからん蛇に。
〈あ、ぼくはネメア! こっちの無表情はイルル!〉
俺の困惑などまるで意に介さず、アルビノの蛇は呑気に自己紹介。
「言葉に詰まってやがりましたし、ちょっとばかり脳に異常がありやがるかもしれませんね」
そして、そんな蛇……ネメアのことは放置して、イルルという名前らしい少女は俺の状態考察。
「それじゃアルト、診療所行くから着いてきやがれください……の、前に」
イルルは肩掛けポーチの中から青い布を取り出して俺に無理やり手渡した。
「これは……?」
「貴方の顔を覆う用だが?」
「なんで……?」
「気づいていやがらないみたいですけど、貴方、顔面血だらけでいやがるんですよ。なんで生きてやがるのか不思議なくらい」
言われて頭に触れてみると、指先が当たった場所に鋭い痛みが出た。
「
「ってなわけで、通行人がビビりまくりやがるんで、それで顔隠しやがってください。早く」
「お、おう……」
〈アルト、だいじょぶー? 立てるー?〉
「多分平気」
ネメアの『がんばれー、がんばれー!』という呑気なテレパシーに応援されながら立ち上がる。それを見たイルルは、四つの紙袋を持ち上げて……その半分を俺の右手に押し付けた。
「なんで?」
「体は無事だから」
「まあ、別にいいけど……重っ⁉︎ こんなの一人で持ってたのか⁉︎」
「魔力で強化すれば簡単じゃねえですか?」
ならそのまま持てばよかったのでは?
俺の疑問は些細なことのようで、イルルはさっさと路地を出て行ってしまった。
〈アルト行くよー! イルルに置いてかれちゃう!〉
「お、おう!」
ネメアに急かされるまま、頭を青い布でぐるぐる巻きにした俺は路地から出てイルルを追いかけ……
「——そこの怪しい覆面男! 彼女になにをするつもりだ⁉︎」
そして、肩を叩こうとした一幕を保安官に見つかって拘束されかけた。
弁解に駆り出されたイルルが心底面倒臭そうな顔と声音をしていたことに、俺は理不尽を感じずにはいられなかった。
第九章、完結です。お付き合いいただきありがとうございます。
更新が途切れたりなど、かなりお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
なるべくペース維持できるように頑張ります。
では、次章タイトルでお別れです。
序章 始まりの歌