【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
『異変』と『常識』
気づいた時には世界が変わっていた。
ほんの少し、1秒にも満たない一瞬の出来事だった。空と地平線が不可思議な膜に覆われて、我らの世界は変わり果てた。
見知った隣町へ行くための馬車道の先にあったのは見知らぬ森。その先にあったのは、見たことがない文化の街。
言語が通じたのは幸いか、彼らもまた似たような状況に置かれていることが判明した。やはりと言うべきか、この不可思議な事象に対する知識は彼らも持ち合わせていない。よって、定期的な情報交換の場を設けることで合意した。
また、他の調査隊の報告では、この土地以外にも複数の『異なる膜』が見つかったとのこと。膜の向こう側には複数の見知らぬ土地と文化が根付いていた。中には言語の通じない相手や、御伽話や民間伝承に通ずるような、明らかに“人間”から逸脱した容姿の種もあったらしい。
——埃を被ったノートの記述より
◆◆◆
「それじゃあ定例報告会を始める。と言ってもまだ二回目だけどな」
無精髭を生やした男の冗談めかした発言に、その場の数人がクスッと笑みを浮かべる。
レストランの二階を貸し切っただけの定例報告会の参加者は11人。年齢、性別共に一貫性はない。ここにいるのは、異変の日、偶然街にいた者たちの中から、たまたままとめ役として選出されただけの人間だ。
その中には、緩いカールのかかった茶髪の少女、図書館司書イルルの姿もあった。
「さっさと始めやがってください。この後も仕事が山積みなんで」
「いやすまない司書さん。早速始めよう」
歯に衣着せぬイルルの物言いに、髭の男は申し訳なさそうに頭を掻いて議事を始めた。
「じゃあ私から始めますよ。先週報告に上がった南西の土地が所属しやがる『ルーメン連邦』と、北に
「つまり……?」
「彼らが錯乱してねぇなら……無茶苦茶な話、私らが違う世界に飛ばされたか、向こうがこっちの世界に生えてきやがったか、おおよそこの二択じゃねえかってのが図書館の見解です」
一ヶ月前、奇妙なことが起きた。
誰もが目を離したわけではない。空を見上げていた者、地平を目指して馬を走らせていた者、日々をいつも通りに過ごしていた者。誰もが普通に過ごしていたその瞬間。空と地平が半透明の膜で覆われた。
その膜を超えると、そこに広がるのはまるで知らない別の景色……別世界だった。
何者かの魔法か、はたまた未知の技術による産物か。ここ、アインツリベル中央図書館を中心に広がる小都市ポーラは、現状、所属する『リンツ共和国』から完全に孤立してしまっている。
「別の世界、か……」
「神隠しの、より大規模なものじゃねえかってのが司書たちの話ですけど、ほっとんど推測の域を出ねえのでなんとも。前例がどこにもねぇので」
髭の男の噛み締めるような呟きにイルルが重ねる。
「生態系から人種、言語、文化まで何からなにまで違う未知の土地。報告を読む限りあちらさんも相当混乱してやがりますね。少なくとも周辺の23箇所……便宜上『外界』とでも呼びやがりますか。彼らも
司書を代表したイルルの発言に、他の者たちの表情が曇った。
「となると、彼らから有用な情報は聞き出せないことになるが……」
「外部調査は打ち切った方がいいかもしれないなあ」
「そんなことはないでしょう。彼らの存在自体がヒントになる可能性だってあるわ」
「とはいえ外にかまけることもできないだろう。目下進行中の備蓄難も深刻だ」
「確認できた田畑の収穫や各地の食糧の備蓄、試算ではあと二ヶ月で尽きると。成長の早い芋類に絞って開墾を急いでも、追加で半年は別の手段での食糧調達が必須だな」
「となると……頼みの綱は『外界』か」
「土地、あるいは食糧の購入……。貨幣価値も違う中で可能なものか?」
「最悪、こっちの価値を崩して外界側に合わせる必要も出てくるというわけか。みんなへの説明はどうする?」
「不確定情報の流布はかえって不安を煽るだけだ。開墾を続けつつ、食料問題はひとまず言語の通じる外界に絞って交渉を試みよう」
「んじゃあ、司書は情報の精査と一緒に言語の翻訳に勤めやがりますよ」
「頼んだわよ。私たちは各地の小村からポーラへの移住を急がせるわ」
代表者たちは活発な意見交換を繰り返し、その後も各々、必要な報告を淡々とこなしてゆく。そして、会議はおよそ二時間ほどで終了した。
「では、調査は継続ということで——」
『意義なし』
バラバラに席を立つ代表者たちを見送ったイルルは一人、席に残ったまま浮かない顔。
「……ったく、十中八九『外界』の面倒事じゃねえですか、アレ」
本日退院予定となっている一人の青年の姿を思い浮かべて、深々とため息をついた。
「はあ……。まあ、労働力が増えたってことにしときやがりますか」
◆◆◆
記憶喪失、というやつなのだろう。
診療所の先生いわく、俺の場合は頭部に対する強い衝撃が原因と見て間違いないそうだ。
とはいえ、記憶喪失がなんなのかとか、そういった一般的な知識は不思議と覚えているし、なぜか自分の名前だけは確信を持って覚えていると言える。記憶喪失にも色々種類があるらしいが、どうにも俺の場合は特殊な事例らしい。
謎は多いが、頭部の打撲は頭蓋に罅が入っているくらい重傷だったらしく、俺は一ヶ月ほどその診療所でお世話になった。そして……
「俺、なんで司書の制服着てんの?」
「は? なんで着てから疑問抱きやがるんですか」
「お前が何も言わないから、着て初めて制服だってわかったんだよ」
退院初日、面倒くさそうに迎えにきたイルルに、その場で司書の制服を着せられた俺は大層困惑した。
曰く、入院中も彼女が第一発見者ということで何度か(
そして、俺は『んっ』とほぼ無言で手渡された服を着て……それが制服だった。
「だからなんで司書の服?」
「わからねえんですか?」
「今の説明のどこにわかる要素があったよ」
しごく真っ当な文句を垂れると、イルルはこれまた怠そうにため息をひとつ。
「司書の人手が足りねえんですよ。アンタ、記憶喪失で無職でいやがりますし、丁度いいから人手に駆り出したって具合だが」
「なるほど」
ていのいい強制労働というわけだ。
理不尽極まりないとはいえ、生活にも先立つものが必要だし、非常に理不尽ではあるが職を手につけることができるのなら断る理由もなかった。しかし……
「けどいいのか? 俺、顔の火傷酷いから接客とか向いてないと思うけど……」
「ああ、確か8割くらい焼け爛れてやがりましたね」
そう、頭部の打撲だけと思われていた俺の傷だが、なんと顔面の激しい火傷もあったことが判明した。発見が遅れた——といっても入院翌日なのだが——血だらけだった顔面を拭くと凄惨な火傷痕が出てきたのである。
その時の先生の発言を抜粋するとこんな感じになる。
『これ、当初は骨まで行ってるよ。なんで目も鼻も無事なのか……普通は潰れてるような傷だよ』
『神経は死んでいる……みたいだね。だから頭の傷にも鈍かったのか? ちょっと火傷の範囲が広すぎるな。いやほんと、よく生きてたね?』
……俺、頭に怪我しすぎじゃないか? よくよく観察すると胸とか腕とか足とか、あとネメアいわく背中にも、あちこちに壮絶な傷跡や火傷痕があるのも判明したし……記憶を失う前の俺はどれだけ過酷な環境に身を置いていたのだろう?
——と、話がそれた。
そんなわけで、俺は表立って誰かと接するには少々重めのハンデを受けている状態と言える。
「まあ問題ねぇでしょう」
が、イルルはそんなことはどうでも良いとばかりに鼻を鳴らした。
「その布くれてやるんで、それ巻いて仕事すればいいじゃねえですか」
「不審者すぎるだろ」
「制服と名札があれば問題ねえですよ」
絶対にそんなわけない。ないのだが、ここでこれ以上の議論は無駄だろう。俺は諦めて顔を布で覆って、無事不審者となり果てた。
「あとこれ名札。胸につけやがれ」
「わざわざどうも…………いや名前『アルト』じゃねえか」
せめて名札くらいは本名……エトラヴァルトであって欲しかった。
俺の文句を察したのか、イルルはやれやれと首を振ってニヒルな笑みを浮かべる。
「私らが『アルト』、『アルト』って言ってんのに名札が“エトラヴァルト”だったら来館者が困りやがるでしょ。そういう配慮は常識だが?」
「他人の名前を勝手に改造した挙句定着させるやつが常識を説くなよ」
「チッ、記憶喪失なのに常識が残ってやがるのは面倒だな」
「お前今すんげぇこと言ったぞ?」
「と、も、か、く!」
肩にかかる茶髪に手櫛を入れるイルルだったが、二度ほど梳いても直らない毛の絡まりにイラっときたのか乱雑に髪を払い、その手で俺の鼻先を指差した。
「アンタは今から図書館司書兼、私の奴隷としてキビキビ働きやがれってことです!」
「ねえ待ってぜんっぜん理解できないんだけど⁉︎」
〈イルル、最近寝てないからイライラしてるんだよ。許してあげて?〉
◆◆◆
アインツリベル中央図書館。
それが今日から働く職場の名前で、蔵書数が8000万点を超えるとかいう、ちょっと凄さが想像しきれないアホみたいに広い図書館だ。
そんなわけで、俺は図書館司書イルルの推薦で色々すっ飛ばして司書見習いとして無事(?)就職。そんな俺の最初の役目は——
「『外界調査隊の報告書の整理』……?」
ここ最近起きてる異変に関する調査報告書を内容や時期によって仕分けする仕事だった。……いやいや。
「これ新人にやらせていいやつじゃないだろ」
いきなり
「仕方ねぇんですよ。どうしたって手が足りねえんですから」
内心文句で溢れかえる俺に、苦肉の策だとイルルは苦い顔。
「見知った景色がどこかへ消えて、代わりに現れたのは全く違う文化の街や国。調査も整理も、まるで人が足りねえんです」
「だからって記憶喪失の人間に任せる仕事じゃないような気もするけど——わかったから睨むなよ。ちゃんとやるから」
ものすごくガラの悪い睨みを利かせてくるイルルに両手を上げて降参を示し、俺は大人しく、目の前にうず高く積み上げられた書類に手をつけた。
「こ、これは……っ」
仕事を始めてしばらく、俺はとある手記を前にして愕然と呟いた。
「これは……っ!」
「? どうしやがったんですか?」
「読みづらい!」
「ああ…………」
イルルは『なんだそんなことか』みたいなトーンで流したが、これは割としんどい話だ。
——なんと言うべきか、書式が統一されていない文章はとてつもなく読みづらいのだと知った。
報告書は当然ながら手書きだし、歩きながら書いたりしたのか、字が乱れたり、走り書きのようにページの中に縦横斜め、乱雑に書き殴られていたり。
「これ、書き方を指定したり、報告用の用紙を配ったりとかできないのか?」
「んなことしてる暇ねぇですよ。その時間があったらさっさと異変の調査を進めやがって、一刻も早く不安を取り除かねぇとやってらんねえって話です」
「異変ねえ……」
イルルの言葉に、俺は懐疑的に首を傾ける。
「この報告のどの辺が異変なんだ?」
「はあ? どっからどう見ても異変しかねえでしょ。その辺の常識はすっぽ抜けてやがるんですか……」
盛大かつ尊大にため息をついたイルルは、人差し指を俺の眉間に押し付けて『よく聞きやがれ』と宣言。
「昨日どころか、数秒前まであったはずの隣町や王都が忽然と消えて、代わりに変な膜が降りて、超えた先には全く別の世界が広がってやがるんですよ?」
「…………おう」
「いくら魔法でもこんな大規模なものを、しかも持続的かつ複数同時に成立させるなんて不可能。街どころか小規模な国くらいの面積を囲う転移魔法じみた結界を永続させるなんて、明らかに人智を超えた異変で——」
「いやだから、それのどこが異変なんだ?」
「はぁ〜〜〜〜〜〜?」
話が噛み合わず布の裏で顰めっ面をする俺に、イルルが盛大に顔を歪めた。
「こんなパズルをしっちゃかめっちゃか置いたような状態でなにを………………………………」
しかし、そこで言葉を切ったイルルは、次第に表情を強張らせる。
「おいアルト。あんたの言う『常識』がなんなのか教えやがれください」
「……どうした急に」
「いいから!」
「お、おう……えーっとだな」
イルルの剣幕に押されるまま、俺は頭の中に残っている、俺が常識と信じて疑わない情報を絞り出した。
「世界に膜が張ってて、そこを超えたら別世界。文化や技術力、生態系までまるっきり違う、だっけ?
「…………本気で言ってやがるんですか?」
「もちろん。あでも、言語の違いってのはよくわかんないな。あと、エルフや獣人に驚いてるのも。この『世界』にはいないのか?」
◆◆◆
異質だった。
身なりの話とか、全身の傷跡とか。記憶の有無などそれに付随した疑問など。この瞬間の悪寒に比べればものの数に入らないとイルルは確信する。
同じ言語を話している。それなのに、目の前の青年の発言の意味がまるで理解できなかった。
(根本的に違う。私らとは、全く違うルールの上で生きてやがります)
記憶がないが故の無垢、という可能性も捨てきれない。
だが、所作や言葉遣い、会話の中に滲む確かな知識の存在は、
(つまり、アルトが信じて疑わ無い『常識』は。私らが『異変』と恐れてやまねぇ事象は。記憶を失う前の彼にとって、彼の生きた場所にとって当たり前のこと?)
イルルは、今回の異変を規模の大きい魔法的な何かだと思っていた。——今、この瞬間までは。
(そんなものじゃねえ。私らは今、どうしようもない歴史の転換点のような、なにかとてつもなく巨大なうねりの中に…………)
◆◆◆
最近はサボりがちだったけど、ちょうどいいので日記を再開することにした。
歴史の転換点。あるいは時代の節目。
エトラヴァルト……長いから以降アルトで。彼の出現と前後して、私たちは前代未聞の異変に巻き込まれた。
これはおそらく世界規模の、否。私たちが想像し得る『世界』をはるかに超えた大規模での変化だった。
アルトと異変は密接に関わっている。私の勘がそう告げている。元凶なのか、はたまたより深い影響を受けた被害者なのかはわからない。
けれども、アルトの記憶にこそ、この一連の変化の謎、その鍵があるような気がしてならない。
いや、これは全部私の願望か。
ともかく、彼の知識が現状に当てはまるのなら、出どころ云々言ってる場合じゃないのでさっさと照らし合わせるべきだろう。明日からは散々こき使ってやる。私を驚かせた仕返しだ、覚悟しやがれ。
愚痴が多くなってきたから、今日はこの辺で。明日からも忙しいから寝ることにする。
西暦1731年6月3日 記録者 イルル