【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
「ねえ、お兄さんはなんで顔を隠してんの?」
ネメアの可愛らしい未来予想図を聞きながら仕事をした午後のこと。昼休憩を挟んで2時を過ぎた頃、俺は図書館を訪れた複数人の少年少女に絡まれていた。
「名札の顔写真も覆面だよね! なんで?」
今日はよく話しかけられる日だなー、なんて考えながら乱れた本の配列を正す。
「んー、俺が見習いだからかな」
「そうなの? 司書見習いは顔隠すの?」
「ごめん嘘」
「えー!」
適当な返事をすると、子供たちから『嘘は良くないよ!』とか『嘘つきは悪い大人なんだよ!』などなど鋭い指摘を受けてしまった。さっさと切り上げようとしたのが裏目に出た。
このままだと仕事が進まないけど……いや、来館者の相手をするのも仕事か。
「まず、図書館では静かにな。それで、俺が顔を隠してる理由だけど……」
口元に指を立て、子供たちの小刻みの首肯を確認してから続きを話す。
「俺、顔に酷い傷痕があるんだ。この布はそれを隠すためのものなんだよ」
「傷、痛いの?」
「いや? もう痛くないぞ。けど、見せるにはちょっと刺激が強いからな。こうやって隠してるんだ」
「今みたいなミイラのほうが怖いって子もいるよ?」
「それは……………そうかもしれないな。それでも見せるわけにはいかないんだよ」
子供たちの遠慮のない発言に布の裏で苦笑い。
ほら、言われてるぞイルル——と言っても本人は『んなもん私の知ったこっちゃねぇですよ』くらいには言うだろうな。……改めて理不尽だろ。
「ふうん。お兄さん、そんな怪我どこでしたの?」
「それが俺にもわからないんだよ。怪我するより前の記憶がなくってさ」
「それ知ってる! 記憶喪失ってやつ!」
知識の使い所を見つけた少年が嬉しそうに声を上げる。聞き覚えのない単語だった子供は『なにそれ』『どういう意味?』と問い、対する少年は鼻高々に説明を試みる。
(俺、いつ解放されんの?)
その後も子供たちの質問攻めは止まることを知らず、俺は仕方なく近くにいた先輩司書に断りを入れてから子供と連れ立って声を出していいホールまで足を運んだ。
話題の中心は、もっぱら俺の傷について。
「頭からお湯を被って大火傷したとか?」
「よそ見して壁にぶつかったんだよ!」
「躓いて顔からずっこけたんじゃないの?」
「寝てる間にお布団から落っこちちゃったのかもよ!」
「待てコラ。なんで大半が俺のドジ前提なんだよ」
それが本当だとしたらあまりにも状況が情けなさすぎるだろ。勘弁してほしい。
「ところで、君らはなんで図書館に? 記憶違いじゃなきゃ、ここ半月では見覚えがない顔なんだけど」
「えっとね、パパやママの手伝いなの」
一人の少女がそう言うと、他の子たちも『僕も!』『私も!』と続いた。
「最近、お空のこととか、みんな忙しそうにしてるでしょ? 学校も休校しちゃってるし、遊んでばかりも飽きちゃって」
「だから僕たちでも何か調べようってなってさ、図書館にならさ、何かわかるんじゃないかなーってさ」
「あと巡回の兵士さんたちも忙しくしてるから、最近は剣術の練習も始めたんだぜ! 少しは役になてるようにって!」
なるほど。イルルの時から分かってはいたけど、やっぱり現状は彼らにとっては『異変』らしい。俺にとってはどうしても普通のことに思えてしまうけど……。
(俺の方が“異物”って言われるとしっくりくるよな)
自分に関する記憶がないせいだろうか、それとも忘れているだけで何か確信があるのだろうか。俺は、ここは俺の居場所じゃないと、そう感じている節がある。
だから、『お前は違う』と言われても疎外感を覚えることはないし、むしろ、やっぱりそうかという納得すら覚えるだろう。
「ねえねえ、お兄さんなら何か知ってるんじゃない? 司書さんなんだからさ!」
「そう言われてもな、俺もわからないことだらけなんだよ」
イルルには、俺が異端の知識を持っていることを伏せるように言われている。知識の共有先は慎重に吟味する必要があるとのことだ。
『ただでさえみんな不安がってやがる時期にこんな爆弾そのものみてぇな知識、おいそれと流布できるわけねぇですよ』とは彼女の言葉。
半月経った今でも、共有されているのはイルルが信頼を置く数名の司書と臨時議会のまとめ役だけだそうだ。
「ええー、やっぱりダメかあ」
「ほら、自分たちで探すしかないって!」
「でも、わからない言葉とか……どうするのよ」
「それは、えーと、あの、辞書を使うとか!」
俺は、彼らに共感していない。
認識の誤謬も、知識の差異も、『そういうものか』と受け入れてしまっている。
とどのつまり、彼らとの関係を
(けど、それは…………)
でも、それはなにか。なにか違うんじゃないかと。腹の奥底が嫌な重力を伴って、強烈な違和感が俺を繋ぎ止める。
異界という言葉にゾワゾウとした気持ちが働いたように、彼らをどうでもいいと思っている自分に対して、途方もない『嫌な気持ち』になるのだ。
記憶を失う前の俺はどんな人間だったのだろうか。
冷酷な男だったのか、情に厚かったのだろうか、真面目だったか、悪人だったかもしれない。
けど、イルルの言うように、俺の体が無自覚に忘れた記憶に引っ張られているのなら。その『俺』はきっと、無知でいることを嫌っていたのだろう。
「俺も、詳しくないけど——」
だから、一歩踏み出す。
彼らがやろうとしていることに、触れてみる。
「仕事の隙間になら、手伝えるぞ」
◆◆◆
「——で、ガキ共の子守りをしてやがると」
「子守りってほどじゃないだろ。ただの遊び相手だよ」
約束から何日か経った日の昼休憩、たまたま時間の被ったイルルの質問に答えながら本をめくる。内容は、なんてことない健康に関する本だ。
「たまたま俺みたいな珍しい奴がいたから興味持たれてるだけだよ」
「そうは言いやがりますけどね、そう単純な話でもねぇんですよ」
イルルは、どこからともなく這い寄ってきたネメアに冷凍したデカい鼠を放る。
4日ぶりの餌に嬉々として食いつくネメアを優しい眼差しで眺めてから俺に視線が戻った。なお、温かみのある目の光は一瞬で消え失せた。
「大人も不安がってやがる。隠してるつもりでも、ガキってのはそういう機微をちゃんと見逃さねぇ生き物ってもんです」
——『最近、お空のこととか、みんな忙しそうにしてるでしょ?』
——『巡回の兵士さんたちも忙しくしてるから、最近は剣術の練習も始めたんだぜ!』
確かに、子供たちはよく見ている。そして彼らは、自分たちも役に立ちたいと……大人の負担を減らしたいと行動を起こしたのだろう。
「なにかしてないと不安になるってことか」
「その認識で間違いねぇです。情けねぇ話、今、大人は不安を拭えねぇ。気遣いにも限度がありやがる」
そう言うイルルの表情はいつもより固い。
飄々と毒を吐き、子供たちを『ガキ』と腐すような呼び方をしている割に、彼女もまた気にして、手が行き届かないことを憂いていたのだろうか。
「だから、お前の行動は相応の価値があるんじゃねえかと私は思いますよ。ガキ共が懐いてたのがいい証拠じゃねぇですか」
「……そうだといいな」
ほんの少し、輪の中に入れたような気がした。それがいいのか悪いのかはわからないけれど、悪い気はしなかった。
それからしばらく。特に会話もないまま二人と一匹で昼飯を食べていると、休憩室の扉が控えめな音を立てて開いた。
「おや、先客がいたようだね」
入ってきたのは、柔和な顔立ちの灰髪の男。室内でくつろぐ俺たち二人と一匹を見てニコリと微笑んだ。
「久しぶり、イルルとネメア。それに……アルト、だったね」
〈あ、グレイだー。相変わらず胡散臭いねー〉
「ほんと、相変わらず胡散臭ぇ顔でいやがる」
「挨拶が終わってる……。久しぶりだな、グレイ」
「うん。司書の仕事には慣れたかい?」
「まだまだ手探りだよ」
「謙虚だね。良いことだと思うよ」
「はぁ〜胡散臭ぇですねえ」
この女、二回も言いやがった。
イルルたちの辛辣すぎる発言を受けても眉ひとつ動かさない男……図書館司書のグレイは、よそ行き用のスーツが息苦しかったのか、一息つきながらネクタイを緩めた。
……うん。まあ、仕草をひとつひとつ切り取るとそこはかとなく胡散臭さはあるけども。
「どうだいイルル、異変に関わることで進捗はあったかな?」
「微妙なところじゃねえですか? それより、食料の調達は? お前、そのために呼ばれやがったんでしょ?」
「申し訳ない、なかなか難航しているのが現状だよ」
グレイは図書館司書だが、どうやら交渉術に秀でているらしい。
現在、小都市ポーラでは食料備蓄の不足が喫緊の課題となっているらしく、近隣の外界との交渉や開墾が急がれている。
グレイはその交渉術を活かして買い付けに行っていたのだが……成果は芳しくなさそうだ。
「警戒心が強くてね。バックボーンも明かしてくれないし、中々懐に入れてくれないよ」
「はあ、情報面での成果もねえとなると……『植物に作用する魔法』の開発次第ってことじゃねえですか」
「そうなるね。他のグループが外界の魔法体系について調べているそうだけど、そちらの進捗は?」
「そっちは比較的順調だって言ってやがりましたよ。ただ、魔法の概念自体が存在しない……あるいは極端に発展が遅れている外界もあるって話で——」
あっという間に小難しい話を展開しだした二人に、俺とネメアが置いてけぼりをくらう。
〈難しくてわかんないねー〉
「な。全然わからん」
〈アルトは何読んでるのー?〉
「健康になるための運動法」
〈アルト、不健康なの?〉
「顔面の8割が焼け爛れてる時点で健康ではないわな」
〈それもそっかー〉
のんびりした発言のネメアを隣に惰性でページをめくる。
実はこれ、子供たちの要求に沿った本のチョイスなのだ。彼らは基本的に異変について興味を持っているのだが、中には剣術・体術に興味を示す子もちらほらいた。
「ネメアはさ、俺が剣術の心得があるって言ったら信じるか?」
〈うーん、信じるよ? アルト、冗談は言うけど嘘は言わないもんね〉
ごめん、さっきしょうもない嘘ついたわ。
白蛇からの無邪気な信頼に心を痛めるも、俺は本を読みながら発言の意図を語る。
「だから、休みの日に子供たちに教えようと思ってさ。だけど、記憶喪失の人間の口から出まかせって思われると色々面倒だから、こうして運動系の本を読んでるってわけ」
〈へえー。ねえねえアルト、僕も教えて欲しいって言ったら教えてくれる?〉
「剣術を? 教えるのはいいんだけど……」
俺は、発言主のスリムな体系(オブラート)を見ながら眉をひそめる。
「蛇は……どうやって剣、持つんだ?」
〈うんとねー、口と尻尾だよ。僕、力には自信あるからきっと持てるよ!〉
「ああ、うん。その辺は心配してない」
だって全身筋肉だもんな。餌の冷凍鼠、バキボキと砕いてたもんな。あれ? むしろ木剣が粉々になりそうな……まあいいか。
「じゃあネメアも一緒に行くか。子供たち優先になっちゃうけど——」
〈いいよー! えへへ、楽しみだなあ!〉
尻尾をご機嫌に振り回す、ちょっと危険な喜び方をするネメア。チロチロと舌を出す笑っているようにも見える顔を見て、俺は彼(?)の未来の展望を思い出した。
(……なるほど、これもコイツの理想のための第一歩か)
いつイルルに話すのかは知らないけど……ネメアの微笑ましい望みが叶うようにと、心の中で静かに祈った。
◆◆◆
彼を言い表すなら、それは『怪しすぎる』の一言に尽きた。
司書イルルが保護したらしいアルトという記憶喪失の青年。名前だけは覚えている記憶喪失とは不思議なものだが、そういうこともあるのだろう。そんな彼はどうやら顔に酷い火傷を負っているらしく、青い布で顔を覆っている。
器用に目元だけを露出させている姿は不審者そのもので、巡回の警備兵たちは『見かけるたびに声をかけそうになる』と苦笑いを浮かべていた。
——が、その見た目とは相反するように子供たちからの評判はすこぶる良い。『変態仮面』というすこぶる気の毒な呼ばれ方をしていると聞いたが、それはさておき。
どうやらアレでも面倒見はいいらしく、また剣術の心得があるようで仕事の空き時間を使って子供たちに指南しているんだとか。これまた警備兵に聞いた話だが、『悔しいけどレベル高い』『普通に参考になる』『しばらく聞き入ってたら先輩に怒られた』など概ね好意的な意見だった。
異変と共に現れた怪しさ満点の男だが、少なくとも、話を聞く限りではアルトという青年は悪ではないように思える。
——しかし、彼は一体どうして記憶を失ったのだろうか。隠さなければならないほどの傷と関係あるのか……それとも彼も異変の被害者なのか。
……まあ、共に過ごしていればわかってくることもあるだろう。
ひとまず、今日は彼が休みの日にやっていると噂の青空剣術教室に私も顔を出してみようと思う。
——とある兵士長の手記