【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
「なんで覆面してるの?」
「火傷隠すため」
「火傷の理由は?」
「不明。俺も知りたい」
「今はなにしてるの?」
「書架整理」
「この仕事は長いの?」
「三ヶ月くらいだな」
無事に入館手続きを済ませたクラインからの質問攻めをいなしつつ幽書の整理を進める。
イルルもグレイも忙しいからと、彼女の相手を俺に放り投げてどこかに行きやがったのだ。
(まあ、言われたからにはやるけどさ)
面倒事だとは思わない——こともないけども。少なくとも、俺たちにとってクラインという少女は大きな意味を持つのだから。
◆◆◆
「お前、今日からあの子の監視をしやがってください」
「どうした急に」
入り口のカウンターに向かうグレイとクラインの後ろ姿を尻目に、イルルの眼差しがスッと鋭くなった。
「これは自慢じゃねえですけど、人の顔を覚えるのが得意なんですよ、私」
「いやほんとどうした急に——」
「見たことねえんですよ、あの女。異変が起きてからの数ヶ月で、一度も」
「………………」
ピリッと剣呑さが増した声音で、イルルはさらに睨みを利かせる。
「多分、外界から来やがりました」
「俺みたいにか?」
「はい。それもお前と違って、記憶を保持して万全に」
イルルは語る。
これまでにも何度か、外界からの接触はあったのだと。その多くは数を絞った調査隊のようなもので、要するに自分たちと同じことをしていたそうだ。
友好的とは言えないが敵対の意志はない——そういう相手はしばしばいた。
「彼女もそういう手合いなのか?」
「違えですね。今は検問ガチガチに固めて、外からのお客さんは通す前に色々
「え…………。じゃあ、すり抜けた?」
「見張りがポカやらかしたとかじゃねえんなら、多分。なんらかの技術か魔法を使った可能性は高いんじゃねえですか?」
だから監視しろってことか。
剣呑な表情や声音の意味を理解した俺は、クラインに気取られないように自分の体でそっとイルルの視線を切った。
「むっ……なにしやがるんですか」
「そういう手合いなら視線には敏感だろ。要するに、なにするかわかんないから俺に監視を任せたいんだろ?」
「妙に勘が鋭いじゃねえですか。そういうことなんで、んじゃ任せやがりますよ」
◆◆◆
というわけで監視を任されたのだが……。
「記憶喪失? 火傷が理由なの?」
「それもわからん。名前以外はさっぱりでさ」
「え、その名前すら言い淀んだの……?」
「アレには事情があってな……いやほんと、嘘ついてるわけじゃなくて」
「まあ、受付さんが認知してたし信じるけど」
「まだ含みがある……」
なんか、監視するまでもなく付き纏われるようになってしまった。
俺のことがよほど気になるのか、クラインは俺の背中について回りながらひっきりなしに質問を投げてくる。
少しばかり汚れが目立つ白のフレアワンピースを着た少女は、なにがそんなに面白いのか終始笑顔のまま。それにしても……
「なんか初対面とは印象違うな。もっと大人びてるように見えた」
自称16歳のクラインは、俺の評価に眉尻を下げて困ったような顔をした。
「アレは他所行きの顔だもん。これでも良いとこのお嬢様だから色々仕込まれてるの」
「ここも他所では?」
「そうなんだけど、アルトさんには色々見透かされそうでさ」
「過大評価だろ」
まあ、親からの期待みたいなものもあるのだろう。応えたいけど、そればかりだと疲れてしまうのかもしれない。
……そういえば、俺の記憶には親の顔や名前は残ってないな。今頃、俺のことを探していたりするのだろうか?
「それとも案外カラッと忘れてたりしてな」
「? なんの話?」
「独り言だ。まあいいんじゃないか? 肩肘張り続けるのも疲れるしな」
俺も敬語苦手だしよくわかる。
「……。やっぱり見透かされてるじゃん」
そう言うクラインは少しだけ不満そうで、それ以上にどこか楽しそうにしていた。
「アレはね、私の理想みたいなものなの。いつも飄々としてて、どんなことにも動じない。みんなの支えになれるような、お手本になれるような人。どう? かっこいいと思わない?」
「にしては俺にビビりまくってたけど」
「あっ、アレはしょうがないでしょ! ——あっ」
図書館ではお静かに。つい声を大きくしてしまったクラインが慌てて口を押さえる様子に苦笑する。
イルルは警戒していたし、するに越したことはない。けど、こうして話している限りじゃクラインがなんらかの悪意を持ってやってきたようには見えなかった。
「覆面の変態に後ろから声かけられたら誰でもびっくりするもん」
「変態ではないと声を大にするぞ俺は」
休日に公園で遊ぶガキ共の一部も『変態仮面』なんて呼びやがるけど、変態呼ばわりされるようなことは一度とてしてないぞ俺は。
……見た目の不審者加減で変態扱いされているのであればそれはイルルの責任だ。変態の称号はイルルにくれてやれ。
〈そんなこと言ったらイルルに怒られちゃうよー?〉
そんなことを考えていると、最近テレパシーの範囲を広げて“思考を読む”ことまでできるようになり始めた白蛇ことネメアの声が聞こえた。
「いや、これは正当な怒りだから——、あ」
唐突だが、ここで一般論を語りたい。
普通、蛇というのは人語を介さないものだ。その点からすでにネメアは珍獣なわけだが……さて。そんな人語を介する蛇が——しかも人の頭を飲み込めるくらいデカいヤツ——頭上から急に現れた時、一般的な人間はどんな反応をするだろうか?
「——————————」
たっぷり沈黙という名の
◆◆◆
「ご、ごめんなさい……」
その後、図書館外のベンチで意識を取り戻したクラインが非常にしおらしい態度で頭を下げた。
「気にすんな。さっきのことは10割コイツが悪いから」
〈うえ〜、背中がヒリヒリするよお……〉
あの後で俺から制裁という名のチョップ(フルスイング)をくらったネメアは、ついでにイルルによって図書館内の自由徘徊禁止を言い渡された。
この制裁は当面の間続くらしい。重要参考人を気絶させたとなれば、これが兵士たちなら懲罰と始末書モノの大失態だ。そういう意味ではまだ温情ある措置と言えるかもしれない。
「ほら、お前が謝るんだよ」
〈はあい。驚かせちゃってごめんなさい、クラインさん〉
「えっと、その……大丈夫だよ?」
鎌首をもたげる謝罪に、クラインは困り顔を浮かべながらフォローを入れる。
「アルトさん、ネメアちゃんって——」
〈僕は男だよ〜〉
お前、オスだったのか。
性別なんか気にしたことなかったけど……そうか、オスなのか。メスだと思ってたわけじゃないけど…………なんか不思議な驚きがあるな。
「ネメアくん?……って、魔法生物なの?」
「いや、コイツは正真正銘ただの喋る蛇だぞ」
「ええ……。初めて見たなあ、喋る蛇」
〈えっへん。珍しいでしょー!〉
「珍しさを自覚してるんだね?」
クラインはオーロラ色の瞳を真ん丸に見開いてドヤ顔のネメアを間近で観察する。未知の存在に対する好奇心に突き動かされる少女は、ネメアの体をあちこち突いたり触ったり。言語を覚えた経緯など、俺にした時と同じように質問の嵐をぶつけていた。
当のネメアは〈うーんと、うーんとね〉と返事に窮して困り顔だ。
しかし魔法生物か。この世界にはいないみたいだけど、クラインの出身にはいるみたいだな。……などと考えているうちに、そろそろネメアが限界そうなので助けてやるとしよう。
「質問攻めはその辺にしてやってくれ。ネメア、先に公園行ってろ。あとから追いつくから」
〈うーん、うーん…………えっ? アルト、お仕事は?〉
「臨時の午後休だ。せっかくだから、クラインの案内やりつつ顔出しに行くよ」
〈やったー!〉
あっという間に元気を取り戻したネメアは、するりとクラインの前から逃げ出して公園へ一目散に向かう。名残惜しそうなクラインには悪いけど、終わる気配がなかったから仕方なしだ。
「アルトさん、公園でなにかしてるの?」
「不定期開催剣術教室」
「なにそれ! 私も受けたい!」
「んじゃ飯の後一緒に行くか」
◆◆◆
露店の並ぶ大通りを目指すアルトとクラインの背中を、イルルは休憩室から窓越しに見送った。
静かな佇まいと少し細められた翡翠の眼差しは、彼女がクラインという人間を強く警戒していることがよく見て取れる。
「どうだい? 何か動きはあったかな?」
そんな彼女の背中に、たまたま休憩が被った司書グレイが問いかける。分厚くなった調査報告書をめくっていた手を止めて、濁色の瞳がイルルを見上げていた。
「なんも。今のとこ害意はねえように見えやがりますね。あと、アルトの野郎に懐いたみてえなんでアレに任せときゃ良いんじゃねえですか?」
「ははっ。『引っ掛けた』って言うのもあながち間違いじゃないのかもね」
「………………」
くつくつと喉を鳴らすグレイ。目を細めて笑う男に、イルルは僅か、目頭に力が入る。
「お前、随分と楽しげじゃねえですか」
「そうかな?」
「そりゃあもう。
「…………なるべく隠しているつもりだったんだけどね」
そう言うグレイは、困ったように眉尻を下げる。
「不謹慎な自覚はあるんだ。でも君の言うとおり、不覚にも僕はワクワクしている。この未知が、先を見通せない混沌が……僕にはとても楽しいんだよ」
抑えきれない好奇心と呼ぶべきだろう。グレイは自分の中にある感情を自覚して、積極的に外界調査メンバーに名乗り出た。
「もちろん大変な事態だ。みんなの懸念も理解できるし、納得もできる。むしろ僕も同じ懸念を抱いているよ。——けどね、僕からすれば、
「…………」
「君ならわかるだろう、イルル。
語るグレイは眉ひとつ動かさない。怒りも失望もなく、ただ事実として受け入れて消化し切った、そういう表情だった。
そしてイルルもまた否定しない。彼女もまた眉を顰める気配はなく、よって沈黙は肯定と同義であった。
「それに比べて今はどうだろう。不可思議な世界の断絶、未知の言語、動植物、技術、歴史。確かに不明瞭で恐ろしい。でも、
「……私は、お前みたいに楽観的じゃねえんですよ」
「そうなのかもしれないね」
グレイは、イルルの言葉を否定しなかった。
「でも、どうだろう。実は、君こそワクワクしていたんじゃないかな?」
「はあ? 何を根拠に……」
「——だって、アルトを連れてきたのは君だろう?」
「————」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、イルルは言葉を飲み込んだ。
「……んなわけねえじゃねえですか」
その否定は、いつもより少しだけ語気が弱かった。