【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
「あ、変態仮面!」
「変態仮面おはよ!」
「今日もよろしく変態仮面!」
「よーしお前ら一列に並べ今から全員しばき倒してやる!」
今日も今日とて、子供たちの間ですっかり定着してしまった悪意に満ちた呼び名に怒りを示す。
威嚇するように木剣を振り上げると、子供たちはきゃーきゃー楽しそうに悲鳴をあげて空き地の中を逃げ回った。
「……………………」
「クライン、その『アルトさんってやっぱり変態なんだ』みたいな目はやめろ」
「なんでわかっ——じゃなくてしてないよ⁉︎」
「お前には容赦なく行くぞ?」
「なんでぇっ⁉︎」
「二度目だからな」
仏の顔も三度って言葉があるくらいだ、次はないぞ。なにせこれを教えてくれた————————教えて、くれた?
(………………なんだ、今の)
強烈な既視感。
俺は、今の言葉を誰かに教えてもらった。確信を持って言える。
(記憶を、失う前の……?)
おかしな話だった。
俺は、いわゆる『常識』に関する知識だけを残して、『経験』にかかわる記憶を失ってしまったのだと思っていた。
けれど、今のは経験だ。言葉が常識の範疇だった?だから、記憶が残っていた?
(そもそも、なんでこんな
なんで、
今まで漠然とそういうもこともあるのだと思ってきた。けど、今になって——おかしいと思う。
(なんで、こんな気づきを——)
「おにーちゃん、大丈夫?」
「——ッ⁉︎」
少女の声に、思考の海に沈んでいた意識が引っ張り上げられた。はたと周りを見渡すと、クラインを含めその場にいたみんなが心配そうに俺を見ていた。
——というか、なんで非番の兵士たちも? 最近増えてるような……。
「ごめん、ちょっとだけぼーっとしてた。最近、割と寝不足でさ」
「イルルさんにこき使われてるの?」
「ああ、あの涼しい顔した鬼畜にとんでもない量の仕事をだな——」
子供の純粋無垢な疑問に乗っかると、周りから『ああ……』という納得するような吐息がこぼれた。
「まあ、イルルさんだもんなあ」「あの人容赦ないよねえ」「飛び抜けてワーカーホリックですよね」「ゴミを見るような目が堪らないんだよ」「なまじ本人が優秀だから……って今誰かおかしくありませんでした?」
イルルお前……。
◆◆◆
みんなのイルルに対する共通認識がわかったところで、いつもの剣術指導に。とは言っても堅苦しいものではなく、基本は自由。型を反復するも良し、組み手も良し、観察も良し。各自がやりたいようにする中で、時々俺が横から首を突っ込むだけだ。
そして今は、軽快な音を響かせながらクラインと軽い組み手に興じている。
「暇な時に子供たちの相手してたんだよ。そしたらいつの間にか非番の兵士の人らとか増えていってさ」
「それで20人以上も? アルトさんの求心力すんごいね」
「珍獣見物みたいなものだろ」
「確かにアルトさんは面白い見た目してるけど」
「クライン、2.5回目な」
「そんな理不尽なー!」
雑談の内容はてんでバラバラ。さっきまでは『サンドイッチの具は何が一番いい?』なんていう議題で討論していた。
「それよりアルトさんさ、なんで剣術なんて覚えてるの?」
「お前どんどん口調砕けてないか? なんでって言われても……体が覚えてたからとしか」
「ふーん。でもそれって変な話じゃないかな?」
「何がだ?」
「だって、剣術って練習の積み重ねでしょ。いくら体が覚えてるって言っても、
「——」
その瞬間、ほんの少しだけ全身が緊張した。
意図せず強くなりすぎた握力が柄を粉砕。強張って過剰になった腕の振りは剣身を強烈に射出させ——
「あっ、ヤベ」
「——へぶっ⁉︎」
一人の兵士の脳天を痛打し、一撃で昏倒させてしまった。
「しまった……つい力込めすぎた」
右手を開くと、細かくなった木片がバラバラと地面に落ちた。幸い、俺の手に傷はついていない。
「…………アルトさん、『あっ』の勢いで木剣握り潰すってどんな握力してるの?」
「なんか、最近強くなってきてるんだよな。イルルにこき使われてるからかなあ……」
「司書の仕事って怖ぁ」
その後は昏倒させてしまった兵士の手当てをしつつ、暗くなる前に子供たちを帰らせてお開きとなった。
◆◆◆
日が沈み始める頃、中央図書館は途端に閑散とし始める。原因はもちろん閉館時間だ。閉館後に残る司書たちの業務時間も鑑みて、閉館時間はきっかり午後5時。
多くの司書が退館を促す中イルルは一人、黙々と“幽書”の整理に励んでいた。
「……私が、アルトに期待してやがった……ねぇ」
普段より作業の手が遅いのは、グレイに問われた言葉を脳が反芻しているからだ。
司書の仕事は好きだ。そもそもイルルは本を読むこと、触れること自体が好きなわけで、それを仕事にしたところでまるで苦にならない。
周りの2倍、3倍の仕事をしたところで趣味の延長線なわけだから、そこには実利しかないわけで。とどのつまりイルルにとって中央図書館の司書は天職であり、グレイのように鬱屈とした感情を抱く余地はないのだ。
「ったく……。余計なことを言いやがって」
——だが、なんの憂いもないと言われると、それは否と言えてしまう。
武力と政治による双方向からの圧政、独裁。
現体制の維持を唯一の国是とし、固執する250年。細かな発明や進歩はあれど、新たな思想は認められず、魔法研究は完全な管理下に置かれたことで自由による拡張性を失った。
出版物は日を追うごとに多様性を失い、競争力を削がれた社会に全盛期の面影はどこにもない。
真綿で首を締め上げられるような息苦しさ。じんわりと染み込む退屈という猛毒を、イルルは否定できなかった。
「とんでもねえ世界じゃねえですか。けど……前と違って
もしかしたら、風穴を空けてくれるんじゃないのか。そんな期待を無意識に持っていたのかもしれない。
そんな柄にもないロマンチックな思想に触れて……イルルは自分の考えを鼻で笑った。
「私もグレイの野郎のこと、言えねえじゃねえですか」
〈イルル、何考えてるのー?〉
「…………ネメア、お前には自由徘徊禁止を言い渡しやがったはずだが」
こっそりと足下に這い寄ってきたアルビノの蛇。イルルは容赦なく胴体を踏みつけ、ネメアの自由を奪った。
〈ぐえー。ちゃんと受付したもん! イルルに会ってくるって!〉
「まったく余計な知恵をつけやがって……。で、あの小娘は?」
〈アルトに懐いてたよー。あとね、悪さするような子には見えなかったよ?〉
器用に拘束から抜け出したネメアは机の脚を伝って上に登り、正面からイルルの顔を覗き込む。
〈イルル、心配?〉
「警戒はいくらしても過剰にはならねえですからね。…………目が、気になりやがる」
〈目? クラインのー?〉
小さく頷いて、イルルは口元を隠す。
「魔力が渦巻く気配がありやがった。見たことのねえ色してやがりましたけどね」
魔眼というものにはある程度法則性がある。色と模様だ。
眼球自体が魔法式を内蔵するその性質上、魔眼は起動の際、虹彩が魔力と同色のものに変化する。そして、個々に特異な能力を有する魔眼は、それらを象徴するように特殊な模様を眼球内に発現する。
例を挙げるなら、イノリという少女の左眼。時を操る規格外の魔眼には、虹彩を囲むように時計の模様が刻まれている。
その点で言うのなら、クラインの魔眼は奇妙だった。
「模様がねえ。んで、常にいろんな色が混ぜこぜ。あんな特徴見たことがねえですよ」
十中八九、他の外界由来。少なくとも『小都市ポーラ』およびリンツ共和国の歴史には存在しない未知の魔眼だ。
「……ま、アルトのやつが手綱握ってんならそれでいいんじゃねえですか」
クラインの胸中は不明だが、少なくともアルトとの関わり方は友好的と言えるだろう。
二人が実は裏で繋がっていて、ポーラに侵攻を仕掛ける前段階——なんて想像もできてしまうが、その点についてイルルは『妄想』だと切り捨てている。
初対面でわかる。
「んでネメア、お前はなんでここに? 報告なら帰ってからすれば良かったじゃねえですか」
〈うんとね、イルルに言いたいことがあったの〉
「私に? 家じゃダメなことを?」
ネメアは鎌首をブンブン縦に振って肯定する。その真剣な様子に、イルルは少しだけ姿勢を正した。
〈えっとね、僕、立派な翼が欲しいの!〉
「……は?」
〈あとね、ムキムキの腕も!〉
「…………………え、キモッ」
椅子から崩れ落ちる勢いで、正したはずの姿勢は即座に砕けた。鉄扉面すら引き攣らせ、イルルは正気を疑う眼差しをネメアに向ける。
「何考えてやがるんですか、そんなもん必要ねえでしょう」
〈そんなことないもん、必要だよ! あとキモくないよ!〉
「いやぜったいキモいじゃねえですか」
翼は、まあ種類によってはともかく。人間の腕を蛇の胴体から生やすなどおよそ正気の沙汰ではない。はっきり言って気持ち悪過ぎる、ミスマッチの極みだ。
想像しただけで吐きそうになるネメアのとち狂った発現に、イルルは頭痛を堪えるように額を押さえる。
わざわざ急いで来てまで話すことがこれか?という困惑も大いにあった。
「なんでんなこと急に……」
〈だって、翼があれば今よりずっと自由に動けるようになるでしょ? それに腕があればイルルたちのお手伝いもできるようになるんだよ!〉
「んな『どう? 欲しくならない⁉︎』みたいな目で見やがるな」
〈えー、要らないのー?〉
そんなあ、としょげるアルビノの蛇に、イルルは嘆息。何を思ったかは知らないが妙な願望を抱いた爬虫類の頭を優しく撫でた。
「いらねえですよ、お前は今のままで十分じゃねえですか」
〈そんなことないよー。十分じゃないよー〉
やけに食い下がるネメアに、イルルは困ったように眉尻を下げる。
「なんで急にんなこと言い出しやがったんです?」
〈急にじゃないよ! 前から考えてたよー!〉
「前からんなトンチキな妄想を……?」
〈だってー、みんな浮かない顔してるんだもん!〉
グイッと身を乗り出すようにして、ネメアはイルルの周りでぐるりととぐろを巻いた。
赤い両目は、心配そうにイルルを見ている。
〈みんな、異変が起きてからピリピリしてるでしょ?〉
「…………最近はんなことねえでしょう。少しずつ慣れてきてやがりますし」
〈そんなことないもん。僕、ずっと鱗がピリピリするの。みんな緊張してて、いつも不安そうなの。変じゃないの、アルトくらいだもん〉
「そりゃあアイツは呑気だから——」
いつものようにアルトに対する悪口スレスレの評価を吐こうとしたイルルは、喉元まで出かかっていたそれを止めた。
「…………だから、アイツに構ってやがったんですか」
腑に落ちた。
ネメアは今、言外にイルル自身もピリピリした殺気に近い不安を発していると言ったのだ。
皆、誰もが取り繕って、平気なふりをしているだけだと言っているのだ。それは決して間違いではなくて、だから彼は考えたのだ。
〈僕ね、どうしたらみんなが笑顔で楽しく暮らせるか、ずーっと考えてたんだよ〉
「…………それが、翼と腕?」
〈うん!〉
考え抜いた果ての結論は、側から見ればあまりにも荒唐無稽。ネメアと五年来の付き合いがあるイルルすらまるで理解できない代物だった。
「翼はまだわからなくもねえですけど……やっぱり腕は要らねえでしょう。なんで欲しがりやがるんです?」
〈だってみんな、外から怖い人が来るかもしれないって不安なんでしょ? だから、僕が強くなればいいんだよ!〉
「は?」
〈悪いやつが来ても僕がパンチで追い返せたら、みんな怖がらずに笑っていられるでしょー!〉
「……………………!」
だが、理解できずとも。
論理と思考の飛躍があろうと、根底にある一匹の蛇の優しさだけは、受け取ることができた。
「…………その、腕は」
〈んー?〉
「その腕は、どれくらいおっかねえブツになりやがるんです?」
顎を撫でる優しい手つきに、イルルは上機嫌に舌を揺らす。慈しむような動作に緊張はなく、イルルの鱗は、不安という棘の気配から久しぶりに解放される。
〈えっとねー、すんごいムキムキで、見た人が逃げ出すくらいの力こぶ!〉
「……そ。なら、悪いヤツも裸足で逃げ出しやがりますね。名案じゃねえですか」
〈えへへー、でしょー?〉
「それじゃ、期待して待ってやがりますよ、ネメア」
イルルからの最大限の優しさに、ネメアは口を大きく開ける。それは、知っている者が見れば特大の笑顔。
〈うん、任せてよー!〉
その日、一匹の蛇は幸せな未来を夢想しながら眠りについた。
◆◆◆
「『小都市ポーラ』……アインツリベル中央図書館、か」
その者は、玉座に肘をつきながら部下のまとめた報告書を眺めていた。
「……まさか、これまでの変遷とこれからの変化を“記録”しようとは。ああ、
直後、紙束をくしゃりと握りつぶし、炎属性の魔法をもって手の中で炭へ還した。
「よりによって、分かたれたはずの未来か。ままならないものだ」
その者は、顎で軽く。玉座の下で首を垂れる者たちへ指示を飛ばす。言葉はなく、ただ動きひとつで意図を察した部下たちが動き出した。
玉座に残るその者は、一人、くつくつと喉を震わせて笑う。
「世界は生まれ変わったのだ。過去は、全て捨て去らねばなあ? ——第一軍を動かせ。書の一片すら、この世に残すな。…………俺も出よう」
命を受けた補佐が退室するより早く、その者は玉座を立ち上がり、赤く湿った絨毯を踏み締める。
——183人に上る粛清の名残りを足蹴に、その者…………〈皇帝〉が動き出す。
「世界は無限を手に入れる。有限の過去など、捨て去るのが道理だろう?」
この日、後に〈始原世界〉ゾーラと名を改める“世界”から一万五千人規模の軍隊を出兵する。
目標は南方——『小都市ポーラ』。
未来で『魔本世界』アインツリベルと名付けられた“世界”に向けて、移動を始めた。