【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ) 作:銀髪卿
クラインという要警戒対象が現れたためか、翌日も俺の仕事は休暇という名の監視だった。
「もう少し足を開いて……そう。背筋を伸ばして、肩を開くといいぞ。あと、膝は軽く曲げて——曲げすぎ曲げすぎ」
とはいえクラインに動きがなく、俺の背中を追従するだけなので今日も今日とて公園で子供相手に剣術指導だ。
数日前からここに顔を出すようになった少年の姿勢を矯正すると、非常に苦しそうな表情を浮かべながらも踏ん張っている。
「そう、その姿勢。しんどいだろ?」
「足が、足がぷるぷるする!」
「そ。でもそれが一番すぐに動ける姿勢なんだよ」
「こんなにつらいのに⁉︎」
筋力が特にないのか目尻に涙すら浮かべる少年に、俺は自信を持って頷いた。
「前に進む、後ろに引く、ジャンプする、しゃがむ、踏ん張る……他にも色々。全部の動作にすぐに入れるのがそれだからな。たとえばほら、膝が伸びてると踏み込みの動きが硬くなるだろ?」
「そうかなあ⁉︎ 全然わかんないよ⁉︎」
「ははっ! まあそのうちわかってくるよ。ほら頑張れ、腰が曲がりかけてるぞ」
鼻息荒く耐える少年から距離を取ると、周りの子達から彼に向けて『頑張れー』や『それキツイよねー』といった応援や同情の声が寄せられる。いや、お前たちも頑張るんだよ。
〈アルト、見て見て〜!〉
そんな少年少女に混じって、白蛇のネメアはなにやら曲芸を披露する。
〈尻尾の剣に意識を向けさせて〜、口の中の剣でトドメ!〉
——ズボッ!と口の中から体液まみれの木剣が飛び出た。
〈どうどう? 強そうでしょー?〉
「確かにびっくりしたけど、それお前の口の中がボロボロになっちゃうだろ」
〈盲点だったよー!〉
蛇って盲点あんの? 趣旨からズレるからスルーするけどだいぶ気になるな。
当のネメアは〈良い案だと思ったのになー〉と残念そうに胃の中へと木剣を収納した。……腹壊すぞお前。
「アルトさん、人気だね」
ネメアの奇行を心配していると、後ろからシンシアがひょっこり顔を出した。
「人気というか、悪目立ちというか……。組み手はもう良いのか?」
「すっごく勉強になった! やっぱり癖を知らない人とやると気づきがあっていいね!」
振り返ってみると、彼女の背後では兵士の何人かが息も絶え絶えの様子で地面に寝転がっている。
太刀筋からなんとなく予感していたけど、大人を数人相手にしても息ひとつ乱さないくらいには強いらしい。
「ぜえ、はあ……。なんだあの子、めちゃくちゃ強え」
「イルルさんとこのお客様らしいぞ……」
「アルトとは違って、王道に強かった——」
耳を澄ますとそんなぼやきが聞こえてきた。というか、俺の戦い方って邪道なのか?
「アルトさん、どんな立ち回りしたの?」
「ひたすら防御。攻めるの苦手だから、相手の息が上がるまで受け流し続けるんだよ」
「悪魔……!」
クラインに青い顔をされた。
「ちなみにこれを子供相手にやるとヤバい。アイツら体力無尽蔵だから日が暮れても続くぞ」
「ひえっ……。無限組み手より恐ろしい鍛錬があるなんて……」
「なんか大概ヤバそうな単語が」
大人を伸せるだけの実力には相応の代償があったらしい。家出の一端を担ってそうだな。
「ところでアルトさん、今更だけど司書の仕事はいいの?」
太陽が天辺を過ぎた頃、昼食のために解散した子供たちを見習ってパンを齧っているとクラインに尋ねられた。
「休み前借りでお前の監視。だからこれが仕事みたいなもんだよ」
「それ私に言っちゃダメじゃない? あとお休み前借りしてるのに仕事って矛盾してない?」
「別に隠すようなことじゃないしいいよ。あと矛盾については後日イルルを問い詰める」
俺の話術じゃ劣勢極まりないけど、やれるだけやるつもりだ。……逆に仕事を増やされないように気をつけなくては。
さておき、俺は困り顔のクラインと目を合わせて、目を強調するように二本の指を自分の下まぶたに当てた。
「色々見えてるだろ、その目。隠すよりバラしたほうが信用を得られるって思った」
驚いた様子で、オーロラ色の瞳が見開かれる。
「クラインの世界でなんて呼ばれてるかは知らないけど……俺の知識では、
胸に指を立てると、少女の呼吸が少しだけ浅くなった。
拳一個分、距離を空けて座り直す。オーロラ色の瞳に不安と警戒が滲む。……逆効果だったか。
「…………ごめんなさい。私、時々だけどアルトさんが怖いよ。だって、あまりにも
「ちぐはぐってのは、その目に見えるモノと?」
小さく控えめな首肯が返ってくる。
桜色の唇が迷いを見せるように無声を発し、やがて意を決したように横一文字に引き結ばれた。
「アルトさん、魔眼がわかるんだよね?」
「一応な。その目が数百年単位で珍しい代物だってことも」
「やっぱり、ちぐはぐだね」
彼女の目に、俺はどんなふうに映っているのか。
「魂には形状・色彩・明度の三つ、指針があるの。私の経験則なんだけど、形状はその人の安定感。綺麗な形をしているほど平常に近い。色彩は個人の資質とか、性格とか……『個人差』って呼ばれる差異の現れ。明度は、コレはちょっと曖昧なんだけど、明るいほど、確固たる自我がある、みたいな……威圧感がある、みたいな……総じて存在感がある、みたいな? ごめんなさい、ここはちょっと言い表しづらいの」
魔眼所有者特有の特異な認識。他者に理解しづらい、明文化されたことのない概念的なイメージをクラインは戸惑いながらも俺に伝えてくれる。
「言いたいことはなんとなくわかった。で、俺はどんな感じなんだ?」
「…………怒らない?」
「怒んない怒んない。ズバッと言ってくれ」
「わかった。えっとね……『糸みたいに細く』て『無色透明』で『まったくと言って良いほど光ってない』の」
「……………………」
俺、死んでない?……いやいや、流石に聞き間違い——
「マジ?」
「うん、マジ」
………………やっぱり死んでない?
「それほぼ死人では?」
「だからちぐはぐなの」
少女はバツが悪そうに眉尻をへにょりと曲げる。
「アルトさん、情緒の乱れは見えないし個性もあるし、存在感もはっきりしてる。こうして話しているだけじゃ他の人とは何も変わらないのに……」
「魂を覗くと死人同然、か。そりゃあ怖いって思うわな」
蛇が喋るとかの比ではない。
死体が自我を持って喋ってるのだ、そりゃあ恐ろしいだろう。
「……違うの」
しかし、クラインは俺の納得に首を横に振った。
「私が怖いのは、
「……どういうことだ?」
「魂は、外部からの攻撃に強い拒否感を示すの」
クラインは木剣の鋒を使って地面に円を描く。
「やりたくないことをアレをやれ、コレをやれって強制されるのって嫌でしょ? 魂もおんなじ。外部からの刺激にすごく敏感になる」
「ああ、定時で上がりたいのにイルルに残業強制されるのが嫌ってのと同じか……」
「アルトさん、時々イルルさんに恨み節吐くよね」
感謝と不満が半々だからな。
「すまん。話、続けてくれ」
「うん。それで言うとね、『記憶喪失』ってものすごい負荷なの。外的要因で記憶を奪われたとしたら、魂の拒否感は怪我とかの比じゃない。歪みが生まれて当然なの。なのに、アルトさんにはそれがない」
「つまり……どういうことだ?」
「アルトさんの記憶喪失は外的要因じゃないかもしれないってこと。
——手放した、何を?
——記憶を、自分の意思で?
——なんの意図があって、どうやって?
「
「アルトさん……」
「クライン、違う。俺は、俺の名前は——」
「——ここに居た。おーい、アルトくーん!」
思考は、名前を呼ばれたことで遮られた。
「……っ、兵士長?」
何度か顔を合わせたことがある程度の知り合い。いや、一度手合わせしたっけ? いや、今はどうでも良くて……
「何かあったのか?」
「いやあ、ちょっと検問の方で、ね?」
「イルルを呼びに行ってくれば——」
「違う違う。必要なのは君だよアルトくん」
俺……?
検問で俺が必要になる状況なんてないはず、だけど。
「もしかして、俺の知り合いが?」
「いや、そうじゃない。期待させたなら謝るよ。ただちょいと面倒な手合いでね。『強者としか話す気はない』ってダンマリなんだよ」
「はあ……それで?」
「ぶっちゃけ、君の力を借りたい。私が知る中で一番剣の腕がいいからね。
◆◆◆
小都市ポーラ外縁部。
この都市は、元は平野を流れる運河の、支流の先に建造された要塞都市なのだとグレイから教わった。
戦時は運河を利用した物資の効率的運搬を強みに、最前線で籠城戦を敢行するという荒業をやっていたとか。支流は残念ながら数十年前の地殻変動で干上がってしまったので、今は深い堀が残るだけなのだが…………。
と、なぜこの話をしたかというと、俺が今から行く場所を知る上で必要な知識だったからだ。
異変後、ポーラはこの堀のさらに外側にもう一周、新たに検問用の防壁を築いた。
ポーラの調査団が頻繁に外界に赴くように、日を追うごとに外界からの来客は増える一方。なので、
なるべく市民の不安を煽らないよう、人目につかないようにするための処置であり、同時に防音、その他様々な防衛の観点から都合が良かったそうだ。
「クライン、お前ここスルーしたろ」
「んぇっ」
潰れたカエルみたいな声を出してクラインの足が止まる。振り返ると、挙動不審で眼球が右往左往していた。
「今更突き出したりしないから大丈夫だって。ただ抜け穴は塞がないとだからさ」
クラインの不正侵入が露呈したあと、イルルが兵士たちにマジギレかましたらしい。どうやら国から隔離されて以降、統治者は暫定措置で図書館の所長になったとのこと。——が、この所長が臆病なヘタレ老骨(イルル評)らしく表に出たがらないとのことで、いくつかのコミュニティが共同で代表者を選出。暫定統治機構を作ったそうだ。
鬼上司に権力集めたらダメだろ……。
「やっぱり目か?」
「うん。意識の間を色々すり抜けて……ひょいっと?」
「ミスというよりお前個人のスキルだな……」
困ったな、ちょっと兵士たちを擁護しづらい穴だ。魔眼という特殊体質があったにせよ、少女一人に出し抜かれました——は心象が悪すぎる。
「ところでアルトさん、部外者の私連れてきていいの? 大事なお仕事なんでしょ?」
「多分ダメなんだけど、それ言ったら俺も本質的には部外者だし、あと便利なモノは使うべきだろ」
「ええー、私モノ扱いなの?」
「いいのかそんなこと言って」
俺は対応に不満を漏らすクラインの耳元にそっと顔を寄せた。
「…………検問すり抜け」
「精一杯働きますっ!」
「ヨシ。っても窓越しに見てもらうだけなんだけどな。物を通しても大丈夫か?」
「窓一枚くらいなら平気だよ。流石にレンガの壁とかはしんどいけど」
いわく、大雑把な気配を掴むだけなら遠方かつ視界不良でも可能。が、個々の魂の形を捉えるには近距離での直接的な観測が必要らしい。魔眼と言えど万能ではないというのも、およそ記憶の中の知識通りだ。
「『強者としか話す気はない』だっけ。変な人だね」
「妙なポリシーだとは思うけど……ちょっと不安なんだよな」
「何が?」
「お前も組み手したからわかるだろ、兵士の人たち弱くないんだよ。むしろよく訓練されてる。なのに、そいつは兵士たちじゃ不満ときた」
「あー。うわあ…………」
仮に悪ふざけではなく強さを判別できる手合いだったとしたら……あまり考えたくないな。
兵士たちへの信頼があるからこその不安に駆られる。気がつくと、地下通路を進む間にクラインの口数も段々と減ってきた。流石に緊張しているのだろう。
「ここです。十分に気をつけてください」
「案内ありがと」
案内された部屋。不安に濡れる手汗を拭って、俺は意を決してドアノブを捻った。
「ひっ——」
その悲鳴は、隣のクラインの喉から発せられた。
扉を開けた瞬間、部屋の中のある一点を凝視して少女の肩が大きく跳ねる。そして、尋常じゃない様子で全身に震えが走った。
「なに、アレ…………うそ、だって……!」
「クライン? おいどうした、クライン!」
「ありえない、ありえないありえないありえない! だって、そんな…………」
肩を掴もうがゆすろうが、俺の声が届く気配はなく、少女は両手で口元を押さえて後ずさる。
「あんなの一体……どれだけの、いのち、を————っ」
「ちょっ……!」
そして、限界を迎え糸が切れたように意識を失いその場に崩れ落ちた。
「クライン、どうしたんだよ、おい⁉︎」
間一髪、頭を打つ前に抱き支えて呼びかけるも意識が戻る様子はなく。
「ふむ。これでも気配は可能な限り押さえていたが……俺様の威光に当てられたか?」
部屋の中では、極彩色の鱗を全身に纏う竜人が礼儀正しくに椅子に腰掛けたまま、小首を傾げて俺たちの様子をうかがっていた。