【完結】機動戦士ガンダムSEED Infancy 作:丹寺 錯視屋
「キラ、おかえり! あいつを倒すなんてよくやったね!」
帰還したキラを、朗らかな笑みのミーシャが出迎えた。両手を広げて歓迎の意を全身で表現している。彼女は本心からそう思っているのだろう。生きていてくれて嬉しいと思ってくれているのだろう。知っている人が死んだというのに、話もした人を恋人が殺したというのに、ミーシャは心底嬉しそうにしている。その様子にキラの心がささくれ立つ。
「……」
淀んだ目をしたキラは、そんなミーシャの隣を抜けて、無言で格納庫を後にしようとする。ミーシャは急に不安げな表情になって、キラに追いすがる。
「ど、どうしたの? 疲れちゃった? ごめんね、キラ。気付いてあげられなくて。キラはゆっくり休んでね。もし敵が来ても私が皆殺しに」
「やめてよ」
キラが足を止めて、ミーシャに言った。理性では、こんなところでこんなこと言ってはいけないということくらいわかる。だがもう抑えられないのだ。キラの善性が、倫理が、そしてなりより感情が、彼女の言動を受け入れられない。――もう、辛いのだ。
「え」
「殺すとか、戦うのが楽しいとか……もうやめてくれ」
「き、急にどうしたの?」
「僕は! ……僕は嫌なんだ! 戦うのが、人殺しが! ――僕は君とは違う! 楽しくなんてない! 辛いだけなんだ!」
振り返って叫んだキラに、ミーシャは慌てて、言い訳するように言った。
「ち、違うの。アレは……、その、キラを、みんなを安心させたくて。だって、毎回嫌がってぐずって、泣きながらコクピットに押し込められて戦うような女の子、鬱陶しいでしょ? だから」
「最初はそうだったかもしれない。でも今の君は違う! 僕は……もう君についていけないんだ。もう、そっとしておいてくれ……」
キラはミーシャの返答を聞かず、スタスタと足早に去ってしまった。
後に残されるのは、ただ呆然と取り残される、ミーシャだけだった。
――アークエンジェルのブリッジで、ラミアスは頭を抱えた。格納庫でのド派手な一幕は艦にいる全員に共有されることとなり……その戦力的な影響に、ラミアスはめまいがしそうになった。戦闘を終えたキラがいきなりこっぴどくミーシャを振った、というのがだいたいの噂話だが――真実はもっと根深かった。
「ホントなの、フラガ大尉」
「こんな嘘付くかよ。次の襲撃が俺達の命日かもな」
ムウは諦めたように肩を竦めた。その隣ではドサクサに紛れてアークエンジェルに乗り込んだカガリとキサカがいる。この中で二人の真実を知っているのはラミアスとナタルだけだ。他のクルーはカガリの押しにラミアスが負けた……そう思われている。
「――嘘だろ? あの二人どう見てもラブラブだったぞ」
カガリが呆然と言った。だが、ムウの方は否定的だ。
「そりゃ……嬢ちゃんはぞっこんだろうさ。だけど坊主の方はどうかな」
「年の差のこと気にしてるのか?」
「そんな程度の低いことで坊主が嬢ちゃんを振るかよ」
ムウは難しい顔をする。ムウは先程、キラから事情を聞いた。なぜ、あんな事を言ったのか。それを知ったムウははっきりと、二人の関係について反対する意向を示したのだ。
「じゃあ、なんでだよ」
「――二人は、同じ傷を舐め合う仲間だったわけだ。境遇はほとんど同じ。巻き込まれてしたくもない戦争をさせられて――人を殺して傷付いている」
「……それがどうしたんだ?」
「もう、嬢ちゃんにとって人を殺すことは傷じゃないんだとよ」
わかりきっていたことだが、二人の関係にあるのは愛ではなかった。結びつけていたのは、後ろ向きな仲間意識だった。
最初は、ミーシャの言葉は嘘で、演技で、真実は違った。だがやがて嘘は真実になってしまった。自分に付き続けた嘘は、ミーシャの中で真実となってしまったのだ。
「――だから、もう無理なんだとよ」
「そんなこと許されるのか!」
「当人たちの問題だろ……」
ムウはそう言うに留めるしかなかった。元々、間違っていたのだろう。だが、そう言い切るにはミーシャはキラを愛してしまっていた。
「……で、どうすんの、ラミアス少佐。パイロット二人のメンタルはどん底ぶっちぎりなわけだが」
「……二人はしばらくそっとしておいてちょうだい」
ラミアスは唸るようにして言った。軍人とは極力感情を排して任務に臨むべし……なんて、1日たりともまともな訓練を受けたことのない二人に言ってもしょうがないし、訓練を受けた軍人だって、感情に任せて引き金を引くこともある。ラミアスだって、キラとミーシャがこのままうまくいって果ては結婚――なんて思っていたわけではない。だが、だからといって、こんなタイミングで破滅的な破局を迎えることもないだろう。
「……二人はどうしてるのかしら」
「坊主は……コクピットに籠もって出てこねぇな。ミーシャが戦えなくても僕が守るんだ、とさ」
「……ミーシャは、今私の部屋にいるぞ。声も上げずに泣いてて正直怖いんだが……」
「我慢してちょうだい」
ラミアスは目頭を押さえて、顔を上げる。
「現状、敵勢力は確認できてないわ。交代で甲板に上がることを許可します。ヤマト少尉とバレンタイン少尉には必ず人員を誰かつけること。痴情の縺れでパイロット二人が刃傷沙汰なんてことは絶対に避けること」
「了解」
全員がピシリと敬礼した。
――
ミーシャはカガリに割り当てられた部屋のベッドに座り込んで、ただ涙を流していた。
フラレた。――何が悪いのかはわかってる。自分の無神経な発言がキラの神経を逆撫でしてしまったのだ。もう自分には何もない。誰もいない。絶望していると、カガリが部屋に戻って来る。ミーシャの隣に腰掛けると、ミーシャの方をチラリと見る。
「――キラと会ってきた」
「……そう」
「お前を傷つけたって、後悔してた」
「……ヨリ戻そうとは、言ってないんでしょ?」
ミーシャの直感は正しかった。カガリは苦い顔をして黙りこくる。
「知ってるもん。キラは戦うのも殺すのも大っ嫌い。だから私がキラよりたくさん、キラよりいっぱい殺して、できるだけ殺さなくて済むようにしたの。キラが負担に思わないように、人殺しが好きだ、なんて言ってさ」
ミーシャは膝を抱きかかえて消え入る様な声で言った。最初は嘘だった。最初はキラと同じように辛くて、苦しかった。――でも。
「……そしたら、ホントに人を殺してもなんにも感じなくなっちゃった」
「……お前……」
「さっきザフトの大群やってきたでしょ? バカスカ落ちてくヘリコプターがさ、ゲームみたいで楽しいなって思っちゃったんだ。――中に人が乗ってるのにね」
バクゥを倒しても、アジャイルを倒しても、戦艦の武装を破壊しても……そこに人がいるとわかっていても心は傷まない。苦しくならない。辛くならない。
「最後に吐いたのいつだっけ、って思ったの」
「――私もだ」
カガリはミーシャの肩を抱きかかえて言った。ミーシャは半ば忘れているが、カガリとてレジスタンスとして戦闘に参加し、ロケットランチャーでヘリを落とし、地雷でバクゥを倒した。
「私も、ザフトのヘリを撃ち落とした時は興奮した。やった、私だって戦える! って。それが悪いことだってことは知ってる。だけどな、戦うとそういう、悪いと思う気持ちが薄れるんだ」
「――一緒だね」
「ああ。戦う人間は多かれ少なかれ、同じ気持ちのはずだ。……キラは、特別優しいんだよ」
「わかってるよ。だから好きになったの」
ミーシャはまた膝を抱えて頭を埋めてしまった。
「キラ、私の中に入るときいっつも辛そうな顔をするの。気持ちよくなったあと、また辛そうな顔するの」
「ちょ、ちょっとまってくれ」
「どうしたの?」
カガリは思わずミーシャのとんでもない独白を止めた。
「――そういう相談、私にはまだちょっと早い気がする」
「何いってんのさ。大人のお姉さんなんだし、一人くらい彼氏いたことあるでしょ?」
「そんなわけないだろ!?」
「ええー?」
ええ、と驚かれても困る。カガリの事情を考えれば彼氏などできるわけもなく、ミーシャみたいな流れで初めてを迎えたなどとなればどんな目に遭うか。
「……とにかく。お前はどうしたいんだ」
「――私、身を引こうと思う」
ミーシャの言葉に、カガリは驚いた。この部屋に飛び込んで来たときなどフレイにキラを取られる、キラを殺して私も死ぬなどと、正直お外で言ってはいけない乙女の心情を爆発させていた。そんな彼女が大人しく身を引くなどと、まさかそんなことを言うとは思わなかったのだ。
「……だって、私わかってたの。最初から間違ってるって。今でも好きだよ。好きだけど……」
「――無理するな。自分の気持に嘘を付くとどうなるか、お前はもうわかったんだろ?」
カガリの言葉に、ミーシャは頷く。
「今、男の人として好きなのか……わかんない」
「……そっか」
ミーシャはちょっと冗談めかして言う。
「――だって、なんでもしてあげたのにちょっと気持ちがズレたからって格納庫でフる?」
「お、おう」
「――って、将来キラとか……それからカガリとか、みんなと笑えたらいいな」
ミーシャは少し元気が出たようだった。んーっと伸びをしてベッドに寝転ぶ。
「お前なぁ。ここ私の部屋だぞ」
「いいじゃん。……あー、ねぇ、カガリ。カガリってとってもかわいいね」
カガリは今唐突に、目の前の少女はキラとだけでなくフレイとも関係を持っていることを思い出した。
「まて、まてまて。いいか、ミーシャ。女の子同士というのはいける人といけない人がいるんだ。私はいけない人なんだ」
「……ちぇっ。でも、ありがとうカガリ。元気出た。キラにもこうして励ましてくれたの?」
ミーシャが聞くと、カガリは照れ臭そうにして頷いた。
「まぁな。あいつも落ち込んでたから」
「……そうだね」
と、その時。アークエンジェルの警報が鳴る。
「第2戦闘配備だ。行かなきゃ」
ミーシャはバッと立ち上がるとカガリの部屋から出る。
「私も行くぞ!」
「馬鹿言わないで。カガリはここで大人しくしてて」
「何を!」
「カガリの出番はないよ。魔弾の私が、敵をみんな撃ち落とすから」
ミーシャの顔は平静そのものだった。狂気に侵されたわけでも楽しそうにしているわけでもない。怯えているわけでも怖がっているわけでもない。
――今から戦争に参加するというのに、いつも通りの顔をしていた。
「じゃあね」
ミーシャは通路の奥へと消えていった。
――ミーシャは格納庫でストライクに乗り込もうとしているキラに出会った。
「あ……」
「……」
逃げるようにそそくさとコクピットに入ろうとしたところ、その背にミーシャが声を掛ける。
「逃げないでよ! ちゃんと話をしよう」
キラは足を止めてミーシャを見た。その表情は暗く沈んで、とても見れたものではない。
「ミーシャ……僕はもうこれ以上、君を傷付けたくない。君と一緒にいたら、もっと酷いことを言ってしまう」
「でも!」
「君だってわかってるだろう? ――僕達はそもそも、間違っていたんだ」
「――!」
はっきりと、きっぱりと決別を告げられて、ミーシャは目を見開く。
「……ごめん。僕は出撃するよ。ミーシャはここにいて。僕一人でやるよ」
ミーシャは溢れる涙を服の裾で拭うと、キラと同じようにバスターのコクピットに向かう。
「私もやるよ。キラみたいに人殺しても悲しくなったりしないから……適材適所だよ」
ミーシャはそれだけ言うと、コクピットシートに座ってハッチを閉じる。顔を手で覆ってぐすぐすと泣く。悲しかった。キラに面と向かって間違ってるって言われてしまった。ミーシャだってわかってる。あんな始まり方をした関係が長続きするわけもないし、こんな状況で始まった気持ちが真実なわけもない。
だが、それでも胸が痛むのだ。それでもキラを求めてしまうのだ。
好きと言われたこともないけれど、愛してると言われたこともないけれど、肌は重ねたはずなのだ。
「身体から始まる愛なんて……嘘っぱち」
ミーシャは通信コンソールを開く。ミリアリアが気まずそうな顔をしている。
「――敵は?」
「まだ見えないの。水中にいるからよくわからないの」
「潜水艦?」
「ううん、多分モビルスーツ」
「……海の中にもモビルスーツいるの?」
ミーシャはキラに通信を開こうとする。一瞬、指が止まる。意を決して通信を開くと、そこには暗い顔をしたキラが見えた。
「……ミーシャ」
「……キラ」
二人は気まずそうに顔を背ける。やがて、小さな声でミーシャが聞いた。
「バスターとストライクって、海の中に入って大丈夫……なの?」
ミーシャが聞くと、キラは頷く。
「うん……。気密はしっかりしてる。でもあんまり深くに潜ると機体が保たないよ」
「……ん、ありがと」
「……どういたしまして」
事務的な会話だが、今までで一番ぎこちなかった。
「バレンタイン少尉。色恋は結構だが戦闘に集中しろ」
「……はーい……。敵の場所がわからないのにどうやって戦うの?」
ミーシャは不承不承、意識を切り替える。現在わかっているのは敵が存在することと、敵の場所がわからないことの二つだけだ。さしものミーシャといえ、そんな状況では戦いようがない。
「現在ソナーで索敵中だ。ストライクにはバズーカを持って海中に出てもらう」
「私は?」
「現在肩部ミサイルと散弾砲の弾薬を水中用に換装中だ。それが完了するまで待機だ」
ミーシャは顔を顰める。冗談じゃない。
「それまで指くわえて待ってろってこと?」
「そうだ。思うところはあるだろうがここは堪えろ」
「……ううー!」
ミーシャは頭を抱えるようにして唸る。それから深く深呼吸すると、頷いた。
「……わかった。我慢する。……これでも軍人だもん」
「よく言った」
ミーシャはコクピットシートに頭を預ける。
やるせない気持ちと、早く出撃しないと、と焦る気持ちが募る。だが、それを堪えて我慢するのは想像以上に辛かった。
「辛い」
ミーシャの呟きは、ブリッジにいる人間にしか聞こえなかった。
――
一方、海中のストライクは苦戦していた。
「キラ。今バスターは水中弾薬に換装中なの。終わるまでミーシャちゃんは出れないわ!」
それを聞いたキラが最初に思ったのは、ようやくミーシャを休ませてあげられる、ということだった。
「できるだけゆっくり……いや、丁寧にってマードック軍曹に! 終わるまでに僕がやっつける!」
キラは高速で移動する敵モビルスーツ……グーンに向けてバズーカを撃つ。弾速が遅すぎてまるで当たる気がしなかった。彼女ならこんな状況でも当てるんだろうか。そんなことを思いながら敵の攻撃を回避する。回避しきれず数発当たってしまう。魚雷だったから無傷だが、もしこれがビームなら……。恐怖が湧き上がる。
それでも、倒さなければ。敵が近づいてきたところを倒す。
キラの思考は徐々に、戦闘以外のことを排除していく。ただひたすらにどう人を殺すかを考える自分が何より嫌いだった。生きようと足掻く彼らの道を塞ぎ、逃げようと、死にたくないと必死になる彼らの意思をどう踏みにじるかを無駄に出来のいい頭が考える。言いようのない吐き気がこみ上げる。
それでも、キラは戦い続ける。幼いあの子が、銃を取らずに済むように。
――
それからしばらくして、イライラが最高潮に達しようとするその時、ブリッジのミリアリアが嬉しそうな顔をした。
「あ、ミーシャちゃん! 敵が引いていったって! よかったね! キラも無事よ!」
「……そっか。よかった」
平坦な声でミーシャは言った。結局、最後まで格納庫でお留守番だ。キラにだけ戦わせて自分はなんなのだろうか。せっかく人が殺しが嫌じゃなくなったのに、それでキラに戦闘を任せて自分はサボるなんて、一体自分の存在価値ってなんだろうか。ひたすらにネガティブになっていく思考。歯止めが効かず、どんどん考えが鬱々しくなっていく。
……コクピットシートで膝を抱えて沈み込んでいると、コクピットハッチが開いた。キラが様子を見に来たようだ。
「……ずっと、出てこなかったから」
「……別に。なにやってるんだろうって、いじけてただけ」
ミーシャがボソリと言うと、キラも悲しげに眉を寄せる。――そういえばキラの笑顔、見たことないな。ミーシャは漠然と今までのキラとの思い出を想起して……キラはいつも、暗い顔をしていた。辛そうな顔をしていた。苦しそうな顔をしていた。
「ねぇキラ」
「……なに?」
「私、キラを笑顔にしてあげられなかったね」
「……僕が悪いんだ」
「……多分……いつか、こうなってたんだと思う」
ミーシャはコクピットにいたまま、キラに言う。
「ごめんね、キラ。……フレイとお幸せに」
ミーシャは立ち上がると、キラを軽く押しのけ、脇を通って格納庫に降りる。振り返ると、キラは呆然とミーシャの方を見ていた。
「ミーシャ」
「……好きだよ、キラ」
ミーシャは格納庫から足早に去ると、自分の部屋に戻る。何にもない部屋だった。ただ自分の机にルミナとの写真がいくつか飾ってあるだけの、味気ない部屋。ミーシャはベッドに倒れ込むようにして寝転ぶと、身体を丸めて涙を流す。
「ひっく、ぐす……ぐす……」
決別だった。手痛い別れだった。
だけど、狂いきるほどではない。頭がおかしくなってしまうほどの痛みではなかった。
泣いて泣いて、たくさん泣いて、時間が経てば癒えるような。
――アークエンジェルに乗ってから経験した別れの中では、一番マシな痛みだった。
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