【完結】機動戦士ガンダムSEED Infancy 作:丹寺 錯視屋
イングリットが血相を変えて部屋に踏み込んできた時、ラクスは心から安堵した。鍵を閉めて、彼女はラクスに向けて銃を向けた。ここにはガスがこなかったようだ。それも当然か。
「キラが来たのですね」
ほんの少しも彼を疑わないラクスに、イングリットは苛立ちが隠せない。
「何が嬉しいの」
イングリットはラクスが理解できなかった。この女は異常だ。オルフェに求められているというのに、それが生まれてきた意味だと言うのに、なぜ逆らうのか。
「彼はあなたを助けることで有利になるから助けに来るのよ」
イングリットは思わず言った。次から次へと否定の言葉が出てくる。こんなに自分は浅ましかったのかと思うほど、ラクスの気持ちを、キラの想いを否定しにかかる。
「歌声があるから。あなたの見た目がいいから。だから助けに来るの」
「それがあなたの『愛』なのですか?」
それは疑問ではなかった。イングリットの心を抉る刃だった。
「……知ったふうな口を!」
このままホントに撃ち殺してやろうか。澄ました顔で、自分はキラに助けられてハッピーエンドを迎えると本気で信じている顔だ。ここで引き金を引いて奴らの気持ちを全部否定してやろう。そんな衝動がイングリットの中に生まれる。
「知ったふうな、ではありません。わたくしは知っているのです。あなたの口が語る愛は、
「……! 違う。人は……人は定められた人と愛し合うものなの。そうするのが運命で、そうなるのが正しい世界なの」
イングリットは、ラクスの次の言葉で、彼女の言葉がいかに鋭く容赦がないことを思い知った。甘く優しい見た目に反して、彼女の言葉はよく切れる日本刀より遥かに切れ味があった。
「イングリットさん。あなたは、
「……」
イングリットは目を見開く。見たくなかった現実を、思い知らされたような気分だった。
――イングリットとオルフェは、アコードがアコードである限り結ばれることはない。だが、アコードには当然次世代を考えなければならないのだ。
だから、いつか、必ず。
――イングリットの前に、
胸が痛くてしょうがない。呼吸が荒くなって銃を持つ手が震える。目の前の女が恐ろしい。見たくない現実を、いつか訪れる悪夢を突きつけてくるラクスが怖い。
――引き金を引くか、引くまいか。迷っていると、貴賓室の扉がぶち破られてキラを先頭にオーブ軍人がなだれ込んできた。
イングリットはなんとか正気に戻り、ラクスに向かうと首に手を回す。ナイフを引き抜くと、首のあたりに突きつける。
「近付いたら……! 近づいたらこの人の目を潰す!」
イングリットは叫ぶ。踏み込んで来たキラは無事な様子のラクスを見てあからさまに安堵した。その表情は彼女を想い、気遣うものだった。そんな目をオルフェに向けられたことなんてない。イングリットはぎり、と歯を食いしばる。
「喉も潰すわ。キラ・ヤマト。何も見えない。歌えない。それでもこの女がほしいの?」
証明してやる。目を潰されて何も見えない。喉を潰されて歌も歌えない。そうすればこの女を愛するメリットなど何一つなくなる。さぁ、どうする。オルフェなら、オルフェなら……きっと切り捨てる。
だがその答えはあっさり出た。
「欲しい。目が見えなくなったら僕が目の代わりを。歌えなくなっても構わない。ラクスはラクスだ」
キラはそれから先を一瞬言い淀む。だけど、と続くことをイングリットは期待した。だがキラはまっすぐにラクスを見て言った。
「僕は――ラクスの全てを、愛している」
イングリットは打ちのめされた。惨めだった。
「何が、違うの」
イングリットは小さく呟く。
「私とあなたで、何が違うの」
もはや、ラクスを拘束する気力もなかった。ただ、無力感に苛まれていた。ラクスがイングリットから離れ、キラの元へ駆け寄る。二人は力の限りお互いを抱きしめ、もう離さないとばかりに抱擁している。
……これが愛か。こんなにも尊く輝くもの。それが愛なのか。なら、オルフェが愛だと思っているものはなんだ。
……ただ、ぼんやりと思う。
許されはしない。きっと間違っている。
それでも、自分がオルフェに向ける感情はきっと、彼らの言う愛と同じだな、と。そう思った。愛に資格が必要ないというのなら、きっと、自分がオルフェを想うことも許されるのでは……そんな気がする。
イングリットの視界ではブルーとトリィ、2つのペットロボットが抱き合う二人を祝福するかのように旋回して飛んでいる。
「キラ……わたくしも愛しています」
甘い世界に生きる二人と違って、随伴していたオーブ兵はイングリットに向けて銃を向けている。だがもうイングリットに戦う意志はなかった。
「行って」
「えっ」
「行って!!」
イングリットは取り返そうとする気力を沸かず、そう叫んだ。
「……ごめんなさい」
ラクスが去り際、そう謝った。何に対する謝罪と言うのだろうか。
「……くっ、ううう……」
顔を覆って、イングリットは泣く。何もかも……何もかも、きっと間違っていた。
怒りに囚われたシュラは時間稼ぎされていることに気付かず、必死になってアスランと戦っていた。斬りかかろうとしたその時、アルテミス要塞のあちこちから火が噴き出て、アルテミスの傘が消失した。
「なにっ……!? やられた!」
イングリットは何をしてる!? 悠々とズゴックがアルテミスから出てきて、アスランの方へと向かってきた。増援のつもりか……。
シュラは一瞬応戦しようとするが、アルテミスの中にいるアウラが心配だった。救出しなければ。心の髄までアウラへの忠誠がしみついている彼は、その場の何を置いてもアウラの救出を優先し、スゴックと入れ違いになるようにアルテミス要塞に帰還する。
――次は殺す!
アルテミスから月へと向かう道すがら、キラとアスランはコクピットハッチを開けてお互いに乗機を交換した。キラはストライクフリーダムへ、アスランはズゴックへ。ラクスはキャバリアーに乗り込んで、それぞれ次の行動に移る。
「ラクス、僕はこのままレクイエムへ向かうよ」
ズゴックはこれからキャバリアーとラクスを届けにミレニアムへ向かう。通信に出たラクスはキラに着せられたパイロットスーツのまま、頷いた。
「はい。お気をつけて。ご武運、お祈りしておりますわ」
ラクスは中指と人差し指を絡め、幸運を祈る。
「もちろん。僕はひとりじゃないから」
キラも同じジェスチャーを返して、機体を進める。目指すはレクイエム。オーブは撃たせない。
――オルフェはその報告を聞いた時、耳を疑った。
「なに……!?」
アルテミス陥落。それだけでも信じ難いのに、ラクスは奪われ、向こうには傷一つつけられなかった。アウラは脱出できたが、もはや状況は致命的だった。なぜこんなことが起こり得るのか理解できなかった。イングリットもシュラ……アコードが二人もいてなぜおめおめとラクスを奪われる。なぜどうやったらあのアルテミスを落とせる。
オルフェは拳を握り締める。
何もかも上手く行っていたはずなのに、小さな綻びから全てが崩れていくような感覚がした。
「オーブを撃て」
オルフェは鋭く命令する。
「もはや許さぬ……! 我らの姫君を奪うことなど誰にも許されない! レクイエム発射! 目標、オーブ首都!」
オルフェの指示にオペレーターは淡々と応え、レクイエムの発射シークエンスを進める。オーブを焼き払うカウントダウンが進む。
「キラ・ヤマト……! 自らの行いの報いを受けろ!」
オルフェの顔は憎しみで彩られていた。
――
エネルギーが充填されつつあるレクイエムの上空に、いきなりモビルスーツが一機現れた。ミラージュコロイドポッドでいち早くたどり着き、待機していたのだ。
「やっと出番だぜ……!」
ゼウスシルエットをパージし、アカツキだけになったネオは、ゼウスシルエットの長大な砲塔を手にし、第1中継コロニー……レクイエムの弱点を狙う。
陽電子砲弾を射出する恐ろしく強力な砲を、ネオはレクイエムを背にして放つ。
「行け!」
――
「レクイエム直上、モビルスーツ! 数、1!」
オルフェはその報告に怪訝な顔をする。ゼウスシルエットの陽電子砲に撃たれ、第1中継コロニーは崩壊した。だが未だレクイエムは発射できる状態にあった。
「1人の犠牲で国を守る……? 随分と冷徹じゃないかカガリ・ユラ・アスハ! 撃て!」
オルフェの指示でレクイエムのビームが発射される。オルフェが見慣れぬ金色のモビルスーツはくるりと反転し、盾を構えた。
バカめ。そんなもので防げるか。
一秒足りとも保たず爆散する……そんなオルフェの予想は裏切られる。爆散するどころか金色の機体、アカツキはレクイエムのビームを反射し、周囲に散らすことでその大火力から身を守っていた。四方に散っていたビームはやがて収束していき、レクイエムの発射口にそのまま反射した。
「レクイエム損傷! 被害甚大!」
「ダメージコントロール! 修復急げ!」
バカな。オルフェは狼狽える。先程から何一つ予想を裏切られる。悪い方向にだ。グルヴェイグのブリッジにあるモニターには、塗装が剥げた様子すら見えないアカツキが映っていた。
「レクイエムを受けて無傷……? そんなモビルスーツが存在するのか!?」
上手くいかず、次から次へと被害が増える。まさか負ける? よぎった考えを首を振って否定する。まだ大丈夫だ。レクイエム本体を攻撃されることはない。大丈夫。まだグルヴェイグは健在。アウラもだ。まだ何も失っていない。
「レクイエム直近宙域に大型熱源! 数、8!」
悪い報告は次から次へと入ってくる。オルフェは歯噛みして表示されたモニターを見る。隠密擬装を解き、姿を表したオーブ艦隊だった。
「旧人類め……!」
既得権益。自らの欲。そんなものにしがみつく愚かな彼らが自分達の崇高なる理念を、平和を求める行動を否定するなど。欲に塗れた俗物が!
そして、その報告がついに聞こえた。
「モビルスーツ接近! 数……6!」
「ザフトに当たらせろ!」
ミレニアムの戦力はもはや雑魚しかいない。ザフトでも倒せるだろう。そう思ってしばらく戦況を見ていると、さらに報告が来た。
「ザフトから支援要請です! 魔弾が止まりません!」
「なんだと?」
広告塔がなぜ?
――アグネスは出撃命令を聞いてガタガタと震えていた。
「アハハ! 雑魚狩り専門ってこと? ダッサーイ!」
リデルは笑っているがとんでもない。あの魔弾の悪魔にとって雑魚ではない人間というのはキラとかアスランとかシンとか、世界トップのことを言うのであって、ちょっと強めのエースくらいならあっという間に始末してしまうのだ。
「な、なんであの子がアレに乗ってるのよ……!」
アグネスのトラウマ。バスターフリーダム。
「行くぞアグネス! 調子に乗ったバカにホンモノってのをわからせてやらないとな!」
「たっのしー! バレンタインは私がやるね! 今度こそ殺してやるんだ!」
「ぶっ殺す」
「彼らに身の程を教育してやる」
そう言って彼らは出撃していった。アグネスもそれに続いてグルヴェイグから出る。
「……ああ……」
アグネスは戦場を見て思った通りの光景だとため息を付きたくなった。
ザフト戦力がもうほとんど残っていない。まだ遥か遠くにはジャガンナートの残存艦隊が見て取れるが、最前線にいるザフト兵はほとんどいなかった。
バスターフリーダムと黒いフリーダム、そして見たこともないバスターカラーの機体。さらにギャンとデスティニーとインパルスが戦場を大暴れしている。
「私は悪魔。魔弾の悪魔。どこに逃げても私は当てる」
挑発か、戦意を挫くためか、ミーシャの声がオープン回線で聞こえてくる。
「私に勝てないって証明してあげたでしょ!? 学習能力ないのねお馬鹿さん!」
リデルが果敢に攻め込んだ。他のブラックナイツも各々好きなように突っ込んで好きなように戦い始めた。しかし、訓練の賜物か全員が見事な連携で戦っていた。
「お前が証明したのはお前に私を殺せないってことだけ。コクピット撃ち抜いてそれでも殺せないとか戦争向いてないよ? その仕事辞めたら?」
「減らず口を!」
ミーシャのバスターフリーダムとリデルのブラックナイトスコードルドラが戦う。
「何度も何度も! バカなんじゃねぇのかお前はよぉ!」
グリフィンがシンのデスティニーと戦闘を開始する。
「何度だって……! 生きてる限り! 負けじゃない!」
「屁理屈こねんじゃねぇー!」
グリフィンは戦いながらもどこか油断していた。ブラックナイトスコードの足元にも及ばない機体。それがデスティニーだ。そもそもの装甲が違う。フェムテク装甲はビーム兵器を無効化する。電力が全く要らないのが特徴だ。旧世代のモビルスーツに勝てる相手ではない。
「あれ……? アグネス? なんであんたそんなところにいるのよ!」
前線に向かおうとしていたルナマリアが、後ろで消極的に戦っているアグネスを見つけた。ギャンがこちらを向くと、ビームバルカンで撃ってくる。だが狙いは甘い。アグネスとは思えないほどに。
「ラクス様が!」
「……?」
「ラクス様がいて、こうして戦えばラクス様のためになるってオルフェが言ったの!」
「……あんたそんなキャラだったっけ?」
なんかものすっごくわざとらしい。だがアグネスは突っ込まれてもなお、なんだかよくわからない理屈を叫びながら攻撃してくる。
「シュラだけが私をわかってくれてると思ってた……! ルナマリア、あんたもラクス様に従いなよ! コーディネーターなんだからそれでいいでしょ?」
「レクイエム撃つような相手に協力できるわけないでしょ!」
「そんなのなにかの間違いよ!」
「何言ってるのよあんた……。もう! 隊長、アグネスこんなこと言ってますけどどうする?」
「ひっ」
アグネスの悲鳴が小さく聞こえた。何も無いところに小さなスラスターの光が見えた。
「やだやだやだ!」
「アグネス」
ミーシャの声が酷く冷たく聞こえた。
「月で寝てて」
「やっ――」
遠くからミーシャがビームライフルを放ち、それは縦横無尽に宇宙を駆け巡った。ギャンの両手両足の関節を貫くと無力化し、バックパックを撃ち抜いて航行すら不可能にした。
「ルナマリア」
ミーシャから秘匿通信が来た。
「現時点じゃ裏切りかどうか判断し辛いから、取り敢えず月面に叩きつけといて。優しくね。あと、運が良かったねって伝えといて」
「了解」
ルナマリアはギャンに取り付くとゆっくりと月面に向けて移動する。
「……バカね。誰に唆されたのよ」
「唆されたんじゃないわ。シュラだけが私をわかってくれるの……」
「利用されてるのよ。まさかだけど、アグネス、抱かれたりしてないわよね?」
もしそうなら心も身体も弄ばれたことになる。アグネスがあんまりだ。
「……してない。シュラ、全然構ってくれないの」
とりあえず、ルナマリアは胸を撫で下ろした。こうして男社会の戦場、軍隊だ。女性兵士とはウマが合わなくてもどうしても仲間意識が芽生えてしまう。トコトンまで利用し尽くされない様子でよかった。
「向こうはその程度しか想ってくれてなかったってことよ」
「……なんであんただけ幸せそうなのよ。妥協して、キープくんのくせに」
「何言ってるのよ。私、ちゃんとシンのこと好きだからね」
「……冗談。まるで、好き同士だったらそれだけで幸せみたいな言い方じゃん」
「そうなの。そういうもんなの。理由とか、資格とか、ゴチャゴチャしたこと考えると幸せが遠のくの。ヤマト准将と隊長がそうだったじゃん」
「……はぁ」
アグネスは深いため息を付いた。
「あんな子でも知ってるようなこと、知らなかったのね」
アグネスはコクピットシートに背を預けて涙を流す。
「……なんか、冷めちゃったな」