ワンちゃんの金的を蹴り上げてコユキを救出した後、念のために彼女の健康を確認すると、足首を捻挫したのか外くるぶしに青あざが出来ており、その痛みで上手く歩けないようだった。
流石にそんな彼女を無理矢理歩かせるわけにも行かず、おんぶして脱出することに。
背負うため背中を向けると、何故だか彼女は顔を赤らめている様子。空腹を
よほどお腹が空いてきたのか、受け取ったまま疑いもせずもそもそと食べ始める。…なんだかハムスターみたいで可愛いなコイツ。
その間に、その辺で白目をむいて転がっているワンちゃんを拘束具で縛り上げる。万が一起きて通報されたら大惨事であるので、入念に縛って麻袋に詰めた。
最後にボールギャグを口元に着けて完成だ。ちょっとやりすぎかなぁ。…まぁ良いか(適当)
そんなわけで部屋から出て、僕が侵入した荷物搬入口を目指す。道順は頭に入っているので、気にしないといけないのは誰かに見つからないことだけ。
行きは15分で済んだけど、コユキをおんぶしているから25分ぐらいはかかるかな。できる限り急ごう。
そう思いながら出発すると、壁を数枚挟んだ向こうで、興奮した観客達の喧噪がうっすらと聞こえてきた。どうやらオークションが始まったようだ。
会場のホールは意外と防音性能が高いのか、歓声はくぐもって聞こえる。
それとは対照的に、裏方の廊下はしんとしていて、気をつけていても鳴ってしまう足音と、耳元から聞こえる彼女の息づかいだけが響く。
まるで、楽しげな日向と冷たい日陰の二つに世界が分かれてしまったかのよう。
――き、気まずい…
これで彼女が疲れて寝てしまっていたりしてくれてたら、こんな微妙な空気感になることはなかっただろう。
だが、僕の首に回された手は緊張で震えて、まだしっかりと起きてることが分かる。
う、うぅ~ん。こんな時、安心させることが出来るテクニックでも知ってれば良かったんだけど…
ゲヘナの子は基本的に恐怖で縮こまってしまうことなんてない。それ故僕もこれまでにカウンセリングみたいなことをした経験は、パンちゃんにヌメヌメにされたフウカを慰めたときぐらい。
あのときは抱きしめて百合の楽園を作ることで安心してもらったっけ。今回もそんな事が出来たらいいんだけど、今はとにかくすぐ脱出したいからなぁ。そんな時間はないのだ。
歩きながらも、彼女の恐怖を和らげることが出来る方法…そんな都合の良いことあるか?
……そもそも、今の彼女が怯えている原因ってなんだ?
さっきの体験が怖かったのは当たり前として…もしかして、僕の事をまだ警戒しているのかな?
いや、よく考えたらそうだ。コユキ目線では、僕はまだ「大人の金玉を蹴り上げて食べ物をくれた牛さん」という情報しかないじゃないか。
意外と臆病な彼女のことだ、きっと「これから自分がどこに連れて行かれるのか分からないけど、金的を蹴った怖いこの人には逆らわないようにしよう」と思っているに違いない。
今だって、服装は人さらい集団とおんなじスーツ姿をしているし。相手の視点に立って考えることを完全に失念していた。
横目でチラリと彼女の方を確認すると、恐怖か痛みか、血の気が引きかかった顔色で、声を掛けようにも状況的に遠慮しているのか、口をもごもごしながらうつむいていた。
それがなんだか可愛らしくて、場面には合わないと思いながらも笑顔でくすりと笑う。
「ヒュッ、えっ…すみません、私何かしちゃいましたか?」
ゲームで見た横暴かつ我が儘な彼女とは違い、こちらの様子を自信なさげに探るようなしおらしい態度の彼女。
そんな珍しい彼女の様子を見れて嬉しい…しかし。
…あぁ、今回はちょっと、目的の為に急ぎすぎたかな。幸いにも組員のだれかが角から出てくるなんてことも、ここまで誰も来なかったんだからほぼないとみて良いだろう。オークションで夢中になっちゃって、お馬鹿さんな連中だ。お仲間の金玉潰されてると言うのにね。
良質な関係を構築するには、きちんとしたコミュニケーションが大切…らしい。啓発本で見た。
相手に自分のことを信じて安心してもらうため、その分こちらも自分についての情報を開示しないとね。
「いえ、そうですね。少々急ぎすぎました。遅れましたが自己紹介をば。私はゲヘナ学園3年生の天雨アコ。このオークション会場には所属する風紀委員会という組織の活動で訪れて…」
(それから、コユキは困惑しつつも僕の話を聞いてくれて、お返しに彼女自身の話をしてくれた。)
(無論誰かと遭遇しないか警戒しながらではあったが、最終的に彼女も笑顔を取り戻しつつ楽しげな様子だった…)
■
盛り上がる会場の中では、演出の音楽が轟き、人々は次々と現れる品物に興奮し、歓声が響いていた。明るいライトがステージを照らし、カラフルな光が壁を飾る。人々は汗をにじませながら拳を握り込み、熱狂的な雰囲気が生まれていた。
一方、外の静かな廊下では、まるで修学旅行の夜のような、ひそひそ話が繰り広げられる。廊下の照明は控えめで、柔らかな光が両者の顔を照らした。人々の声や音楽が遠くから漏れ聞こえる中、僕達の会話は静かながらも重みを持っていた。
背景の喧騒とは対照的に、耳元で発せられるコユキの声。彼女も、関係の薄い僕だからこそ本音を言えるのか、はたまた誰にでもそうなのか。背中で揺られながらも言葉が止まらない。
「そーなんです!先輩方、よく分かんない理不尽な投書への対処か、しょうも無い暗号解読ばっかりやらせてくるんです!私はもっとワクワクしたことがしたいのに!!」
「…うぅ~ん。おそらく既に言われたことがあると思いますが、だからといって抜け出すのはいけませんよ?」
「やっぱり牛さんもそんなこと言うんですか!うわーーー!味方がいませんーーー!」
ちなみに呼び名は牛さんになった。最初にキメ顔で牛さんとか言ったのが祟ったのか。それとも奪ったスーツの上からでも分かるパツパツの胸とケツが良くなかったのか…これがハロー効果ってやつ?
あと自己紹介でゲヘナの行政官って言った途端、「うそだぁ~あのゲヘナのトップですよ?牛さん見たいに優しそうな人じゃ絶対ありません!」とか言い放たれた。
なんでも、以前脱走した際、ゲヘナの不良に連れ去らわれそうになったらしい。うちの問題児たちが本当にすみません…
これに関してはマジで初耳である。トリニティのお嬢様を連れ去っているのはたまに聞いていたが、ミレニアムにまで手を出していたとは…
というか、コユキは良く逃げ帰れたよなぁ。ゲヘナの不良って、そんなに弱いわけでもないのに…
そんな事を思い、その後どうなったのか聞こうとコユキの方を横目で見ると、彼女は深い考えにふけっているような表情を浮かべていた。彼女の眉間にはわずかなしわが寄り、唇は軽く引き結ばれていた。目は遠くを見つめており、その光景にこちらが見えないかと探り立てるようだった。
「…反省部屋に一人でいると、ふとしたときに、自分は静かにしている方が皆の為になるんじゃないかって、思っちゃうときがあります」
彼女の話し方は静かで、しっとりとした雰囲気を孕んでいる。
感情がこもった言葉が空気を満たし、その言葉が彼女の胸から溢れるように聞こえた。
「そんなモヤモヤが気持ちが湧いてしまった時には、気持ちを振り払うためにも脱走するんです」
「…私も分かってます。この行為がユウカ先輩とノア先輩にどれだけ迷惑を掛けているかなんて」
僕が知っている彼女とはよく見せていた姿とは異なり、急にしおらしく告げる。
眼の奥には、深い感情が静かに揺れ動いているように見えた。目の周りのしわや、微かに動くまぶたの裏に、過去の思い出や心情が浮かび上がっているよう。
そうして彼女の瞳が閉じられると、静寂がさらに深まるかのように感じられた。その瞬間、彼女の内面が外界と切り離され、自分自身と向き合う時間が訪れたかのようだった。
「……やっぱり、先輩方もこんなのをセミナーに引き入れて後悔しているに決まっています」
絞り出すような、心の叫び。
自分でもどうすれば良いのか分からない、純粋な葛藤。
――こういうとき、どんな反応をすれば良いのだろう。経験豊かな「先生」なら、何か良い台詞が浮かぶのだろうか。
僕だって、一度は大人として社会に出た身。だが、こうして思春期の女の子と向き合う機会なんて、一度もなかった。
だから僕に出来ることは、1人の「生徒」として、そして大人としてではなくただの「年長者」として、応えることしかない。
「…まず1つ。確かにミレニアムは成果主義、実力主義なところはあります。なのでコユキさんがセミナーにスカウトされたのも、その能力を買われてのことでしょう」
コユキのたぐいまれなる能力。ぶっちゃけゲヘナの行政官として喉から手が出るほど羨ましい力だ。
彼女曰く、コユキを推薦したのはユウカ。当然、その能力を欲してのことだろう。
「ですが。貴方はほんの1回でも、ユウカさんが「貴方がいなければ」なんて言ったのを聞きましたか?」
「え?そ、そりゃあ言ってないですけど…」
「でしたら、まずはお話してみましょう。近しい人にそういったことを聞くのは、返答が怖くてついためらってしまうものです。でも、本音は話さないと伝わらないですし、真にわかり合えませんよ」
そう、彼女の言うとおり、コユキを排斥しようとする言葉なんて、誰も言っていないのだ。
彼女が陥っているのは、所謂疑心暗鬼の闇。人の本音は近しい人だって分からない。
でも、棘のある言い方をするならば、彼女は被害妄想をしているに過ぎないのだ。
人の目線が気になる思春期ならば、1度は思ってしまったことがあるのではないだろうか。彼女のように、誰かに依存しがちな子供ならば、特に。
これはエデン条約編で7つの古則の5番目、「楽園の存在証明」と同じ。相手の本心なんて、読心術でも無い限りは分かるはずがない。
本編で先生が提示したその解決法は、「相手を信じること」。その人は自分に悪いことを思うはずがないって。非常にまっすぐで、性善説が服を着て歩いているような先生らしい言葉だと思う。
でも、僕みたいなひねくれてる人間は、そう言われたって無条件で信じ続けることなんて難しい。
だから、言葉で補強する。信じられずぐらぐら揺れていたとしても、確かな言葉があれば、その信憑性はぐんと上がる。
…それに、僕がゲームで知っている「早瀬ユウカ」はそんなこと言わない自信がある。
彼女はパヴァーヌ編第1章にて実質的悪役ポジションで登場することになったが、その言動の根底にあるのはミレニアム生への深い愛情。
確かにコユキの振る舞いには迷惑しているはずだ。だが、コユキの存在を否定することなんて、それこそ
「で、でもそんなこと今更…」
彼女の内面の葛藤は外見にも現れ、彼女の姿勢や表情はためらいの色を帯びていた。緊張と不安が滲み出ていた。手が微かに震え、眼差しは地面を避け、彼女の中にある言葉を言い出す勇気がまだ足りないことを物語っている。
まぁ、そんなこと簡単にできたら世話ないか。僕だって、結構生きてきて未だに緊張するしなぁ。
「こうして私に話すことは出来るんですから、あとは少しの勇気だけですよ。……ほら、そろそろ出口が見えてきました」
来た道の記憶を辿りながら、1番最初の通路まで戻ってきた。あとは搬入口を開けて脱出するのみ。
自分のスマホを操作して、風紀委員で余力のある者に来てもらい彼女を保護するようにと連絡を入れる。そこからミレニアムに返してあげれば良いはずだ。
彼女を受け渡したら、せっかく組員の格好をしてるんだから、裏方周りの潜入をしようかな。金玉潰したワンちゃんだって、放っておくわけには行かないし。
これからの事を考えながらコユキの方をちらりと見ると、僕の言葉に若干困惑したような、それとも別れを惜しんでくれているのか、少しだけ顔を歪ませている。
「…そうですね。相談がしたくなったり、刺激が恋しくなったりしたときには、是非ゲヘナへどうぞ。歓迎しますよ。これ、私のモモトークです。少し立てば迎えが来ますので、「行政官の知り合いです。ミレニアムまで」とタクシーみたくお伝え下さい」
そんな表情をしてくれるんだったら、僕だってまた会いたくなるものだ。
持っているメモ紙にさらさらとモモトークのIDを書いて、少し涙を目に溜めている彼女に渡した。
そのまま近くの物陰を指さし、そこで隠れるよう伝える。
割れ物を扱うようにゆっくりと地面に下ろすと、キヴォトス人の回復力で捻挫も少しだけ良くなったのか、引きずりながらも移動してくれた。
「もちろん、コユキさんが教えてくれたことは絶対内緒にしておきますからね。2人だけの秘密です」
後ろ髪を引かれているように、こちらを見つめる彼女に、人差し指を前に持って行き
意図を察した彼女も溢れる涙を拭き、笑って同様のジェスチャーをした。本当に可愛いなこいつ。
「へー、その秘密、あたしらにも教えてくれよッ!」
――その刹那、オレンジ色の閃光が視界の隅に映ると同時に、横腹に鈍い痛みが走った。
■
搬入口のシャッターを突き破り、コンクリートの壁を突き破って、ある部屋の壁にめり込む。
どこかで火災報知器を作動させてしまったのか、けたたましい警報音とスプリンクラーが作動していた。
――何があった?蹴られたのか?それも誰が?
頭の中で大量の「?」が浮かぶが、流れ出る血とズキズキと訴える痛みの所為で思考が定まらない。
あぁ、まず周りを確認しよう。そう思って瞼を開けるが…
「おぉ、思ったより早いお目覚めだなァ!ゲヘナ行政官、天雨アコ!」
突然、胸ぐらを捕まれた衝撃で目を覚ました。眼前に急速に広がる現実に、僕の表情は一瞬で困惑と驚きに歪んだ。顔色が変わり、目は開きっぱなしになったまま、周囲を見回した。
「う、ぐぅ…あ、なたは…美甘ネル…?なんで…?」
「そいつは言えねェけどよォ…お前とチビの「秘密」ってやつ、教えろよ。内容によっては逃がせねェって
胸ぐらを捕まれた手によって引き寄せられる。
(え、ど、どういうこと!?というか苦しい!首絞まる!)
ネルはその小柄な体型のどこからそんな力を出しているのか、片手でスーツの襟を掴み、持ち上げる。
僕は自分の立場や状況が理解できず、混乱していた。段々と息が詰まり、呼吸がままならなくなる。生命の危機を感じ必死に藻掻くが、それでも彼女は離さない。
「カハッ…まっ…てく、だ、さぃ…なに、か誤解、が…」
「ケッ、簡単に口を割らねぇか。まぁ、その体に聞くまでだなァ!」
そういったと思えば、僕の首から手をぱっと離した。
だが、安心もつかの間、宙ぶらりんになった一瞬で、ネルは僕のお腹を思いっきり蹴飛ばした。
全く反応出来ず、受けの体勢すら取れないまま再びすさまじい痛みと衝撃を覚えた。
ドオォーン
後ろの壁はそこそこ分厚かったのか、もう1度壁を突き破るまではなかった。…それか、拷問の為にワザと威力を弱めているのか。
それでも体が壁にめり込み、背中と後頭部に強い負荷がかかった。建物全体が揺れたのを感じる。
どしゃり、と膝から崩れ落ちる。全身に違和感が走る。もしかしたら、脊髄損傷とかなってるかも知れない、それぐらいの違和感。頭からも、生暖かい液体がドクドクと滴るのを感じた。
だめ、本当に命を狙ってる、に、逃げないと…
いくら丈夫なキヴォトス人だからって、こんなに一方的に殴られたら死んでもおかしくない。
這いつくばって無様な格好だが、そんなこと気にせず手を伸ばした。
…だが、「お掃除」が得意な彼女が、そんなのを見逃すはずもなく。
伸ばした手の甲を思いっきり踏んづけられ、銃をこちらに向ける。
「はは、逃がさねぇよ!」
そのまま靴底でぐりぐりと地面に蹴りつけられる。激痛が身体を貫き、声を上げずにはいられなかった。尤も、くぐもったうめき声しか漏れなかったけど。
瞬間的に身体を反らせ、顔を歪めた。襲ってくる痛みに耐えながら、脳は混乱と苦痛で霞んでいた。
「ま、待って下さいネル先輩!この人、そんな悪い人じゃないです!」
緊迫した空間に、切羽詰まった可愛らしい声が響く。
痛みで視界がぼやけるが…この声はコユキだ。
ネルの前に立ちはだかり、僕を庇ってくれている様子。
続いて数人のヒールの音が近づいてくる。
「ごめんリーダー、止められなかった」
「えぇ、部長。白兎…コユキちゃんの言うとおり、ゲヘナの行政官は本当に助けてくれただけみたいで…」
「あははっ!リーダー、行政官さん見つけた途端に飛び出しちゃうんだもの!任務失敗かもってあせっちゃったの?」
ネルを部長と呼ぶ、3人の声。おそらくC&Cの「角楯カリン」、「室笠アカネ」、「一ノ瀬アスナ」だろう。
一瞬部員勢揃いで更に絶望的状況かと思ったが、どうやらそうではないようで。
コユキが他の部員達をなんとか説得してくれてたらしい。た、助かったぁ…
「だ、大丈夫ですか!?牛さ、いえ、行政官さん!」
コユキは僕の肩を支えて起こそうとした。痛みに苦しむ表情を見て、彼女は悲痛な表情を浮かべて躍起になる。
彼女に肩を貸されて、何とか立ち上がることができた。
…というか、この様子だと本当に行政官だって信じてなかったんだ。
でも、わざわざかしこまった態度を取られるのは、せっかく縮まった距離が戻ったみたいで嫌だな。
さっきとは逆に彼女に背負われながら、コユキの方を向いて笑顔で告げる。
「いえ、貴方にとって、私はただの牛さんです。気にしないで…う゛ッ!」
肋骨の数本でも折れてしまっているのか、喉の奥に違和感を感じて言葉を止める。
ゴホゴホと咳き込めば、向いている地面にびちゃびちゃと血が広がった。
「そんなこと言ってる場合じゃないです!…や、わたしなんて助けたから」
コユキの元々悲痛だった表情は、更に歪んでしまった。彼女がこんな表情をするなんて…
というか、目のハイライトが本格的に消えかかってしまった。おい待てぃ、お前は一生囧か、無邪気な笑顔をしていればいいんだ。
そう思って彼女の頬に手を添え、精一杯微笑みながら告げる。
「いえ、貴方がいたから、こうやってギリギリ生きてます。これは、貴方が勇気を出してくれた結果ですよ…だから、そんな顔しないで下さいね」
そうは言っても、彼女の顔は固く、表情が動かないままだった。無力感が彼女の顔に浮かび、今にも泣きそうになっていた。
まぁ、仕方ないね。しっかりと生きて帰って、それを分からせるしかないな。
(コユキの涙を指で拭いながらも、彼女がぎゅっと抱きしめているせいで数十秒は動けなかった…)
■
「あー、その、す、すまなかった。そんなにボコボコにしちまって…」
少しして、コユキに支えられて立っている僕の元にネルが視線を落ち着きなく動かしながら近づいてきた。おそらく他のメンバーから事情をしっかり聞いたのだろう。
頭をポリポリとかいて、罰の悪そうな態度で謝罪をする。
「すみません。うちの部長、謝り慣れていなくて…」
「そうそう、リーダーは変にプライドだけは大きいから」
「部長、子供っぽいね!」
「るっせぇ…」
他の部員達にイジられつつも、本当に自分が悪いことを理解しているのか、3人の方を向いてぷるぷると震えるのみ。
謝罪は軽いが、誤解によって傷つけたことを深く後悔しているようだ。なんだかんだ、過ちを認められる良い子である。
…だが、それとこれとは話が別。
今回に関してはマジで死にかけたからな!天国の門でヒナ委員長が手を振ってた。可愛かった。
どう責任をとってもらうか、場合によっては損害賠償も辞さない考えだったが、廊下を走ってくる無数の足音が響き渡り、緊張で息をのむ。
彼女らも同様に感じ取ったのか、おちゃらけた雰囲気を辞め、それぞれの装備に手を掛ける。
やがて警備用のオートマタが廊下を埋め尽くし、彼らの装備がガチャリと光り輝く。その数は膨大であり、この場の全員で戦っても勝てるか怪しい物量差が、そこにはあった。
「あれ、もしかしてけっこーピンチじゃない?どうする?」
「…これもリーダーが暴れたから」
「お二人を守りながら戦うのは厳しいですねぇ…」
「あぁー!!わーった、あたしが悪かったから黙ってろ!」
あからさまに動揺する彼女たち。僕の記憶では、例のバニーイベントにて、C&Cは混戦には慣れてなかったために敗北してしまって捕まっていた気がする。
「…1つ提案を。私に、貴方たちの戦術指揮をさせて頂けませんか?」
その場の視線が、一斉にこちらに向けられたのを感じる。驚きをもたらしたのか、一瞬の間、空気が静まり返った。
「は、ハァ!?今日あったばっかのヤツの指示に従えってか!?」
「アカネさん、そもそもC&Cは隠密部隊と聞いています。それにその主戦力であるネルさんは、誰かを守りながらの戦闘には慣れていない。違いますか?」
C&Cの実質的参謀であるアカネは一瞬硬直し、眉間にしわが寄る。その目は僕を見つめ、その発言に対する反応を探っていた。
「…よくご存じで。流石は風紀委員の情報部、といったところでしょうか」
メガネを押さえて、口ごもりながらぼそりと呟く。その声は若干震えていたが、同時に感服も感じられた。
警戒心を抱きながらも、その発言が的確であることを認めざるを得なかったのだろう。他のメンバーの方をちらりと見て、全体に聞こえるように告げる。
「私は、行政官の指示に従うことには賛成です。彼女の言うとおり、私達だけでは突破は絶望的でしょう」
「おいアカネ!無理に決まってんだろ!何言ってんだ!」
一方で、ネルはがっつり反対の様子。向かってくる先発隊を
だが、ネルの反対側からもオートマタの大軍が現れ、後方に立つ僕とコユキに襲いかかる。
「うわーーーー!後ろっからも来てますよーーー!」
「コユキさん、落ち着いて、そのまま私の肩を持っていて下さいね」
当然コユキは先ほどまで拘束されていた身。銃なんて持っているはずがないため戦力にはならない。このままだと後ろからは僕一人で対処するはめになる。
そして僕の右手はネルにやられて感覚が消えてしまっているので、利手ではないが左で
日頃からそこそこ使えるよう鍛錬するようになったため、外すことはない。だが、それでも数が多すぎる。
「ネルさん、許可をお願いしますッ!このままだと挟まれて全滅ですよ!」
「…だあァー!!分かったよ!許可してやる!ただし、失敗したらブン殴るからなァ!!!」
少々脅すようなやり口になってしまって申し訳ないが、ネルから指揮の許可をもらった。
後ろからの一波をやり過ごした後、コユキに支えられながらも冷静に深呼吸をする。
ふと、意識が一気に明瞭になった。眼の前に広がる景色はまるで鮮やかな
心は驚きと興奮で高揚し、
これまで指揮したときとは比べものにならないほど、明確にゲームの戦闘画面が展開された。
まるで新しい世界が目の前に広がっているように感る。視界がクリアになる瞬間、自分の力と意志を取り戻したような感覚。
「ゲヘナ行政官、天雨アコ。これよりC&Cの皆さんの戦術指揮に入ります」