「あー、痛てて…やっぱりあばらの一本ぐらいイッてますね」
ヴァルキューレに事件の引継ぎを済ませた後、風紀委員本部に帰還して同行したモブちゃん達と一緒に事後処理を行った。…が案の定、処理中にも不良が暴れたり美食が近くのファミレスを爆破させたりと面倒事が舞い込んできて、僕は当然緊急出動する羽目に。結局全てが終わったのは日付が変わったころになってしまった。
もう家には帰れまいと開き直って、備え付けの浴室でシャワーでも浴びて仮眠をとろうとしたものの、ここで問題が発生。脱衣所で服を脱いだところ、ネルから蹴られた箇所に結構悲惨な青あざが出来てしまっていたのだ。
これまでの出動中や書類処理をしているときにも違和感はあったが、しっかりと傷を認識してしまえば急にズキズキと激しく痛みだすもので。
軽くシャワーは浴びたが、ベッドで寝ようとしても痛みが気になって眠れなくなってしまった。
というわけで今は、簡易処置でもいいから何とか痛みを和らげてくれないものかと救急医学部の部室を訪れている最中である。
「思えば、転生してからセナ部長たちにはお世話になりっぱなしですね。今度何かしらの形でお礼をしなければ…」
ジュリの料理修行や問題児制圧など、僕はだいたい一週間に五回ほどの頻度で救急医学部や医療部のお世話になっている。そんな中でも、今から向かっている救急医学部の部室はもはやリスポーン地点と言わんばかりの頻度で看てもらっている。そろそろ使用料とか請求されても文句は言えない。セナがそんなことするような娘じゃないことは分かってはいるけど。
コンコンコン、とドアをノックする。もしもベッドで寝ている生徒がいて、起こしてしまったら大変なので、ゆっくりと。
廊下には人っ子一人見当たらず、時間も遅いので問題児が暴れだすようなこともない。そんな落ち着いた空気を孕んだ辺りに、ベニヤ製のドアを叩いた音は大げさなほど響く。
「…はい、どうぞ。」
ほんの数秒後、ドアの向こうからブーツの音が近づき、無表情な鉄面皮を携えた美少女が顔を出す。
偶然今日が夜勤だったのだろうか。彼女こそ、この救急医学部部長「氷室セナ」である。
負傷者のことを死体呼びする癖があり、感情を一切表さない機械のような娘…と思わせておきながら、言葉ではめちゃくちゃグイグイ攻めてくる、所謂クーデレってやつだ。ゲヘナでは珍しくまともな倫理観を持ち合わせた生徒であり、数少ないヒナ委員長の本質を理解している生徒でもある。
そしてなによりエデン条約編三章にて、アリウススクワッドに襲撃された先生を回収し、その命を繋ぎとめた功績を持つ。「先生」にとっては、ヒナ委員長と並んでガチの命の恩人である。
僕とて、無策でエデン条約に臨むつもりもない。アコちゃん曰く、調印式での襲撃が全ての分岐点。一度迎えてしまったバッドエンドを避けるためには、先生を最低でも蘇生可能な状態で会場から離脱させなければならない。そのため彼女にもエデン条約の真実を共有し、迅速に動けるよう協力してもらおうかと考えている。これは機会を見て話しておこう。
「こんばんは、セナ部長。昼間に負った傷が痛みまして…ちょっとお時間よろしいでしょうか?」
「今は伏している患者もいないのでかまいませんよ。それではこちらに」
促されるがままに、部屋の隅のベッドまで足を進める。
部屋を歩くごとに、独特な医薬品の香りが漂ってくる。その香りは清潔で、同時に少し鋭くもあった。空気中には薬品が放つ特有の匂いが満ちており、微かに残るアルコールの匂いと混じり合う。学校の保健室や病院の匂いだ。
壁の近くには大きな医療キャビネットがあり、その中に収められている薬品や医療機器の香りが漂っているのだろう。
「腹部を蹴られてしまいまして、大きな痣が出来てしまっているんです」
「なるほど、患部を見せて…はい、少し触りますね。痛かったら言ってください。…分かりました、少々お待ちを」
セナは近くの棚に近づき、茶色の小瓶を抱えて戻ってきた。
ふと辺りを見渡すと、窓から差し込む月の光が部屋の中に淡い層を作り出し、薬品の香りをさらに際立たせる。保健室の空気は静かで穏やかであり、どこか安心感を覚えた。
そんなことを思っていると、いつの間にかセナが急接近していた。瓶の中身が軟膏だったようなので、それを塗るためなのだろうが、こうも簡単に美少女が近くに来るとやっぱりビビッてしまう。あっ、顔良すぎ…
「…そもそもアコ行政官はどうしてこのようなケガを?」
瓶からクリーム状の軟膏を少量手の平にとり、その細指で患部に塗りながら聞いてくる。
うっ…まぁ確かに、普通はお腹に青あざが出来ることなんてないしなぁ…
特殊部隊のポイントマンとかなら集中砲火をくらって傷だらけになることは多いかもだけど、こんなに「近接戦闘をしてやられました!」なんて主張している痣はめったに出来ないだろう。
かといって正直に言っても、ミレニアムとの余計なトラブルになりかねないからなぁ。
「えっ、そ、それは…ヘルメット団を鎮圧する際に油断して」
短い思考の末、結局嘘をつくことにした。…が、どうやらセナは疑っている様子だ。
「…それは嘘でしょう。いくら我々が後方支援担当といえど、相当の手練れでなければこのレベルのケガを負わせることは不可能です。もう一度聞きますよ、どうしてこのようなケガを?」
流石は救急医学部の部長といったところか。すぐに見抜いて真意を確かめようと覗き込んでくる。
絹のようなサラサラの白髪、ちょこんとかわいらしく主張する角、琥珀色のきれいな瞳。暴力的なまでの美人さんが、良い匂いを漂わせながら近づいてきた。
目が釘付けになり、心臓の鼓動が速まる。その美しさに圧倒され、言葉が詰まり、たじたじとした感覚が全身を支配した。視線が私を包み込み、まるで時間が止まったかのように感じる。あー駄目駄目、えっちすぎます!
「あー、その、任務でC&Cのネルさんに。」
耐え切れずバカ正直に告げた直後、辺りに広がるのは気まずい沈黙。
しばらくした後、覗き込むのをやめた彼女がついたため息がその沈黙を破った。溜息には少しの失望や呆れ、そして安全を心配する思いがにじみ出ているように感じた。
「…そ、その。ほ、骨とか折れてないでしょうか?」
ジト目で向けられる抗議の目線にまた耐え切れず、つい気になっていたことを質問する。
セナは前々から外科が専門だと言っていた。僕は医療に関しては門外漢だからさっぱりだけど、彼女ほどの実力になると、先ほど見てもらったときやこうして軟膏を塗っているだけでも骨折とかわかるのだろうか?
彼女は薬を塗る手を止めず、服の上からもわかるレベルのデカパイを揺らしながら答える。
「…どうしてそのような相手と直接戦闘することになったのかはさておき。確かに第12肋骨が折れていた形跡はあります。…が、治っているようですね」
「えっ!?治ってるんですか?」
思わず目を見開いて彼女の顔を見る。相変わらず無表情で淡々と告げるが、治療に関することで彼女が嘘を言うとは思えないから、本当にそうなのだろう。
「はい。…これは以前友人から聞いた話なのですが、我々の中でも「神秘」というものを多く持つ生徒は、こうして超人的な回復力を見せることがあるそうです。例えば、トリニティの「剣先ツルギ」さんなど…らしいです。もしかしたら行政官はその「神秘」が多い生徒なのかもしれませんね」
へぇ…神秘ってそんな感じなんだ…
確かにツルギはエデン条約の調印式で受けた傷も一晩で完治するほどの再生力を持つ生徒だ。所謂キヴォトス最強論争にもたびたび名が挙がる生徒でもある。
キヴォトスでもやはりそういった論争は大好きなのか、掲示板サイトには頻繁にスレッドが立っているのを見かける。僕は見かけるたびにヒナ委員長こそが最強であることを説いて、他のスレ民を論破しているが。
でも、彼女ほどの再生力が僕にあるのかぁ、なんか意外だ。…やっぱり、アコちゃんが何かやってくれたのかな?
「そうなんですね…でも、仰る通り、先ほどよりも痛みが引いてきている気がします。本当に治ってるんですね」
「事実なようでしたら何よりです。では仕上げに、少々こちらに近づいて下さい」
患部に塗り終わると、用意していたガーゼを上からふわりと乗せて、丁寧に包帯を巻いていく。
手伝いたいが変なことをするわけにもいかず、僕が出来ることは服をめくりあげることだけだ。腹囲に懸命に包帯を巻くごとに、ほんのり彼女の柔らかな薬っぽい匂いが漂ってきてやっぱりドキドキする。
やがて包帯を巻き終えた彼女は、もう一度僕に顔を寄せて、患部を上からさわさわと触りながら小さく呟いた。
「…、痛いの痛いの、飛んでいけ~」
…?
……!?
――まさかそんなことをするだろうとは思っていなかったタイミングで、これである。
これは持論だが、人間は古来よりギャップ萌えという文化を持っている。外見と内面・印象と実態のミスマッチが引き起こす化学反応だ。
華やかな美少女がゴテゴテの銃を用いて戦うというとあるゲームが好きだったり、実はしっかり者に見えて、その正体は甘えんぼで年相応の女の子という少女ガチ恋勢である僕は、当然ギャップ萌えには弱いもの。
これが何を意味するのか――
…ヒナ委員長、助けてください。僕、この娘好きになってしまいます。あっ、ちょっと涙出てきた。
流石に委員長にしてもらったときみたいに鼻血までは出なかったが、絶世の美少女にこんなことされては元男として動揺を隠しきれない。鯉みたいに口をパクパクさせるしか能がなくなった僕に、彼女はコテンと首をかしげる。
「おや、何か間違えましたか?以前行政官がヒナにしてもらって、大変効いていたように見えましたので……ふふ、冗談ですよ」
そう言って口元を手で隠しつつ、目じりを優しく下げて微笑んだ。あー、困りますお客様!この娘、不愛想に見えてめちゃくちゃ小悪魔です!
僕はヒナ委員長を愛する心でこの動揺をなんとか鎮めようと、頭の中で以前ヒナ委員長を温泉に連れて行った時のことを思い出す。あのときは互いに徹夜が確定していたから、目覚まし代わりに行ったんだっけ。
人前で裸になるのは初めてだったのか、それとも仕事の手を止めることへの罪悪感か、なかなか脱衣所から出てこなかった委員長の手を引いていったときの委員長は、顔をホオズキのように真っ赤にさせてちょこちょこと後ろを歩いてきた。カワイイカワイイね…
ふぅ…ふぅ…落ち着け、僕は委員長一筋。他のギャップ系美少女に誘惑されたところで落ちたりしない!
なんとか平常心を取り戻した僕は、もう一度セナ部長の顔を見る。すると、いつの間にかさっきまでの微笑みは消えて、いつものスン…といった無表情に戻っていた。
…なんかさっきまで心の中が大荒れだった僕がバカみたいである。
こっそりと自らの行いを恥じていると、再びセナ部長は続ける。
「それからもう一つ。我々救急医学部は、よく他校の医療系の部活と技術講習会に参加することがあるんです」
「そこで知り合った友人から、行政官に伝言です。「貴方はよく無理をしてお体を壊していたので、
…?
え、誰だ?
一応他校の生徒会ポジションの組織に所属している生徒とは仕事で顔を合わせることはあるけれども、医療系の部活で知り合いなんていないはずなんだけどなぁ。
…というか「今回は」って、どういうことだ?二周目、ってことを知っているの?あれ、どうして?ヒナ委員長にすら言ってないのに!?
「「立場や所属の違いで会いに行くことはできませんが、例の条約の時は可能な限りサポートしますよ!私は貴方の「生徒」ですから!」…行政官はいつの間に他校の下級生に手を出していたんですか?」
「えっ!そ、そんな人聞きの悪いことはしていませんよ!」
手を出すなんて、まるでこっちがタラシみたいな言いぐさだ。僕はヒナ委員長ラブなのでそんなことはしないぞ。
でも、本当に誰のことだろう…?医療系の部活で、こっちの転生の話?をおそらく察知している…そんな埒外の存在の生徒か。
――あー…あの娘かな。彼女なら、なぜだかこの転生のことぐらい分かってそうな気がする。もともとゴリゴリのセキュリティが張り巡らされているシャーレのオフィスに侵入したり、唯一シッテムの箱に干渉できたりしていた娘だ、それぐらいはやってのけそう。
「どうやら既に相手を察しているようですね。…えぇ、トリニティの救護騎士団に所属している彼女です。先ほど話した「神秘」についての話も、彼女が古書を漁って見つけ、行政官だけにと伝えられたものなのですよ。私は眉唾モノだと思っていましたが」
なるほど、流石はセリナだ。彼女は絆ストーリーにおいて、先生が名前を呼んだだけでもその場に表れるという、若干ホラー味のある異能を披露した。彼女であれば、不思議な力で記憶の引継ぎぐらい出来そう(小並感)。
性能面でも、僕は最序盤のころから低コストのヒーラーとして頼らせてもらってた。だが僕がトリニティと仲が悪いゲヘナに所属しているので簡単には会えないから、セナを通して情報を伝達してくれたのだろう。本当に頭が上がらない。
あれ、さっき「貴方の生徒」ですって言ってたよね?ということは、前週であるエデン条約で亡くなってしまった先生のセリナじゃなくて、僕がゲームとして遊んでいた世界線のセリナってことか?
そう彼女のことを思い出しつつ考察を進めていくと、一人で腕を組みながら考え込む僕を不審に思ったのか、セナ部長が声をかけてきた。
「…おや、以前の行政官であれば「トリニティ」の名を聞いただけで機嫌が悪くなるような方でしたのに」
…あ゛っ゛
そうだった、僕はゲヘナ風紀委員の行政官天雨アコ。トリニティが大嫌いなドM横乳ペットなんだった!
ど、どうしよう…完全にアコのふりをするのを忘れていた。今からでも訂正して、トリニティアンチの言動をとったほうが良いかな?でも僕そんなにトリニティのこと嫌いじゃないんだけどなぁ…
そんな困惑を察してか、彼女は畳みかけるよう続ける。
「いえ、かまいませんよ。少なくとも、私とヒナは薄々感づいていましたし」
「行政官が何か重いものを抱えているのは、言われずとも察せます。何かありましたら、可能な限り私もお手伝いしますよ。…死体が見られるようであれば、なお歓迎です」
あっ…バレてたんだ。まぁそれもそうか。急に横乳を隠し始めたんだし。委員長も急に変わってしまったアコに違和感を覚えつつ、気づかないふりをしてくれてたんだろうなぁ。
…とにかく、二人にはしっかりと説明しないといけないな。アコに託されたとはいえ、傍から見ると僕がアコの体を奪ったようなものだ。セナ部長も信頼してくれているようだが、こちらの素性を明かさねば不誠実だろう。
「…はい、ありがたく頼らせていただくことになると思います、セナ部長。ですが、流石に死体は見られないかと。死体が出ないようにするのが、私の使命ですので」
僕の言葉を聞き、セナ部長は「そうですか、残念です」と言わんばかりに微かな失望を含んだ表情を浮かべた。そんな残念さは表情や微妙な仕草にほんの一瞬だけ表れ、すぐにデフォルトの鉄仮面に戻っていた。
(それからは僕の任務の話や医療系の講習会の話をして夜を過ごしたが、いつの間にか眠りに落ちていたようだった)
(目を覚ますと毛布が掛けられており、額にはタオルが置かれていた)