五月蠅い目覚ましの音で目を覚ますと、朝の光が窓から差し込んでいる。僕は深呼吸をして、ベッドから身を起こし、ゆっくりとストレッチをする。そうして体が目覚めるにつれて、頭の中でようやく一日の始まりのエネルギーがわき上がってくる。
冷たい床に足をつけつつ、ベッドから離れ、カーテンを開けて外の景色を眺める。その後、バスルームに向かい、顔を洗って爽快な感触を味わう。お気に入りの歯ブラシで歯を磨き、髪をブラシで整えた。
バスルームを出るとそのまま部屋に戻り、いつもの服を選ぶ。慣れた手つきで下着に足を通しながら服を着て、メイクアップを施す。最後に髪飾り、カウベルつきの首輪、手首に手錠をつけて準備万端だ。
僕は自分自身を鏡で見つめ、微笑む。自信に満ち、新しい一日を迎える準備が整ったことを感じる。コンディションは完璧、爽やかな朝だ。
……いや、待て待て待て!!
この部屋どこ!?当然のように受け入れていたけど、僕の毎朝のルーティーンはこんなのじゃなかったぞ。しかも…その……下着とか………
マジでなんなんだよこの下着!名前はよく分からないけど、多分スリングショットってやつじゃないの!?こんなの変態仮面ぐらいしかつけてる人見たことないよ!
ゲームでも横乳とか乳呼吸とか散々言われてたし、なんとなく普通の下着ではないんだろうなぁとは思ってたけどこれかよ!
しかも、さも当たり前のように首輪と手錠をつけるんじゃあないよ!ドMかな?…ドMだったわ。
夢の中で伝えられたアコからのお願いは確か、「自分の代わりにヒナ委員長と先生を助ける」だったよね。そのためにアコは、全てを僕に明け渡してまでして…
ただ、最後の方で「意識が混ざり合っている」とか言ってた気はするんだけど、これほど違和感なく自然に馴染んでいるとは思わなかったなぁ。
僕はこの部屋のことなんて1ミリも分からないけど、一方でこれが自室であることや、どこにどんな物があるかという細かなことまで鮮明に理解している感覚もある。
…と、とにかく頭の中を整理しながら登校の準備をしないと!
そう思って朝食やお弁当の準備をするために動き出したものの、アコがどんな朝食を食べていたかがどうしても思い出せない。ここの記憶はすっぽりと抜け落ちているかのようだ。
うーん…確か「混ざりきってしまうのは大変だから、記憶だけは全部渡すことは出来ない」とか言ってたような気もする…
まぁ朝食の選択なんて、大した問題じゃないでしょ。これは僕の方のルーティーンでいいか。幸いにも食材の場所は分かるので、フライパンでホットサンドを作りつつケトルでお湯を沸かし、スティックコーヒーの準備をする。いつもはサンドイッチメーカーやコーヒードリッパーを使ってるけど、今回は仕方ない。
そうして朝食を終えると、多めに作った分を弁当箱に詰め、外出の準備を始める。とはいってもこれは体が覚えているようだ。すいすいと普段使っているバインダー、重要書類がいくつも入っているファイル、そして、固有武器の「ホットショット」を手に取っていく。
確かこれの説明欄では「身骨を削るような努力で行政官の地位に就いた際に受け取った物」とか書いてあった。
じゃあこの感情は決意?覚悟?それとも志?…いや、多分委員長の隣に立てる証だから、とかそんな理由な気がする。それほどヒナのことが好きなのだ、この天雨アコという生徒は。
…うん。お願い事は、絶対に成功させないとね。
そんな必要なものたちをバッグに詰め込み、家の鍵をポケットにしまう。7時からの風紀委員会定例会議に遅れないためにはそろそろ出かけなければ。
…いや待って!普通に流してたけど、流石にこの格好で外出するとなるとなぁ。
ちょっと彼女の魅力を減らしてしまうようで申し訳ないけど、それ以上に僕が恥ずかしく思っちゃうから、上からジャケットを着させてもらうことにしよう。
片隅のクローゼットを開き、去年まで着用していた風紀委員に支給される黒い上着を羽織った。乳呼吸は出来ないけど、これでよし!
結構時間はかかったものの、準備は整った。ドアを開け、新鮮な空気を吸い込む。
「
僕は自信を持って一歩を踏み出し、新しい一日の始まりに向かって歩き出した。
■
早朝の澄んだ空気を楽しみながら、学園の最西端に位置する風紀委員会の建物にたどり着いた。
途中で温泉開発部やスケバンに出くわしたらどうしようと怯えながら構えていたけど、そんなことはなくて良かったなぁ。皆朝弱いのかな。
いつものようにエレベーターのボタンを押して会議室のある階まで上り廊下を歩いていると、向こう側から見知った生徒が歩いてくるのが視界に映った。
色白の子が多い中で、ひときわ目立つ褐色肌。歩くたびに揺れるその大きな銀髪ツインテールと小さなエルフ耳に、我ら先生は誘蛾灯に群がる蛾のごとく引き寄せられてしまうのだ。
あっ、イオリだ!やっほ、イオリ!足舐めて良い?
…失礼しました本音が漏れてしまいました。ゲヘナ学園風紀委員会所属2年生、皆様ご存じの銀鏡イオリである。
「おはようございます、イオリ」
「うん、アコちゃんもおはよう……あれ、そのコートどうしたの?風邪引いちゃった?」
「どういう意味ですか」
なんで上着羽織っただけで病気を疑われるんだよ。というかあの服装が平常だと認識されていたことに驚きだわ。
某コラボで某ビリビリがツッコんでいたけど、キヴォトス全体で認識改変でも起きてるんじゃないかってぐらい際どい服装に説明がないからなぁ。
「別に私は異常ないですよ。そんなことよりイオリ、もう少しで時間です。行きますよ」
「大丈夫なら良いけど。まぁそうだね、今日から委員長が数日出張だから、問題児達の対策をしっかりしないと」
「……え?」
え、嘘でしょ。ヒナちゃんいないの?マジ?
なんだかその言葉を聞いた途端、一気に体が重くなった気がする。まるで鉛を体中に貼り付けられたかのような倦怠感。
えっ、私からヒナ委員長を補佐するという生きがいを奪うって言うんですか。ただでさえ問題児たちの掃討でストレス溜っているのに?私が淹れたコーヒーを委員長に飲んでもらうささやかな幸せすら奪うんですね。私だって色々補佐する計画を立ててたのに、それが全部台無しですよ。連絡するぐらいしてくれなかったんですか?
「なんで今知った見たいな顔してるのアコちゃん。前々から言われてたじゃん」
あー、どうせアコのことだから、その話聞いた途端に記憶が飛んだとかそんn
えっ、私が確認できていないのが駄目だって言うんですか?私だって人間ですよ、確認漏れぐらいあります。あーあ、私はもう疲れました。
うおっ、なんだか自分とは別の思考が内側から浮かんでくる気がする…
つられて僕の気分まで落ち込んじゃいそうだ。あぁ、朝一番だってのに、もうやる気が…
「そんな露骨に落ち込んだ顔しないでよ………委員長ほどは活躍出来ないけど、私だって頑張るからさ」
悲しみに包まれ、次第に肩は落ち込み、姿勢もうつむき始めた僕を気遣ってか、イオリが肩を叩きながら励ましてくれた。
実際、委員長抜きの風紀委員会において、平常時はこのイオリだけが
そしてゲーム的な観点で見ても、性能面で随分と心強い存在であった。対ボス・対複数戦のどちらでも活躍し、重装甲の相手だったら大体どこでも連れて行った。
僕が初心者だったときも3連続貫通属性攻撃のEXスキルで相手を勝手に倒してくれてものすごく助かった記憶がある。
「…そうですね。いつも頼りにしてますよ、イオリ。頑張りましょう」
少し照れくさいが、僕は本心から思った言葉を口にした。するとイオリは眼を見開いて言葉に詰まり、まるで信じられないような表情で相手を見つめている。
「……アコちゃんって、こういうとき人を褒めることあるんだ。ちょっと意外かも」
「だって事実ですもの。さっ、行きますよ!」
■
今回の定例会は情報部が持ってきてくれた情報を整理しつつ、夏期訓練の開催場所、予算整理、訓練科目などの草案を取り決めていった。
また、昨日ヒナ委員長が直々に締めてくれたおかげで数日は問題児たちがおとなしくしているだろうとの意見がチナツから出されたため、問題児達、特に温泉開発部と美食研究会の動向を皆で予想して閉幕となった。
まぁ美食の方は公式アカウントの投稿を情報部に見張らせておけば対応に遅れることはないし、温泉の方も侵入しているスパイが絶えず意向を報告してくれているので、そこを頼りつつ被害を抑える方針である。
そして会議の後は、万魔殿から届いた嫌がらせの対処に追われる事となった…
「『昨日の掃討で万魔殿周辺に散らばった薬莢は全て風紀委員の所有物であり、本日中に天雨行政官が一人で撤去しないかぎり今年度の予算を減額する』ですかぁ…」
薬莢、というのは発砲した後に散らばる黄金色のアレである。銃を撃ったときに後ろからジャラジャラ落ちてるアレである。
どうやら昨日委員長が鎮圧活動をしたときに激しい銃撃戦が起きたために散らかってしまったようだ。
…アコが作中でマコトのことを「万魔殿のタヌキ」とか揶揄していた理由が分かった気がする。どうして名指しで、しかも人数制限までついてるんだろう。
モブちゃん達*1は手伝おうとしてくれたけど、違反したら万魔殿って結構しっかり減額してくるからなぁ。グループストーリーで見たぞ。
「キキキッ、キャハハハハ!やはり風紀委員会は這いつくばっているのが似合うな!なあ、イロハ?」
「……はぁ」
噂をすれば影、この無理難題を吹っ掛けてきた万魔殿のリーダー「羽沼マコト」と戦車長の「棗イロハ」のコンビが、大袈裟に足音を立て、騒がしい声を上げながら近づいてきた。尤も、一方は呆れているようだけど。
顔を上げると、マコト議長の眼差しは鋭く、周囲の者を見下すような嫌味な輝きを放っていた。そしてその顔にはいつものような皮肉っぽい微笑みが浮かんでいるが、今回は特段勝ちを確信したと言わんばかりの笑顔であった。
「フン、行政官という地位ながら、こんなところでのんきにゴミ拾いとは良い身分だなァ!天雨行政官?」
「吹っ掛けてきたのはそちらじゃないですか…」
めちゃくちゃ顔が良いのと対照的に、性格はめちゃくちゃ悪いぞ。むしろアコちゃん良く耐えてたな。
後ろで立っているイロハも、ばつの悪そうな表情でため息をついている。自分達のリーダーが横暴な事を言っている自覚はあるのだろう。流石万魔殿の常識人枠だ。
こんないじめっ子みたいな言動で風紀委員へ日常的にちょっかいを出してくる万魔殿だが、その実態は1年生(11歳)の丹花イブキを溺愛しているロリコン集団である。
そう思えば、所謂「かわいい俺ら」みたいなもので、妙な親近感が湧いてくる。それに、マコトも大切な生徒の一人だしね。
「まぁ薬莢に関してはイブキちゃんが踏んで転ぶ、なんてことも考えられますからね。しっかり片付けますよ」
そう、繰り返すがイブキちゃんはガチ幼女である。当然言動は幼いし、痛いことや悲しいことがあったら泣いてしまうか弱い生き物だ。
あれ、僕も辛いことがあったら一人で泣きじゃくってるけど、僕は幼女だった…?違う?そっかぁ…
「ハハハッ、ついに万魔殿に忠誠を誓うまで従順になったかァ!」
「いやそこまでは言ってないです」
うーん、万魔殿はアニメのロケット団とかバイキンマン的な愉快さがあるんだけど、忠誠を誓うってなるとちょっとね…
僕が忠誠を誓っているのはヒナ委員長ただ一人である。
ただ、嫌味が失敗したことを察してか、来たときよりも少し落ち着きを欠いているように見える。
ふふっ、嫌味なんて居酒屋のバイトしてたときに腐るほど聞いたからな。この程度じゃ僕の心は波一つ立たないよ。
「フ、フンッ!我慢が上手になったなぁ、行政官。行くぞイロハ!」
「はいはい、マコト先輩」
マコトは今一度強がったように笑みを見せ、ワザと足音を立てるよう歩幅を大きくしながら撤収していった。
その後ろを、イロハがけだるげについて行く。あっ、立ち去る直前に、こちらに向かって会釈していった。やっぱり苦労してるんだろうなぁ。
■
その後、数時間かかったがなんとか掃除を終わらせることが出来た。
激しく空腹を覚えたのでスマホで確認すると、デジタル時計は14時前を示していた。
どうやら熱中しすぎて時間感覚を捨ててしまっていたらしい。胃袋も大声を上げて抗議している。
幸いにも朝作ったホットサンドは持ってきているので、どこかのベンチに座って遅めの昼食へと洒落込もう。
長時間屈んでいたため通常の歩行にすら違和感を覚えるが、しっかりとした足取りで近くの休憩スペースへ向かう。
通学中もよく広告を見かけた飲料メーカーの自販機で飲み物も購入し、お腹を満たす準備は整った。
時間も遅めなので、周囲にはほとんど人が見当たらない。絶好のランチライムだ。
弁当箱の蓋を開け、どの具材から食べようか迷っていると。
「…あれ、あの子は」
視線の先に見覚えのある赤髪の少女が、大粒の串団子を数本抱えながら歩いているのが見えた。
その表情は花が咲いたような笑顔で、見ているとこっちまで幸せな気持ちになる。
そう、美食研究会1年「赤司ジュンコ」である。
問題児集団の美食研、そのなかでも苦労人ポジションの子で、大体可哀想な目にあってるイメージが強い子だ。
バキューン
「い、痛ぁ!…あぁ!!私のお団子がぁ!」
…どうやら近くの小競り合いの流れ弾が手首に直撃したらしい。
抱えていた串団子は見事なまでにアスファルト上に転がった。
先ほどまでの笑顔から一転、膝から崩れ落ち、その表情は絶望に染まった。かわいそう(小並感)
彼女はよっぽど空腹だったのか、落ちた団子を急いで拾い始めた。…放っておいたら、そのまま食べてしまうんじゃないかってぐらいの勢いで。
いや、流石にこのまま見過ごすわけには行かないでしょ。
僕は席を立ち、いまだ絶望した表情の彼女の元へ向かった。
■
「何か困っているようですね、ジュンコさん」
「あっ!風紀委員の行政官!何よ、まだ何もしてないから!」
団子を拾いつつ話しかけると、ジュンコは驚いた表情をしながら一歩下がり、威嚇するかのように背中を丸めた。ネコみたいでかわいい。
「知ってますよ。…ほら、私のお昼ご飯を分けてあげるので、良かったら一緒に食べませんか?」
そう、彼女は所謂苦学生である。高級食材を購入するのにお金を使っているというのもあるのかも知れないが、ゲーム内では専らアルバイトとかに勤しんでいた気がする。
こうやって団子をよく食べている理由も、単に安いからとかそんな理由だったはずだし。
「えぇー!!く、くれるの?なんで?どうして!?」
「…まぁ、作りすぎてしまって」
「作ったの!!自分で!?すごい!」
差し出したホットサンド*2を受け取りながら、今度は大袈裟なまでに驚き、同時に尊敬の眼差しを僕に向ける。
す、すごい褒めてくれて自己肯定感が上がるなぁ。本人は思ったことを言ってるだけなんだろうけど。
そのまま勢いよくかぶりつくと、今度はまた花のような笑顔を再び咲かせた。
「うわぁー!たまごとハムだぁ!ねぇねぇ、もっとないの?」
差し出したホットサンドは魔法のように消え去り、僕は驚きと興味の視線でその食べっぷりを見つめていた。
彼女の催促の言葉でようやく意識が戻ってきたほどだ。
小柄とはいえ、彼女も美食研の一員である。常人よりも食べられるキャパシティは多いのだろう。
「はい、まだありますよ。よろしければ飲み物もいかがですか?」
それから口に入れる動きは素早く、ほとんど目で追うことができないほどだった。
そんな手の動きに驚きながらも、食べてばっかりの彼女を心配して先ほど購入したお茶を手渡す。
彼女の食欲はまるで底知れぬ淵のようで、あっという間に空のお弁当箱が目の前に残され、満腹の満足感に包まれていた。
ジュンコでこれなら、他のメンバー、特に鰐渕アカリと獅子堂イズミは…
い、いや、考えないようにしよう。どうりでゲヘナ周辺に食べ放題の店がないわけだ。
僕が人知れず慄いていると、お茶を飲み終えたジュンコは立ち上がり、僕に頭を下げつつお礼を述べた。
「えっと、ありがとう!私、行政官のことただ怖い人だと誤解してた!料理上手で食べ物くれる人なんだね!…おいしかったから、またちょうだい!」
「えぇ。今度からは多めに用意しておきますね」
恥ずかしそうにもじもじと足元を見つめ、顔を赤らめて手で髪をいじりながらの言葉。
彼女のもじもじとした様子は、まるで初めての場面や緊張した状況に置かれた子供のようであり、その姿は僕の心をほっこりさせるものであった。
「それじゃ、私これからアルバイトがあるの!バイバイ、行政官さん!」
そう言いつつ、彼女は急に駆けだした。体を前に向けつつも顔はこちらに向いたまま、手は勢いよく振り続けるという奇妙な走り方で。
僕は転けたりしないか内心ドキドキしながらも、やはり自分の料理を褒められるというのはうれしいもので。彼女が見えなくなるまで手を振っていた。
「…あっ、自分の分残すの忘れてました」