この世界線ではイツキ君のハチゴーはどうなっていくのでしょうか…?
秋名峠を揺るがした大天才同士の超絶ダウンヒルバトルからしばらく経って。
ある快晴の日、じりじりと夏の日差しが照りつける渋川市街。秋名山の麓にある拓海達のバイト先であるガソリンスタンドにて、池谷がバイトに出勤してきたイツキを見て、驚きの声をあげていた。
「お、おいイツキ、それ…!」
池谷の視線の先のイツキはいつもと違い、車に乗ってきていた。ついに彼は愛車を手に入れたのだ。
その姿は白地をベースに黒いラインが入った3ドアハッチバッククーペのボディに黒い前後バンパー。今となっては古臭い印象もあるが、キリッと精悍な角型ヘッドライトに挟まれたフロントグリルに輝く「LEVIN」の文字。イツキが欲しい欲しいと願って止まなかったAE86型カローラレビン――所謂ハチロクレビンであった。
「おっはよーございます池谷先輩!ついに買っちまいましたよ…!見てくださいよこれぇ!!」
窓を開けた運転席から顔を出したイツキがデヘデヘとにやけながら言った。
「そうか、今日が納車日だったんだな…!しかも結構綺麗なレビンじゃねぇか…!!そこそこしたんじゃないかこれ…?」
「それがなんと30万!結構安かったんすよー!こんなお手頃に綺麗なレビンが買えるなんて思っても見なかったっす!!」
綺麗な割にやたら破格の値段で買えたとイツキは言う。先ほどまで池谷と雑談していた健二も寄ってきて、スタンドの隅へ駐車したイツキのレビンをまじまじと見始めた。
「お、すげぇなイツキ、見た感じフルノーマルっぽいけどハチロクじゃねぇか…!なぁイツキ、エンジン掛けてみてくれねぇか?自慢の4A-Gサウンド聴かせてくれよ…!」
「お安い御用っすよ健二先輩!」
快音で鳴らす4A-GEエンジンを積むハチロクを買ったなら必須儀式だ、とばかりにエンジンの始動をせがむ健二に二つ返事で快諾したイツキはもう一度愛車の運転席へ乗り込み、イグニッションキーを回した。
セルモーターが回り、拓海の乗るトレノと同じ、乾いた快音が響き渡る――と思いきや、レビンから聞こえてきたのはどうもパンチの無い音だった。なんというか、もっさりしている。
イツキが軽くアクセルを煽り空吹かししてみるが、やはりあまりキレのある吹け方ではない。
「おい池谷、ハチロクってこんな音だったか…?なんていうかこう…」
「そう、だな…いくらノーマルマフラーとはいえ、こんなぼへーっとした音じゃないはずだよな…」
ハチロクと聞いて思い浮かべる音を発さないイツキのレビンを前に、顔を見合わせる池谷と健二。
「おーいお前たち、なにしとるんだ?おぉ、ついにイツキの初めての愛車か!!ハチロクレビン、綺麗そうで良いじゃないか」
そこに現れたのはこのスタンドの長である店長を務める立花裕一だ。
「あぁ店長、そうなんですけど…なんかハチロクにしては音、違いませんか…?」
ちょうどいいとばかりに池谷が裕一へ訊ねた。
「んー?どれどれ、おいイツキ、ちょっと吹かしてみてくれ」
「了解っす!」
裕一の言葉に応じてイツキがもう一度アクセルを煽る。やはりレビンはぬぼーっとしたパンチのない排気音しか発さない。
「むむ…こいつぁひょっとすると…イツキ、ボンネット開けてくれ」
「え?いいっすけど…どうしたんすか店長?」
何かを勘づいた裕一に言われるがままにボンネットオープナーを引くイツキ。ぼこんと軽い音を立ててポップアップしたボンネットを裕一は持ち上げ、つっかえ棒を立てかけた。
「……やっぱりな。三人とも、エンジンルームを見てみろ」
「…!!店長これって…」
裕一に続いてエンジンルームを覗き込んだ三人の見る先には、ハチロクとは違うエンジンが鎮座していた。
イツキのレビンのエンジンルームでアイドリングするエンジンは本来ハチロクの心臓部として収まる4A-GEエンジンにしてはやけに幅の狭いヘッドをしていた。
80年代の車らしいスカスカのエンジンルームの中央へちんまりと載った、いささか地味な印象を受けるエンジンの幅狭のシリンダーヘッドにはタイミングベルトカバーに隠れたカムシャフトプーリーがひとつだけ。そしてその上には随分古臭い印象の黒い丸型エアクリーナーボックス。シリンダーブロック側面へ刻印された「3A」の文字。
そう、これは吸気バルブと排気バルブをそれぞれ専用のカムシャフトで駆動する
「イツキ、これはハチロクじゃない――ハチゴーだ」
そして3A-Uを搭載したこのレビンは「AE86型」ではなく――エンジンや足回り、駆動系等を普通のカローラと共通の実用一辺倒なものへ変更し、コストダウンを行うことでお手頃価格にした見た目だけハチロクそっくりさんの廉価グレードである「AE85型」、通称ハチゴーだったのだ。
「え――ええぇえええええ!!?」
うきうきでハチロクを買ったと思ったら実はハチゴーだった。その事実を悟ったイツキの絶叫が響き渡った。
☆ ☆ ☆ ☆
イツキのハチロク、ハチゴーだった事件が起きたその日の夕方、バイトから上がったイツキは共にバイト上がりの拓海をハチゴーの横に乗せて拓海の家である藤原とうふ店へ向かっていた。運転の練習がてら、拓海を家まで送ってみることにしたのである。
「あーぁ、ハチロク買ったと思ったのにハチゴーか…やっちゃったなぁ」
憧れのハチロクかと思いきや、そっくりさんで低性能なハチゴーだった。ちょっとしょんぼり気味のイツキはハチゴーのステアリングを握りながら呟いた。
「いいじゃねぇか、イツキ。うちのハチロクはあれ親父のだし、一足先に自分の車持ててイツキが羨ましいよ」
しかし助手席の拓海はイツキが自分の車を持ったことが羨ましいと言う。走ることの楽しさに気づき始めた拓海としては「自分だけの車」を手に入れたイツキが眩しく感じるのだろう。
「そっ、そうか…?そっか…初めての俺だけの車だもんな…!あんなすっげぇバトルをしてる拓海にそう言われちゃ、ちょっとコイツが可愛く見えてきたかも…」
「うん、凄いよイツキ。それにパワーが無くても走らせ方次第でたぶんどうにかなるんだ」
愛おしそうにステアリングを撫でるイツキを見ながら、この前のアイとのバトルを思い返す拓海。
ハチロクも絶対的にパワーがある車ではないが、自分の腕でとんでもなく速いアイのGT-Rともあれだけ勝負が出来た。このイツキのハチゴーとやらにもこの車なりの速い走らせ方があるのではないか、と拓海は思った。
そうして走っている間にハチゴーは住宅街の中へ入り、藤原とうふ店が見えて来た。ところがその店先にはいつもと違い、一台の車が停まっていた。
陽光を反射して輝く真紅の巨体の後ろ姿には純正ウイングのステーを利用して鎮座するカーボン製GTウイング。いかにもパワーがありそうな大口径のシングルマフラー。印象的な丸型四連テールランプのそばには夕日を受けて誇らしげに輝く「GT-R」のバッジ。
そして拓海が先日の秋名の下りで必死で追いかけたナンバープレート。『群馬33 あ 45-510』――間違いない。
見紛うはずもない、先日隣の拓海と異次元のダウンヒルバトルを繰り広げた星野アイその人の愛車、R33 スカイラインGT-Rであった。
「おぉお!?お、おい拓海、お前の家の前に停まってるあのR33…!アイちゃんだよな…?」
「ん、あれ…ほんとだな…ウチになんか用なのかな…」
まさかの人物と拓海の家の真ん前で出会うことになろうとは、と困惑の二人。イツキはとりあえず真っ赤なGT-Rの後ろにハチゴーを停めた。
ハチゴーから降りた二人と呼応するようにGT-Rのドアが開き、紫紺の輝きを振り撒く黒髪を靡かせた白いワンピースの少女が降りて来た。やはりアイだ。
「あれー?拓海君!と…えーっとお友達の、イツカ君?」
「イツキっす!!」
「そうそうイツキ君!」
未だ微妙に違う呼び間違いをされるイツキがさめざめと涙を流しているのを横目に、拓海はアイにどうしたのかと訊いてみた。
「それで、どうしたんだ…?ここ、俺のウチなんだけど…」
「あ、やっぱり拓海君のお家なんだ!!建物の横の駐車場に見覚えのあるハチロクが居るから、もしかしたらって思って!」
瞳の星を輝かせながらにっこり笑ったアイは本題に入る。
「あ、そうそう、この辺に藤原とうふ店っていう美味しいお豆腐屋さんがあるんだよーって聞いて、気になっちゃって!まさか拓海君のお家だとは思わなかったけど☆」
どうもアイは拓海の家がやっている豆腐屋の豆腐がお目当てのようだった。
「最近お腹がぽっこりしちゃってるおとうさんに、今度実家に帰ったらお豆腐使ったヘルシーメニューを作ってあげようかなって思ってるの〜!」
「なるほどそう言うことだったんすね〜!あぁ今日もアイちゃん可愛いなぁ…」
事情を話すアイに納得の二人。イツキは推しに会えてすこぶる満足そうだ。
「あれっ、そういえばこの車どうしたのー?ハチロクのレビンだよね?あ、ひょっとしてイツキ君の車?」
背後に停まっているレビンに気付いたアイがたずねた。
「そうなんすよ!!ついに買っちゃったんす!俺のレビン!!!……実はハチロクじゃ無くてもっとパワーのないハチゴーでしたけど」
「ありゃ、そうなの?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりのイツキ。ハチロクでは無かった事に改めて少し落胆した様子だが、すぐに調子を取り戻す。
「でも俺はこいつが気に入ったんす!大事に乗るんだぁ…!」
「うんうん、イツキ君が愛してあげられるならこの子は輝くと思うよ。大事にしてあげてね☆」
ハチゴーのボンネットを撫でるイツキを暖かな星の光を宿した優しい目で見るアイ。間違えて買ってしまったとしても愛してあげようとするイツキの姿勢がアイには好ましく思えた。
「あ、そうだお豆腐!拓海君、お豆腐買っていくね〜!」
「あぁ、うん。中に親父が居ると思うから…」
「はーい!ごめんくださーい☆」
ここにやって来た本来の目的を思い出したアイは拓海に一言残し、藤原とうふ店の玄関を潜った。
手作りの味を売りにしているという、古き良き昔ながらの町の豆腐屋と言った風体の玄関を潜った先にはこれまたレトロなカウンター。
その奥には店主と思しき中年ほどの長身の男性が居た。閉じているんじゃないかと錯覚する細い糸目にどこか拓海と似通った雰囲気。恐らく拓海の言っていた父なのだろう。
「ん、おぉ、いらっしゃい。珍しいな、うちにこんな可愛いお嬢さんは」
「こんにちは〜☆拓海君のこの前のバトル相手で、お友達になりました、星野アイです!」
「あぁ、なるほどなぁ…この前やったっていうR33のか…あんな息子だが、仲良くしてやってくれ」
日頃はそこら辺の昔馴染みが多い客に、滅多に見ないレベルの美少女が現れたことに驚く店主、
少し前に「とんでもなく速い赤いGT-Rと引き分けになった」と拓海が言っていたのを文太は思い出し、その相手がこの少女、星野アイなのだと納得した。
「あ、そうだ!このお店のお豆腐が美味しいって聞いて!お豆腐三つくださーい☆」
「おぉそうかい、まいどあり、150円だ」
アイの元気いっぱいの注文に文太は薄い笑みを浮かべながら代金を受け取ったのちに豆腐を取り出し、ビニール袋に入れてアイに手渡した。
「あれ?これはー?」
ビニール袋の中の豆腐と一緒に頼んだ覚えのないものが入っているのを見つけたアイが首を傾げる。
「あぁ、それかい。こんな別嬪さんが来てくれたのと、うちの拓海と仲良くしてもらってるののお礼だ、おまけのおからだよ」
「わー!ありがとうとうふ屋さん☆」
「いやなに、いいさ。俺は拓海の父親やってる藤原文太ってもんだ。もしうちの豆腐を気に入ってくれたらこれからもご贔屓にな」
「はーい!ありがとうございまーす!」
さらっとおまけでアイの好感度を上げにかかる文太。息子と二人暮らしでは縁のない女の子、それもアイドル級の美少女が来てくれてやはり嬉しいのだろう。
「それじゃあ拓海君、またねー☆」
「あ、あぁ、またな……何デレデレしてんだよ親父」
「うるせぇ、たまには華に癒されてもいいだろ」
るんるんで玄関を出ていくアイとすれ違いに入って来た拓海は顔に似合わず内心デレデレだろう文太を見て、呆れた顔をしていた。
間違えて買っちゃったけど見捨てずにハチゴーを愛そうとするイツキ君に100アイポイント。少しアイちゃんの興味が向きました。もしかしたら名前を間違えられなくなるかもしれません。
後半はアイちゃんとお豆腐の出会い。これ以降アイちゃんの好物に藤原とうふ店のお豆腐が加わります。スーパーアイドル級に可愛い女の子がお客さんに来てくれて文太さんもホクホクです。
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