峠の一番星   作:翠 -SUI-

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お待たせしました、ガムテープデスマッチ開幕です。
はよう慎吾には改心してもらわな……じゃけんレイジユアドリームしようね〜(


ACT.18 noir étoile

 

「GO!!」

 

 スタートの掛け声と同時に池谷が右腕を振り下ろした。それを合図に弾かれたように飛び出したハチロクトレノとEG6シビックの二台はNAエンジン特有の乾いたエキゾーストを響かせ、秋名のホームストレートを猛然と駆け抜けていく。

 

 先頭を取ったのはハチロク。単純な出力差で言えば150馬力そこそこのハチロクに対し、200馬力に迫る高出力を誇るシビック。約50馬力の出力差は大きい。フル加速勝負ではシビックが圧倒的に有利なはずである。しかし慎吾は敢えて全開加速をせず、ハチロクの加速に合わせてわざと後ろに着いたのだ。

 

(リッター当たり100馬力超えの伝説は伊達じゃ無ぇ。テンロクNA最強の座を欲しいままにするB16Aに掛かっちゃァ、初期モンの4A-GEなんてオモチャみたいなもんだ。ハチロクなんざいつでも抜けるんだよ――さぁ、見せてみろ、てめーの実力をよ。幾つコーナーをクリアできるか、後ろからじっくり見せてもらうぜ)

 

 慎吾の思惑は秋名のハチロクの実力を後方から見極め、あわよくばこのルールの落とし穴に嵌って自滅するのを見届ける事にあった。わざわざアクセル開度を加減して後方へ着いたのはそのためだった。

 二台はハチロクを先頭に一コーナーへ飛び込み、秋名の下り前半セクションを駆け下りていく。

 

 十年以上前の時代遅れとは思えない鋭い走りをする眼前のハチロクに慎吾は内心舌を巻く。確かにそんじょそこらのハチロクとは違いそうだ。だがこのバトルは"ガムテープデスマッチ"である。

 勢いに乗ってヘアピンへ飛び込んでいくハチロクの後ろ姿に慎吾はにやりと不気味な笑みを浮かべた。

 

「おうおう元気なツッコミだなァ?だが何か忘れちゃいねぇか……?

 

 慎吾の視線の先で勢い良くコーナーへ飛び込んだものの、カウンターの舵角が足りずにリヤから膨らんだハチロクがガードレールに向かって吸い込まれていく。

 そら見ろ。デスマッチのアリ地獄の入り口だ。慎吾は勝ちを確信した。

 

「ふっ――逝ったな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(――ッ!?外に流れていく、曲がらねぇ!)

 

 なんとしてもこのふざけたシビックをぶっちぎる。その決意のまま攻め込んでいった拓海はいつもの感覚でヘアピンをクリアしようとした矢先、思い描いたラインから外れていくハチロクに目を見開いた。カウンターが足りていない。

 そうだ。このバトルは右手がハンドルから離せない――!

 

 拓海は今回のルールを今更ながら思い出した。右手はガムテープでぐるぐる巻きにステアリングと一体化している。当然右腕の持ち替え無しではいつものような舵角は確保できるはずはない。

 ルール説明の時は「なんだろうがぶち負かしてやるのみ」と意気込んでいたが、今回のルールの厄介な点を改めて拓海は身をもって体感していた。

 

 そうしている間にもハチロクのガラスの向こうにはガードレールがみるみるうちに迫ってくる。このままではクラッシュ待った無しである。

 

「くっ……!!」

 

 拓海は咄嗟に身体を捻り、左手でガムテープ巻きになっている右手ごとステアリングを押し回し、なんとか追加の舵角を確保する。身体をしっかりホールドするバケットシートではなく、ホールド性に乏しいハチロク純正のノーマルシートであることを逆手に取った機転だ。

 盛大なスキール音を撒き散らしながらかろうじて路肩の際で踏みとどまったたハチロクはカードレールぎりぎりを掠めるように体勢を立て直し、無事に再加速に移った。

 

(っ……なんとかなった……手の筋が千切れるかと思ったぜ……)

 

 間一髪でクラッシュを回避したハチロクの運転席で拓海は冷や汗を拭った。もう少し舵角が足りねばハチロクはガードレールに突き刺さり、イツキのハチゴーの二の舞に成りかねなかった。

 

(でもこれじゃいつもの曲がり方は使えねぇよな……)

 

 普段通りの操作では先程と同じ轍を踏むことになる。拓海は身体の一部のように馴染んだハチロクが伝えてくるフィーリングを感じ取りながら、少ない舵角でコーナーをクリアして行く走り方を探って行く。

 そうしてコーナーをクリアするたびに拓海には手応えが掴めてきていた。

 

「分かったぜ、このバトルの走り方のコツが……!」

 

 アイとの出会いで多くの経験値を吸収し、急進化を遂げた彼の卓越したドライビングセンスは今夜のバトルの糸口をこの短時間に手繰り寄せる事に成功した。

 "カウンター量を最小限に、ステア操作に頼らないほうが速いコーナリングができる"

 拓海の出した結論はこれだった。

 

(ハンドルをなるべく切らないで曲がったほうが速いんだ……クルマのどこへ体重を掛けるかで曲がっていくような……そうか、これが親父が言ってた荷重移動か)

 

 そうとわかれば拓海の行動は速かった。右手がステアリングと一体になって居ようとも現在進行形で進化している巧みな荷重移動を駆使し、最小限の舵角で小さくカウンターを当ててコーナーを次々と抜けていくハチロク。先ほどの失態など影も形もない、まるでガムテープなど無いような鮮やかな走りだ。

 

(そういえばアイさんの走りもこんな感じな気がするな……)

 

 アイの走りの技量レベルはかなり高い位置にある。急成長を遂げている拓海とは言え、純粋な技量自体は未だアイの方に分がある。しかしこれで一歩。アイの居る高みへと拓海はじわじわと進化を続けている。

 

 もはやハチロクの挙動には一才の乱れも無い。スケートリンク前のストレートに出た拓海はアクセルベタ踏みで4A-GEを奮い立たせる。下りの勢いも味方につけて、高らかに快音を響かせるハチロクはぐんぐんスピードに乗っていく。

 

(このバトル、絶対勝って土下座させてやる……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(こいつ……あれほどヨタヨタしてたってのになんだってんだ、最小限のカウンターで憎たらしいくらい鮮やかにコーナーをクリアしていきやがる……)

 

 ハチロクを追走するEG6シビックの運転席で慎吾は想定外の事態に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 当初はガムテープに舵角を制限され、ガードレールに刺さりそうな挙動をしていたハチロクはある時を境にキレのある動きを見せるようになった。今や右手を持ち替えない範囲内の小さなカウンター量で鮮やかに四輪ドリフトを決め、コーナーを次々と立ち上がっていく。

 

(ガムテープデスマッチってのはそう簡単にモノにできるもんじゃねぇ。俺だってガムテープを巻いて走れるようになるまでは右手を持ち替えずに走る練習を山のようにしたんだからな)

 

 自らもモノにするのに時間の掛かったこのルールでここまで短時間でコツを掴んでくる相手だとは。慎吾の予想を相手のハチロクは明らかに超えて来ていた。

 二台は前半のテクニカルセクションを抜け、コース中盤に現れるスケートリンク前のロングストレートへ差し掛かっていく。

 

(こういう長い直線じゃエンジンのパワーがモノを言う。レッドゾーンまで一気に吹けるこの陶酔感が死ぬほどいいんだ、たまんねぇぜ……!!)

 

 慎吾の右足に応え、ホンダの生み出した自然吸気界の怪物が耳をつんざくような甲高い咆哮を上げ、一気に8000回転まで吹け上がる。同排気量ながらシビックは直線加速でいとも簡単にハチロクの真後ろへ張りついた。この脅威的な加速は「いつでもその気になればストレートで抜ける」というプレッシャーを相手に与えるだろう。

 1.6リッタークラスの自然吸気エンジン最強の王座を不動のものとするこのB16Aエンジン自慢のパワーによって、いつでもハチロク程度パスできるのは確かだ。しかし慎吾としてはこんなにも粘られることは予想していなかった。

 

 スケートリンク前ストレートを抜け、秋名峠の行程は後半へ差し掛かろうとしている。もうあまりゴールまでバトル区間は残っていない。

 

(ふっ、はは、ここまで粘るとは思ってなかったが、要はどんな手を使おうとも勝ちゃあ良いんだよ、確実にな……俺ァ毅のようには優しくはねぇぜ……)

 

 慎吾の辞書に綺麗事は無い。ただあるゆる手を使った末の勝利だけがある。毅の日頃言っている走り屋の矜持など勝ちの前では紙屑同然だ。慎吾はそう思っている。汚い手を使おうとも絶対的に勝った者が官軍だ。

 獲物を前にした毒蛇のように舌舐めずりをした慎吾は眼前でコーナーへ突入していくハチロクのリヤへ狙いを澄ました。

 

(なぁに、秋名のハチロクが解体屋の鉄屑に変わるだけさ……悪く思うなよ……?)

 

 ハチロクを追ってコーナーへ飛び込んだ慎吾は勢いのまま距離を詰め、狙い澄ましたバンパープッシュを敢行した。

 FR車はどうしてもコーナリング中の安定性は劣る。外的要因が加われば尚更だ。四輪ドリフトでのコーナリング中にシビックの赤い鼻先に突き飛ばされたハチロクは意図も容易くリヤタイヤのグリップを失い、スピンモードへと突入した。

 

 無様にぐるぐると回転を始めるハチロクの横を慎吾はフルスロットルで駆け抜けた。

 

(そぉら――ジ・エンドだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フロントガラスから見える景色が回っている。茂み。ガードレール。路面。茂み。ガードレール。路面。拓海はハチロクがスピンしていることを悟った。

 

(ッ……!!)

 

 咄嗟に体に染みついたドライビングセンスがコントロールを試みる。拓海にとってこの車体は四肢の延長線上のようなもの。車体のたわみ、よじれから四輪のグリップ、足の動き、エンジンの鼓動まで手に取るようにわかる。それら全てを掌握し、活かし切る。

 

 かくしてスピン状態であったハチロクは鮮やかなまでに体勢を立て直し、何事も無かったかのように復帰を果たした。

 

(あの野郎……三度もやりやがったな……!!)

 

 池谷を突き飛ばしあわやクラッシュ寸前まで追いやり、イツキに関してはクラッシュから大破の憂き目に追い込み、挙げ句の果てにガムテープデスマッチなどと言うハンデのある変則的なバトル中にすらこんな所業をやるとは。

 拓海の中の堪忍袋の緒はとっくに切れていたが、堪忍袋が爆発四散するレベルの憤怒が湧き上がるのを拓海は感じた。

 まさしく"仏の顔も三度まで"である。二度時点で拓海はだいぶ激怒していたが、もはや何も彼を止める枷は無くなった。

 

「覚悟しろよ……てめぇみたいなカスにはぜってぇ負けねぇからなァ!!!」

 

 拓海の瞳の奥に瞬いていた黒い星が見て取れるほどにその輝きを増した。昏く昏く、彼の激情を表すかのような漆黒の輝き。それはまるで――かつてイツキを馬鹿にした不届き者へ激怒したアイのようだった。彼女が表面上静かに、しかし内に激しい怒りを宿す「静の激情」とするならば、拓海は「動の激情」。激しい怒りを乗せ、しかし破綻を起こさないまま彼はアクセルを踏み込んだ。

 

 怒れる拓海の迸る激情を映し取ったかのように4A-GEが猛々しい咆哮を上げる。勢いのままに荒々しく、かつさらに鋭さを増した走りを見せ、ハチロクは猛然とシビックを追って激走する。ガードレールギリギリを抜け、路肩の茂みを木の葉や枝切れを蹴散らしながら掠め、未舗装の斜面へ片輪を乗り上げ土煙を巻き上げながらも怒涛の勢いで拓海は突っ走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 庄司慎吾は焦っていた。

 ちらりと確認したバックミラーの中にはリトラクタブルヘッドライトから放たれるハロゲン灯の淡黄色の光。先ほど突き飛ばしたはずのハチロク以外の何者でも無い。

 

 慎吾渾身のバンパープッシュを喰らわせ、スピン状態へと陥ったハチロクをこの目で見てからその脇を駆け抜けてきたはずだ。なのに今やあのハチロクはガードレールに激突してスクラップになるどころか何事も無かったかのようにペースを上げ追いついて来ている。その差は帳消しにされたと言って良い。

 

(嘘だろ、ガムテープで右手は持ち替えられないはずだ……あのスピンから無傷で立て直して追いついて来たってのか!!)

 

 思わず脂汗を流す慎吾。あれはハチロクの皮を被った化け物なのでは無いか。そんな思いが彼の脳裏をよぎる。

 いつのまにか真後ろに張り付かれている。かのハチロクが慎吾のシビックよりも格段に速いペースでコーナーを駆け抜けてきたのは間違いない。

 

 二台はコース終盤、秋名峠名物の五連ヘアピンへ突入して行く。左足ブレーキとサイドブレーキによるリヤスライドを駆使しながらヘアピンを抜けて行くシビックにぴったりと鮮やかな四輪ドリフトでくっついてくるハチロク。引き離せる気配が微塵もしない。

 

(だがこの連続ヘアピンさえ抜ければゴールは目前だ……!インは渡さねぇぜ……!)

 

 第三ヘアピンに差し掛かり、イン側に寄って守りに入る慎吾。だがその真横、目と鼻の先までハチロクの鼻先が捩じ込まれる。慎吾は戦慄した。

 

(ッ!まさかさっきの仕返しにぶつけてくる気か……!?)

 

 やられたらやり返す。誰かがそんな事を言っていた気がするが、是非も無い。慎吾は向こうのハチロクのドライバーを激怒させるに余りある事を幾度も仕掛けている。人間の摂理として同じ事をやり返して来る事は十分に考えられる。

 

「うっ、うおぉ……!?しまった……!!」

 

 間近へ迫って来るリトラクタブルヘッドライトの光に怯んだ慎吾は思わずシビックの体勢を崩し、ブレーキを踏んでしまった。アウトへ膨らみ、インを空けてしまったシビックの脇をハチロクがレールに沿うような奇妙な挙動で鮮やかに抜けて行く。

 

(なんだあの動きは……イン側からすぱっと、まるでジェットコースターみてぇなおかしな動きをしやがる、あいつ一体何をしやがったんだ……)

 

 タイヤのグリップ限界がある以上、クルマであるならば通常あり得ないような動きを見せてあっさりと内側から抜き去っていった。もはや訳がわからない。冷や汗を流す慎吾には前を走るハチロクが人智の及ばない化け物に見えていた。

 

「なんだってんだ……俺が抜かれるなんざ、理解できねぇんだよ!!」

 

 思わず慎吾は叫んだ。今や彼の描いていた必勝を期したバトルプランは完全にご破算だった。

 もうコースは残り僅か。この化け物の如きハチロクへ勝負を仕掛けられる箇所はもはや微塵も無かった。

 

「ひひ、ふふははは、はっ……!!」

 

 想定外の事態の連続で慎吾はいよいよ追い詰められていた。明らかに正気を失った歪な笑い声が彼の口から漏れる。

 

(こっちから仕掛けたガムテープデスマッチじゃねぇか、自前のルールで吹っ掛けてこのまま負けたとあっちゃ、俺はチームの笑い者だ……)

 

 チーム内の覇権を奪い取るために中里が負けた相手に自前のルールを引っ提げてバトルを挑み、散々妨害した挙句に完膚無きまでに負ける。こんな無様な事があってたまるか。ナイトキッズ中で一生笑い者になる事を彼は恐怖した。

 

「こうなれば意地でも引き分けに持ち込んで俺のメンツは保ってみせるぜぇ……!お前の逃げ場は無ぇ、精々相打ちと行こうやァ!!」

 

 狂気を宿した目で慎吾は前を行くハチロクを見据え、アクセルをベタ踏みした。VTECの作動したB16Aが吼え、シビックの車体を猛然と加速させる。終盤のストレート区間でハチロクの右へ半車身ほど並び掛けた慎吾は、にたりと笑みを浮かべながらステアリングを左へ切った。

 

「このバトルの結末は、ダブルクラッシュと行こうぜェ!!」

 

 追い詰められた慎吾が取ったのはハチロクに体当たりし、二台諸共クラッシュを引き起こして引き分けに持ち込む自爆特攻であった。もはや正気の沙汰ではない。しかし――

 

 勢いよく左へ身を振ったシビックの行く先にはハチロクの姿は無い。ハッとした慎吾の視界の右端に微かに白黒ツートンの角張ったボディとテールランプの赤い光の残滓が見えた気がした。

 

(避けられた…ッ!?)

 

 慎吾は体当たりが空振りに終わった事を悟った。フロントガラスの向こうには迫り来るガードレール。

 

「うっうぉあああ!?」

 

 慎吾は慌ててブレーキを目一杯踏む。しかし間に合うはずも無かった。

 

 渾身の体当たりを喰らわそうとした勢いのままに左のガードレールへその身を擦り付けたシビックは耳を引っ掻き回すような耳障りな金属の擦れ合う絶叫を上げ、火花を撒き散らした後にガードレールの支柱に激突し、宙を舞った。直撃した左のヘッドライトが粉砕され、キラキラと破片が割れ飛んでいく。

 

 呆然とフロントガラスの向こうを見る慎吾の視界の中で流れる景色が反転し、麓の夜景が見えていたはずの視界は先ほどまで走ってきた峠の闇になっていた。彼は自身のシビックが一回転して後ろ向きに進んでいる事を理解した。

 

 宙を舞ったシビックは前後一回転して着地し、ガシャガシャと異音を立てながら惰性で後ろ向きに転がっていったのちにコーナー途中のガードレールへ受け止められて止まった。

 

 そのまましばらく運転席で呆然としていた慎吾だが、不意に痛みを感じた。痛みの元はステアリングにガムテープでぐるぐる巻きとなっている右手。クラッシュの時にステアリングからキックバックを喰らい、痛めてしまったのだろう。

 その痛みと共に慎吾は悟った。自分は完全に負けたのだと。

 

 ガムテープをベリベリと剥がし、ステアリングから右手を解放する。右手首を苛む痛覚が己の所業の代償としてやってきたようだった。

 

 慎吾は運転席から降り、車の状態を確認してみる事にした。のっそりとアスファルトに降り立ち、自らの相棒に目を向ける。左フロントがひしゃげ、ヘッドライトは片方割れ飛び隻眼状態。フロントアンダー周りからエンジンオイルが漏れて褐色の水たまりを作っている。左側面は一面引っ掻き傷で埋め尽くされ、ボディの地金が見えている。見るも無惨な惨状だった。

 

 散々な手を使った事は自覚している。これはその報いという事だろうか。

 目の荒いヤスリを掛けたかのように無惨に引っ掻き回されたボディを撫でてみる。ガサガサに傷んだ表面の感触が伝わってきた。こんな惨状にしてしまったのは他の誰でもない、自分のせいだ。

 

「俺の……EG6……」

 

 自らの愛車が傷つく事がこんなに悲しいのだと慎吾は身をもって思い知らされた。自身が突き飛ばしたあのレビンのドライバーもきっとそうなのだろうと。

 

 知らず知らずのうちに涙ぐんでいた慎吾の耳に山頂方面から響いて来るエキゾーストが聞こえてきた。彼が音の響いてくる上り方面を見ると、ヘッドライトの光がニ対、向かって来る。

 日産車の音だ。慎吾も聴き慣れた、CA18DETとRB26DETTの二重奏。デュエットを奏でながら近づいて来る車影は正体を露わにし、ライムグリーンツートンのS13シルビアと、その後方につく真紅のR33 スカイラインGT-Rとなった。

 

 シビックの手前で停車した二台からスピードスターズの彼らが降りてきた。バトルの行方が心配になり追ってきたのだろう。

 

「お、おい大丈夫か!?怪我は……!!」

「うわぁ派手にやっちゃってるっすね……」

「あらら〜やっちゃったね〜」

 

 池谷が駆け寄り、その後ろからイツキとアイもついて来る。あれだけ激怒していた池谷も事故となっては放って置けないようだ。

 慎吾は気まずくなり、慌てて背を向けた。

 

「……右手をキックバックでやっちまっただけだ……」

「……乗れよ、俺の車。病院連れてってやるよ。救急車呼ぶより、速いだろ?」

 

 ぶっきらぼうに呟く慎吾に対し、池谷はふっと笑って言った。

 

「……そこまでしてもらうわけにはいかねぇよ」

「……無理すんなよ、痛いんだろ?事故った時はお互い様だ」

「地元だから救急病院も知ってるんだ、池谷先輩に任せるっすよ!」

 

 固辞しようとする慎吾の肩に池谷とイツキがそう呼びかける。

 

「すまん……恩にきるぜ……」

 

 慎吾はその申し出を受けることにした。ここまで言われて断るのも良くないだろう。

 ガードレールの向こうの麓の夜景を見ながら慎吾はごちた。

 

「にしてもあのハチロク、何もんなんだ……すげぇやつがいるもんだな……」

 

 バトルは意地でも負けてなるものかと思っていた慎吾だが、何故だか今や悔しさは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、無限のお兄さん。それはそうとして、謝る相手が居ると思わない??」

「えっ」

「あなたが突き飛ばしたシルビアの池崎さん。あとこの子がレビンのイツキくん。ほら」

「あっ……その、すまねぇ……」

「真面目に言ってる???」

ひっっすみませんでしたぁ!!(土下座)」

「よろしい」

 

「うわ……怒ったアイちゃんってあんな怖いんだな……横で見てるだけなのに生きた心地がしねぇぜ」

「そうなんすよ……俺らのために怒ってくれてるのはわかるんすけど、まるで心臓掴まれたみたいっすよね……」

((……絶対怒らせんとこ))

 

 

 昏い昏い、ブラックホールのような深淵の如き黒星を両目に宿した少女の圧に慎吾は情け無く押し潰された。その様はまるで鷹や大鷲に睨まれた蛇のよう。完敗である。彼は二度と今までのような手を使わないと誓ったのだった。




【藤原拓海】
バトル開始から中盤頃までに荷重移動によるステアリングに頼り切らないコーナリングをマスターしてしまうスーパーTAKUMI。これにより慎吾を翻弄しまくる。焦った慎吾にバンパープッシュを喰らいスピン。ストッパーが消し飛ぶくらいブチ切れ黒星の覚醒状態に。ギリギリの全開走行で慎吾を猛追し、溝落としをかましてぶち抜いた挙句そのままぶっちぎってしまった。地味にこの時点での原作より技量が上がっており、茂みを蹴散らしたり片輪ダート走行したりはしたものの、ガードレールには一度もぶつけて居ない。

【庄司慎吾】
拓海が思った以上にバケモンなことに焦って必殺バンパープッシュをまたもやってしまう。真っ黒星を覚醒させた拓海に猛追され、わけのわからん抜き方で抜かれて大ピンチ、ダブルクラッシュを狙うも回避されて自滅した。キックバックをもらった右手とガードレールにすりおろされてガビガビになったシビックに「やられる痛みと悲しみ」を思い知る。毒気を抜かれた池谷先輩は有耶無耶にしてくれそうだったが、黒く反転した一番星は見逃してくれなかった。トラウマレベルの怖さにビビり散らかして漂白された模様。

【池谷浩一郎】
原作通り拓海が心配になって後追いしてきた人そのいち。慎吾にはブチギレていたが、事故っているところを見て毒気を抜かれた。やはり聖人。ブチ切れているアイを初めて生で見てビビり散らかした。

【武内樹】
健二先輩の代わりにシルビアの横に乗っていた。レビンのクラッシュの元凶が同じ目に合っているのを見て溜飲を下げるも、流石にちょっと心配になった。激おこアイちゃんを見るのは二度目だが、やはり怖いものは怖い。自らのために怒ってくれているのはわかるが怖いもんは怖いっす……!!

【星野アイ】
池谷と一緒に後追いしてきた人そのに。慎吾に対しては「罰が降った」と思っている。なんかなあなあで終わりそうだったので待ったを掛けてキッチリ謝らせた。知らなかったのか?星野アイからは逃げられない。真っ黒星モードの重圧を浴びた慎吾はきっと一生このひとには頭が上がらないであろう。



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