本作初の三人称視点です。今後もこのスタイルの回はちょくちょく入るかも。
時間は少し巻き戻る。
その日の秋名峠には異様な熱気が立ち込めていた。
なにしろ群馬の走り屋界隈で話題を総なめにしている2人の走り屋が激突するバトルが行われるのだ。街灯に誘われる羽虫のように、普段は地元の走り屋程度しか居ない夜の秋名には大勢のギャラリーが詰めかけていた。
片やほんの少し前から話題になり始めた新星、非力なハチロクで新鋭のハイパワーマシンたるFD3SとR32を立て続けに打ち負かした規格外のスーパーダウンヒラー「秋名のハチロク」。
対するは今年の春頃から群馬の各所の峠で噂され出しているこれまた規格外の怪物であり、大柄で重たく峠には場違いとも思えるボディを振り回して生半可な走り屋ならいとも容易く蹴散らしてみせるという謎のR33型GT-R。誰が呼んだか、流星のように流れる特徴的な丸型四灯のテールランプと、焼き尽くされてしまうと錯覚するほどの恒星の如きオーラを感じる走りから「峠の一番星」と呼ばれるようになっていた。
そんな化け物のような速さの持ち主同士が激突する予定の土曜日22時の15分ほど前。先にいい観戦ポイントを確保しようとやってきたギャラリーで溢れかえる秋名峠の頂上付近、ダウンヒルバトルのスタート地点となる給水塔付近。ごった返す人混みに紛れて高橋兄弟の姿はあった。
群馬の走り屋なら知らぬ者の居ない強豪チームのひとつであり、赤城山をホームコースとする「赤城レッドサンズ」のリーダーである高橋涼介と、その弟でありチームのナンバー2である高橋啓介その人だ。
高橋啓介といえば、少し前にあった、ここ秋名の走り屋チームである「秋名スピードスターズ」との交流戦の折、今日のバトルの対戦相手の片割れである秋名のハチロクと偶然遭遇してそのままぶっちぎられ、屈辱を返すとばかりに正式にバトルを挑むも再度返り討ちにされたFD3Sのドライバーである。
そんな彼がこの場に居るのは兄である涼介が噂を聞きつけ、今夜のバトルに興味を持ったことが大きい。
「なぁ、兄貴。このバトル、そんなに見る価値のあるものなのか?」
「今更何を言うかと思ったら…そんなことか啓介」
怪訝な顔をして口を開く啓介に涼介はやれやれと言ったふうだ。啓介としてはどうも秋名のハチロクの今度のバトル相手に懐疑的らしい。
「だってよぉ兄貴。藤原の相手として出てくるのはよりによってR33なんだろ?33なんざ無駄にデカくて重い失敗作だろ、あんなもん豚の餌だぜ」
ガードレールに片足を乗せ、あまり機嫌の良くなさそうな顔で啓介が吐き捨てた。パワーはあれども明らかにきついコーナーの連続する峠というステージには向かないであろう図体をした鈍重そうなR33なんぞが、自身がコーナリングマシンの最高峰とも言える峠仕様のFD3S RX-7で掛かっても悔しいほどあっさり負かされた秋名のハチロクの相手になるのかと、この弟はそう言いたいらしい。
「また出たな、啓介のGT-R嫌いが。いい加減お前は凝り固まった見方をするのをやめろ」
「うっ…でもよ兄貴、確かにこの前の中里みたいにGT-Rでも腕のいいヤツはいるけど、R33なんかアイツの相手にはならねぇんじゃねぇのか…?」
「確かに一般的にはR33 GT-Rは先代のR32に比べ、ホイールベースが伸びて大柄になったボディと増えた車重が災いして、あまり峠には向かないクルマだと言われている。実際この特徴は元々サーキットを主眼に置いたGT-Rというクルマの構成に輪にかけて峠向きとは言いづらい」
「だろ?なら…」
「ところが今回のバトルに限ってはそうとも言えない」
言った通りじゃないかと言わんばかりの啓介の言葉を遮り、涼介は話を続けた。
「R33はそのロングホイールベース化によるボディサイズの肥大化と重量増にばかり話が行きがちだが、極度のフロントヘビーだったR32に比べて重量配分はいくらか改善されているんだ。そして今回の相手はそんなR33のポテンシャルを120%、いや150%引き出して、神業的な技量でもって車両特性の不利なんて根こそぎひっくり返しかねない怪物だ」
「え、マジかよ…そんなすげぇ相手なのか…?」
「あぁ、噂だけでなく俺が走りを一目だがこの目で見た。間違いない、ヤツは藤原に匹敵するレベルのモンスターだ」
「嘘だろ…」
「詳細な分析をするにはまだデータが足りなすぎてなんとも言えないが……生半可な走り屋なら有利なクルマに乗っていようが捻り潰されるレベルなのは確かだ。そしてその走りのタイプは、乗るマシンの特性こそ真逆だが恐らくはあの秋名のハチロク、藤原拓海と同系統。あるいは近似の特異的天才タイプだろう」
藤原拓海を迎え撃つ今回の相手はその拓海と同等か上回るほどの技量と速さを持つ怪物だと涼介は言う。兄の頭脳の明晰さは疑っていないが、次元の違いすぎる話に思わず啓介は目を白黒させた。
そうしていると、下り方面の彼方から太く響き渡るエキゾーストが聞こえてきた。
重厚で乱れのない極めて滑らかな直列6気筒特有の澄んだ音色。その中に金属質な高音が混じっている。スカイラインGT-Rの搭載するRB26DETTエンジン特有の音だ。
「RB26の音だ、啓介。来たみたいだぞ」
「そうみたいだな。一体どんなヤツなんだ…」
今夜のバトル相手の片割れの登場にギャラリーが沸き立つ。
周囲の群衆と同じように下り方面へ目を向けた高橋兄弟の視線の先。下っていくアスファルトの先がヘッドライトの光でパッと明るくなり、その中から真紅の巨体が現れた。
やってきたのは真っ赤なボディに日産のモータースポーツ部門であるNISMO謹製のエアロパーツを纏ったR33 スカイラインGT-R。
ノーマルバンパーではよく言えば柔和な、悪く言うとイマイチ精悍さの足りない顔つきをしているR33のフロントフェイスへ、ダクトの増設された開口部の大きいNISMO製エアロバンパーを装着されたそのルックスは攻撃的な迫力溢れるアグレッシブな姿へと変貌している。その姿はまさに重戦闘機。大きく開いた前面開口部の奥にはハイパワーターボマシンだということを誇らしげに主張するかのように大容量の強化インタークーラーが鎮座していた。
「ふむ、見たところ外装だけで無く吸排気系にも手が入って居そうだな。RB26は元々280馬力規制へ対応するために抜けの悪い吸排気系でデチューンされているほどのパワー自慢だ、これだけでも300半ばから後半はあるだろう」
「俺のFDと同等か上回るパワーか…悔しいがパワーに関しては認めざるを得ねぇよな」
鋭いタービンの過給音とブローオフサウンドを響かせ、小気味の良いシフトダウンで減速しつつ給水塔前へ近づいてくるR33を観察し、戦闘力の分析を始める涼介の言葉に悔しげに啓介が応じる。やはり啓介にとってはGT-Rというクルマは因縁があるようだ。
ゆっくりと減速し、給水塔前の側道へ入ってきたGT-Rを遠巻きに観察する。完璧なブレーキコントロールで停車したその車体側面には、R33に存在するボディカラーのひとつ、ミッドナイトパープルを用いたライングラフィックが施されて居た。
こんな印象的なクルマ、一度目にしたら二度と忘れんだろう。
思わず内心で同じことを考える兄弟。
ヘッドライトが消え、エンジンの停まったGT-Rのドアが開く。お待ちかねのドライバーが降りてくるようだ。数多のギャラリーと同様に涼介と啓介も噂の怪物の正体を見極めるべく、開いた赤いドアを注視した。
開かれたサッシュレスドアの奥から現れたのは、いまだ20代に入ろうか、という頃の小柄な少女であった。
150cm少しというところの小柄な体型に、街頭のナトリウムランプの光を浴びて紫掛かった不思議な輝きを振り撒く艶やかな長い黒髪。恐ろしいほどに整った小さな顔。星のような輝きを宿すぱっちりとした大きな瞳。
つまるところ、絶世の美少女であった。
「ほう……!」
「お、女ァ…!?」
一見冷静だが、興味を惹かれてしょうがない様子の涼介。どんな歴戦の野郎が出てくるかと思ったら峠には不釣り合い、それこそアイドルでもやっていたほうが何ら不思議ではないレベルの美少女が出てきて度肝を抜かれている啓介。
兄弟揃って一番星の輝きに焼かれた瞬間であった。
☆ ☆ ☆ ☆
すっかり日も暮れた土曜夜の群馬県道33号線、秋名峠を山頂目指して駆け上がる3台の車列があった。
先頭を行くのはハイテックツートン、所謂白黒のパンダカラーを纏うAE86 スプリンタートレノだ。右ドアには「藤原とうふ店(自家用)」の文字。群馬中の走り屋の噂を総なめにしている片割れであるスーパーダウンヒラー「秋名のハチロク」こと藤原拓海である。4A-GEエンジンの奏でる乾いた快音を響かせながら快調に秋名を上っていく。
その後へ続くのはライムグリーンツートンのS13シルビアと白い180SXの日産姉妹車コンビ。拓海と親交のある秋名スピードスターズの面々だ。そんな3台の真ん中へ陣取るS13の車内は実に騒がしかった。
「いやぁたのしみだなぁ…!星野アイちゃん!!めちゃくちゃ可愛いんだろうなぁ…くぅぅーッ!!」
「気持ちはわかるがちょっとは落ち着けイツキ、いや確かにあの子めちゃくちゃ可愛いんだが」
「くっそー拓海のヤツ羨ましすぎるぞぉ!!そんな走り屋の可愛い子に興味持たれて名指しでバトル申し込まれて!!俺も早くハチロク買って、拓海と秋名最速のハチロクコンビ組むんだぁ…」
助手席で騒々しく百面相を見せるのは拓海の幼馴染、イツキこと武内樹。
微妙に異性と関係を持てない男子高校生らしく、今夜の拓海のバトル相手である絶世の美少女らしい「星野アイ」を一目見るのが楽しみでしょうがないらしい。
やかましくて仕方のない助手席を見て若干呆れつつシルビアのステアリングを握るのは秋名スピードスターズのリーダーであり、拓海とイツキがバイト先としているガソリンスタンドの先輩社員でもある池谷浩一郎だ。
池谷はちょうど1週間前の日曜日、勤務先のスタンドに偶然立ち寄ったソロの走り屋であるらしい少女、星野アイに秋名のハチロクこと拓海へのバトルの申し込みを伝言され、拓海へのメッセンジャーを請け負うことになった。
拓海は少し考え込んだのちに申し込まれたバトルを受け、池谷とイツキ、後ろの180SXをドライブする親友の健二の3人でこうしてバトル当日に拓海応援隊としてハチロクへ付いていく事となっている。
3人の中では唯一アイの顔を知っており、あまりの美少女っぷりと放たれる魅了のオーラと言うべきものに呑まれて見惚れてしまった経験のある池谷だが、それにしたってあまりの横の騒々しさに思わず苦言を呈した。
「ほらイツキ、もう少しでお前も見れるんだから少しは落ち着いてくれ」
「それもそうっすね…!瞬きしないで焼き付けるっす!!」
「うわ、割ともう中腹にもギャラリーが居るな…俺たち場所取れるか…?」
やいのやいのと盛り上がる男どもを乗せたシルビアはハチロクに次いで山頂の給水塔へ到着した。
「お、見てみろイツキ、あのR33だ」
「おわ、ほんとにR33だ…!めちゃくちゃ速そうじゃないっすか…?」
池谷の目がくたびれた給水塔横の側道へ駐車している真紅のR33 GT-Rを発見する。間違いない、あの時スタンドへ来たアイのGT-Rだ。
拓海のハチロクが本線をそのまま進み、R33の横へ停車したのを見て、池谷たち応援隊は車を側道へと入れ、停車した。
GT-Rのボディへ寄り掛かり、拓海のハチロクへ興味深げな視線を向けている少女が居る。池谷があの日会った星野アイその人だ。
「おほぉ…相変わらず可愛いぜ…」
「えっまっ、えっ池谷先輩!!あの子っすよね!?可愛すぎませんか!?アイドルとかじゃないんすか!?」
「だろ?車とギャップすげぇよなぁ」
「「いいよなぁ(っすよね〜)」」
助手席でアイの姿を視認したイツキが大興奮している。さもありなん。
俺も内心似たようなもんだった、と池谷は思った。
シルビアの車内に座ったまましばし星の輝きに焼かれる2人だった。
「これが一目惚れってやつ…?俺、あの子のファンになっちゃったかも」
「そうか、イツキ。ようこそこちら側へ」
「あれ…?でもアイちゃんの事推しちゃったらどっちの応援すればいいんすか…?ウッ大親友と推しがガチバトル…………先輩、俺ゲボ吐きそうっす」
「やめてくれイツキ、俺も気づいちまった…ウッ」
2人は大事な仲間である秋名きってのダウンヒルエースと新たに出来た推しの一番星がガチ峠バトルをする、という気づいてしまった事実にメンタルをブローさせられ、後ろの180SXから健二が声を掛けに来るまで胃のリバースギヤと戦っていた。
☆ ☆ ☆ ☆
お馴染みになったダウンヒルのスタート地点、給水塔の横へハチロクを停め、拓海はアスファルトの上へ降り立った。
側道のガードレールを挟んで横に見えるのは真っ赤で大柄なボディ。前に走った黒いヤツと同じくリヤに鈍く輝く「GT-R」の文字。これが今日の対戦相手なんだろう。前の黒いのよりも一回り大きく、ハチロクと比べるとかなり体格差がある車だ。
見るからに重そうだと感じる車体から視線を移し、そばに立つこの車のドライバーであろう、件の星野アイとおぼしき少女を見る。
拓海はモテると噂があるが、本人はあまり恋愛に明るくない。つまりあまり女の子が身近ではないのだ。やたら距離の近いクラスメイトの茂木なつきは居るが。
そんな拓海から見て、そうそう出会ったことのない美少女が目の前にいる。
(すげぇ美人だな…うちの高校じゃこんな綺麗な人みたことねぇ)
そんなことをぼやっと考えていると、彼女の瞳が拓海を捉えた。
拓海の身長は174cmあるが、彼女は150cmを少し越えるか、というほど。必然的に見上げるような形になる彼女の星のような輝きを宿した大きな瞳が拓海を上目遣いに覗き込んでくる。
「ね、あなたが秋名のハチロクさんだよね?」
鈴の転がるような可憐な声。今夜の対戦相手かを確認する問いだった。
「ん、あぁ…そうだけど」
思わず少し返答が遅れてしまう。少し見惚れていたのは秘密だ。
「バトル、受けてくれてありがと。私が今日のあなたの相手、星野アイだよ!お名前なんていうの?」
「藤原、拓海」
名乗った後に名前を訊いてくる彼女に拓海も応える形で名乗り合う。
拓海の名を聞いた彼女の浮かべる微笑みが深くなり――拓海を真っ直ぐ見据えるすみれ色のような不思議な色合いの瞳に浮かぶ星の輝きが煌々と、焼き尽くさんばかりに輝度を増して拓海を捉えた。
「うん、拓海君!今日はよろしくね☆」
「ッ…よろしく」
このチャンスを逃したくない、挑んでみたい、と思う速いバトル相手であり、なおかつ不思議な輝きを持つ彼女の瞳に拓海は呑まれていた。
(…っ、なんなんだ、今のは…)
そして直後、一呼吸置いた彼女の雰囲気が、変わった。
「早速バトル、始めよっか!秋名のダウンヒル1本勝負!」
これまでも彼女、星野アイは周囲を惹きつける存在感のある少女だったが、それに上乗せされるように闘志の乗った、周囲を威圧する絶対強者の如きオーラが撒き散らされた。
笑みを深めた彼女の煌々と輝く恒星の如き星の瞳が拓海をじっと見つめる。
「今まで私の
「…!あぁ。今の俺がどこまであんたに通用するのか、試してみたいんだ。今まで見たことないくらい速そうな気がする、あんたに」
これは、このとんでもない女は。今までのバトルとは違う。俺の今持てる全てをぶつけなきゃいけないような相手だ…!
拓海の中のスイッチが入った。それは高橋啓介に諭されたあの日以来、藤原拓海の中でおぼろげに自覚し出していた走り屋としてのプライドに火が入った瞬間だった。
☆ ☆ ☆ ☆
彼女と分かれ、それぞれの車に向かう。
ハチロクへ戻った拓海は長年の豆腐の配達でよく馴染んだ運転席へ乗り込み、エンジンを始動させた。
よく聴き馴染んだセルモーターの音に次いで、ハチロクのボンネットへ収まる4A-GEエンジンが目覚めの咆哮を上げた。
バックして方向転換し、下り方向へ鼻先を向けてハチロクをスタート地点へつけた。
横へアイのGT-Rが着く。あのオーラが真紅の大きな車体から全力で発散されているかのような錯覚を感じる。
GT-Rのヘッドライトが青白い一番星のような光を点灯させるのに次いで、拓海はハチロクのヘッドライトを起こした。ハチロクの鼻先から起き上がったリトラクタブルヘッドライトが淡黄色の見慣れた光で視線の先のアスファルトを照らし出した。
「カウントいくぞぉ!!5!…4!…」
スタートの合図をするカウントマンとして両車の間に立った池谷のカウントダウンを聴きつつ、サイドブレーキを引き、クラッチを切ってギヤを1速に入れる。拓海の右足に合わせ、がぉんがぉんとハチロクの心臓が心地の良い音を奏でて応えてくる。
まだまだクルマのことはわかんねーこと多いけど、今の俺とハチロクがどこまであの速そうな人に通用するのか、試してみたい。見てみたいんだ、あんたと走る景色を。
俺も全開で走るから、頼むぜハチロク。今まで毎日一緒に走ってきたお前が頼りだ…!
「GO!!」
弾かれるように猛然と加速する真紅の巨体を追って、かつてない闘志を持った秋名のハチロクは完璧なローンチを決めてダウンヒルバトルへ飛び出した。
涼介さんは名前繋がりでアイちゃんと後々絡ませたいよね。
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1話ごとの文章量について。
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