久しぶりに帰ってきた自分の家はいつも通りで、向こうの世界にいた頃は二度と帰って来れないんじゃないかと思っていた。だからだろうか、見慣れているはずの家の中の至る所を見るたびに胸が詰まる思いになった。
時刻は朝。我が家同様に久しぶりに触れる自分のスマホでカレンダーを確認したところ休日だった。
いつもだったら姉妹揃って朝ごはんを食べているのだけど、今日に限ってはいつものようにダイニングテーブルに座るのではなく、テレビ前のリビングスペースに置かれている座卓を囲んでいた。
どうしていつもと座る場所が違うのかって?
単純な話よ。椅子の数が足りなかったからってだけよ。
机の上に並べられた朝食は七人分だった。
私たち五つ子に加えてフリーレンさんとフェルンが横並びで座っていた。
(すっごい気まずい!)
事情の知らない姉妹たち、特に五月は姉妹に無許可で知らない人間を泊めたと思っているようでそれはもう怒髪天をつくような怒ろうとしてきた。
それをことなきを得て、一緒に朝食を済ませるところまで話を進めることができたのはひとえに一花が五月を諌めてくれたからであった。
流石長女。SNSに今度公開させるらしい出演中ドラマの番宣動画にいいねとコメントを残しておいてあげよう。匿名で。
現在は四葉が台所で洗い物をしてくれている。
テーブルの上には食後のデザートがわりにお菓子が置かれていた。
そんなお菓子には珍しくてもつけず、五月は終始釣り上がっている眉のまま痺れを切らしたように口を開いた。
「そろそろいいでしょうか。一花の言う通り朝ご飯だって付き合ってあげたのです。その方達は誰で、なぜここにいるのかお聞かせいただけますか、二乃?」
「話せば長くなるわよ……」
「構いません」
構いなさいよ。
この流れで「長くなるならいいです」となってくれるとは本気で思っていたわけじゃないけど、説明するったって魔法やらエルフやらをなんて説明したらいいのか。
良くて笑われて終わり。最悪姉妹から痛い人認定をされてしまう。正直に話すことなんてできるわけがない。
フリーレンさんのエルフ特有の長い耳だけは何かこじつけの理由で誤魔化すとして、どうにかそれらしい理由を見つけないと──
「私たちは遠い国から来た、二乃の知り合いだよ」
頭を高速回転させて言い訳を考えている私より先に五月に答えたのはフリーレンさんだった。
五月は険しい顔のまま私からフリーレンさんに向ける。
「あなたには聞いていません。これは家族の問題です」
「そう。別に誰が説明しようと同じだと思うけど」
「何ですか貴女。無断で家に上がり込んでいると言うのにその態度は……!」
「ま、まぁまぁ五月ちゃんも抑えて。外国人さんなんだからきっと日本語がまだ上手じゃないんだよ」
「ソウソウ、ワタシニホンゴジョウズジャナイ」
一花の再びの宥めに便乗してカタコトで話すフリーレンさん。
いや思いっきり嘘でしょ。私の世界に来てからもフリーレンさん全然困らず他の姉妹たちとも話してたじゃない。
だけど五月は一応納得してくれたようで、多少は怒りも収まったようだった。
ありがとうフリーレンさん。お礼は何もできないけど。
一花もありがとう。動画のいいねは複垢でもやっておいてあげる。
「わかりました。話を続けましょう。それでどこの国から来たのでしょうか?」
「国……」
ちらりと横目でフリーレンさんがこちらを見てきた。
そりゃそうよね。こっちの世界の国名なんて知ってるわけないもの。急いで私が言った。
「アメリカよね!?」
「そうそう、あめりか」
「こちらの方が話すんじゃなかったんですか……」
「どっちでもいいじゃない。それに五月、一番最初に聞くのがそれでいいの? 普通は名前とか聞くもんじゃないかしら?」
「自己紹介が遅れたね。私はフリーレン、こっちはフェルン」
自己紹介をしながらフリーレンさんは自分の胸に手を、続けてフェルンに手を向けた。
フェルンがフリーレンの紹介に合わせて出しておいたシュークリームを頬張りながら頭を下げた。あんたもなんでそんな黙々と食べてるのよ。
「突然お邪魔しちゃったのは申し訳ないと思ってるよ。私たちもちょっとした不可抗力でここに来るしかなかったんだ」
「……それで、二乃とはどういう関係なんですか?」
「あんたお父さんみたいになってるわよ?」
「二乃は黙っていてください!」
「さっき私が言った通り、知り合いだよ」
「それでは説明になりません!」
五月の怒鳴り声に、フリーレンさんは飄々とはしているものの考えるように顎に手を当てて考えてしまった。
先ほどの外国の知り合いと言うのは咄嗟の閃きだったらしい。
根気強くフリーレンさんの返事を待つ横で、まだシュークリームを食べているフェルンに三玖が近寄った。
「もう三個目だけど、そんなに気に入った?」
「これ美味しすぎます。おかしいでしょ、何でシュークリームがこんなに美味しいんですか」
「アメリカにだってシュークリームはあるよね?」
「ありますし、以前二乃様に作っていただいたことがありますが、こんなに美味しくはありませんでした」
「二乃、アメリカでこの人たちに会ったことあるの?」
(フェルンのばか……!)
未だに食べ続けるのをやめないフェルンはこぼした言葉に、思わず頭を抱えそうになった。
前に向こうの世界でもシュークリームをフェルンやみんなに作ってもらったことがあるが、あの時は現地の食材や機材で作っただけである。
現代日本の新鮮な食材を、文明の暴力で適切に焼き上げた生地ときめ細やかに練られたクリームに仕立て上げられたシュークリームでは歯が立たないのは当たり前なのだ。
「そ、そうよ。昔ちょっと機会があってさ……だから今回は二人が日本へ来てくれたのよ」
「そうなんだ」
(あっぶなぁ信じてくれた!)
我ながら苦しかったと思う。
今回は日本に来てくれたって、前回はじゃあいつなのだろうか。
ぶっちゃけアメリカに最後に行ったのがいつなのかとか覚えてないし掘り下げられたらアウトだった。
私の返事で納得してくれた三玖は、興味を失ったようにフェルンへと向き直った。
「でもそんなに食べちゃうと後で大変だよ」
「大変とは?」
「……その、太っちゃうよ」
非常に言いづらそうに言う三玖。いくら女子同士の会話だからって怒らせないかと凄い顔色を伺いながらの言い方だった。
いや、そんなに怒らせるのが怖いなら言わなければいいのに何で言うのよ。
ただ幸いというべきか、相手が良かったと言うべきか、フェルンの方はそれがどうしたとでも言わんばかりに首を傾げていた。
今の私ならわかる。ぶっちゃけあの世界なら食べれる時に食べたほうがいい。
私たちの世界が飽食の世界だから食べ過ぎなんてものに気をつけるのであって、向こうの世界じゃ日々の食べ物だって困るほどではないが、贅沢はできないのだ。
私だってフリーレンさん達に守られていたはずなのに、お腹を空かせながら寝ないといけない夜だってあった…………あ、そうだ。後で体重計乗ろう。絶対減ってる。
だから食べ過ぎで太るなんてことはあり得ないし、フェルンみたいに冒険者をやっていれば食べた分が戦いで消化され──
(あれ、フェルン太くない……?)
向こうの世界じゃ慣れない環境で生きていくのに必死で他人のことにまで気を遣っている余裕なんて無かったが、改めてフェルン見たら向こうにいた誰よりも太くない?
フェルンは言われたところで気にしないかもしれないが、乙女心は持っているのだしここで下手にフェルンに正直に言って、後々謝る羽目になるのもいただけない。
絶対に今の考えは口に出さないでおこうと思うとともに、こちらの世界のただの食事はフェルンたちにとっては『女の子を太らせる魔法』になりかねないことを考えると、しばらく食生活は見てあげないといけないかもしれないと思った。
それにしても、『女の子を太らせる魔法』か……そういえば服従の魔法以外で私が唯一知ってる魔法の名前が一般攻撃魔法(
「モルトラーク……」
「何言ってるの二乃?」
「四葉!? な、何でもないわよ!?」
フェルンと三玖には聞こえない声で言ったつもりだったけど、いつの間にか洗い物を終えて戻ってきた四葉に聞かれてしまったらしい。
四葉は興味なさげに「ふーん」とだけ呟いてソファへ座った。
余計なことを思わず考えたけど、食生活を見てあげないとか…………というか、フリーレンさんたち向こうの世界に帰れるのかな…………
「二乃、こっちの話は終わったよ」
「あ、フリーレンさんごめんなさい。途中から聞いてなくて……どうなりました?」
「二乃の部屋にしばらくは泊めてもらいながら、宿泊先を見つけることにしたよ」
フリーレンさんの返事に補足をするように一花が口を挟んでくる。
「話を聞いてびっくりしちゃったけど今フリーレンさんとフェルンさんは泊まるホテルもなくなっちゃったんだってね」
「大変遺憾ではありますが、女性を夜の街へ無責任に追い出すわけにもいきません。少しの間だけですがこちらが折れることにしました」
(うわー、フリーレンさん交渉うま。普段は好き勝手してる人だけど流石エルフね……)
「二乃の姉妹たちが話しやすい人たちで助かったよ。向こうじゃ話を聞かない人が多いから」
無効というのはおそらく向こうの世界のことを言っているのだろう。それに話をちゃんと聞いてくれるのは世界が違うからというよりは日本人のお国柄な気もしたけど、姉妹が褒められるのは悪い気もしないし特に否定はしなかった。
話に納得してくれたあとは、姉妹のみんなは用事があるとかで出かけてしまった。
残されたのは私と異世界組の二人だけ。
せっかくこっちの世界に来たのだから、二人には家の中でなら自由にしてくれていいと伝えてから数ヶ月ぶりのシャワーを浴びた。
上がってきた私を見るなり、二人は鼻を鳴らすと目を丸くした。
「驚いた。二乃、すごく良い匂いをさせてるね」
「その言い方ちょっと変態っぽいですよフリーレンさん」
「ですがフリーレン様の言っていることは本当です。石鹸で洗ったくらいじゃこんな風にはならないですよ」
「魔法で服とか体をキレイにしても無臭にしかならないしね」
お風呂上がりのシャンプーの香りから、あっという間に魔法談義に花咲かせようとする二人に、このままでは置いてけぼりにされると危惧した私は一つの提案をした。
「多分使ってる湯浴み用の洗剤が良いだけだから、何ならやってみる?」
私が提案すると特に目を輝かせたのはフェルンだった。だけどフリーレンさんも興味があるにはあるらしく、少し嬉しそうな顔をした。
「ならお言葉に甘えようかな。フェルン、使い方を教えてもらいなさい」
「いえ、お風呂ならフリーレン様が先にどうぞ」
「わかった」
フリーレンさんとフェルンは魔法使いとしての師弟の関係らしい。
上の立場の人間を優先するという考え方は世界を問わずに共通らしく、あれほど目を輝かせていたフェルンだったけどあっさりとフリーレンさんに譲ったし、フリーレンさんもあっさりと承諾した。
フェルンには私の部屋で待つように伝え、私も部屋についていくとフリーレンさんと一緒に転移してきた鞄を持って一階へ戻った。
鞄を受け取ったフリーレンさんはいつも通り散らかったカバンの中からいくつかのどうでもいい道具を取り出しては机の上に置いた後、やっと着替えを取り出した。
「それじゃあ二乃、お願いするね」
「わかりました」
フリーレンさんを浴室に連れていき、お湯の出し方からシャンプーの使い方までを一通り説明した。
途中、シャンプーとコンディショナーとトリートメントとリンスの使う順番や使い方を説明した時、途中で「あ、もういいから必須のやつだけ教えて」と断られてしまった。
リビングへ戻ってると、部屋に戻る前に自分とフェルン分の飲み物を用意した。
その時だった。インターホンがが鳴った。
「お客さんかしら……」
呟いてからインターホンに応対するとフー君だった。
忘れ物を取りにきたとのことなので、とりあえず部屋まで上がってきてもらった。
「邪魔するぞ。なんだ、やけに散らかってるな」
リビングに入るなりフー君の第一声がそれだった。
リビングにはフリーレンさんが散らかしたカバンの中身が散乱したままだった。姉妹もみんな出かけているし、誰の迷惑にもならないから後で本人に片付けさせようと思っていたためにそのままだったのだ。
「外国の女の子の友達が来てるのよ。今お風呂使ってるから覗くんじゃないわよ」
「誰がするかよ……それより四葉の部屋に上がらせてもらうぞ。あいつに参考書貸したままなんだ」
「四葉なら出かけてるわよ」
「そうか。まあいい、大体どこにあるかは検討ついてる」
そう言って勝手に階段を登って行こうとするフー君。
「ちょっと! 女の子の部屋に勝手に入るんじゃないわよ!」
「俺も受験勉強で使うんだよ」
「なら私に頼むとかしなさいよ。言っておくけどね、いくら四葉があんたと付き合い始めたからって、四葉があんたのものになったわけじゃないんだからね!」
「そんなことわかってる……だが悪かった。じゃあお前の言う通り、俺はここで待ってるから頼めるか」
「仕方ないわね」
フー君と入れ替わるようにして階段を登り始める私。
フー君は再びリビングへと戻ると床に座り込んだ。
手持ち無沙汰だったらしく、そばに置いてあったフリーレンさんの私物へと手を伸ばした。
(こいつ全然わかってない……!)
フー君がデリカシーがないのは前からであったが、姉妹の部屋に勝手に上がられそうになったのに引き続き、曲がりなりにもお世話になっているフリーレンさんの私物に勝手に触るものだから怒鳴ってやろうと思った。
しかし、結局私がフー君に怒鳴ることはなかった。
それより先に、フー君が持っているのが何かに気がついたから。
服従の天秤。今まで私を散々困らせてきた最早説明不要の魔道具。
そして同時に脳内に再生されるのは向こうでのあの魔道具に関する出来事の数々。
服従の天秤の効果は異世界人の私にも聞いた。
シュタルク君が読んだという取説曰く、誰でも使えるらしい。
この世界に来たのも、私にフリーレンさんがあれを使ったのが原因。つまり、二回目以降もちゃんと効果を受ける。
つまるところ、今私が考えている最も最悪な使い方だってできるはず。
ここまで来て、中には久しぶりにフー君に会ったのにどうしていつも通りに振る舞えているのか疑問に思っていた人だっていると思う。
白状します。我慢してました。本当なら泣いて抱きつきたかったです。でもずっと我慢してました。そして、我慢の限界です。
頭の中でプツッ、と音が聞こえた気がした。
「ちょっとそれ貸してフー君」
「この天秤か? ほら」
「ありがとね、フー君」
「あ、ああ」
急に四葉の部屋へ行くのをやめ、引き返して天秤を渡すように言ってきた私に戸惑いながらもフー君は服従の天秤を渡してきた。
受け取った私は、ただただ、笑った。
「
「は?」
シュタルク君が言っていた通り、魔法は発動した。
私とフー君の胸から魂が抜け出る。
「はっ? え? 何だこれ!?」
出てきた魂はフー君のにも見えているらしく、大きく動揺する姿を見せるフー君。
対して私は何も言わず、ただ淡々と魂が天秤の皿に乗るのを待った。
ゆっくりと動く二つの球体は、しかし確実に天秤へと近づき、皿へと乗った。
あとはどちらに傾くかというだけなのだが、この時になっても私は一抹の不安も抱いていなかった。
少なくとも私は、魔力が乏しいとはいえシュタルク君に魔力の量で一度勝ったことがある。
フー君がどうなのかは知らないけど、この世界の人間だし魔力はきっと多くないはず。
そして私とフー君、どっちが魔力を持っていそうかといえば、絶対に私だろうという根拠はないけど自信があった。
だから自信満々に私は天秤が傾くのを見届けた。
ここまで回りくどく説明をすれば、私が魔力量で負ける展開を考えた人だっているかもしれない。
だけど天秤の皿は、私の魂に傾いた。
浮かべていた笑みが、口角が更に鋭利に釣り上がった。
「二乃、何だこれ。体が急に動かなくなったんだが──」
「大丈夫よフー君。天井のシミを数えている間に終わるから」
動揺するフー君を最早完全に無視して、私はフー君に歩み寄る。
今この瞬間、私のテンションは青天井に上がり続けていた。
最悪だと思っていた異世界の生活。特に散々な目に合わせてこられたこの魔道具は正直みるだけでしかめっつらを浮かべることだってあった。
だけど今、その服従の天秤のおかげでフー君が何でも私の言うことを聞いてくれる、えっちな漫画でしか見たことがないようじゃ状況が実現してる。
なんかもう、笑みだけじゃなくて涎まで溢れてきた。
(ふふふふ、四葉ごめんなさい。でも恨むなら私の代わりに異世界に行けなかった自分を恨むことね。後であんたにはボコボコにされそうな予感がするけど、今この瞬間だけは楽しませて──)
「二乃、お湯もらったよ。あれいいね…………何やってるの?」
「あ、フリーレンさん…………」
後数歩で、フー君に手が届こうとしたというところで、フリーレンさんが廊下から顔を出した。
状況を理解できず答えられないフー君と、言い訳を考えて固まる私をよそに、フリーレンさんはその二人を交互に見てから頷いた。
「なるほどね。そう言うことか」
「あの、フリーレンさんこれには──」
「言い訳は上で聞くから」
フリーレンさんはそれだけいうと、カバンのそばに置かれていた杖を持って一瞬だけフー君へ向けると、杖を置いた。
代わりに私のそばに歩いてくると、首根っこの部分の服を掴まれた。
「二乃、ちょっとおいで」
「あー……!」
「あの、すみませんあなたは──」
「君。もう体は自由に動くはずだよ。説明は後でしてあげるから少し二乃を借りるね」
「あ、はい」
たったそれだけの会話の後、私は自分の部屋へとフリーレンさんによって引きずられていき、二度と人に向かって服従の天秤を使っちゃいけないとこっぴどく叱られた。