今日も私の日常は平和そのものだった。
あの命の危機に脅かされる可能性だってあった世界からおさらばして、元の世界がいかに平和で素晴らしいことなのかを実感しながら休みを謳歌していた。
そんな生活を送っているのは別に私だけじゃない。
ちょうど、玄関の方から今帰ってきたらしいフェルンと五月がリビングに入ってきた。
「今日のビュッフェは当たりでしたね。種類も豊富で味もしっかりしていました。いつも色んなところへ連れて行ってくださりありがとうございます。五月さん」
「こちらこそ、いつも女の子一人で食べ放題は肩身の狭い思いをしていましたから。私と同じくらい食べてくれる人がいると安心できるのでとても助かっています」
この二人は共通の趣味を見つけたようで、週末の最近はよく出掛けるようになっていた。
続いて私は隣を見た。ソファーにふんぞり帰って座っている私の少し斜め前では、床に直接腰を落として座卓に三玖とフリーレンさんが座っていた。
今はフリーレンさんの前に本が置かれていて、三玖はそれを指差しながら──
「それでね。桶狭間の戦いでは信長は夜の雨に乗じて今川軍の陣地に奇襲をかけたんだよ」
「目と耳の両方が効かない環境での奇襲か……やるね。でもそれは自分たちだって同じだろうから、仕掛ける側だって勇気が必要だったろうに凄いね、信長って人は」
「信長は小さい頃からうつけもの……あ、ちょっとおバカな人って意味なんだけどね。そう呼ばれてたらしいから、普通の人とはちょっと違う人だったんだと思う」
「なるほどね。ヒンメル達もそうだったけど、歴史の名を残すような人たちっていうのはどこか変なんだろうね」
「知らない名前……アメリカの歴史の人?」
「え? ああ、そうそう」
「世界史はあんまり得意じゃないけど、今度調べてみるね」
「別にいいよ。きっと調べても出てこないだろうし」
「そっか」
こんな感じで三玖による日本史講座が頻繁に行われるようになっていた。
長寿のフリーレンさんはあらゆることに博識だけれども、当たり前なことに日本史は全くの門外漢であった。
元々、フリーレンさんは最近は人間の生きてきた足跡を追うことに関心を持っていたらしい。
だから元の世界に戻る方法を調べる片手間として、この世界の歴史も調べるようになっていたのだった。
そう、本来の目的はフリーレンさん達にとっての元の世界を戻る方法を探すことのはずだのだが……
「なんかめちゃくちゃこっちに馴染んでない!?」
「どうしたのさ二乃。急に大きな声を出したら驚くじゃん」
「どうしたじゃないですよ!? こっち来てからもう一ヶ月ですよ!? 元の世界に戻る方法を探す方法は探してるんですか!?」
「探してるというか、最初から知ってるし」
「即答!?」
「えっ」
フリーレンさんの返答には私だけではなく、フェルンも聞き捨てならないと身を固くした。
そりゃそうよね。いくらこちらの世界で美味しいものを食べれるからってフリーレンさん達は目的のある旅をしているのだから、一ヶ月もこんなところで足止めを喰らってしまったらフェルンだって焦るはず……いやそんなに焦ってた様子でもなかったような。
「フリーレン様。どういうことですか。じゃあ私たちは何のためにこの世界に一ヶ月も滞在してたのですか。これじゃあ私が無駄に太っただけじゃないですか」
「食べれるうちに食べておきなさい。いざという時に先に飢えるのは細い方からなんだから」
「質問に答えてください。私たち、帰れるんですか?」
「帰れるよ。というかこっちに来た時と逆のことをすればいいだけなんだから」
「逆?」
「服従の天秤だよ」
フリーレンさんはフェルンと私にわかりやすく解説をしてくれた。
服従の天秤は魔法にかかった人間に行動を強制させるだけでなく、命令遂行の補助する機能も持っているとのことだった。
実体験を例すると、服従の魔法にかかった私にフリーレンさんは異世界へ連れて行くように命令した。でも私は魔法なんて一つも使えない。もし私がこの先、修行をして転移の魔法を使える可能性があるとすれば服従の天秤はそれを実現させてくれるということらしい。
簡単にいえば、服従の魔法にかかった人間が一生かかってもできないことを命令したって実行されないけど、いつかできる可能性があるならば無理やり実現させてしまうらしいということだ。
「きっと魔法をかけたのが私だったのもいけなかったんだろうね。こっちの世界に飛んだ瞬間、ごっそり私の魔力が持っていかれてたよ。命令を実現させるために魔力が足らない場合は使役者が従事者へ魔力が流れる仕組みみたいだね」
「それはつまり、異世界へ飛ぶにはどんでもない魔力が必要ということですよね。フリーレン様」
「そうだよフェルン。ちなみにどのくらいの魔力が必要かというと何だけどね」
フリーレンさんは一度言葉を切って、そして続けた。
「多分だけど、アウラ一人分くらい」
「!!」
「そりゃ二乃は驚くよね。ここまで話せば何となく察しがつくと思うんだけど……二乃がどうして私たちの世界に来ちゃったのか」
「アウラが……私を呼んだ?」
「多分ね」
「でもおかしいわよ! だってあいつ、私のことなんて全然知らなさそうだったわよ!?」
「そう、分からないのはそこなんだ。世界を行き来する方法はわかったけど、どうして二乃がそれに巻き込まれてしまったのかが分からないんだ」
それはつまり、理由が分からない以上このままフリーレンさん達が元の世界に私を置いて帰ったとしても、私は一人で向こうの世界に再び連れて行かれてしまう可能性が残るということだった。
だとしたらフリーレンさんが今までずっとこっちの世界に残ってくれたのは、私を守ろうとしてくれていた?
「フリーレン様。もしアウラが本当に二乃様を呼び出したというのなら、ここで考えるよりも──」
「本人を見つけて問いただした方が早いって言いたいんだよね、フェルン。それはわかってるよ……だけど」
フリーレンさんは私を見据えた。
「二乃、あっちの世界に戻りたいと思う?」
「え?」
どうしてそこで私に聞くのだろうか。
フリーレンさん達が私のために何とかしようとしてくれているのはわかっている。できるなら協力だってしてあげたい。
だけど自分は戦いなんて全然できないしフリーレンさん達について行ったって何も役に立てないだろう。
ならば残って邪魔をしないようにするのが賢明出あることは、フリーレンさんだってわかっているはず。
「二乃、君は一つ見落としていることがあるよ。私たちがこの世界に来た時、君の家族は君を当たり前のように迎え入れてたよね。いなくなったことすら気がついていない。何ヶ月も向こうの世界にいたのにだよ?」
瞬間、顔を真っ青にしたのはフェルンだった。
「待ってくださいフリーレン様。それって……!」
「待ってフェルン、結論を急がないで。この一ヶ月の間に向こうでシュタルク達を何十年も待たせてるってわけでもないと思うから」
「……そうですか」
諌めるように早口でフリーレンさんがそう言うと、フェルンは目に見えて安心したように安堵の吐息を漏らした。
横で話を聞いている間、正直私も肝が冷えた。
あの世界に私は半年はいたと思う。だけど元の世界に戻ってきてみれば一晩すら経っていなかったのだ。
どんぶり勘定で一晩、つまりこちらの八時間が向こうの半年と考えても、一ヶ月後には四十五年が過ぎているという計算になる。
今すぐ戻ったとして、そこにシュタルク君達が生きて待っていてくれたとしてももうおじいちゃん一歩手前ということになる。
もしもそんなことがフー君のと私の間で起きでもしたと思うと、背筋が冷たくなるのを感じた。
フリーレンさんも同じ気持ちをフェルンの中に湧き上がらせてしまったとわかったからこそ、あえて"二人は"ではなく"シュタルクは"と言ったのだと思う。
「多分だけど向こうの世界に戻ってもその逆で、全く時間は進んでないと思うよ」
「何故ですか?」
「詳しい話はここでは今度フェルンの修行の時間に教えてあげるけど、簡単にいえば異世界に来た私たちが一つの座標になってるんだと思う」
「座標、ですか」
「そ、私たちは異世界でどれだけ時間を過ごしても、元の世界では飛んだ時と同じ時間にしか戻れないってこと」
「どうしてそんなことがわかるんですか?」
「フェルン、私が無策で異世界に飛んでくるような間抜けに見える?」
「見えます」
「見えるんだ……」
フリーレンさん、しゅんとしちゃった。
「まあいいや。これを機に見直してよ。ちょっとした仕掛けを向こうの席に飛ぶ前にしておいたんだよ」
「仕掛け?」
「そ、時間の経過がわかるような魔法さ」
「どんな魔法なんですか?」
「知らない方がいいよ」
「何でですか」
「何ででも、だよ」
気になるという意思を目で訴えかけてくるフェルンを無視して、フリーレンさんはこちらに向いた。
「話を戻すとね、こっちの世界と向こうの世界じゃ時間の流れが一定じゃないんだ。今話してたことだって全部私の仮説でしかないんだよ。だから私が目を離した隙に取り返しがつかないことにだってなるかもしれない。問題が解決するまでは二乃は私たちについてきてほしいんだ」
「……わかった。ついて行くわ」
「驚いた。もう少し考える時間が欲しいって言うかと思ったよ」
そりゃ、本当ならもっと考えた方がいいかもしれない。
だけど少し考えただけでも、残ったとしても、ついて行ったとしてもリスクが残る。
残った場合、私はフリーレンさん達に守られなくなってしまい、その隙を狙ってまた一人で向こうの世界に連れていかれるかもしれない。
ついて行った場合、万が一フリーレンさんの仮説が間違っていた場合、全てが終わってこっちの世界に帰ってきた時にはとてつもない時間が過ぎた後の世界になっているかもしれない。
それら二つのリスクはどちらも完全に解決することはできず、どちらかを選ばなければいけない。
なら私は、攻める方を選ぶ。フリーレンさんについて行って、本当に原因がアウラにあるのだったら何も協力できないかもしれないけど一緒にぶっとばす。
それで何も心配がなくなった上で、こっちへ帰ってくるのだ。
それに、私は一度向こうの世界とこちらの世界を往復しているのだ。それで大丈夫だったのだから、きっと次だって大丈夫のはずだと思う。
「大丈夫です。十分考えた上での答えですから」
「分かった。本当ならもう少しこっちの世界を満喫したかったけど、これ以上はフェルンが怒りそうだし行こうか」
「あの、私をダシにしないでいただけますか」
「まぁまぁ。それじゃあ二乃、こっちにおいで」
「はい」
話している間に取り出したのか、いつの間にか鞄から取り出されていた服従の天秤をフリーレンさんは持っていた。
一足先にフェルンの元へ歩み寄ったフリーレンさんの後に続いて、私も後に続いて──
「待ってください!」
私の手を、五月が後ろから握って引き留めてきた。
しまった。
そういえばリビングには三玖と五月もいるんだった。
途中から真面目な話に急に変わったもんだから忘れてしまっていた。
「五月……ちょっと出かけてくるわね」
「どこへですか……話してる内容は全然分かりませんでしたが、ただ事じゃない様子ですよ? 危ないことじゃないんですか?」
「全然そんなことないわ」
「本当?」
「……三玖。心配しないで」
気がつけば五月の横で三玖も立っていた。
胸元に手を寄せて、心配そうにこちらを見ていた。
三玖はその手を伸ばすと、私の頬にそっと触れた。
「二乃、自分が今どんな顔してるか分かってる? 顔、引きつってるよ。無理して笑ってるのバレバレ」
「……!」
「どうしても行かなきゃ行けないなら、私もついていっちゃ──」
「ダメ!」
触れられていた三玖の手を払って叫んだ。
それだけは絶対にあってはいけない。
これから行こうとしている場所は、命の危険だってあり得る世界なのだ。
そんなところに、この子達を連れていくことはできない。
「絶対に来ちゃダメ。そんなの私が許さないわ!」
「どうしてですか! 私達はあなたを心配して言っているんですよ!」
「それは私もおな────ちがう、余計なお世話よ! これは私の用だから、あんた達には関係ないわ!」
頭に血が上ってしまっているのは自分でも自覚していた。
本当はこんなことを言いたいわけじゃないのに。
三玖と五月が心配してくれているのは凄く嬉しいし、それを拒絶している自分が間違っているのだって分かっている。
下手したら、今度こそ戻ってこれない可能性だってゼロじゃないのにどうしてこの口は素直になってくれないの。
「二乃様、五月さん達とはしっかりと話した方がいいのではないでしょうか」
「分かってる! 分かってるけど……」
これ以上話せばきっと、状況をもっと悪くしてしまう気がした。
だから。
「フリーレンさん。お願いします!」
「いいんだね?」
「早く!」
「わかった。
こんにちは。中野二乃です。
またこの世界に来てしまったので、気を取り直して改めてご挨拶をしています。
また、来てしまいました。こちらの世界に。
だけど後悔はしていません。今度は自分の意思でこっちに来たのだから。
今度は後悔しない、はずでした。
「あれ? ここどこ? ていうか何で皆いるの!? お姉ちゃん撮影現場にいたはずなんだけど!?」
「二乃……もしかしてだけど……」
「あの、私にも事情を説明してくれないかな……上杉さんとお出かけ中だったんだけど……」
「四葉。こうなった以上、事情はキチンと説明いただけるはずですよ。ね、二乃?」
自分ひとりが来るのであれば後悔もなかったのですが。
あの場にいなかった一花と四葉までここにはいて、五つ子勢ぞろいでした。
「なんでよ!?」