異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~ 作:火也(かや)
ネタは無くなる方向で。
その知らせを聞いたのは、天子と衣玖がギルドで依頼を選んでいるときだった。
「商隊が、壊滅……!?」
突然勢いよく扉が開かれたかと思うと、鈍色の甲冑を身に着け槍を手にした重装備の兵士がギルドに乗り込んできた。ギルドと駐屯兵団はお互い仲の悪い間柄ではないので兵士が門を叩くことは有り得るのだが、それでも普段見慣れない甲冑姿に一同訝しく思った。
それから兵士は事実をつらつらと述べていった。
「伝書鳩の文書によると、本当ならとっくに現れているはずの商隊が一向に現れなかったそうです。それで向こうの兵団が調査員を派遣して調べさせると、大破した荷車や草食竜、人間の大量の死体が転がっていた、と…」
段々と細々となっていく声量にギルドの空気が一層重くなっていく。そんな重い空気の中、天子は訊かずにはいられなかった。
「ロビンは? あの商隊について行ったんでしょ? あいつはどうなったのよ!?」
「……生存者の報告については、何も。そもそも派遣した調査員も危険を感じてすぐに撤退したようですから、次の報告を待たないといけません」
「……何を軟弱なことを! 生きている人たちがいるかもしれないのに、どうして助けに行かないのよ!」
「な、何によって商隊が壊滅したのか、それが分からなければ二次災害のおそれがあるからだと思います……」
「そんなの―――!」
「総領娘様っ!」
今にも兵士に掴みかからんとしていた天子を、衣玖は肩を掴んで止めた。
「落ち着いてください総領娘様。彼の言うことは正論です。危険の元凶が分からなければ、たとえ助けに行っても余計に被害が増えるだけです」
「でも…っ!」
「総領娘様!」
諦めきれない天子を制するように、衣玖は声を張り上げて肩をより一層強く握る。
反論しようとした天子は、衣玖の顔を見て自分の行動の無知さに驚き情けなく思った。
衣玖は、悔しさに顔を歪ませていた。
「……私だって、悔しいんです。彼が今にも危機に陥っているかもしれないというのに、ここで待っているしかできないという状況が堪らなく悔しいんです」
「衣玖、あんた……」
「でも、徒に助けに行ったところで被害を増やすだけ。なら今できる最善はここで新しくもたらされる情報を待つこと。それが、一番正しいんです…!」
悔しさを吐露するように握り拳を震わせる衣玖。彼女の手のひらは指の爪がくい込んで赤くなっていた。まるで、彼女自身の怒りを表わしているかのように。
天子はこんなに悔しそうにしている衣玖をこれまで見たことがなかった。それは、彼女の能力や処世術にも関係のあることである。
衣玖の能力は「空気を読む」力。周りの空気を文字の如く読んで対人関係などを良好に築くことを得意としている。相手との適切な距離を測り円滑な信頼関係を築き上げていくのだ。
しかし、それは同時に相手の懐には深く踏み込まないことを意味する。適切な距離を保つことは、それすなわち相手と深く関わらないことの裏返しなのだから。衣玖はそうやって相手との距離感を読みつつ深く関わりあいのないような生活をこれまで送って来た。
故に、衣玖がここまで感情を露わにするのを天子は見たことがなかった。自分の意思を強く表に出した衣玖に、天子は反論の言葉を失ってしまった。
騒いでいた天子が静かになったことでギルドは再び静かになった。誰も何も話さない状況で兵士は「…情報が入り次第逐次お伝えします。原因が判明するまで砂漠での依頼は行わないでください」と思い出したように敬礼してギルドを立ち去って行った。もう天子も彼に掴みかかるようなことはしなかった。
バタンと閉まる扉の音を皮切りに、周りの冒険者たちは俄かにざわつき始めた。今後どうするかの予定だとか、商隊の安否だとか、それぞれ騒ぎ出しギルドはいつものように喧しくなった。
しかし、そこにいつもの活気はなく重い雰囲気を背後に纏った悲愴感がギルドを取り巻いていた。誰も明るい話題を語るものはいない。
天子と衣玖はどうすればいいのか、何をすればいいのか分からず途方に暮れていた。最初こそ自ら乗り込んでやるような気概を持っていた天子だったが、衣玖の顔を見てそれも萎えた。兵士の言う通り、次の情報が入るまで待つしかないのかもしれない―――
天子がそう思い始めたとき、ギルドの扉が強く開かれた。バタン! と
大きな物音に何事かと思った天子と衣玖は、扉を開けて立っていた人物に愕然とした。
「ベティ……」
扉を開けて立っていた人物はベティだった。走って来たのだろう、酷く息を切らして服は乱れ、髪はボサボサだった。顔は汗と暑さで赤くなっているのに、表情は暗く青くなっていて相反する色が混在するなんとも言い難い表情をしていた。
冒険者でもないベティがどうしてここに、とそこまで思ったとき二人は気づいた。
気づいてしまった。
「夫は……あの人は無事なんですか!?」
「―――っ」
「私、噂で商隊が壊滅したって聞いて、それで、兵団のところに行って助けに行ってって言ったけど原因が分からない状況で兵は動かせないって、言われてそれで、ここに来てっ……ううぅ…!」
絞り出すように言葉を放っていくベティは、涙で顔を濡らし嗚咽を漏らしていた。十歳は若く見えると自慢であった彼女の可愛らしい顔は涙で歪んで元の様子とは様変わりしていた。いつもニコニコしていた彼女だけに、二人は慰めの言葉の一つも発することもできずにいた。
そしてそれは、周りの他の冒険者も同じだった。既婚者でありながら男たちに人気のあったベティのいつもと全く違う様子に戸惑うことしかできない。
「お願いしますあの人を助けてください……! あの人が帰って来てくれさえすればお礼だってなんだってします! だから、だから、あの人を、助けて……助けてよぉ……」
最早声にならない嘆願を願って嗚咽を撒き散らすベティはその場に崩れて涙をぽろぽろ零し始める。綺麗な瞳から流れる涙は床に落ちて消えていく。彼女の声と同じように、静かに淡々と消滅していく。
ベティはロビンをこの上なく愛していた。それは、町でも話のタネになるほどの溺愛っぷりだったことは、二人はかつて目の前で経験していた。
それほどまでに彼を愛していたからこそ、彼の安否が不明のこの状況はベティにとって不安でどうしようもないのだろう。体裁や振る舞いなど一切をかなぐり捨ててひたすら涙を流して懇願するベティの姿がそれを証明している。
「お母、さん……」
「アリア?」
「あ、天子、さん……」
再び扉が開かれて入って来たのはアリアだった。彼女も顔面蒼白で今にも泣きそうな表情であり、それを懸命に耐えているようだった。
「天子さん……!」
天子の姿を目にしたアリアは天子の胸に飛び込んだ。安心して緊張が解けたのか、アリアは天子の胸の中で泣き出した。
「天子、さん…おと、お父さんがぁ…!」
「…話は聞いたわ。原因が分からない以上今兵は出せないこともね」
「お母さんが泣いてるから、私がしっかりしてお母さんを支えてあげないといけないから、私は、泣いちゃいけないのに、泣いちゃいけないのに……!」
自分に言い聞かせるように、自分を律するように言葉を発するアリア。おそらく彼女はロビンの生死不明の知らせが届いてから泣き崩れる母を支えていたのだろう。彼女自身、父の身が心配で堪らないにもかかわらずにも、だ。
楽にすればいい。
支えなくてもいい。
今は存分に泣けばいい。
私に任せろ。
そんな無責任な言葉だけが頭に浮かんでは消えていく。耳触りのよいその文字群は、ついぞ天子の口から出ることはなかった。言葉をかけるのは、あまりにも無責任だ。上の言葉たちは、全て今の天子には実行できないからだ。天子は、ただ胸の中で泣き続けるアリアを慰めるように撫で続けることしかできなかった。
天子は悔しかった。泣いている友人に言葉一つかけられない自分に酷く腹が立った。
何故、何もできない? 何故こんな大事なときに自分の強さが活かせない? 自分のこの強さは、いったい何のために存在する……?
そんな疑問が浮かんで頭の中にしこりのように残っていく。海の中で水泡のように海面で消えることなく重油のごとくドロドロとした感情が残るばかりだ。
ギルドの中に二人の嗚咽のみが広がる。アリアをあやす天子と、ベティに無言で寄り添う衣玖。比較的彼女たちと親しい二人も何も話せない。商隊の壊滅の事実が、ギルドの中で霧毒のように蔓延していく。
急速に、かつ心の底にズシリと。重みをもった事実が精神を蝕んでいく。
「兵団からの情報が来ましたっ! モンスター情報です!」
そんな暗い雰囲気を払拭せんと、受付嬢のアンナはついさっき届いた兵団からの情報を知らせた。その声に一斉にアンナに注目が集まった。
「元凶のモンスター!? 何なの!?」
「モンスターは……」
天子は俄かに浮き足立った。これは、現状打破のきっかけになるかもしれない、そう思った。原因が何か判明すれば対策の立てようもあるからだ。
衣玖もそれを理解して期待に胸を寄せる。自分たちに討伐可能なモンスターならやりようはいくらでもある。
兵団からの情報が記された用紙を上からざっと読み進めながらアンナはモンスターの情報が記された箇所を読んだ。
「これは……嘘、でしょ……?」
「何が書いてあったの!?」
「……角竜」
アンナが神妙な面持ちで、この事件の元凶を言った。
「角竜ディアブロス……砂漠の暴君と恐れらているモンスターです―――」
砂漠の生態系の頂点に君臨する悪魔の名を冠するモンスター。
それが全ての元凶だ。