異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~   作:火也(かや)

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36話 危うい意志

「本当に鬱陶しいわね―――」

「親が天界の首領(ドン)だからって好き勝手しちゃって―――」

「遠慮ってものを知らないのよあの人。親のすねばかり齧り続けてる……誰かの庇護なしには生きられない、まるで蚕ね―――」

「人間の世話なしには生きられない蚕……本当滑稽―――」

 

 

 クスクスクス―――

 

 

(……ああ)

 

 

 そこは昏い昏い闇の中。日が落ちた世界のように暗闇に覆われ、四方八方行き先が見えず明かりの無いトンネルの如くどこまでも続く。

 

 そんな中に、彼女(・・)はいた。

 

 水中を漂う彼女は、しかしどこにも流されることなく。ぼうっとする意識が具現するかのように、ぼやけて霞む景色がホログラムの如く映し出される。

 

 

(………)

 

 

 彼女は一人。信頼できる者などただの一人もおらず、天人としてのあまりにも永いその時間を孤独の文字と共に過ごしてきた。彼女の生来持っていた不躾でつっけんどんな性格も災いし、他の天人、天女たちからも疎まれ、陰で蔑まれてきた。

 いつも一人。ひとりぼっち。

 朝日が昇り世界に光が満ちては気ままに詩を口ずさみ、小鳥のさえずりと葉擦れの音色と共に管弦を楽しみ、日が落ち月が昇っては月見酒と洒落こむ。―――そんな地上とは隔絶した天人としての享楽に満ちた生活に、彼女は馴染めなかった。

 

 

(退屈、だった―――)

 

 

 彼女の視界に映るその世界はあまりに退屈で全に満たされ、永遠に変わらない雲上の極楽は欠けているものは何一つ無いけれど、しかし何かを何処か(・・・・・・)に置き忘れてきてしまったかのように色褪せて見えていた。

 浮かび上がる情景。名も知らない誰かが空を見上げては詩を吟じる。篝火の仄暗さの下で酒盛りを続ける。

 楽しかったのは最初だけ。時が経つにつれ疑問が浮かび上がり、やがて足はその場から立ち去っていく。

 

 

(何のために、こんなことを―――)

 

 

 天人らしからぬ振る舞いをし始めた彼女に、他の者たちは猜疑と軽蔑の眼差しを向け続ける。疑問を抱くことすら、他の者にとっては異端そのものだったのだ。

 帰って来た家でさえ、彼女にとってはただの重みでしかなかった。

 彼女の親は、総領と呼ばれる天界を統括する天上人。天界の中でも一段高くにいるその存在の子として、普通とは異なる視線を向けられた。

 

 曰く総領の娘、と―――

 

 そこに、彼女のそのものとしての存在の介入の余地はなく、名ばかりが先行していってしまう。見られるのは総領の娘としての彼女で、彼女自身では決してなく。

 そして天人らしからぬ奇特な行動が目立つようになった彼女に向けられた視線は、それはとても耐えきれるものではなく。逃げるように彼女は天界の端っこに向かう。

 

 

(私はここで、何をしているのだろう)

 

 

 彼女の親である総領は、親である以前に天界の頂点であった。彼女に構う時間はほぼ皆無に近く、彼女自身親の顔を瞬時に思い出せないほど遠い遠い存在だった。

 それは、彼女の天人らしからぬ振る舞いに何も言ってこない程。彼女の存在など天界に何ら影響を与えるものではないと言わんばかりで。

 

 眼下に見えるのは分厚い雲に覆われた海。所々に浮かぶ大地がまるで大海原の島のよう。

 耳をすましてみれば聞こえるかもしれない―――天人たちが軽んじている、煩くて騒がしく、それでいてどこか心を惹きつけて離さない地上の喧騒が。

 けれど、彼女の耳に入るのは空に浮かぶ大地の端に吹きつける風切り音だけ。大地を飛び去る鳥のように、伸ばした手をすり抜け無情にも去っていく。

 

 

(―――私も連れていってよ)

 

 

 風と共に。この退屈な世界から、連れだしてほしい。

 伸ばされたこの手を誰か掴んでほしい。

 誰でもいい、何だっていい。

 私と共にいてくれるヒトがいてほしい。

 

 

「―――貴方が、総領様の御令嬢ですか?」

 

 

 色褪せた世界に、一点の緋色。その色は灰色に染まった彼女のカンバス上において、あまりにも鮮やかな色をしていた。

 最早何十年と身内以外との会話を閉ざしていた彼女は、その緋色も他の天人と同じだろうと想像しては心を黒くし、それでいて―――ただ少しだけ、光を見ていた。

 

 

「…………誰」

 

 

 重くなる心と何故か湧き出るほんの少しの期待とがぐちゃぐちゃに混ざり合った感情をもって、彼女は訊いた。

 訊かずには、いられなかった。

 

 ―――景色が薄れゆく。

 

 夢が覚めるように。

 夢から(うつつ)へと変わるように。

 世界は端から刻々と白く霞み始める。目の前に存在していたありとあらゆるものはそれに覆われていき、存在を無くしていく。空に浮かぶ悠久の大地も、雲海でさえも、取り込まれてゆく。

 残るのは、彼女という意識と目の前の緋色だけ。

 

 

「本日より貴方のお付きを総領様より拝命致しました―――」

 

 

 帽子の陰に隠れた口から言葉が紡がれる。「    」と。

 それが引き金だったのか。世界は一瞬で白く覆われる。彼女という意識も緋色の彼女(・・)も同じく白に飲み込まれてゆき、世界は完全に途切れてしまう。

 

 全て無へと還元したその世界は、しかし、どこか温かさに包まれていた―――

 

 

 

 

 

 

「総領娘様…!」

「……衣玖? ぐっ…!!」

 

 

 うっすらと目を開いた天子は、耳元叫ばれる声と共に目が覚める。同時に、体中を駆け抜けていった鋭い痛みが熱を帯びて腕やら足やらを刺激した。

 呻き声をあげた天子は、自分がどこかに横たわり包帯を巻かれていることに気づいた。

 

 

「動いてはダメです……まだ傷口が塞がっていないんですから」

 

 

 衣玖の普段の二割増しほどの優しい声を自然と受け入れつつ、痛みが治まると天子は唯一動く首をぐるりと回して辺りの景色を見た。

 真上は岩の天井で覆われており薄暗く光は小さな入口から漏れ出ているものしかない。地面は砂漠の砂が侵入してきているのだろう、細かな砂が柔らかく天子を抱き留めている。驚くことに水が湧き出ているらしい。こんこんと湧き出る水が小さな池を形作り乾燥した砂の大地に潤いを与えていた。

 ポーチを枕代わりにして寝かされている天子の額に乗っけられた濡れタオルを取って、衣玖は水が湛えられた池にぽちゃぽちゃと浸し、ギュッと絞って水気を払い再び天子の額に乗っけた。

 

 

「……ここは?」

「洞窟の中ですよ。偶然見つけたんですが、水が湧き出ていたんで丁度いいと思って」

「そう……」

 

 

 衣玖は天子の横の石に腰かけ、天子を心配そうに眺める。

 

 

「総領娘様……どれくらい、覚えています? 記憶はちゃんとありますか?」

「私は……ディアブロスと戦ってて、それで―――」

 

 

 迫るディアブロスの両角。凄まじい衝撃を受けて宙に舞い上がり、消えていく意識。

 

 

「……っ」

 

 

 ディアブロスにやられた、それを認識し、攻撃を受けた箇所が記憶を共有したかのようにじくっと痛む。

 少なくとも、記憶はあるらしい。受けた衝撃で記憶喪失、なんて創作物の中の登場人物のようなことには陥っていないらしく、天子は僅かに安堵をした。

 倒れた自分が砂漠のど真ん中ではなくこうして洞窟の中にいるということは、衣玖が助けここまで運んできてくれたのだろう。あのディアブロスから背を向けて逃げることは非常に危険であるにも関わらずにも、だ。

 

 

「衣玖、ありがとう。ここまで運んできてくれて。記憶はちゃんとあるわ、ディアブロスにやられたこともしっかりとね」

「そうですか…それなら、良かったです」

 

 

 天子の感謝の言葉を受けても、顔が晴れない衣玖。天子の顔を直接見ないようにしている衣玖は、後ろめたいことがあるように見受けられ、天子は訝しく思った。

 

 

「…衣玖?」

「………」

「どうしたのよ、浮かない顔をして。もしかして衣玖もどこか怪我したの?」

「そういう訳ではないのですが……」

「じゃあ、何よ」

「………」

 

 

 堂々巡りだった。天子が尋ねれば、衣玖は押し黙ってしまう。

 天子が気を失っている間に怪我をしたわけでもないという。少しの怪我程度なら回復薬を飲めば事足り得るだろうから、特に心配する必要もないのは分かっているのだが。

 ならば何なのか、天子は疑問に思う。

 

 

「衣玖、ちょっと」

「―――撤退しましょう」

「…………へ」

 

 

 天子の言葉を遮るかのように、衣玖は突然口を開く。飛び出た言葉はあまりに唐突で、天子は言っている言葉の意味を理解するのに少しだけ時間を要した。

 

 撤退―――つまり、町に帰ること。

 

 それはディアブロスをそのまま放置しておくということで、ひいては自分たちが請け負った使命を破棄することと同意義だ。負けを認め、敗戦兵よろしく惨めに町へと引き揚げていくのだ。

 

 

「私たちにはあのモンスターは荷が重すぎます。…まだ動くことができる内に撤退するべきです」

「衣玖、アンタ……それ本気で言っているの?」

 

 

 驚愕と戸惑いが混じった視線を衣玖に向け、心の疑問をぶつける天子。衣玖は天子の視線を目を逸らして合せなかった。

 それでも、こく、と頷いた衣玖には、ある種の決意のようなものが見え隠れしていて。その言葉が決して出まかせなんかではないことを教えていた。

 

 

「私たちがここに来た理由分かってるの? 私たちは、ロビンを助けるために奴を倒しに来たんじゃない。それを、放棄するっていうの……?」

「………」

 

 

 衣玖は答えない。目線を合わせないのは、きっと、それを理解しているから。天子がそうやって反論することを確信していたから。

 池の水がぽちゃんと跳ねる。池の中で泳いでいる小さな魚が水面を飛び出して跳ねて、水飛沫をあげて再び着水した。

 そんな小さな音さえもが響く静寂の中で、天子は冷めた怒りを露わにする。

 

 

「ふざけないでよ衣玖。何もせずのこのこ町に引き下がるなんてできないわ」

「ですがその体では……! それに、下手すれば死んでいたかもしれないんですよ!? これ以上戦えばどうなるか―――」

 

 

 確かに、あの攻撃は下手をすれば命を一瞬で刈り取りかねない死の一撃だった。そんな攻撃を受けた天子の身体はボロボロで、回復薬では治しきれない怪我を負っている状況だ。

 回復薬は全ての怪我に効く万能薬ではない。擦り傷切り傷などの外傷や打撲、打ち身などの比較的軽傷と呼べるものには瞬時に効果が表れる便利なものではあるが、重傷と呼ぶものには効果が薄い。せいぜいその怪我の治癒速度を僅かに早める程度の効能しか期待できない。そういう重傷は治癒院できちんとした治療を受ける必要がある。

 そう、天子の怪我はそうした正規の治療が必要なほどの大怪我で到底戦闘を継続できるような状態ではないのだ。

 

 

「―――それでも…!」

 

 

 強い意志を感じた衣玖は、天子が痛む体を投げ打って起き上がろうとしているのを見て驚いた。

 天子の怪我は酷いものだ。起き上がろうとするものならば猛烈な痛みが彼女を襲うに違いないのに―――天子は、それを意志の力だけで防いでいるのだ。

 

 

「……っ、まだ体は動くわ。動ける限り、私は戦う。―――誰も悲しむ姿なんて見たくないもの」

「―――」

「こんな怪我、もう少しも経てば治るわ。それに……ディアブロスだって完全じゃないのは衣玖だって分かってるでしょ、証拠に最後の攻撃で身体にヒビを入れたわ」

 

 

 天子の瞳は、一点の曇りのない透き通ったものだった。ただ親しい者を助けたい、それだけの想いで彼女を動かす動力としているのだ。

 衣玖は、返す言葉が無かった。衣玖にしても自身の決断は断腸の思いで決めたものだったのだ。迷い、悩み、けれど天子の体を最優先にして選んだ決断だった。もし自分たちに何かあれば、結局のところギルドには余計な迷惑がかかってしまうのだから。

 

 

(総領娘様……)

 

 

 衣玖は口を一文字にきゅっと結び、思い浮かんだ言葉を飲み込んだ。空気を読める力を持つ衣玖には、天子が無理に強がっていることが肌で感じられた。

 まだ回復には程遠い。それでも今立たなければ―――意志が萎えてしまいそうで。意志の炎が消えてしまいそうで。

 諦めたくないのだ。自身を救ってくれたロビンを、このまま見捨てられない。執念が、天子を再び奴の元へと急かそうとしているのだ。

 そんな天子を止める術を衣玖には持ち合わせてなく、握り拳をほどいた衣玖はようやく天子の方へと顔を向けた。

 

 

「……分かりました。けれど、無茶だけはしないでください」

「……善処するわ」

 

 

 頭に巻かれた包帯を取り、天子は岩に立てかけられていた緋想剣を拾って腰に差した。体はズキズキと随所に激痛が走るが、耐えられない程じゃない。天人の頑丈な体で良かったと、天子は初めてこの体のことに感謝した。

 そうして再び砂漠の地へと赴く。ディアブロスと、戦うために。

 

 そんな、限界まで引き絞った糸のように張りつめた緊張感は、一度触れれば切れてしまいかねない危うささえ滲み出ていて。あまりにも真っ直ぐすぎる天子を見送る衣玖は、自分の服にきゅっと力を込めた。言葉にできない重圧を迫られた衣玖の心は意図せずズシンと重石を乗せたかのように重量を増して、そんな余計なことを振り払うように外へ出て行く天子の後を追いかけた。

 

 

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