異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~ 作:火也(かや)
「…………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………」
青い空を上空に湛える眼下の砂海のど真ん中に、二人の遺体があった。時たま吹く強い風が運んできた砂塵に当たっても反応がないことから、もう死んだと考えてもよいだろう。ただの屍だ。
この広くて暑い砂海だ、人が一人二人死んでいても驚くことではない。猛烈な暑さによる脱水症状、日光を浴びすぎたことによる眩暈や頭痛、身体の痙攣など死因は確定的に明らかである。しかも、この遺体はどうやら水筒らしき水分補給のための道具を一切所持しておらず目を疑いたくなるような状態である。
一人はうつ伏せにぶっ倒れている青髪短髪の少女だ。真っ直ぐに伸ばされた右手には、砂の上に指でどうやらダイイングメッセージで「もも」と書いているようにも見えるが、風で砂が流れて全て無駄になっていた。
もう一人は何やらひらひらした絹のような衣服を纏った少女だ。何の執着があるのか分からないが、片割れのスカートを掴んだ状態で倒れていた。最後まで片割れを助けようとした健気な精神故か、あるいは道連れにしようと目論んでいたか。
何にせよ死人に口なし、憶測を語るだけ無駄なことであった。
「まだ…………しんで……ない、わよ…………」
「かってに……しゅじん、こうを……ころさないで……ください」
どうやら遺体は存外しぶとかったようだ。まだ命の炎を燃やしていたようだった。もっとも、風前の灯火であることに変わりはないが。
微かに息がある二人は僅かな力を振り絞り、プルプルと力なく震える体を叱咤して前に進もうとしていた。
「こっちにきて………まだ、いちにちも…………たって、ないのに……しねるか…」
「すてきな、かれしが……できる、まで………しねません…………」
遺体になりかけていた天子と衣玖は、お互いに死ねないという執念の下で気力だけを振り絞っていた。死ねない理由が俗っぽいやつもいるのだが、理由は何であれ、執念だけで進むというのはもの凄い精神力であった。特に毎日が宴会である天界の温室育ちである天子が、そんな精神力を見せるというのは意外過ぎることだった。
天子は天子で、普通の天人ではなかったのだ。だから不良天人なんて嬉しくもないレッテルを貼られて、暇潰しのためだけに“異変”を起こすなどと普通の天人では考えもしないようなことをしたのだ。
それは、やはり総領の血筋が成せることなのか。天才とアレは紙一重というが……。
とはいうものの、気力だけで何もかもが罷り通るなら、世の中苦労はしないってものだ。
熱した鉄板のような砂の大地を這うように進んでいた天子と衣玖は、やがて完全に力尽きてしまったのかうつ伏せで倒れこんでしまった。何度も力を振り絞るが、プルプルと体が震えるだけでピクリとも動かすことができなくなっていた。
喉が渇き、お腹も空き、頭痛や耳鳴りもするし、体は痙攣してきて言うことを聞かないし、瞼はもう開かないし、吐き気も酷いうえに自分が何を考えているのかもはや覚束ない。
(ここまで、か……退屈な人生だったなあ)
(私が過ごした数百年……結局独り身で人生終了か……)
二人は意識していないが、共に人生の終わり方を無意識に思考していたようだ。所詮、最期の最期で考えることなんて人間も妖怪もそう大差ないってことだろうか。
目の前が真っ暗になり意識が遠い彼方へと遠のいていく最中、彼女たちが幻想として見ていたものは、彼女ら二人が一緒にくつろいでいる楽園のような天界の光景だった。
◇
「―――」
世界は、暗い。
「―――!」
全ての始まりは何も存在しない“無”であり、そこには空間の概念も時間の概念も、ましてや色の概念などあるはずがない。
だから世界の最初が真っ黒というのは、常識的に考えて少しおかしいのだが。
「―――、――――!」
それでも何物も存在していない、真っ黒な世界の中で、私は生まれたままの姿で私を抱きかかえるようにして存在していた。
乙女の体を何晒してくれとんじゃ、とかそんなことを考えることすら、なかった。
だってそこには、私しかいないのだから。
「―――? ――……―――」
……いや、何かおかしい。
「――ぃ、――――っ!?」
私以外の誰かの声が、脳内に響いてくる。
懸命な叫びが、私の魂を揺さぶってくる。
私の世界に、語りかけてくる。
「へ――、――れっ!」
……そうか、思い出した。
これは私の意識だけど、完全な
私の真の意識は、もっと表面にある―――
「しっ――してくれっ!」
私は比那名居天子。天界を統べる、比那名居一族の娘。
変な奴に飛ばされて、気づいたら見知らぬ異世界にいて。
そして私は、砂漠の暑さにやられて死にかけて―――
「おいっ、しっかりしろ―――!」
そうか、そうだったのね。これは、この声は、倒れている私を揺り起しているのね。どうりでなんかゆらゆら揺れるはずなんだわ。
ハッ、てことは、私に呼びかけているのは―――まさか、白馬に乗った王子様!?
どこか遠い国のイケメンの王子様で、全く目を覚まさないお姫様(私)を起こしに来てくれたんだわ! ちょっと言葉が粗暴なような気もするけど、脳内イケメン補正でカバーよ。
さながら私は眠り姫―――その眠りを覚ますには特別な儀式が必要。
そう、それは……王子様による優しいキッス―――
キャーーーーーーーーーー!!!
そ、そそそれはそれで嬉しいけどっ、い、いきなりでまだ心の準備ができていないというかなんというか、もちろんしてほしくないとかそういうわけじゃなくて、むしろ全然バッチ来いなぐらいの精神でして!
でっ、でも、急に、真っ暗な中でなんて恥ずかしいし、私も見えてない状態だし……。
あっ、見えないんなら、目を開ければいいじゃん。
そこまで考えた私は、高まる気持ちと速まる鼓動を胸に抱えたまま、暗い世界から日の世界へとそっと目を開けた。
まぶしい光に目を細めた私はだんだんと鮮明になっていく視界の中心に、件の人物を捉えた。その体躯は大きく、頼りがいのあるものだった。
ドキドキと早鐘を打つ、目の前の王子様の正体は―――
「…………ムサいおっさんじゃん」
「悪かったな、ムサいおっさんで」
少女マンガのような純粋な乙女心を完全にブレイクしてくれたのは、無精髭を蓄えた筋肉質のおっさんであった。
そんなうまい話があるはずがないのである。