異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~   作:火也(かや)

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40話 英雄の帰還

 地平線を境目とし、世界を灯し続けていた太陽がしばらくの眠りにつく。太陽が沈みきったあと、次に太陽とご対面と相成るのは約十二時間後だ。黄昏が空を覆い、夕日に近い地平線付近は陽炎の影響下で正確な距離が掴みにくい。

 ランデルの町の砂漠との玄関口、砦。その砦の近くの城壁の上でアルノー・ブラウンは地平線の彼方を睨み続けていた。彼の手には少し古い型の灰色の双眼鏡が握られており、時折チラチラと双眼鏡を覗いては目を離すということを繰り返していた。

 四門の大砲と大型の弩弓が鎮座して決して広くない城壁の通路には、アルノーだけでなく多くの人が集まっていた。そのほとんどの割合を占めるのが比較的軽装備の兵士と私服姿が目立つ冒険者であった。あとはいつもより遥かに人の多い城壁に野次馬根性で参加している一般の人々。そして沈痛な顔で砂漠を見続けるベティとアリア……。

 

 アルノーはそういった人々をざっと見渡し、よくこんなにも人が集まったものだと感心しつつ、溜め息を吐いた。ここにいるほとんどの人が、とある二人の冒険者の帰りを待ち続けているのだ。

 少し前の商隊壊滅の知らせ。それはAランクに属するモンスター、ディアブロスによってもたらされたものだった。ディアブロスは気性が荒く、縄張りに侵入したものには一切容赦がない。草食モンスターとは到底思えない凶悪な力を秘め、並大抵の冒険者では手も足も出ない。

 商隊壊滅の知らせを聞き、夫のロビンを安否が不明となり血相を変えたベティとアリア。その二人の気持ちを慮るように、天子と衣玖の二人がディアブロスの討伐に乗り出した。彼女たちは冒険者になってまだ日が浅いCランクであるにもかかわらずに……。

 

 

「ギルドマスター、隣町に遣わせた者が帰ってきました」

「そうか。向こうは何と?」

「『事情は把握した。至急冒険者に募集をかける』とのことです」

 

 

 アルノーのもとにやって来たギルドの職員の一人が、催促されていた内容を報告した。

 天子と衣玖が万が一戻ってこなかった場合、アルノーは他のギルドに声をかけて冒険者を呼ぶ算段をしていた。ディアブロスを野放しにしては今後砂漠を横断するのに支障をきたしてしまい、南から渡ってくる人や新たな商隊が犠牲になってしまう。そうなれば商品が流通しなくなり、一部の品物の物価が高騰し市場が混乱する恐れがある。

 しかし、ランデルには間が悪いことにディアブロスに挑めるランクを持つパーティやそういう気概を持つ者がいない。事は急を要するため、アルノーは隣町のギルドと連絡を取ったのだ。

 

 

「もうじき日も沈みます。早馬を使って至急了解の旨を伝えましょう」

「……いや、まだ日は沈んでおらん。返信はもうしばらく待て」

「し、しかし……既に彼らがここを出発して半日近く経過しています。遠出をするならまだしも、目と鼻の先の砂漠でこれだけの長い狩猟となると、失敗したと考えるのが妥当では…」

「ならんと言っておる」

 

 

 ギロリ、とアルノーは睨む。

 

 

「は、はい……」

 

 

 睨まれた蛙の如く緊張を強いられたギルドの職員はアルノーの鋭い視線を直視してしまい、不服さを感じながらもその場を立ち去った。アルノーの視線は、かつてAランカーと言わしめる鋭利さを含んだそれだった。

 しかし、とアルノーは再び砂漠の方へ向き直り眉をひそめた。ギルドの職員の言う通り、期限が迫ってきているのは事実だ。彼女らと設定した期限は日没。既に太陽の円の三分の一が地平線下に沈んでおり、もはや一刻の猶予も残されていないのも、また真実であった。日が沈んでしまえば嫌でも依頼失敗報告の烙印を押さなければならない。

 

 

「……まだ現れんか」

 

 

 双眼鏡を凝らして見ても人間の形の影は姿を見せない。彗星の如く現れた二人は、現在未だ現れずにいた。

 突然この町に訪れギルドに入り、頭角を現していった天子と衣玖。見た目の可愛らしさとは裏腹に、その奥底には何か輝くものを抱えている。それが貝殻の中に入った人魚の涙の如き光沢を放つ真珠なのか、ただ反射で光って見えるゴミなのかは分からない。故に、彼らの輝きは“原石”と呼べるものなのかもしれない。磨き方次第では炭にもダイヤモンドにもなり得る原石に。彼女らなら、はたしてやり遂げるのではないか。そういった漠然とした高揚感が、アルノーの心を浮つかせて憚らなかった。

 一つ溜め息を吐き、アルノーは砂漠に向けて必死に祈りを続けるベティとアリアを見た。神に対する祈りなど久しく目にしていなかったアルノーは、逆にその姿勢から必死さが伝わって来て少しいたたまれない気持ちになった。

 

 

「もうじき日も暮れる。朝からずっとそこに立ったままじゃろう。戻ってくればいの一番知らせる故、少し休んだらどうじゃ?」

 

 

 その声かけが自分たちに届いていると気づき、ベティとアリアは顔を上げた。二人の顔には濃い疲労の色が浮かんでおり、特にベティの方は髪もボサボサで目のあたり真っ赤に腫れていた。

 

 

「……お気遣いありがとうございます。ですが、夫が帰ってくるまで、私はここを離れるつもりはありません」

「……そうか」

 

 

 誰がどう見ても大丈夫じゃない、と思ったが、彼女が鉄よりも硬い意志でここにいることは、ロビンが冒険者だった頃から彼女の人となりを知っていたアルノーにとって明瞭であった。夫のことになれば我が身を省みず振る舞うその姿を動かし得る術を持たないアルノーは、彼女に休ませる選択肢を選ばせることを早々に諦め、代わりにベティの娘のアリアに向けて言った。

 

 

「ではお嬢ちゃん、君だけでも休んだらどうかね」

「いいえ……私も、ここで、待ちます」

「見張りなら兵士でも冒険者でも大勢おる。それに夜の砂漠は冷える。君まで倒れては元の子もないぞ?」

 

 

 娘のアリアまで倒れてしまえば、既に気力でつなぎとめているベティも連鎖的に倒れてしまうだろう。いや、どちらかといえば先に倒れそうなのはベティの方であるが……。

 不安げな目であちらこちらに視線を迷わせながら、それでもアリアは拒否を示した。

 

 

「……私は、ここにいないといけませんから。天子さんと衣玖さんが、必ずお父さんを連れて帰って来てくれます」

「……信じておるのか?」

「はい。天子さんは、絶対に帰ってきます」

 

 

 根拠も何もない感情論だが、アルノーは何故か納得することができた。そう思わせる何かが、彼女たちにはあるのだ。語調を強めたアリアの言葉からもそれがよく分かった。

 アルノーは近くの冒険者に声をかけ、「あの者たちが羽織れる上着を用意してやってくれんか?」と言い、それを快諾した女性冒険者はベティとアリアに上着をかぶせてやった。

 

 

「ありがとうございます……」

「なに、構わんよ。それじゃ儂もここで待たせてもらおうかの。あやつらがロビンを連れて帰ってくると信じて、な」

 

 

 唖然とするアリアをよそに、アルノーはふぉふぉ、と小さく笑った。こんなに小さな少女が信じて待っているのだ、ギルドマスターたる自分が信じずにはいられないだろう。アルノーは隣町への返信など頭から消え去り、ひたすら二人の帰還を待ち続けた。

 時折風が巻き、つむじ風が砂嵐を起こす砂漠を臨み続ける。いずれ現れるであろう、二人の影を探して―――

 

 

「おい、アレ……!」

 

 

 誰がその声をあげたのか、冒険者か駐屯兵の兵士か。城壁にいるすべての人間がそちらを向き、そして思い出したかのようにおもむろに砂漠の方へと向いた。アルノーとベティ、アリアも砂漠に目を凝らし、アルノーは双眼鏡に手をかけてレンズを覗き込んだ。

 巨大な太陽が地平を橙色に照らし、それ自身は白く明るく輝く。逆光でまぶしい地平線の中、小さく現れた影を注視した。

 非常に緩慢な動きだが、ゆっくりとこの町を目指して行進を続けている。影は三本あり、一つは比較的高くしっかりとした足取りで、残りの二つは互いに寄り添うようにして歩き続けている。

 

 その影―――互いに寄り添うようにしているのは天子と衣玖。もう一人は……ロビンだ。

 そして天子は、こちらの視線に気づいたのか、町が見えたからなのか分からないが、腕に抱えた巨大なものを槍を突くように掲げた。

 

 

 それは―――半ばから折れた、ディアブロスの角だった。

 

 

 その瞬間―――砦に喝采が響いた。砦が震撼したと錯覚するほどの振動音が空気を伝わってアルノーの肌に触れた。一部の冒険者は持ち物の帽子を上に投げたり、兵士も持っている剣や槍を掲げ喜びを示した。自身も内側から膨れ上がってくる高鳴りが口から飛び出して今にも爆発しそうだ。

 

 

「あああ……!」

 

 

 夫の姿を確認したベティは、アルノーの隣で泣き崩れた。張りつめていた糸が夫の安否を確認したことでプツンと途切れ、それが嬉しさやら困惑やらがごちゃごちゃに混ざり合い何が何やらわけの分からない混沌とした感情と相成っている。

 しかしそれは、その先安心できるからこそ起こった出来事であり―――ロビンが自分のところに帰ってくると理解したから気持ちが緩んだのだ。ベティは胸に手を当て「ありがとう、ありがとう……!」と嗚咽を漏らしながらそう連呼していた。

 アリアも、膝をついて大粒の涙をこぼしていた。泣いてはいけないと、これまで耐えていた激情が瞳から雫の形となって溢れ出してくる。今回、狂乱するベティを支えていたのはアリアだから、その心労は推し量ることができよう。

 

 そんな中、お互いに肩を組んで歩いていた天子と衣玖が、前に倒れてしまった。そこから起き上がる気配はなく、隣を歩いていたロビンが介抱に向かった。おそらく、疲労が限界点に達したのだろう―――

 

 

「お、おい! 二人が倒れたぞ!」

「担架だ! 三人分の担架と救護班を連れて来い!」

 

 

 そんな声が三々五々聞こえ、やがて城門が開門して十人程度の武装した兵士が担架を担いで天子たちの迎えに行った。アルノーはベティとアリアを促し、城門で待つようにと城壁を下りていった。

 二十分ほど経った後、天子たちを連れてきた兵士が城門に戻ってきた。ベティとアリアははロビンを乗せた担架にすがりつき、一週間ぶりに会った顔を見た。

 

 

「あなた!あなた……!」

「お父さぁぁん!」

「ベティ、アリア……会いたかった」

 

 

 二人は意識がしっかりしているロビンに抱きつき、ロビンもそれをしっかりと受け止めた。ロビンの名を叫びながら泣き続ける二人をロビンは「大丈夫だ、大丈夫だ……」と囁きながらギュッと強く抱き寄せた。

 

 

「すごく……すごく心配したんだから…!」

「……すまん」

 

 

 顔を歪ませながら怒りを露わにするベティを、ロビンはさらに強く抱き寄せる。もう二度と離さないと、そう意思表示しているようであった。

 

 

「こうして帰って来れたのも、あいつらのおかげだ……」

 

 

 担架に運ばれてゆく天子と衣玖の顔は、どこか満足げで幸せそうな表情をしていた。ついさっきまで、暴君と謳われたディアブロスと激しく戦っていたにもかかわらず。

 

 

「見ろよ。つらくて厳しい戦いだったってのに、あんな表情で笑ってるんだぜ……」

「やっぱり帰って来てくれたんだね、天子さんと衣玖さん……」

「ああ……歩くだけで意識が飛びそうになるくらいボロボロになって、それでも、俺に笑って『帰ろう』なんて言ったんだよ。こいつらには、本当に感謝してもしきれねえよ」

「本当に……本当に、ありがとうね」

 

 

 ベティ、アリアが一通り気を失っている二人に謝辞を述べ、二人は担架に運ばれいった。おそらく治療院で治療を受けるのだろう。ロビンの言うことが真実なら二人は相当の重傷を負っているはずなのだ。

 太陽が三分の二沈み、西の空は微かに明るい橙色を残し、東の空にはきらきらと星が輝き始める。一際輝く一番星のご加護が、天子と衣玖に宿ってロビンを救ってくれた、そんな風に思ってしまうほどに、今の星空は美しい。満天の星空一つ一つの星々全てが二人を祝福するように、遠い彼方でその存在を誇示し続けている。

 

 天子と衣玖―――二人の英雄の帰還だった。

 

 

 

 

 

 

 それから三か月―――

 大怪我を負った天子と衣玖は治療院で入院生活を送ることになった。特に天子の怪我の具合がひどく、現役で続けられるかどうか怪しいと医者に宣告されてしまった。

 普通の冒険者ならそうだろう。しかし、生憎人間ではない彼女たちなので二人は医者が予想したよりも遥かに早い速度で傷が癒えていった。天子も滞りなく怪我が治癒し、衣玖は二か月、天子でも三か月という驚異的な速度で完治するに至ったのだ。

 流石に医者も訝しく思い、それで天子も衣玖も人間じゃないとばれたらどうしよう、と内心ビクビクしながら退院した。ディアブロスを倒した英雄とは思えないほどの小物ぶりだった。

 

 その後、二人はランデルでしばらく依頼を受け続けた。三か月のブランクを取り戻すためだったのだが、もちろん大型モンスターなんて無茶なことはせず小型モンスターや採集系の簡単な依頼だけを選んでいった。

 退院後初めて依頼に出かけるとアリアに言ったとき、泣きそうな顔で「行かないで」と訴えかけられたのは余談である。

 

 町の皆から英雄英雄と面白おかしく揶揄されつつ、二人はランデルでのどかなときを過ごした。退院から一息ついてごたごたも片付けた、と思い始めたとき、二人は―――決意した。

 

 

 ―――この町を、出よう。

 




次話、一章完結。
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