異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~ 作:火也(かや)
レポートが一応一通り終わり、あとは定期試験だけになったので投稿します。多分来週は週一じゃないと無理なんじゃないかなー
天子と衣玖、そしてドスランポスは昼下がりの麗らかな気温のもと、ゆったりと街道を進んでいた。
国境を越えた一行は麓の王国側の関所で入国検査を行い、通行手形・ギルドカードの確認など帝国側の関所で審査したこととほぼ同じことを確認してそれが何も問題なかったためこうして王国を歩くことができるようになったのだ。
入国管理局は帝国と同じような赤煉瓦造りの大きな建物で、こちらも勝ると劣らず立派なものだった。こちらもおそらく似たような理由で帝国に対する王国の威信を示したものなのだろう。
門も当然立派で、ただしこちらのものは帝国よりは小ぶりだった。美しい建築物であることは変わりなかったのだが。
関所の町を出て二日。進んだ先の村で一泊し、そして向かうは王国二度目の町へ行くところだ。
「あー、気持ちいい天気……このまま寝ちゃいそう」
ドスランポスに揺られながら、天子は大きな欠伸を一つ漏らす。涙をごしごしこする天子に、衣玖は呆れながら言う。
「本当、よくそんな上下運動が激しい背中で眠ろうなんて思いますよね。○び太くんですか」
「あやとりも拳銃の扱いも上手くないけどね……ふぁ」
もう一つ欠伸を漏らす。確かに今日は暖かく眠気を誘う気候だ。ついさっき昼食を取ったばかりというのも助長しているのだろう。
しかし、いくら眠いといってもドスランポスの背中で寝るわけにはいかない。このドスランポスは賢いのでいちいち指図しなくともきちんと進んでくれるが、むしろ危ないのは天子の方で落馬する危険性がある。いくら賢いといってもそこまでドスランポスも気が回せるはずもない。
「地図によればそろそろ町に着く頃合いです。そこまでは寝ないでくださいよ」
「うん、頑張る……」
「……寝ないでくださいよ? 絶対に寝ないでくださいよ!?」
「フリですねわかります」
王国側の気候は極めて温暖で安定している。王国領の北部は夏にかけて大量の雨を降らし、王都がある南部では夏に雨が比較的少なく冬の気候が温暖だ。
大砂漠などを抱える帝国領はどこに行っても気候が安定せず、首都であるミスニーンがせいぜい温暖な地域に含まれるといった具合だ。
その豊かな気候のもとで王国は発展し、古くからの大国と成し得たのだ。
「はあ、とにかく水で顔を冷やしてください。居眠り落馬なんて目も当てられませんよ」
「落馬した程度でどうにかなる体でもないけどね。―――んっ」
バシャ、と水筒の中の水を顔にかける。冷えた水は天子の眠気を吹き飛ばすには十分だった。
「ふいー。さっぱり……お?」
「ん、ようやく見えてきましたね」
衣玖は空中で地図を広げ、目の前に見えた町と地図上の印を照らしあわせる。時間的にももうすぐ到着するころだったから、おそらく間違いではないだろう。
王国有数の都市。ハイツだ。
ランデルと同じような城壁が町を囲うように張り巡らせており、こちらの壁はランデルのように砂嵐などの浸食を受けていない分綺麗に見える。高い城壁を越えて見える背の高い建築物はこの町の領主の屋敷であろうか。
街道を沿った先には城門が見え、そこには兵士らしき人物が門の両脇に立っているのが見える。
「こりゃ大きい町ね。ランデルと同等か、もしくはそれ以上?」
「ここから目測で三十分程ですかね。大きい町ですし、見て回る所もたくさんあるでしょうし……宿を取ったら観光でもしますか」
「お、その意見いただき」
ナイスアイデア、とばかりに指を鳴らす天子。ランデルでもそうだったが、これほどの規模にもなると店の種類も豊富で見ていて飽きない。
冒険者ギルドもあるだろうし、そこに顔を出してみるのもいいかもしれない。
「そうなら善は急げね! 町へのりこめー^^」
「クアー!」
ぺしんとドスランポスの背中を叩き、それに同調するようにドスランポスも高らかに声をあげてスピードアップする。振動がその分激しくなるが、天子はそれを気にした風もなく少し興奮気味に町を目指す。
子供ですか……と呆れる衣玖も置いて行かれないように追随し、風を切りつつ町へと目指すのだった。
◇
「むー……また拒否られた」
「まあ、当然でしょうね」
「別にいいじゃない! 心が狭い連中ばかりねまったく!」
ハルツの町の城門で入城検査を受け終わった天子はご立腹だった。
ここでもドスランポスの入城は拒否されたのだ。ギルドカードを提示して何度も訴えたのだが、向こうは無理の一点張りで考えを曲げることはなかった。
「向こうも仕事なんですよ。少しは察してあげましょうよ」
「でもいい加減私だって嫌になってきたわよ。可哀想じゃない。今一人ぼっちなのよあの子は」
「しかし、自然のまま気ままに過ごせるという面ではそちらの方がいいのでは? ドスランポスも元は野生なんですよ?」
「そ、そうだけど! 私の目がない隙に冒険者に狩られたらどうするの!」
「あの子は賢いですからね。自分の役割もきちんと理解していますし、危険だと分かったらすぐに逃げますよ。冒険者の足ではあの子に追いつけませんから大丈夫でしょう」
「むむむ」
「何がむむむですか」
そんなやり取りの応酬をしつつ、二人は城門を抜け町へと入った。
暗い空間から明るい場所へと移った二人の目に映ったのは、賑やかな人の往来だった。
城門の近くということから人の往来が激しく、城門を行ったり来たりする人が目立つ。荷車を引っ張るアプトノスが過ぎ去ったと思えば防具を身にまとい帯剣する冒険者のパーティらしき集団が通り過ぎていく。
地面は石畳ではないものの、しっかり整備されていて砂埃が舞い散ることはなさそうだ。
「でっかい町ねー……」
「ランデルも賑やかな町でしたが、こちらもそれに負けていませんね」
どうやら城門付近は居住区となっているらしく、通りを外れたところは生活感漂う雰囲気となっており、細い路地には建物同士で麻紐がかけられていてそこに洗濯物を干している。
肝心の通りには様々な店舗が所狭しと並んでいる。ここら辺はどうやら居住区に住む人々の商店街となっているようで特有の雑多な感じがある。
しかしながらそれが悪いというわけではなく、むしろ住人の生活が垣間見えて自分もその中の一員であるような共有感が実感できる。
通りを進んで行くにつれ次第に地面が石畳へと整備されていき、建物も心なしか豪華になっているような気がする。ここにはいわゆる中層階級の人々が住んでいるのだろう。
喧々囂々と人々が通りを過ぎていく様子を天子と衣玖は物珍しい目で見る。ランデルで見慣れているといっても、やはり天界の光景に慣れていた二人にとっては人間がこんなにも集まる風景というのは珍しく見えるのだ。
「こんなに人がいれば、それはそれはたくさんの店もあるんでしょうね。早く宿を取って町を見て回りましょう総領娘様」
「………」
「総領娘様?」
「ヒャア、我慢できねえ! そのまま観光だーッ!」
「えっ」
天子は雄叫びを上げて通りを走っていく。その姿は、まるで我慢することを知らない幼い子供のようだ。
これほど賑やかな様相を見せられて天子は自制できるはずもなかった。ただでさえじっと大人しくしていることが苦手な彼女だ、この賑やかさに感化されて自分も騒ぎたくなったのかもしれない。
どちらにせよ、衣玖にとってはほとほと迷惑なことには変わりなく、通りに突撃していった天子を追いかける羽目になった。
「総領娘様! ……もうっ!」
額に手をやり、きりきり痛む頭を押さえながら衣玖はどうお仕置きしたものかと考え始めながら、天子の後を追いだした。
通りには人で溢れかえっておりこの中から一人を探すのは苦労しそうだが、幸い天子の目的は観光することだからおそらくどこかの出店を回っているに違いない。
人の波に沿うように衣玖は天子を追い始めた。
三十分ほど経ったところで天子は自分が今いる場所を確認した。
現在地は通りから少し外れたところにある裏路地だ。興奮を抑えきれずあちらこちらをふらふら歩き回っているうちに大通りから随分離れたところにやって来てしまったようだ。
「……あれ、変なところに来ちゃった」
「総領娘様! もう、変な所に来たと思えば……!」
「衣玖? ……いつの間にかこんなところに来ちゃってた(・ω<) テヘペロ」
「テヘペロ、じゃないです。まったく、宿をとってから観光すると言ったでしょう?」
「ごめんごめん、衝動が抑えきれなくて」
軽く手をすり合わせて謝る天子の姿はあまり反省している風には見えないが、いちいち言及するのも面倒だと衣玖は内心溜め息を吐く。どうせ叱っても効果も薄いだろうと判断した衣玖は路地を後にすることにした。
薄暗い裏路地は、正直な話あまり心地の良いものではない。整然として美しい表通りと真逆でこちらはゴミが散らかっていたり、小動物がうろついていたりなど衛生面でお世辞でも良い状態とは言えない。
ランデルにもこういう裏路地はあった。美しい都市の裏にはこういう側面もある、というある意味で良い例であった。
「そんなことより早く抜けてチェックインしに行きますよ。観光はそれからいくらでもできます」
「はいはい、分かったわよ―――ん?」
路地に向かって背を向けた衣玖に従って踵を返そうとした天子は、裏路地の闇の奥で何かが騒いでいる声を聞いた。
裏路地の暗い印象が際立っているせいか、どうもその騒ぎが良くないものだと感じてしまう。裏路地での騒ぎなど十中八九良いものではない。
故にというべきか、それがどうにも気になって仕方なく、天子はその場に立ち止って路地の奥の闇を凝らして見た。人ならざる身の強化された視力は薄暗い視界でもその視界を明瞭にしてくれる。
『―――、――!』
『―――!!』
『!――………』
天子の視界の先に映った光景は、異様だった。
深いローブを被った二人組―――いや、それは決して仲間などではなく、むしろ敵対しているようで、二人は互いに掴み合っていた。
まるで魔術師が羽織るような怪しさ満点の漆黒のローブの背の高い人物と、もう一人はボロ衣を繋ぎ止めただけのつぎはぎだらけのローブを羽織った背の低い人物。身長や肩幅、腰幅、線の細さから見るに、黒ローブは男で、ボロローブは女性のようだ。
その黒ローブがボロローブに向かって腹を殴る。気絶したのだろうか、倒れるボロローブを黒ローブは抱き留めて乱雑に担いだ。
まるでそれは、人攫いの現場であるような―――
「……っ?!」
体を緊張が走る。それが本当に人攫いだと気づくのに一秒ほど要した。
それが遅れとなった。
重さを感じさせないような軽快な走りで、黒ローブはボロローブを担いだまま闇の奥へと消えていった。あとには何も残っていなかった。
瞬時に思考の網を広げようと考えるが、冒険者生活で鍛えられた反射神経が脳の思考よりも数段速く行動を開始させた。
「衣玖っ、これ持ってて!!」
「え、総領娘様!?」
ザックを衣玖に向かって放り投げる。天子の突然の行動に驚愕した衣玖は宙を舞ったザックを受け止め、路地裏に向かって走り出した天子の更なる行動に困惑した。
背中に叫んだ衣玖の声も天子の耳に入ることはなく、闇の奥へと消えていった黒ローブの追跡を開始した。
裏路地は狭いうえにゴミ箱やゴミ自体もあちこちに散乱していてとてもではないが全力疾走できそうにない。それでも出せる限りの全力で裏路地を駆け抜けていく。
元々彼我の差はそう開いていない。おそらく二十メートルもなく、天子が先程の黒ローブを肉眼で捕捉した途端に向こうもこちらの存在に気づいた。ばれたのならもう声を潜める必要もないだろう。
「待てえっ!!」
「………!」
走りながらの精いっぱいの声を出して天子は誘拐犯に迫る。
まさか追って来る者がいたと思っていなかったのだろう、黒ローブは突如スピードをあげて天子を振り切ろうと路地の角を曲がった。
今ここがどの辺りか判断できないが、おそらく町の外縁に近いところを走っているはずである。路地はかなり入り組んでおり、地元住民でも迷ってしまいかねないような迷路のようになっている。
黒ローブは天子を振り切ろうと路地の角を何度も曲がるが幾らやっても振り切ることができない。それどころか彼我の距離を僅かに狭めつつあり、このまま少しずつ押していけばいずれ捉えることもできる。
あともう少し、と思って角を曲がる。しかし、その先は行き止まりで、そこにあの黒ローブの姿は見えない。
「嘘ッ!?」
「見失った!?」と周りをぶんぶん見回すが、黒ローブの姿は忽然と煙のように消えてしまっていた。窓を割って建物の中に侵入した形跡もなく、そもそもそれならばガラスを割る音が聞こえるはずである。
一体どこへ、と焦りを覚え始めたとき、天子はハッとして頭上を見上げた。
「まさか、上!?」
袋小路の唯一の開かれた逃げ場、それは頭上である。路地の両脇に構える家の壁伝いに登れば屋根の上に出るはずで、そこから通りに抜けられる。
しかし、引っかける足場などどこにもない平らなただの家の壁をこうも一瞬で登れるものなのか? 天子のような存在ならまだしも、ただの一般人が瞬間で登れるとは思えない。
もしかすると、あの黒ローブは追跡されることに慣れている? 裏稼業に足を染める奴なら、こういう暗殺者が習得しそうな技を会得していてもおかしくない。
天子はぐっと足に力を込めて力を爆発させて上へ高く跳び上がり、その途中で一度壁を蹴って方向転換。跳躍の向きを変えた天子は一度の壁キックで二階建ての建物の屋根の上へと飛び乗った。
人間には到底真似できない荒業をこなした天子は瓦を踏んで屋根上に立ち、急いで黒ローブの姿を探した。
「いた……!」
まごついていた天子を引き離し、既に黒ローブは最初開いていた距離まで天子から離れた位置にいた。当然待ってくれているはずもなく未だなお逃走中である。
「くっ、人一人背負ってるのに何でそんなに速いのよ!?」
追跡を再開する天子だが、瓦葺の不安定な足場にもかかわらず地上とほぼ変わらない速度で走る黒ローブの技術には驚かされる。
この町の建物は全て瓦屋根で統一されており、形状こそ差はあれどそれは日本の物と大差はない。ここら辺の技術は違いはないようだ。
そして瓦というのはとても不安定なもので、当然のことなのだが人がその上を走ることができるようには設計されていない。元の世界では屋根の上を走る人間が出てくる話が往々にしてあるが、実際は非常に安定しない足場なのだ。
「待ち、なさいっ!」
「………」
壁キックは常人離れした膂力で何とか成功したが、こればかりはどうにもならない。
慣れない足場に苛まれつつ、天子は女性を背負った黒ローブを追いかける。何度か瓦を踏み外して転倒しかけたが、なんとか態勢を崩さず走り続ける。
しかし、裏稼業に手を突っ込んでいそうな黒ローブがそういった隙を軽々しく見逃すはずもない。担ぐ腕とは別の腕を器用に回してナイフを投擲してきた。
「っ!? 危な……っ!」
ヒュンと一直線に顔面に向けて投擲されたナイフを天子は首を回して紙一重で回避する。
回避行動をとったことで態勢が不安定になり、僅かに天子はつんのめりまたもや速度を落とす羽目になる。
「っくぅ……くそっ」
相手の土俵の上に立たされた天子は翻弄されるがままだった。
思うように距離を縮めることができず、天子は舌打ちした。それどころか相手との距離は徐々に広がりつつあった。
屋根の上に登れば視界も広くなって追いかけやすくなると踏んだ天子の考えは完全に誤算だった。これが地面の上ならば天子の土俵の上だっただろうが、屋根の上は相手の独壇場であった。
黒ローブは隙を見て何度かナイフを投擲しているが、幸いにしてナイフは天子に未だ直撃どころか掠りすらしていない。
いや、向こうからすれば別に当てる必要はなく、要は時間稼ぎさえすればよいのだから、そういう意味では完全に向こうの術中にはまっていることになる。
屋根伝いに走り続ける両者だったが、建物が途切れば屋根も当然なくなるはずで永遠と続くはずもなく、黒ローブの向こうには建物が見えない。
「この距離で見失ったら次は捕捉できない……くそっ、手遅れか……」
天子と黒ローブの距離は二十五メートルほど開いており、今黒ローブが建物を下りて通りの人混みに紛れてしまえば目標を完全にロストしてしまうだろう。そうなれば、あの担がれた女性がどこに行ったのか分からなくなってしまう。
何の目的で人攫いなんか実行したのか知る由も無いが、誘拐なぞ決して褒められたものではない手を使うぐらいなのだから、邪な理由であるのは間違いないだろう。
どういった境遇なのかは知らないが、あの女性にとって良いことであるとは思えない。でなければ抵抗などするはずもないのだから。
「ちくしょう!!」
天子は己が未熟さ、力が及ばなかったことを後悔した。もっと気づくのが早ければ……と言っても詮無きことだ。
黒ローブが背中でにやりと笑ったような気がする。嘲笑うように語りかける背中を見ているだけの自分が歯がゆく思い、悔しい。
あと二十メートルほどで建物の端にたどり着く。そこを下りられると天子の負けだ。
黒ローブはチラと天子の方を振り返り、開いた差が決定的なものだと実感すると屋根から飛び降りようと僅かに減速した。
「そこです―――!!」
「……!?」
突如上空から何者かが強襲をしかける。黒ローブの進路上に合わせるように得物を振るうが、異変に気づいた黒ローブは寸でのところで急停止した。
振るわれた得物が屋根をしたたかに打ち、一部の瓦が弾け砕けた。
「衣玖!?」
そう、強襲してきたのは衣玖であった。羽衣を螺旋状に腕に巻きつける「龍魚ドリル」を黒ローブに突きつけたのだ。
その一撃は黒ローブの恐るべき危機察知能力で回避されたが、衣玖の狙いは別にあった。天子はそれに気づくと雄叫びを上げて黒ローブに肉薄する。
「うおおーーー!!」
「!?」
屋根の上の不安定な足場が、今度は黒ローブに牙をむいた。瓦が剥がれて態勢を崩すと、天子はそこにつけ込み黒ローブに一気に近づいて肩から強烈なタックルをお見舞いする。
「おらあっ!!」
助走をつけて勢いを増した天子のタックルはこれまで翻弄し続けてきた黒ローブに痛い一撃を与える。
剣を抜かなかったのはその暇がなかったこともあるし、何より誤って女性に当たると危険だからだ。黒ローブが女性を盾に使う可能性も捨てきれなかった。
態勢を崩していたうえに強烈なタックルをくらわされた黒ローブが態勢を維持できるはずもなく、女性を手放して転倒する羽目になり下に向かってごろごろ転がっていく。
遂に端まで到達した黒ローブは転がる勢いを抑えきれずにそのまま下へと落下していった。
「総領娘様! こちらの方は私が見ますのであいつを!」
「了解!」
衣玖の指示に素直に従った天子は黒ローブの二の舞にならないように慎重にかつ早急に下り屋根の端にたどり着く。
眼下は先程まで天子たちがいた大通りで人が道に沿って往来している姿が良く見える。上から俯瞰した景色はまた格別であり、人混みの中から賑やかさを実感するのとは違った感慨が感じられる。
しかし今は景色を鑑賞している暇はない。天子は黒ローブの奇襲がないか勘繰りながらそろりと真下を覗き込む。
「……いない」
黒ローブの姿はどこにも見当たらなかった。大通りは混雑しているから人一人を見つけるのは至難の業であろう。
しかしここは二階建ての家屋で、高さは結構なものがある。ここから落ちても死にはしないが、それでも転がりながら落下すれば受け身など取れるはずもなく骨折くらいはあり得る。真下では倒れている黒ローブが発見できるはずなのだ。
それが確認できないということは既に黒ローブは逃走したということなのだろう。あの状況からでも受け身をとれるように訓練していたのかもしれない。
「流石裏稼業の住人、というべきかしら」
どちらにせよ追跡は不可能と判断した天子はそれ以上の詮索を止め、衣玖のところに戻ることにした。
「追跡は無理ね。もう姿を消してるわ」
「そうですか。まあこの方を取り戻せただけでも良しとしましょう」
「それはいいんだけど衣玖……、あんたいつの間についてきていたの?」
「総領娘様が走り去った逆から貴方をとっ捕まえて説教しようと思ったんですが、周囲の空気を読んでいると何やら物騒なことが起きているようでしたので先回りして迎え討とうと思いまして」
「そう……とにかくありがとう衣玖、助かったわ」
「いえ……それよりこの方なんですが、助けたのはいいものの、この後どうします?」
「……とりあえず話だけでも聞きたいわね。結局何が起こったのかさっぱりだわ」
「では早急に宿をとりに行きますか。総領娘様のザックは盗まれないだろうと思った場所に置いてきましたから取りに帰りましょう」
「分かったわ」
とにかくここを離れよう、と天子と衣玖が足を踏み出す。
すると取れかかっていたのか、女性がかぶっていたローブのフードがめくれ頭が見えてしまった。
パサリ……
「……え?」
「……これは」
フードが取れて見えた顔は、あまりにも特徴的だった。
まるで人形のような端正な顔立ち。目は閉じられているものの一度開けば美しい双眼が目に飛び込んでくるのは間違いない。あまりにも白いきめ細やかな肌と、女性なら誰もが羨むだろうさらりとした金糸のような長髪。ぷっくりと潤う桃色の唇は、ボロボロのローブとは不釣り合いなくらいに健康的だ。
そしてそんな完璧な要素をもってしていても、天子と衣玖はそれとは全く違う部分に目を惹かざるを得なかった。
「長い、耳……?」
眠り姫のように静かに眠る彼女は、尖った長い耳を持っていたのだ。
長い耳=ハイリア人(ゼルダ話)