異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~ 作:火也(かや)
カツ、カツ―――午後の麗らかな日差しが窓から差し込む廊下に、跫音が響く。深紅のカーペットが敷かれた廊下は酷く静寂を貫いており、それを破るかのように靴音が吹き抜けていく。
歩を緩めずにチラリと窓の外を見る。窓の向こうには光を乱反射させて輝く噴水と精緻に整えられた植木や花が整備されており、上から俯瞰すればシンメトリー的な庭園に見えるだろう。噴水の他に、庭園には見られがちな白亜色の東屋に緑のアーチ。両脇を色鮮やかな花壇に囲まれた中を走る遊歩道など、並大抵の経済力では到底維持不可能な程の豪華絢爛ぶりがその庭園から窺える。
少し目を凝らせば植木鋏を肩に担いだ老人やジョウロを抱えた若い女の姿も見える。おそらく彼らはこの庭園を維持・管理している者たちなのだろう―――と適当に推測した
とは言っても周りには、この屋敷の持ち主がいかに富豪かどうかを示すものはそれこそいくらでもあった。壁掛けの絵画やミニテーブルに置かれた壺などのいかにも高級そうな調度品、庭園を含めた何坪あるか分からない広大な敷地と巨大な屋敷。今こそ静かそのものだが一体何人いるか分からないメイドたち―――よくもまあこれほどの施設・人員を揃える大金を湯水のごとく使えるものだ。
(それが、貴族の悲しい性なのだがな)
何よりも
(まあ……俺には関係のないことだ)
思っても意味のないことだ、と結論づけて彼は思考を打ち切った。そのようなことを考えるためにここに来るほど、彼は暇ではなかった。
どちらかというと、内心は穏やかではない。それが表情に現れるほど柔な鍛え方はしてないが、それでもここに訪れた理由を鑑みるにこの先良い結果に転がるとは思えない分、楽天的な思考はできなかった。苦し紛れの現実逃避に近かった。
しばらく長い廊下を歩き、突き当りを進んで行くとたった一つだけ、一番奥に扉が一つだけあった。執務室とプレートが掘られた扉の前で止まり、コン――コン――コン、と間の空いたノックをした。
「入れ」
「…失礼します」
それが何かの合図だったのか、扉越しのくぐもった声が彼の耳に届く。金属加工されたノブを引き、彼は部屋へと入室した。
執務室とあるように、その部屋は決して広くない。部屋の内装も派手な内装は施されておらず、一見すると質実剛健を体現したかのようなスマートな印象を与える。しかしその実、ここに置かれたものは全て一級の職人によって作られた最高の品々ばかりであることを彼は知っていた。
そしてそんな部屋の中でテーブルについている小太りした人物が一人。傍に積まれた大量の書類を検分しているその人物は、こちらを見向きもしていなかった。
「報告に上がりました、グリンウッド男爵」
「…言葉には気をつけたまえ。私はもうじき
ふん、と吐き捨てるように鼻息を鳴らした男に、顔をしかめた。ならば男爵だろうが、と思った言葉を心の内に留め置いた
チャールズ・グリンウッド。ハルツの町にいくつか存在する貴族の中でこの町を全体統括する貴族であり、グリンウッド家の現当主である。段階分けされている爵位のくらいは最も低い男爵であるが、来期に王都で開催される会議で伯爵に昇爵することが決定しており、それをチャールズは指摘したのだろう。
チャールズはキシキシと椅子を軋ませ、書類に印を次々ポンポン押していく。自分の報告は片手間程度ってわけか。
「私は面倒が嫌いだ。単刀直入に言いたまえ」
「は。申し訳ありませんが、彼の者の排除は失敗に終わりました」
ピタリ。
それまで続けていた押印作業を、チャールズは止めた。
「……失敗だと?」
「
「言い訳など聞きたくない。つまり貴様は、奴は今この場にはおらんと言いたいのだな」
「……は」
チャールズが初めてこちらを見た。その目は空中から地上の小動物を目がけて急降下してくる猛禽類のような色を帯びており、彼は意図せず視線を床に向けた。
明確な怒りの色は見せていない。しかし、その奥には冷えた炎と呼ぶべき怒りが、渦巻いているのが彼には分かった。
小太りした一見ファンシーな見た目とは裏腹に、岩をも貫き通すかのような冷徹さを兼ね備えているのをようやくながら気づいた。
百年ほど前まではハルツの町は今よりも経済的に発展した町だった。海上輸送経路かつ魔物の脅威への対策が未発達であったかつては、王国との交易ルートの最主要経路は山脈の最も標高の低い地点を越えての陸上輸送だった。その国境と王都の中間点を繋ぐ町としてハルツは大いに栄えた。
しかし船舶造船技術の上昇や海上の魔物への対策が講じられた現在、一度に大量の積み荷を輸送できる船が輸送手段の最たるものとなった。それに伴って荷馬車の手配や長距離長期間輸送による疲労など多くの点で船に後れを取っている陸上輸送はその多くが衰退の一途をたどり、それによって栄えたハルツの町も慢性的な停滞を見せていた。
巨大化した都市はある一定の大きさに保たれて入るが、経済的成長を見込めない以上、更なる発展を望むことはできない。栄達を望む多くの貴族階級にとって、他の地域の貴族がどんどん成果を上げていく現状は歯痒いものであった。
その現状に終止符を打ったのが、目の前の男チャールズ・グリンウッドだ。
前領主に取って代わるとチャールズは貴族優遇措置をとり、自分の親戚やそれに近しい貴族を人材・資材など多くの面から優遇した。貴族の住みやすい町に、貴族が満足できるような政策をとり、町の貴族と次々にパイプラインを構築していった。
その優遇措置の対極にいる存在。それはもちろん庶民である。チャールズがとった施策は貴族にとっては喜ばれるべきものだったが庶民にとって決して優しいものではなかった。搾取したと表現してもよい。
またチャールズは、町の大商人と癒着し、大量の納税金を支払わせることで市場の独占を公認、優遇を確約した。それによって得た資金、庶民から搾取した種々の資源を持ってして王都に太いパイプラインを持つ貴族と密約を交わし、中央との関係を構築した。
しかしそれらを行うには並大抵の手腕ではどうにもならない。なぜなら商人にしろ貴族にしろ、停滞しているハルツの町に対する旨みはほとんど無いのだから。
長年そうした取り組みは合ったに違いない。しかしそれらを尽く成功させたチャールズの腕前は確かと評価できるだろう。
「何のために貴様らを雇ったと思っているのだね? このような汚れ仕事しか能のない貴様らを、決して安くない金を支払って、あまつさえ失敗だと? 笑えない冗談はよしたまえ」
そう言いつつも一切笑わないチャールズは、何か言いようもない威圧感があった。自分が失敗してしまった後ろめたさもそれを助長しているのだろうが、それを差し引いても、だ。
緊張感や威圧感には慣れているはずなのに。
「つ、次こそは必ずや…」
「次などない。もう貴様には頼らんよ。さっさと私の前から消え去りたまえ」
そして興味を失ったようにチャールズは書類仕事に戻った。決して長い付き合いではなかったが、もう何も言っても態度を変えないことは容易に推察できた。
仕方ない、と割り切った彼は頭を下げた。
裏稼業はその腕は当然として何より信頼が第一とされる。信頼がなければ依頼は少なるし、逆に信頼足る人物だと評価されれば依頼はどんどん舞い込んでくる。商売とよく似ているのだ。
「……失礼します」
個々の領主とは信頼は築けなかった。ならば早々に立ち去り次の顧客を見つけるのが最善だ。
しかもこのような仕事を生業としている以上、敵も多い。一つの所に長居するのは得策ではない。
頭を上げた彼は、その後チャールズを一度も顧みずにノブに手をかけた。
「おい、何をしておるのだ。貴様の帰り道はそちらではないだろう」
「は―――?」
と、振り向いたとき。
ざきゅっ、
「か、かひゅっ―――」
喉に激痛が走る。声が出ない。息ができない。何が、何が起こった―――?
その疑問を思考する間もなく、また一つ、喉に熱を帯びた鋭い痛みが生じる。何も考えられなくなり、今度は額に鈍痛が広がる。目の前には、赤い、赤い水たまりができている。
それは、床の赤いカーペット? それとも―――?
その後は続かなかった。妙に生温かい感覚を最期に、彼の意識は完全にブラックアウトした。
◇
「貴様のお帰りは向こうだろう? 何を勘違いしておるのかね」
目の前で赤い血溜まりに沈む男の死骸を見てチャールズはそのような文句を言い放った。
「まさか生きて帰れるとでも思っていたのか。―――おめでたい奴だ。コイツの頭の中ではさぞかし綺麗な花畑が広がっていたことだろうよ」
おおよそ死体に向かって言うことではない言葉。チャールズは、にべもなかった。
普通死体を見れば、それも目の前で殺人など起これば少なからず気は動転する。しかしチャールズは人が死ぬ光景を、まるで当然のように、無味乾燥に眺めているだけであった。
それは、チャールズが人殺しに慣れているということを意味していた。
「貴様も失敗すれば二度はない。このような無様な死体となることを、ゆめゆめ忘れないようにしておけ」
「………」
いつの間にそこにいたのか。執務机の側に、ドアの側で血溜まりに伏している人物とは別の、全身をローブで覆った人物が立っていた。
頭まですっぽり覆ったその男は冷や汗が垂れるのを自覚していた。目の前の依頼主は、殺しを躊躇しない。他人にそれを委ねているが、それでも普通の感覚を持っている人間ならば殺しなど普通は拒否するはずなのだ。しかも貴族の、おおよそ生臭い現場とは到底かけ離れたエリートコースを歩んできた人間が、だ。
自分も、別になりたくてこのような仕事をしているわけではない。汚れ仕事しかできることが無かったから、やっているだけだ。
(……恐ろしい男だ)
グリンウッド家の強引な立て直しといい、先の出来事といい、コイツは恐ろしい手腕を持っている。下手に歯向かえばどうなるか―――考えなくとも容易に想像できた。
男は手に持った懐に仕舞っていた一枚の紙きれを取り出した。それは、依頼された人物の特徴が記された手配書だった。
「報酬分くらいは働いてもらわんとな。獲物は理解しているな?」
「は。……次は必ず成功させて御覧に入れましょう」
「十分な働きを期待している」
まるで期待していなさそうに感じるその声色を聞きながら、男は退出した。部屋を出たところで大きく息を吐き、依頼書を再び見返した。
「……エルフ、か」
似顔絵付きのその依頼書には、若いエルフの姿が描かれていた。