異世界緋想天 ~天子と衣玖の異世界旅行紀~   作:火也(かや)

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63話 獄中の姫君

「………」

 

 

 ジンジンと頭を刺激する微弱な頭痛を目覚まし代わりに、心地良い起床とは程遠い状態で覚醒を強いられた。何時間も眠れずに結局朝方になってちょっとしか眠れなかった、というような不快感が胸中にわだかまっている。

 寝直そう、と思っても妙に目が覚めているためにさらに睡眠をとることは無理なようだ。痛む頭を押さえつつ寝起きの体を起こす。

 目の焦点が合わない。じわじわと侵蝕してくる頭痛も相まって、まるで目の方からピントを合わせることを拒否しているかのような、目の前の景色を見たくないと心の内が拒絶しているかのような感覚を味わった。

 

 

「………」

 

 

 だが体の順応システムはそんな末端の抵抗を物ともせず、目の前の景色は、否応なく解像度を増してはっきりと視認させるに至った。

 

 

「……ああ」

 

 

 眼前に見えたのは、皿の上に置かれた一個のパンと、黒い鉄格子だった。

 ボーっとする頭を懸命に働かせ、今のこの状況を思い出した。気がついたときには既にここにいたが、それに至る経緯は鮮明に覚えている。

 

 森を出たあと町の路地裏でフィオナは自分自身が攫われかけた理由―――それを探そうとした。無差別にしては手が込んでおり、何者かの恣意的な思惑があったのではと、そう考えたのだ。

 だが、少し甘く見過ぎていた。犯人は現場に戻るというが、被害者が戻っては笑い話にもならない。

 目の前に現れたのは以前見かけたようなローブの男。しかし今度は抵抗のする暇もなく、意識を刈り取られてしまった。そして気づけばここにいた。

 

 ボサボサの髪を雑に搔き上げながら、フィオナは周りの様子を確認した。

 

 

「……何も。何も、変わんないね……」

 

 

 その部屋は約6畳の広さ。ベッドの代替品として放置されていた申し訳程度の干し草と粗末なパンを乗っけてある皿があるだけの、見事なまでの独房だった。人権などかなぐり捨てたとしか言いようがないその部屋にはトイレなどの必要最低限の設備すら整っておらず、掃除が行き届いていないせいもあって埃っぽく、この独房の衛生事情の酷さが窺える。干し草にしてもたったこれだけの量では、時期が冬であれば完全に凍死していただろう。

 壁は鉄格子がはまった前面部分以外の三面を石で完全に密封しており鼠一匹入り込む隙間さえ見当たらず、鉄格子もかなり強固でフィオナのか細い腕力ではどうすることもできなかった。

 

 

「……今日、何日だっけ……? もう、日付も思い出せないわね……」

 

 

 窓もなく、時計もないこの独房では時間を知る手段が皆無のため既に曜日感覚は完全に消え失せてしまっている。ほぼ定時にもたらされる1日2回の食事だけが唯一時間を知りうる手段であった。おそらく朝と夜の2回であることは、睡眠欲が訪れる前後から大体把握できる。もっとも、その食事を、フィオナはまだ一度も口にしていないのだが。

 薄く重なった干し草を所在なさげに弄りながら、フィオナは思い耽った。ここからは見えない、エルフの皆のことを。

 何日経過したかは判然としないが、二日三日のレベルではなく少なくとも五日以上ここに拉致監禁されていることは間違いない。それだけ長い時間が経っていれば、以前に未遂で終わったときでさえ慌てた皆のことだ、どう見積もっても騒ぎ出すであろうことは想像に難くない。

 

 

「お父様、ばば様……………アル……」

 

 

 父オリヴァー、長老ばば様、幼馴染のアルバート、里の皆……。彼らの顔が浮かんでは、水泡の如くパチンと弾けてしまう。水底からボコボコと浮上してくる水泡という名の記憶が、次々と水面に到達した途端に形を失っていく。このまま彼らのことまで、水泡の記憶のように全部忘れてしまうのではないか、というゾッとしない疑念が生じ、フィオナは慌てて彼らの顔一つ一つ忘れないように脳に刻印していった。

 

 

「……ダメね。どうも思考が後ろ向きになりがちだわ。そりゃ、一人でこんな所に閉じ込められたら嫌でもネガティブにならざるを得ないけど……」

 

 

 短い溜め息を吐いた後、一旦瞳を閉じてこれからのことを、少しだけ考えた。

 事態は既に刻々と現在進行形で進んでいる。ならばこれからなにかをしようとしなかろうと、否が応でもフィオナ自身の意思とは無関係に駒は一歩一歩歩み続けていく。

 ならば、ここで指を咥えて待っているよりは、少なくともポジティブに物を考える方がよっぽど有意義だ。何より、ジッとしているだけなど自分の性に合わない。

 ぺしぺしと自分の頬を強めにきつける。一応自己分析ができるほどの冷静さは、かろうじて残っているらしく、少しずつ元気が戻ってくるようだった。

 

 

「……よしっ」

 

 

 自身を奮起させ、握り拳を作ってフィオナは立ち上がる。

 

 

「こんなところで果ててる暇なんてないわ。あっちだって、何らかの対策を講じてる最中だろうから……きっと!」

「随分と威勢がいいな」

「!?」

 

 

 カツカツ、と狭い通路に反響する音が、フィオナの声を遮った。割り込んできた声は、突然現れたことも相まって耳にはっきりと録音された。心臓が早鐘打つのを待ってはくれず、鉄格子の向こう側に一人の男が現れた。

 小太りした体躯に特徴的なカイゼル髭を蓄えた丸顔は、一見ひょうきんな印象を与えるが、陰湿な眼光がそれらを全て台無しにしていた。冷徹と表現できようその瞳は、光の届かない深海のような暗さを秘めていた。

 その男はフィオナを一瞥した後、周りの様子を窺って嫌そうに舌打ちした。

 

 

「……ふん、汚らしい部屋だ。このような汚れた部屋に私を出向かわせるなど本来ならば極刑にしてもおかしくないのだが、今回は特別に許してやる。ありがたく思え」

 

 

 見たことのない男だった。これまでフィオナは食事を運んでくるメイドしか見たことがなかったが、事ここに至ってようやく敵の親玉格の者が現れることになった。

 無駄に華美な装飾品を服にぶら下げていることから相当の身分―――おそらく貴族―――であると判断できる。

 ……もっとも、豚に宝飾品で飾りつけたところで何の意味もないのだが。

 

 

「……アンタは、何者」

「答える義務があると思うか? そして貴様が質問できる立場にあると思っているのか?」

「………」

「身の程を弁えた発言をするのだな」

 

 

 男の言うことは至極もっともだ。悔しいが現在の立場はフィオナが圧倒的に下段におり、上下関係は決している。

 しかしそれでも反抗せずにはいられないフィオナは、キッと男の顔目がけて鋭い視線を放った。男はその視線を何とも思わずに顎をしゃくる。

 

 

「それよりも貴様、食事に手をつけていないようだな?」

「……当たり前でしょうが。こんな所に拉致監禁されて普通に出される食事にありつけって言うの? もしそうなら、アンタは相当なお花畑脳味噌をお持ちのようね」

「安っぽい挑発に乗る気はない。それに、そのような発言は自分で自分の首を絞める行為だと理解できない頭は相当なものだな。今貴様は私の手のひらの上にあることを忘れるな」

「………」

「貴様は何もできやしまい。エルフ十八番の魔法も、今は一切使えないのだからな?」

 

 

 くくく、とべたつくような気持ち悪い笑みを浮かべ、男は嘲笑う。そしてフィオナは、その笑いにきつく歯を食いしばって耐えねばならなかった。

 現在、魔法が使用できないのはとうの昔から分かっている。しかしそれの原因が何一つわからないのだ。

 縛られて身動きがとれないわけでもなく、猿轡を噛まされているわけでもない。魔法の誦句を唱える環境は一切封じられていない。唱えられないわけではないのだが、呪文が完成した途端に魔法が効力を失ってかき消えてしまうのだ。まるで何かに横槍を入れられて妨害されているかのように。

 いつも通り魔法が唱えられれば鉄の棒を破壊するなど造作もない。一撃で木端微塵にできる力がある。が、魔法が使えなければフィオナはただの少女にすぎず、目の前の鉄格子がそびえ立つ巨壁ごときの存在に映ってしまうのだ。

 

 

「何故魔法が使えないのか、貴様はそう思っているのだろう?」

「………」

「これは、人間とエルフの優位性が既に過去の物となっていることを如実に表すものなのだよ」

「…なんですって?」

魔法障害(マジックジャマー)と呼ばれる技術だ。聞き覚えは?」

 

 

 聞き覚えは、無かった。フィオナは力なく横に首を振った。

 

 

「ある性質の異なる特殊な鉱石を加工すると魔法を打ち消す現象を発生させる。それの力を利用したのがその部屋だ」

 

 

 フィオナは男の言葉に驚かざるを得なかった。魔法を打ち消すなど、少なくともエルフの里では聞いたことがない。里一番の職人でもそのような代物は作れない―――というより、そんな現象を起こす鉱物の存在を知らなかったのだから作るも何もない。

 しかし真に驚くべきなのは、人間が既にその存在を知り、そして技術化に成功している点であった。

 

 

「貴様らエルフが600年前に断交して以来、我々は進化を続けてきた。己が殻に閉じこもり、自分たちだけの箱庭で悠々自適に暮らしている平和ボケした連中は既に行き遅れの中古品にすぎん」

「な……」

「これが現実だ。お得意の魔法も使えないようじゃないか」

 

 

 何ですって、と口から飛び出そうになった言葉を辛うじて喉元で抑え込む。自分の身柄があの男の手中にある手前、軽率な行動は慎むべきだと理性が待ったをかけた。正直、よく耐えたと思う。

 少し会話しただけで理解した。こいつは最低の下種だ。良心というものが存在しない、人外以上の人外だ。人の皮を被った魔物だ。

 

 

「……っ!」

「ふん、どれほど睨みを利かせても貴様は所詮檻の中の無害な獣でしかない。牙と爪を削がれた獣など、如何ほども怖くない」

「……何が、目的なの」

 

 

 いわばフィオナは籠の中の鳥だった。大いなる翼を広げて飛ぶ機会を奪われ、籠の中の小さな空での居住を強いられる、哀れな鳥の姿だった。

 檻の中の獣、と揶揄されつつもフィオナは厳しい目つきを向けるのを止めない。言葉を吐けないならせめて目つきだけでも、とばかりにフィオナは目の前の明確な敵を直視していた。

 

 

「一体何がしたいのよ、アンタは……!」

「くくく、冥土の土産だ。……エルフはな、私が力を手に入れるための材料となるのだよ」

「材料、ですって!?」

「貴様らは既に時代遅れだが、故に骨董品になり得る。600年の空白の時間は我々にとっても未知の領域であり商品価値が高い。事実、世に出回っている僅かなエルフ製の工芸品は非常に高値で取引されているくらいだ」

 

 

 交流が断絶する以前は人間との交流―――すなわち、貿易があった。何十人も出入りするような大掛かりなものではなく数人の商人が偶に町にやって来るエルフと物々交換をするくらいのとても貿易とは呼べたものではないが、とにかくエルフ製の品々が人間の方へ拡散する出来事は確かにあった。

 エルフ製の品は美しく、またしっかりと作られていて耐久度も高い文句のつけようのない品だった。高額で取引されるのは必然であった。

 

 

「その上この町はエルフが住む大森林に最も近い場所であることも幸いした。ここならば、他の誰かの邪魔立てを受けずに利益を独占できる」

「……価値の高い私たちの品を売ってそれで大儲けしようというわけ?」

「それは商人の利益至上主義の考え方だ。私は貴族だ。それに、中央貴族とのパイプも少なからずある。エルフの技術を独占して商品にすれば欲に塗れた中央貴族は必ず食いつく」

「それを餌にアンタは中央と交渉、つながりを強化して自分の権力を寄り高位の者に認可保証してもらう……つまるところ、賄賂ね」

「頭の回転は悪くないようだな。それならば、貴様が囚われている理由もわからないはずもあるまい?」

「―――」

 

 

 フィオナは今進行している事の真相を理解し、そしてぶるりと肩を震わせた。ざっと鳥肌立ち、牢獄の中の気温がまるで氷点下まで下がったかのような寒さを感じる。カチカチと震えが止まらず、無理やりそれを抑えるように両腕で体を抱き、よろよろと膝をついてへたり込んでしまった。

 理解した。自分が囚われている意味。そして投獄するだけで未だ殺さずにいることも。

 つまり、フィオナはエルフとの交渉を有利に進めるための人質なのだ。殺さないということは、つまりそういうことだ。

 

 

「貴様を今この場で殺すことは容易いが、今はまだそのときではない。交渉のカードを易々と手放すわけにはいかんのでな」

 

 

 それを理解したフィオナは、眼前の男の策略に怒りを覚えるよりも先に、自分の軽率な行動の情けなさと皆への申し訳なさを覚えた。自分のミスで部族全体に危害が及ぶかもしれないと聡い彼女は瞬時に理解したのだった。

 そして今は必要のため殺さないと言っているが、裏を返せば不必要になれば即刻処分するということだ。

 

 

「既に奴らとの交渉は始まっている。もっとも、貴様のことを暗に示すと奴ら、途端に弱気になっていたがな。ククッ」

「………」

「この分だと交渉が終わりきる前に……貴様は用済みになるかもな?」

「……っ!」

 

 

 黒い笑みを浮かべた男は下卑た笑い声をあげながら、最早用はないと語りかけるような足取りでフィオナの目の前から消えた。

 既に交渉は開始されているのか。もはやフィオナには手の打ちようがなく、そもそも反抗を示す余裕すら残されていなかった。男が消えた後も、目の前に何か大きな障害があるように思えて顔をあげることができなかった。

 

 

「……私は、どうすればいいの……?」

 

 

 先程の元気は既に失われていた。手の届かない無力さと絶望感が脳裏を駆け巡り、席巻していた。

 

 

「分からないよ……誰か、いないの……?」

 

 

 青ざめた表情で虚空を見つめ、窮状に喘ぐエルフの皆の姿を想像することしかできなかった。魔法という絶対的な武器を封じられたフィオナは、ただの少女でしかなかった。

 

 

「アル……どこにいるの……? 私を、見つけてよ……」

 

 

 思い浮かんだのは、幼馴染の少年の若い姿だった。

 

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