目が覚める。隣には深い寝息をたてながら、僕の体に磁石のようにくっついて寝ている姉さんがいる。お互い身には何も纏っていない。また断ち切ることができなかったと後悔が僕を襲う。気持ちを切り替え、姉さんを起こさないように布団から出る。適当に服を着て、部屋を出る。扉を閉める音は慎重に。
キッチンについてからは朝ごはんを作る。1人ならば、適当にバナナを牛乳で流しこんで終わりだが、姉さんが来ているのでちゃんとしたものを食べているアピールする。そうしないとうるさいから。今日の献立は焼いたシャウ○ッセンとスクランブルエッグ、トーストしたパンと、バナナヨーグルト。これならギリギリ許容範囲だろう。2人分の準備が終わったタイミングで姉さんが起きて、部屋に入ってきた。
「おはよう、姉さん。」
「おはよう、そらくん。起きたら、そのまま私が起きるの待っててっていつも言ってるのに…。目が覚めたら1人で寂しかった。」
ヤッてしまった次の日は特に甘えモードになっている姉さん。少し拗ねてる。宥めないと。
「ごめん、ぐっすり寝てたから、起こすのも悪かったし、起きるのもっと遅いかなーって思って。」
「…そういうことにしとくね。」
「…また、朝ごはん作ってくれたんだ。いつもありがとう。今度こそは作るね。」
僕らは、特に昨夜のことに触れるわけでもなく、何もなかったかのように振る舞う。お互いにダメだとわかっているから、触れないようのしているからだ。そして僕と姉さんはただの大分仲の良い普通の姉弟に戻る。互いの近況報告、愚痴合戦、一緒にゲーム、姉のベースについての素人ながらの評論会を行う。そして夕方前になると、姉さんは母さんのご飯を用意するために帰って行く。それが僕らの歪な関係だ。
今井さんとの帰り道に、一ノ瀬くんと通話をしてから数日がたった。その日はひたすらに揶揄ってくる彼に不快感どころか可愛いとすらを感じてしまっていた私は、その後も彼とトークを重ねていた。そして春休みもあと少しで終わり、履修登録が始まるというタイミングで約束していた犬カフェに行くことが決まった。彼はひたすらにデートですよと何度も強調してきていたが、男女で遊びに行くのはもれなくデートであるため特に気にしない。今回はちょうど行きたい犬カフェに誘われたから、快諾したのに過ぎないのだ。
当日、私は約束の時間より、15分程、余裕を持って待ち合わせのRiNG前に着くようにした。彼はもう到着していて、スマホを触っていた。
彼の服装は、グレーのスウェットにブラックのワイドデニムだった。シンプルな服装なだけに彼の素材がより引き立っていて、彼がいかに美形かを再認識できた。
しかし、私は動揺を隠せなかった。何故なら私も、グレーのスウェットにブラックのデニムパンツのスタイリングだったからだ。傍目から見たらお揃いコーデをしたカップルにしか見えない。
なぜ、私がそんなシンプルな服装で来たかというと、ワンちゃんたちと触れ合うには、犬の毛の心配はマストであり、服が汚れないことを考慮した上で思いっきりモフったり触れ合ったりするすることができる最善の服装がこれだとおもっているからだ。最善を尽くした服装をして、ワンちゃんを思う存分に愛でて楽しむ。それは権利ではなく義務であると私は考えている。
加えて、彼との今回のデートは、こちら側はおしゃれをしなくて良い立場であり、なんなら相手に嫌われた方が荊の道を進まなくて良くなる。そのため、オシャレをしていないところを見せて、幻滅させようとしていたのだが、まさかの被りである。
私は一ノ瀬くんがデートに浮かれています感に満ち満ちた、気合の入りすぎていて、空回りをしてしまっている若々しい服装でくると予想していた。しかしそんな予想を裏切り、彼はラフな服装で来ていた。
彼は触っていたスマホから目をあげ、こちらを見つけたらしく大きく手を振り、私を呼んできた。
「紗夜さん!こんにちは!」
飼い主を見つけた犬かの如く、ニコニコしながらこちらに向かってくる。後ろには激しく揺れる尻尾の幻覚が見えてくる。ここまで来たら、逃げられない。私は彼に引き攣った笑みをしながら手を振り返した。
私、長崎そよはRiNGに併設されている、カフェであのんちゃんとともりちゃんの3人で時間を潰している。今日は立希ちゃんと楽奈ちゃんが登校日で学校に行っていて来るのが遅れるらしい。待っている間、いつものように、あのんちゃんの無駄話を聞き流してながら、カフェの外を見ていた。外を見ていると見慣れた後ろ姿が視界に目に入る。そらくんだ。誰かと待ち合わせしてるんだろうか?服装がラフだし、どうせ男友達かなと考えて、スルーしていた。
しかしその予想は外れてしまう。彼が待ち合わせ相手を見つけたのか手を振りながら嬉しそうに相手の方に向かっていく。追いかけるように視線を動かすと、その先にはエメラルドグリーン色の髪をした美人な人が立っていた。そして、そらくんとほとんどお揃いの服装を着ていて、2人は楽しそうに会話をしている。相手は見るからに年上の女性だろうか?遠目だからしっかりとはわからない。
「ふーん。」
制御できずにドスのきいた低い声が漏れてしまう。
「え、そよりん?どうしたの?めっちゃ怖い声出てたよ?」
「ううん、なんでもないよ。」
「えー?本当?ねぇ、聞こえたよねー、ともりん?」
「うん。そよちゃん、その…すごく怖かったよ?」
「気のせいだよ。」
「えー、絶対言ったってー!何かあったの?」
んー、どうやって誤魔化そうか。そんなこと考えているとタイミングよく立希ちゃんと楽奈ちゃんがカフェに入ってきた。
「お待たせ、それじゃ、いこうか。」
「えー、パフェ食べたい。」
「練習終わってから。」
「わかった。」
楽奈ちゃんを手懐けるのもすっかり板についている。
「ねーねー、聞いてよリッキー。さっきそよりんがブラックそよりんだったの!」
「?いつものことじゃん。」
「立希ちゃん、それどういうこと?」
「そういうところ。予約してる時間、少しすぎてるから早く行こう。」
「…はーい。絶対に言ってたのになー。」
あのんちゃんはしつこかったが何もなく終わった。そうして私たちは練習に向かった。最後席を立つ前にもう一度外を見たが、そらくんたちはもういなかった。
犬カフェへと向かう道中、彼はずっとご機嫌だった。尻尾が付いていたら、ずっと尻尾をブンブン振り回しているだろう。
合流してからは、紗夜さん!ほとんど僕とお揃いじゃないですか。シンプルな服装でより紗夜さんの美しさが際立ってていいですね。とグイグイくる感じに少しタジタジになってしまった。
アクセサリーとかはつけないんですかと聞いたら、アクセサリー?つけないですよ。普段は着けますが今日はつけてないです。ワンちゃんたちに何かあったらどうするんですか?と個人的に満点な返事が返ってきた。
元彼とも犬カフェには一度行ったことがある。少しジャラジャラしすぎたアクセサリー、強すぎる香水、終いには服が汚れたと駄々を捏ねていて、それ以降は行くことはなかった。終始気分が害された記憶しかない。
私とのデートだけではなく、彼も犬カフェを思いっきり楽しもうとしている気持ちが伝わってきてこっちも嬉しくなる。
5分くらい歩くと犬カフェに着いた。最近オープンしたばかりということもあって綺麗で、スタンドフラワーも立っていた。今回のお店はとある大型犬と触れ合えるということで店舗の規模もそれなりに大きい。
中に入ると早速目に飛び込んで来るのは上の方はグレー、四股や腹は白のふわふわの毛に覆われた、ポテポテと歩いているモッフモフの小さい生命体達。この子達はまだ子犬だから大きくないが今後もっと大きくなるらしい。すぐに触りたい!そんな気持ちを抑え、受付に向かい入店手続きをする。この店舗では学割が適用できるらしいので、2人とも学生証を提示した。店員さんは私たちの学生証を見ても顔色ひとつ変えることなく事務的に対応してくれた。
受付が終わり、ついにワンちゃん達と触れ合いがはじまる。ケージを超えてマットが敷かれた床に座ると先ほどの子犬達がこちらに向かってきてくれた。途中転けてしまう子達もいたがもう動きが可愛すぎる。その後ろから大きなフサフサの毛をした子が走ってきて、一ノ瀬くんに突撃する。彼はその子に押し倒されてしまった。しかし彼は笑いながら、その子を抱き抱えわしゃわしゃする。犬側も嬉しそうに尻尾ブンブンである。大きさは小学生中学年の平均くらいだろうか。すごく大きい。白の顔にヒトの生え際のようにはえる黒い毛が生えた顔はハリー・ポッターのハグリッドのようだ。今回訪れたのはアラスカン・マラミュートとも触れ合える犬カフェである。日本ではブリーダーが少なく、珍しいアラスカン・マラミュート。SNSでこの子に触れあえると知った時は本当に驚いた。今私が触っている子達も今後これくらいの大きさになるのだろう。今後も通いがいがありそうだ。
「紗夜さん、この子めっちゃ可愛い!えーやばい!モッフモフ!可愛いなーお前〜。」
彼は年相応にはしゃいでいる。そこに店員さんが声をかけてくる。
「その子はねぇ、ラッキーっていう名前の女の子で、とっても甘えん坊なの。」
「めちゃくちゃ可愛いです!ラッキー!可愛いな〜!」
ラッキーも言葉を理解しているのかワンとほえる。
私も触りたいなと思っていると、真っ白い子が横から飛びついてくる。この真っ白な子はもしかしてサモエド?可愛い…。そっか大型犬カフェだから、他の犬種の子もいるのか。
「店員さん、この子はサモエドですか?」
「そうです。その子はエドモンドって名前の男の子です。お二人ともすごいですね。こんなにすぐに懐かれちゃうなんて。」
「料金にはこの子達にあげるおやつも入ってますので、よろしければお持ちいたしましょうか?」
「はい、お願いします。」
おやつを店員さんから受け取り、おやつをエドモンド達の前に見せる。彼らはすぐに食べようとしたが、直ぐにはあげない。
「ステイ。…ステイ。」
彼らは、物欲しそうな顔をしながらも我慢している。1分ほど経ってもステイを守っている。しっかりと躾がされているいい子達だ。もういいだろうと私は順番に合図を出し、1匹1匹におやつをあげていく。
「OK!いい子ですね。」
もちろんステイしたことに対する、労いも忘れてはいけない。全員におやつをあげた後に撫でてあげる。
「紗夜さん、すごいですね。犬の手懐け方を完全に心得ている。」
「ありがとうございます。私がすごいのではありません。この子達全員、常日頃、良く躾がされている結果ですよ。」
「それでもすごいんです。紗夜さんの真似しても。ほら、こういう感じにすぐに食べられちゃいますよ。僕の場合…。」
実際に一ノ瀬くんがおやつを差し出すと声を聞くまでもなく、すぐに食べられる。少し残念がっている。でも彼を見ていても躾けている側の空気が感じられない。
「なんでしょうか、一ノ瀬くん本人が躾けるというより、躾けられる側の雰囲気をしているからかもしれませんね。」
「んー、めちゃくちゃ複雑なんですけど…。」
「いえ、別に悪い意味ではないので、気にしなくていいですよ。そう言ったところ可愛らしいですから。」
「…本当に複雑だ。」
その後は時間の限り、ラッキーやエドモンド達との触れ合いを楽しんだ。私とワンちゃん達とが触れ合っているシーンを収めた写真がメッセージアプリから共有されてくる。彼が盗み撮りしていたらしい。
寝転んでる私が子犬達に囲まれているシーン。エドモンドとノーズキスをしているシーン。おやつをあげた後に労って撫でているシーン。などなどだ。ワンちゃんが可愛く撮れていたので、隠し撮りしないでくださいと彼に注意しながらもしっかり保存した。
その後お会計をするタイミングで店員さんから声をかけられた。どうにも私たちが犬達と戯れているシーンをカメラに収めたところ、出来が良かったので広報用のSNSに載せたいということだった。写真を見せてもらう。
手前側で寝転がっている一ノ瀬くん。その上でラッキーが眠っていいて、ラッキーを優しい笑顔で撫でている。その奥では床に座っているしている私がエドモンドに頬を舐められていると言ったシーンが一枚に収められていた。
「僕は大丈夫なんですけど、紗夜さんは難しいですよね?」
さりげなくこうした気遣いがさらっとできるのは本当に評価が高い。聞いてくれて助かる。事務所に聞いてからでないとわからないが、SNS広告に該当するものに、勝手に出演するのはNGだと思う。
「そうですね。申し訳ありませんが、少し事情がありまして。お断りしてもいいですか?」
断りの旨を伝えると店員は残念そうにしていた。
「そうですかー…。残念です。犬と戯れる恋人同士の理想の写真が撮れたと思ったんですが。無理でしたら、仕方がないです。」
「すいません、私たち恋人じゃ…「断ったのに申し訳ないですけど、その写真、めちゃくちゃ好みなんで、買い取らせてもらうことってできますか?」
恋人であることを否定しようとすると、一ノ瀬くんが邪魔をしてきた。
「はい、大丈夫ですよ。実は写真販売も行っていまして、一枚500円で販売しています。データをご希望なら600円です。」
割といい値段である。いい商売をしている。これだと買う人は少ないんだろうかと考えていると。
「はい、データとプリントしたもの一枚、お願いします!」
いた。迷うそぶりも見せずに、即決していた。彼は追加で1100円のお支払いとなった。こういう人たちが買うんですね。こういう人たちが一定数いて、購入してくれるならば写真販売を行った方が売上アップに繋がるため店としても良いのだろう。その後は犬カフェを後にして帰路に着く。
「いやー、可愛かったですねー。」
「そうですね。」
「本当に癒されちゃいましたー。」
「また行きましょうね?」
「一ノ瀬くん、さっき店員さんの言葉を否定しようとしたのを止めたのはなぜですか?」
一ノ瀬くんの気持ちを知っているのにこれは意地悪な質問だと自分でも思う。
「周りからは勘違いされるくらい仲良く見えてるってことに喜びたいのに、否定する紗夜さんに、現実を突きつけられるのが嫌だったんです。」
「…。」
「ガキですよね。本当はちゃんと恋人じゃないって、否定しないと紗夜さんも怖いですよね。ごめんなさい。」
「そうですか。」
その後はお互いが気まずくて沈黙が続いた。そのまま別れ道になってしまった。
「僕こっちの道なんでここまでですね。今日は楽しかったです。気をつけて帰ってください。」
「はい、こちらも楽しかったです。それでは。」
私は彼に背を向け歩き始める。後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると彼はいつになく真剣な表情だった。
「本気で紗夜さんのこと好きですから。それだけです。引き止めてすいません。」
彼は最後は笑顔で気をつけてといいながら手を振っていた。私もやはりちゃんと向き合わないといけない。彼は私が好きなんだと言うことに。スマートな立ち振る舞いや成熟した精神に錯覚をしていたが、まだ高校1年生になるばかりの子なのだ。相手に好意を伝えてしまっている状況で、なぁなぁで流れてしまっていると不安にもなってしまうだろう。今日ワンちゃん達の前で思いっきりはしゃぐ彼は年相応のリアクションをしていて、なんなら安心した。本来思春期真っ只中で最も多感な時期を彼は過ごしている。20になった私でも未熟さを痛感することは多々ある。彼はまだまだ成長している最中の子なのだ。彼の貴重な時期と時間を奪っている。その自覚を持つべきだ。振るなら振る。告白を受けるなら受ける。そこの判断のタイミングを誤ってはならない。あと2回、あと2回は彼とデートには行こう。そして真剣に考えよう。そこで答えを出そうと覚悟を決めた。
適当に犬カフェは架空の場所です。実際のサービスも少しは調べましたが、至らないところがあるかもしれません。ご了承ください。