良く晴れた、ある日のことでございます。今日も今日とて午前のトレーニングを終えたあたしは、珍しく少々暇を持て余しておりました。トレーナーさんはなにやら手が離せない仕事が出来てしまったとかで行ってしまわれましたし、さすがにまだ日の高い間から執筆作業もできません。ええ、万が一ウマ娘ちゃんに何を描いているのかなどと問われた日には、自決するほかありませぬゆえ……。そうです、せっかくですし新刊のネタ探しも兼ねて食堂にでも行きましょうか。この時間ならウマ娘ちゃんたちもご飯を食べに来ているでしょうし、その尊いお姿をこの目に焼き付けておきましょう、ぐふふ。
そんなわけで賑わいの中、運よく空席を見つけてお昼をとるあたしの耳に。
「あーっ、ライスちゃんだー!」
「う、ウララちゃん……?」
どこからか推しの素敵な素敵な会話が飛び込んで来るではありませんか。この不肖デジたん、ここで行かぬわけにはいきますまい。ウマ耳をくるくるレーダーのように回しつつ、そのまま息を殺し、気配を消し、視線を右へ左へ。唸れ、デジタルアイは透視力!そんなものはございませんが気合いのおかげか、ちょうど我が目に映ったのは、少し離れた席に並んだ桜色の髪と青いバラのついた帽子。そちらに意識を集中させて、耳を澄ませます。
「……だから、ライスちゃんも……」
「ふぇえ?平気かな……」
うむむ、少々遠すぎましたか。推しを逃さぬあたしの耳、デジタルイヤーは地獄耳でも、部分的にしか聞こえません。しかし食事中に席を立つのはよろしくないですし、それにこれ以上近付いてしまうと、気付かれるリスクが跳ね上がります。特にウララさんは『デジタルちゃんだー!どうしたのー?』などと言ってくれるでしょうが、イエスウマ娘ちゃん、ノータッチはオタクの鉄則。仕方ありません、ここで頑張るしかないでしょう。
「でね……お休みに……」
「いくよ……一緒に……」
ふむふむ。お出かけの予定を立てているのでしょうか。確かお二人はもうすぐお休みがおありだったと記憶していますよ。ウララさんは声が大きい、いえ、いつも元気いっぱいですからね。傍にいるだけで色々と知れてしまうのです。
「駅の裏側……」
「あそこの通り……」
ひょ?聞こえたその言葉に、あたしの尻尾がぴくりと動いてしまいました。お二人さん、何やら妙な事をおっしゃいませんでしたか。あたしの記憶が正しければ、確か駅の裏通りはなんと申しますか、そのぅ、あまり真昼間からうろつく場所ではないと申しましょうか。具体的な事を申しますと、我々オタな者向けに際どい本やグッズを扱うお店ですとか、宿泊の他に休憩ができるお宿ですとか、まあそういった施設がいくつかあったりするところで。お二人に御用があるとはとても思えないのですが……。訝りながらも、もう一度集中。
「……デート……」「……駄目だよ……」
⁉ 咄嗟に立ち上がったりしなかったのは、あたしの良識が為したファインプレー。まさかまさか、お二人はそういう、百合の花園、その奥へ手に手を取って歩みを進めていたような、そういう関係だったので⁉次の新刊はこれで、いやいやそれどころじゃありませんよ!確かああいう場所では年齢を聞かれるのでは、って違う!あくまでウマ娘ちゃん達は健全なのです、消え去れあたしの不埒な心!ピンクなのはあたしの髪だけで十分です、莫・妄・想ッ!
あの日から、どうにも物事に集中が出来なくなってしまいました不肖このデジたん。いえ、次のイベントに向けた準備は随分と捗りまして、違うそうじゃない。
頭を無駄に高速回転させながら駅前の電信柱に身を隠すあたしの視線、その先には、二人で仲良く歩いてゆくウララさんとライスさんが。……ええ、本日はお二人のオフでございます。あまりにも気になりすぎて、無理を承知でトレーナーさんに頼み込み今日をお休みにして頂きました。「わかった、じゃあ今日は休もうか。私もデジたん本の執筆に集中する日にする」などと何やら妙な事を仰っていた気もしますが。どういうことだ、まるで意味がわからんぞ!
ともあれ、お二人は一体どこへ向かわれているのでしょうか。このように推しをこそこそ尾行するような真似は、当たり前ながらオタクとして最低の行為である事は重々自覚しておりますとも。全てあたしの聞き間違いで、それこそお二人がこのまま駅の改札にでも入ってくだされば、あたしは喜んで学園に戻り、安心してトレーニングをする事でしょう。いえしかし!万が一、万が一お二人がよからぬところに足を運ぼうとしていたのなら、あたしはたとえお二人に割り込んででもお止めせねばなりますまい!例えこれが間違った道であっても、お二人が競技者としての道を踏み外す事さえ止められるならば、オタク失格の烙印でも喜んで背負いましょう!覚悟とは!薄暗い裏通りに、進むべき道を切り拓く事ですッ!
「見て、ライスちゃん!この子、すっごくかわいいよー!」
「うわあ、ふわっふわだ……!」
あ、あたしの勘違いでしたぁ……。お二人から離れている、壁際の猫タワーに隠れた席で突っ伏すあたしのハナ先を、素知らぬ顔で三毛猫さんが通っていきます。
やはり当然と言いますか、裏通りに入っていったお二人の目当ては怪しい場所ではなく、こちらの猫が散見されるとある雑居ビルのワンフロア――猫カフェ。いわゆる猫と戯れたい者が集まる場所、と言えばよいのでしょうか。ふむぅ、学園の傍にこんなものがあるとは、このデジたん、今日まで知りませんでした。そもそも猫カフェには初めて足を運びましたが、確かになかなか面白い空間ですね。猫の邪魔をしないためでしょうか、席も一般的なカフェとは違って、低い座卓に座布団。入口には猫の脱走防止と思われる柵のようなものがありましたし、壁には猫の足場になるのであろう出っ張りが並んでいたり。先ほどお願いした紅茶にも、猫型のクッキーが添えられています。カフェ、と言うよりは、もともと猫の為にある空間に我々がお邪魔している。そんな気分にもなりますね。しかし、「猫カフェ」。ふむむ、こう聞くと中々に趣深い響きではありませんか。猫といえばセイウンスカイさんのイメージでしたが、マンハッタンカフェさんが猫と触れ合う時はどんな風になるのでしょう。タキオンさんを相手にした時の如く邪険に扱うのか、それともコーヒーを淹れるかのようにその顔がほころぶのか、ぐふふ、妄想が広がることこの上なし。次の新刊はいっそ「ごろごろマンハッにゃん」なんてタイトルで……。
「ウララちゃん!また猫さん、来てくれたよ!」
はうっ!そうでした、今日のあたしはお二人を見にやってきたのであってっ!カフェの中心に近いテーブルについたお二人の周りには、猫が五匹ほど集まっている様子。しかも、ウララさんのお膝に乗ったり横でごろりと転がったり、すっかり気を許しているようです。うーむ、やはりウララさんの春陽が如き笑顔、周囲を惹きつける魅力があるのでしょうか。まあ、あたしの所にあきれたような顔の三毛猫さんが一匹だけいらっしゃるのはなんとなく納得がいくのですが。ええ、お情けであたしの所にいてくださっているのでしょう?己が穢れのない身であるとは思いません。ナマモノ創作オタク、我ながら業が深いですねぇ。
「ふふふ、猫さんかわいいね……」
おそるおそる、猫の背中に手を伸ばすライスさん。くぅ、その笑顔を見られただけでもあたしは今日をお休みにしたかいがあったという物ですっ!もう少しそのお顔を伺いたく、あたしが猫タワーの陰から身を乗り出そうとしたその瞬間。
「猫さんもだけど、ライスちゃんもかわいいよ!」
「ふえぇ⁉う、ウララちゃん⁉」
っ、げほっ!ウ、ウララさんがまた爆弾発言を!
「そ、そんな事ないでしょ?」
いいええ、何を仰いますやらライスさん!猫も確かに可愛いですが、お二人の方がずっとずっとかわいらしいですとも!っとあぶな、声出るとこだった……。あたしは大急ぎで猫タワーに隠れると、ハンカチで口元を抑え込みました。オタクたるもの、推しの傍では「無」になるものです。ノータッチ、ノーシャウト。接触ダメ、ゼッタイ。
「でもウララちゃん、なんで猫カフェに行こうって言ってたの?」
「この前、一緒にテレビ見てた時ね!ライスちゃん、ずーっとネコさんのコーナー見てたから、好きなのかなーって!」
ふおおお、ウララさんの圧倒的「光」オーラッ、うう、この距離でも受け止めきれないぃ……!
「ライスちゃんとデートしてるみたいで、一緒に行ったら楽しそうだなーって!」
ああ、カフェテリアで仰っていたのはそれだったんですね。そりゃライスさんも止めるわけです、公衆の面前で口にするには刺激が強すぎる。デジたんは耐えましたよ、致命傷で。
しかし、ライスさんの表情はどこか浮かないものになっておられます。よくよく見ると、猫が集まっているのはウララさんの周りであって、ライスさんが近付くと、何故か猫たちは距離を取ってしまうではありませんか。ライスさんは猫たちに何度か手を伸ばしては逃げられるを繰り返すと、そっとため息をつかれます。
「ほら、ライスは不幸を呼んじゃうから……猫さんたちも近付きたくないんだよ……」
髪に隠れたその目元に、きらりと光る物が。
嗚呼あたしがっ!このアグネスデジタルがウマ娘ではなく猫として生を受けていたのなら!今ここでライスさんに駆け寄って、その腕に飛び込んで差し上げると言うのに!笑顔の花を咲かせて差し上げるのにっ‼何故ッ、何故あたしはウマ娘っ⁉
「お客様、妙な覇気は猫ちゃんが怯えてしまいますのでお控えいただけると。」
はっ、店員さん。いえこれは失礼を、少々妄想が強まってしまいましたので。えっと、紅茶のおかわりをいただけますか?
かくして店員さんが去った後、あたしはまたお二人に視線を戻しました。ウララさんは笑顔なのですが、ライスさんはやはり暗いお顔のようです。ねえ三毛猫さん、あたしではなくあの子の所へ行ってはもらえませんか?あたしは足元の三毛猫さんに頼んでみますが、その子はまるで我関せずと言ったような顔であたしの周りを歩き回るだけ。うう、こんなことになるなら猫語をスカイさんに習っておくべきでしたか。と歯噛みしていたその時、ことりと音を立てあたしのテーブルに置かれる、温かなティーカップとケーキ。あれ?店員さん、ケーキは頼んでませんよ?
「存じておりますよ。あちらのお客様からです。」
誰ですか、そんなバーみたいな事するのは。あたしが呆れながらも店員さんが手で示す方に眼を向けると、そこには。
「デジタルちゃーん!いっしょにお茶しよーよ!」
こちらに両手を大きく振るウララさん。……oh。店員さん、急ですがお会計をお願いしたく。
「お客様、あの笑顔を無視するのは私にも致しかねます。」
あっさり笑顔で断られてしまいました。やっぱり店員さんもそう思いますか、あなたも同志なのでしょうかね。違う、今そんなことはいいのです!
「テーブルを移動なさる場合は伝票をお持ちください。こちら、お運びしますね。」
動けなくなっていたあたしを放置して、店員さんはそう言うなりあっという間に紅茶とケーキの乗ったお盆を持つと、お二人のテーブルへと持っていかれました。退路を……断たれた、だと……?
「デジタルちゃん!そのケーキ、おいしいんだよー!」
「え、えっと。ウララちゃんが、無理を言っちゃってごめんなさい。」
いいいいいえっ、ライスさんが謝ることではありませんっ!まさか推しに頭まで下げられてしまえば、このデジタルが動かないわけにはいかないではないですか。
あたしは固まる手足を動かして、お二人の横にそっと腰をおろしました。しかし、ウララさん。なんと言うか、猫さんたちに大人気ですね……。
「なんでだろーね?わたし、猫さんに好かれちゃってるみたいで。」
あっけらかんとそう口にされる今も、ウララさんの周りには数匹の猫が侍っております。ぱたぱたと揺れる尻尾の先にも、ちょいちょいと前足を伸ばす白猫さんが。そこは触っちゃだめですよー、ウマ娘の尻尾は敏感なんですからね。あたしはその白猫さんを抱き上げて、
お二人の間に下ろします。すると、猫さんはてこてこと歩いてウララさんのお膝に登り、ごろりと丸くなりました。今の子はええと、一匹二匹、五匹目?大人気ですねえ。
「そ、そうだね。きっと猫さん、ウララちゃんが大好きなんだね……。」
そんなウララさんとは対照的に、小声で呟くライスさんの周りにはまったく猫さんがいません。たまに歩いてくる子も、何故かあと少しの所で方向転換をしてしまいます。
「ライスは不幸を呼んじゃうから。猫さんたちも来たくないんだよ。」
そう言うと、俯いて小さく首を振られました。……いいえ、諦めることはないですよライスさん!きっと、きっと何かあります、推しを泣かせたままで終わることなんて、世界が許してもこのアグネスデジタルが許しません!
あたしはメニューを開き、けして厚くないそれの一ページずつ隅から隅まであたしは視線を走らせます。何か、何かないですか!ライスさんの涙を払う、そんな何か!
最終ページ、端の方に小さく書かれた項目。……これだ!
あたしは店員さんをお呼びして、見つけた項目を指で示します。これ、お願いできますか?
「……お気付きになられましたか、お客様。承知しました、しばらくお待ちください。」
「デジタルちゃん?一体何を頼んだの?」
不安げな表情であたしの顔を覗き込むライスさん。うう、その物憂げな表情も素敵ですぅ!
しばし後に店員さんがやってくると、あたしにそっと手に握った物を渡してくれます。
「お客様、こちらは使用直前まで猫ちゃん達には見えないようにお気をつけください。」
「デジタルちゃん、それなぁに?」
律儀に小声で問いながら顔を近づけてくるウララさんに、あたしは手の中身をお見せしました。これです、ペースト状の猫おやつ。
「あ、それ知ってるよ。時々テレビで宣伝してるよね。」
「コマーシャルで猫さんがぺろぺろしてるやつだよね?」
その通りです、お二人とも。お答えしながらあたしがぴり、と封を切った途端、あちらこちらの猫が一瞬で我々の方へと向き直るではありませんか。
「わわ、みんなこっち見てるよライスちゃん!」
「な、なんかちょっと怖いよ……」
ライスさん、こちらを!
「わっわっわっ、猫さんがいっぱい!」
「わー、ライスちゃんが猫さんに埋まっちゃったー!」
あたしからペーストおやつを受け取ったライスさんは、次々に飛びかかってきた猫たちにあっさり屈し。あっという間に猫の山に飲み込まれ、見えなくなってしまいました。ラ、ライスさーん⁉
「え、えへへ。猫さんいっぱい、だけど。息、できないかも……。」
幸せなのかもしれませんが、次第にその声が弱まっていきます。ライスさん⁉息をしてください、ライスさん!
「ライスちゃん!それ、投げちゃって!ぽーんって!」
「あっ、そっか。」
ウララさんのアドバイスを受けたライスさんの手から、ペーストおやつが離れて床に転がった途端。あっという間に猫はライスさんから離れ、おやつに殺到しはじめました。しかしちょっと怖いですね。この猫が一心不乱に群がる様、まるで中毒のようではないですか。市販品ですよねこれ?
「ライスちゃん、大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう、ウララちゃん。」
倒れたまま起き上がれなくなったライスさんを、ウララさんが抱き起こします。この絵面はっ……!いえ、お二人の前で倒れるわけには!見せますデジタルド根性!
「すごかったねー、ライスちゃんが見えなくなっちゃってたよ!」
って、そうだ!ご、ごめんなさいライスさん!あたし、その。ライスさんの所に猫が来たら、って思うあまり、つい!
「いいの、二人とも。ちょっとだけだけど、囲まれて満足できたよ。うん、やっぱりライスはだめなんだね……。」
頭を下げたあたしに、ライスさんは小さく首を振ると。その言葉とは裏腹な表情で、ふぅ、と小さくため息をついて、ライスさんはフォークを手に取りました。ケーキを切り、口に運ぼうとしたその時。
「ひゃっ⁉」
ライスさんが甲高い声をあげました。その手から、フォークがお皿の上に転がります。
「な、何かがライスの尻尾に……!」
尻尾?あたしがライスさんのお尻を確認して見ると。
「あー、猫さんだ!」
ウララさんの言う通り、ふてぶてしい顔でライスさんの尻尾をまたぐのは、お店に入った時、一匹だけあたしのテーブルにきてくれたあの三毛猫さん。
「あなたは、ライスのところにいてくれるの?」
その問いかけに、三毛猫さんはふんと鼻を鳴らし、静かにライスさんのお膝に頭をすりつけました。すると、陰っていたライスさんのお顔がぱあっと明るくなるではないですか!
「よかったねー、ライスちゃん!」
「うん、うんっ!よかったぁ……!」
ああ、この笑顔です。あたしが見たかったのは、お二人に咲かせていただきたかったのはこのお顔。嗚呼、我が人生に悔いなしっ!
あたしの視界が揺らぎ、ふらりと身体が揺れました。これほどの幸せを一度に受け取ったのです、この身体も限界なのでしょう。しばし失礼します。
……はっ、知ってる天井が目の前に。
次に気が付いた時、あたしは何故か部屋のベッドで仰向けになっておりました。どうして?ともあれ身を起こすと、横から聞き馴染んだお声が。
「ああ、ようやく起きたのかいデジタル君。あと五分倒れたままだったら、私特製の気付け薬でも嗅がせてあげようと思っていたんだが……。」
突然の流れに呆然としたあたしを、上から覗き込むウマ娘さんが一人。おわわ、タキオンさん!それはそれでご褒美、ってあの。あたし、確か猫カフェにいたと思うのですが。
「みたいだねぇ。一時間ほど前だったかな、ライス君が君を背負ってここを訪ねてきたのさ。」
……なななんてこと⁉推しの前で倒れたどころかご迷惑をお掛けしてっ!不肖デジたん、この腹を切ってお詫びをっ!
「そういえば、覚えているかい?運ばれている間、デジタル君はなにやら妙なうわ言を言っていたのさ。」
うわ言、ですか。土下座をしようとしていた中途半端な姿勢であたしがそう繰り返すと、タキオンさんは非常に楽しそうな顔をして。
「『次はマンハッにゃんカフェで』とか、『ごろごろウマ娘ちゃん』とか、内容はよくわからないが実に興味深いじゃないか。特に前者だ、想像するにカフェ君と何か関わりがあったりするのかい?」
そ、それだけは勘弁してくださぁ~いっ!