夏油 傑。
その名前を聞いた俺の体は、虎に睨まれた鼠のように硬直した。
現在、日本に3人しかいない特級呪術師。
その内の1人、夏油 傑。
百を超える一般人を呪殺し、呪術高専を追放された、最悪の呪詛師。
そんな奴が、俺の目の前に姿を現している。
だが、不思議な事に敵意は微塵も感じない。
何故だろうか?
……その答えは、意外とすぐに現れた。
「噂には聞いてるよ、柊木 練徒くん。呪術高専の期待の星だそうじゃないか」
「だ……だとしたら……何なんですか」
警戒する俺に対し、彼は澄ました顔で堂々と告げる。
「単刀直入に言うとね、君を攫いに来た」
「………はい…?」
「君みたいな優秀な術師を、高専みたいな古臭い場所に置いておくわけにはいかない。その力はもっと理想的な事に活かすべきだ」
「理想的な…事…?」
そして、彼はまた澄ました顔で、とんでもない言葉を口にする。
並の呪詛師からも出てこなさそうな、それはそれは、とてつもなく、尋常ではないイカれた言葉だった。
「非術師を皆殺しにし、呪術師だけの世界を作る」
……は?
何、言ってんだ…?
ふざけてるとしか言えないその言葉に、体全身の硬直が解けかける程呆れた。
しかし、その言葉には得体の知れない重みがあった。
この人なら本当にやってしまいそうな、気迫と言うか圧と自信を、言葉の芯から感じ取った。
それはまるで、呪言のように胸を掴んでくる。
知らぬ合間に背後に回り、俺の肩を組む。
「強者が弱者に適応する矛盾……自ら進化の歩みを止めている万物の霊長……それを壊すために、君の力を……私のために使って欲しいんだよ」
「………使うわけないだろ…!なんでそんな……」
刹那、俺の腹部に感じたことのない激痛が走る。
「ッ…だはっ…!?」
……ただ呪力で強化された腹パン。
咄嗟に俺も呪力で守っていたはずなのに、それは血を吐くくらいに強烈な一撃だった。
「…本当なら術師に手荒な真似はしたくないんだけど、抵抗するならしょうがない。無理やりにでも、家族のところに連れて行く」
「はっ……はっ…………はっ………」
内側から来る、臓器を何かに食い千切られているかのような激痛。
人生でこれほど感じないだろう強烈な吐き気。
口の中から血と共に姿を現す、ムカデ型の呪霊。
「私の仲間になってくれるなら、体内に仕込んだ呪霊を祓ってあげるよ。断ったら……どうなるかな?」
死ぬ。死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
死んでしまう。
殺されてしまう。
まだやることがあるのに。
潔白を証明しないといけないのに。
こんなところで。
こんな大人に、殺されたくない。
やだ。助けて。
助けて。助けて。助けて。
……その時。
「ん"ぅっ…!?……ゔ……ゔうゔっ…!!!」
「……ん?」
臓器が捻れるような感覚。
口から出ていた呪霊の顔が、目の前で潰れる。
同時、腹の痛みも一緒に消えて行く。
更に同時、俺の後ろから、あの人の声。
「……何してんだよ、傑」
「……悟?」
……やってきたのは、五条先生だった。
だが、いつもの軽率でふざけたような雰囲気ではなく至って真面目、そして、あらゆる圧を伴って俺の前に現れた。
夏油と五条先生。
お互い下の名前で呼んでいるあたり、何かしら関係があるようだが………
「聞いたよ〜。悟、教師になったんだって?」
「んなことより先に、僕の質問に答えたらどうよ」
「まぁまぁそうカッカしないで。久しぶりの再会だし、ゆっくり話そうじゃないか」
「だったらまず練徒を離せ。その子は僕の受持ちだ」
「へぇー、君の担任、悟だったのか」
「五条…先せ……ぐふぁっ…!!」
夏油は俺の体を五条先生の方に投げ渡した。
「さて何の目的でここに来たか、だったね?あとで練徒くんに聞けばわかるさ。私はこれから、家族達と一緒に出かける予定が入っててね。御暇させてもらうよ」
「……僕がただで逃すわけないだろ」
「……はぁ、仕方ないね。大事な特級呪霊をここで消費したくなかったんだけど……」
すると、夏油の服の袖から黒くネバネバしてそうな物がポンッと地面に落ち、呪霊の姿に変わる。
猿の手にカマキリの鎌があり、足はカタツムリみたくヌメヌメしている。
さらにそれは3匹に分裂、俺と五条先生を囲うように夏油への道を遮った。
「特級仮想怨霊、「
「チッ……よりにもよって………」
刹那、鎌鼬が陣形を組む。
五条先生を中心とした周囲に結界を張り出す。
結界はさらに広がり、夏油の姿も見えなくなり、帳に似た形で俺と五条先生を閉じ込めた。
どこからともなく木々が地面から伸び、呪霊はその影に隠れて行く。
「五条先生……これ…って………」
「…練徒。僕から離れちゃダメだよ」
……五条先生の授業で聞いたそれと、同じだった。
生得術式の最終段階。
呪術戦の極致。
術式を「結界」という形で体外に創り出して敵を内部に閉じ込め、結界に術式を付与する事でそれに基づいた攻撃を必中とする結界術の一種。
「領域展開」
こんな形で初めて見ることになるとは思わなかった。
これが、呪術の最終到達点……
だが、今はそんなに感心してる場合ではない。
領域内で発動した術者の術式は、絶対命中するのだ。
術式が付与された領域の中にいるという事は「既に術式が当たっている」という事になる為、領域内での術式に基づく攻撃は全て必中となる。
それだけではない。
領域内は常に濃い呪力で満たされており、他者の術式を中和することが可能である。それを応用し呪力に狙いを定めて相手の術式を撹乱することも可能だ。
五条先生の無下限呪術による無限も、領域内で術式が中和され、当たらない攻撃も当たるようになる。
そしてそれは同じく領域内にいる俺も例外ではない。
確かに先生は最強だ。
だが、流石に領域内ではそうとも限らないだろう。
そして領域が閉じた刹那、ブーメランのように敵の鎌が木々の隙間から変則的な動きで飛んでくる。
五条先生は俺の身体を抱えながら、敵の攻撃を真正面から打撃で叩き割っていく。
だが、どこからともなく、そして絶え間無く襲い来る斬撃は止まらない。
このままじゃ、いつかこっちがスタミナ切れで……
スタミナ切れで………
「かーっ、ウザったい術式だなぁ」
「……?」
……あれ?五条先生、まだ余裕そう…?
と同時、突如にして敵の攻撃が止む。
「……傑には……逃げられたか」
「……?」
……その時、五条先生はニヤリと笑う。
そして、いつものような軽快な口調に戻り、俺に対し問いを一つ投げかけてきた。
「……さて練徒。領域展開に対する最も有効な手段って何だったか……覚えてる?」
「……こっちも領域を展開する……ですよね…?」
「………正解」
領域展開を習得した術師であれば、自身も領域を展開する事で必中効果を中和する事ができる。
正確には領域の結界である外郭の押し合いで、結界術同士の中和合戦といったところだが。
さらに力量に大きく差がある場合にはその領域を自身の領域で塗り潰す事もできる。
より洗練された術がその場を制するのだ。
その時、五条先生はつけていたサングラスを空中に。
俺の身体を右手から左手に持ち直す。
何かを察知したかのように、鎌が再び飛んでくる。
更に早く、先生は右手に印を結ぶ。
そして。
「領域展開……『
吹き飛ぶ木々。顕になる呪霊の姿。
塗り替えられる領域。
無限に広がる空間に、五条先生の青い瞳が輝いた。
また投稿が遅れてごめんなさい。
社会人になって執筆する時間があまり取れなくなってきたんです。
勘弁してください。