ウマ娘の寿命が現実の馬と同じ世界線の恋愛事情   作:daidains

16 / 21
短めなのは、思ったよりめっちゃ長くなってしまって分割したからです。
今月中にトレセン編を完結させるつもりです。よろしくお願いします。

あとお知らせです。
嬉しいことに、この過去編シリーズの別視点的な話を書いていただきました!
この寿命世界って結構史実ベースで進んでいますが、史実的には出会っていないところが出会っているので、すごくよく似た別の世界線的に読んでもらうと良いかもしれません。
https://syosetu.org/novel/354181/


アドマイヤベガの過去【トレセン編⑤】

「はああ!」

 

 体全体で風を切りながら、私はターフの直線を突っ切る。そしてコースわきに立っていたトレーナーの横を駆け抜けた。同時にトレーナーが手元のストップウォッチをピッと押す。

 

「……っはあああ」

 

 徐々に減速して止まった私は、大きく息を吸って呼吸を整えトレーナーの方へ振り返りつつ尋ねた。

 

「どう?」

「うん、良くなってきてはいる……でも、やっぱりまだバランスが悪く見えるな」

「そう……」

「でも確実に良くなってる。この調子で続けていこう」

 

 トレーナーはそう言って私の肩を軽く叩くと、ストップウォッチをポケットにしまい、「今日はもう終わりにしよう」と言った。既に空はすっかり暗くなっていて、夜間練習用の大きな照明だけがターフを煌々と照らしている。

 

「もう少し、もう少しお願い」

「ダメ。これ以上は体にも良くないし、お母さんもきっと心配するよ」

「でも本番までもう時間がないでしょ。あと一週間しかないのにバランスも直ってないなんて、そんな悠長なこと言ってられない」

 

 皐月賞の後、私はそれまでの遅れを少しでも取り戻すように精力的にトレーニングに励んでいた。いや、「精力的に」と言っても、クラシック路線を進む中で当たり前のようにやるべきことをこなしてきただけであって、本来ならこれが当然のはずだった。しかしようやく思い知ったのだ。私はこれまであまりにも時間をかけすぎてしまったということを。だからその分を今から取り戻そうとあがいている――が、トレーナーは首を縦に振ってくれない。

 

 

「アヤベ、焦る気持ちはわかるよ」

「なら……!」

「でも、今無茶をしたら確実に故障する。それは君だってわかっているだろう?」

「……っ!」

「そもそも、バランスが悪い状態で走っているせいで脚に余計な負荷がかかってしまっている状況なんだ。疲れを本番に持ち越してしまうリスクのことも考えれば、今できる最善はとにかく体を休めること。そうでしょ?」

 

 トレーナーは私に対して諭すように言った。頭では分かっている。しかし私は納得できない。

 

「でも、それじゃあ間に合わないの」

「アヤベ」

 

 彼は私の目を見て言った。その目は真剣で、有無を言わさぬ迫力があった。そして同時に、私を心配してくれていることもひしひしと伝わってくる。

 

「……わかったわ」

「うん、ありがとう」

 

 私が渋々了承したのを見て、トレーナーは少しだけホッとしたような表情を見せた。それから腕時計を見やると、「うわもうこんな時間」と言いながら慌てて荷物を片付け始めた。

 少し遅れて私も片付けに取り掛かろうとしたが、そこでトレーナーに呼び止められた。

 

「こっちでやっとくからアヤベは早く帰りな。きっとお母さんも心配してるよ」

「……わかった。お先に失礼するわ」

「気を付けて帰ってね――ところで」

「?」

 

 去り際に、トレーナーは私の方を振り返って言った。

 

「あのさ……お母さんは大丈夫?お母さん、一人でいる時間が長くなるとちょっと不安定になってくるって言ってたでしょ?皐月の後はトレーニングで帰るのが今までよりずっと遅くなってたわけだし、心配でさ」

「……正直、あまり芳しくない」

「そうか……やっぱり」

 

 トレーナーの言う通り、一人家で過ごす時間の増えた母は、日に日にその精神をすり減らしていっているように見えた。

 

『アヤベ、本当に大丈夫なの?無理してトレーニングなんてしなくていいのよ』

『ううん。私なら大丈夫。心配いらないわ』

 

 トレーニングを増やした直後はこんな感じだった。「心配なのは母さんよ」という言葉が喉まで出かかったが、自分が娘の心配の種となっていると捉えられてしまっては自分を責めてしまうだろう。だから私は「本当に大丈夫」という部分を強調して伝えるのみにとどめた。

 

『……アヤベ、今日も遅かったじゃない。何かあったらすぐに母さんに連絡するように言ってあるわよね?少しはトレーナーさんに文句言わないとダメよ』

 

 二週間も経つと母の精神はどんどん不安定になっていった。「大丈夫?」「怪我しない?」「無理だけはしないで」というメッセージが山ほど送られてくるようになったし、その頻度も日に日に増えていた。言葉の上では私を心配する内容ではあるが、その裏側には孤独を恐れるがゆえの脅迫めいた焦りが見え隠れしていた。それを指摘しても悪い方向に物事が進みそうなので、私はできる範囲で返信をしたり、家にいる間はなるべく話しかける回数を増やすことで母の心配を取り除くべく努めた。

 

 しかし、その程度で状況が改善することはなかった。ずっと私たちを縛り付けている根深い問題なのだ。予想はついていた。でも私は一刻も早く自分を鍛え上げる必要があったし、そのためには多少無理をしてでもトレーニングを増やさざるを得なかった。

 

「俺も何かできるといいんだけど……」

「気持ちは嬉しいけど、私の帰りが遅くなっている元凶みたいに見られているから、あなたがどうアプローチしてもかえって逆効果だと思うわ」

「そうなんだよなぁ……」

 

 トレーナーは頭を抱えて言った。私は彼に感謝しているし、彼の思いも理解しているつもりだ。

 

「気持ちは嬉しいけど」

「……なんだい?」

「でも本当に気にしないでいいの、あなたはやるべきことをやってくれるのが一番助かるから。私たちの問題は私たちが解決する。母さんのことは私がちゃんと向き合ってみせるから、あなたはあなたの仕事をして」

 

 だから私はトレーナーにそう言った。

 

「強がりなんかじゃない。あなたが支えてくれていることはちゃんとわかってる。私はそれを疑わないわ。だから私は大丈夫」

 

 それが今の私にできる、彼に示せる最大限の信頼だった。

 

 

 

******

 

 

 

 家までの帰路を行く私の上には、満天の星空が広がっていた。しかし私はそちらに目をやることもなく、手元のスマホに目を落としていた。

 

『新着メッセージがあります』

 

 スマホには母からのメッセージが溜まっていた。今日は特に数が多く、返信し切れていなかった。数の多さからして今日はいつに増して重症のようだ。

 

 私は――強くならないといけない。その想いは、あの日から私の胸の内で膨らみ続けてきたものだ。しかし私が強くなっても周りが良くない方向へ動いてしまうのでは元も子もない。私は帰宅後どう声をかけるべきか、歩きながら思案に暮れていた。

 

 5月の風は、夜になると少し肌寒い。しかしそのくらいの方が頭が冷えるのでちょうど良かった。

 

「ただいま」

 

 そんな調子で歩きながら考え込んでいるうちに私は家に着いた。家の中は電気がついておらず、真っ暗だった。

 

「……ただいま!」

 

 今度は少し大きめの声で言ってみる。しかしやはり反応は返ってこない。玄関に靴があるのにもかかわらず。

 

 ――いやな予感がする。私は落ち着かない気持ちで靴を脱ぎ、電気を点けた。そして母の部屋へと足を運ぶ。居間に電気がついていないのなら、母は自分の部屋にいるはずだ。

 

 私の脳裏にはあの日の記憶がフラッシュバックしていた。

 

 あの日――母と約束を交わした日。今の私たち母娘の関係が、決定づけられた日。孤独に苛まれ自傷行為に走った母を前にして、”あの子の分も一緒にいる”と約束をしたあの日。

 

 部屋をノックしようとして、そこで手が止まる。鼓動が大きくなっていくのが自分でもわかる。私は部屋の前で二の足を踏み、ノックをしようとして手を引っ込めることをさらに三回繰り返した。恐怖が、じわじわと背中を這い上がってくる。あの日と同じように、この先に致命的なものが待ち受けているかのような、そんな予感。

 

 ――ええい、恐怖心に打ち勝てればそれでいいんだ。それだけだ。『母さんのことは自分で向き合う』と自分で決めたじゃないか。私は自分に言い聞かせ、震える手にきゅっと力を入れた。そしてドアをノックし、母に呼びかけた。

 

「かあさん」

 

 声がかすれる。情けない。しかし私はもう一度呼びかけた。今度は、さらにはっきりとした声で。

 

「母さん」

 

 返事はない。しかし代わりに部屋の中から物音がしたのを私は聞き逃さなかった。そして、母はそこにいると確信して、入るよ、と一言断りを入れてから扉を開けた。

 

「――お帰りなさい、アヤベ。遅かったわね」

 

 あの日と違い、部屋は荒れていなかった。自傷行為の痕も見えない。そのことにひとまず安堵する。

 

「……約束は、嘘だったの?」

「――!」

 

 しかし、状況はそう単純ではなかった。母は頭を手で押さえてうなだれており、その様子は明らかに普通ではない。

 

「ごめんなさい、こんなこと言って。アヤベが頑張ろうとしてるんだもの、応援しなきゃって頭で思ってはいるのよ。でも、でもね」

「母さん、落ち着いて!」

 

 私は駆け寄り、母の両肩を抱いた。母は私の手に体を預けると、充血した目を私の方へ向けた。

 

「でも、約束したじゃない。『一緒にいる』、『いつまでも母さんの娘だ』って。またあの日々みたいに一緒にご飯食べてくれるって!あんなに私を励まして、私を変えたあなたが嘘をついたの!?ねえアヤベ!!」

 

 母は私を強く揺さぶり、叫んだ。

 

「トレーナさん、きっといい人なんでしょうね。アヤベが話しているのを聞いてたから、なんとなくわかる。前に私が言った通り、やっぱりアヤベもそういう人に出会って、私の元を去っていく」

「母さん」

「アヤベは私の娘なの。私のたった一人の家族なの。私の可愛い娘なの!あなたしかいないの!だから……お願いよ……もう私を置いていかないで……私は、あなたがいないと――」

 

 そして母は顔に手を当ててすすり泣き始めた。

 

 ――いつか、こういう日がくるとどこかでわかっていた。あの日の約束は何の解決にもなっていなくて、歪みを無理やり正しただけだった。だから、きっとまた同じことになるって、どこかでわかっていた。

 

 ひょっとしたら、ずっとあの約束を守り続ける道もあったのかもしれない。でも、私は大なり小なり()()()()()ことを選んだ。そう自分で選んだ。だから、もう後戻りはできない。私は母をそっと抱き寄せて言った。

 

「母さん、聞いて」

「……何?」

 

 これはきっと遅れてきた反抗期のようなものなんだと思う。

 

「ごめんなさい、あの約束は守れないわ。確かに約束はしたけど、やっぱりいつまでもあなたの娘ってだけの自分でいるわけにはいかない。私は強くなりたいの。成長しなきゃいけないの。だから」

「そんな言い方、ひどい」

「うん、ごめんね。でも、メンコを貰った時に約束したことでもあるのよ。『ダービーウマ娘になる』っていう。叶えるためには、私はいつまでもこのままじゃダメだったのよ」

 

 母を抱く腕に力を籠めつつ私は言った。それは抱きかかえるようでいて、同時に押し返すような腕だったと思う。このまま側に居てと言う母に、それでも突き放す言葉をかけ続けるのだから。

 

「『あの子の分も一緒にいる』って、そう言ってくれたじゃない……」

「できない約束をしてしまったことは本当にごめんなさい。でも私はあの子の身代わりじゃないから、あの子の分まで一緒にいるなんてやっぱりできない。だってあの子はもういないんだもの。最初から無理がある話だったのよ」

 

 私は母に、そして自分に言い聞かせるようにそう言った。我ながら冷たい物言いだとは思う。でも私は母が望む通りのアドマイヤベガのまま、ずっと一緒にはいられない。母が私に背負うことを望んだ、「死んだ家族の分も一緒にいる」という役割以外も、私は私として抱えたい。それが私にとっての人生の意味だから。

 

「聞いて。確かに、前より家に居る時間は短くなったわ。でも、今までだって私たち、一緒にいるようでいて一緒にいなかったと思う。母さんは死んだみんなの幻影を張り付けて私を見ていたし、私は私で流されるままの自分を演じるばっかりで。結局私たち、どっちも幻想の中で生きていたのよ。でも」

 

 私はそこで言葉を区切って、母の目をしっかりと見据えて言った。

 

「これからは違う。私は私として生きるし、母さんは母さんとして生きて。そうやって初めて、お互いのことを本当に直視できると思うの。同じ屋根の下にいる時間が長いってことが、全てを解決するわけじゃない」

「……!」

「さっきも言ったけど、今のままじゃ二人ともダメになっちゃうわ。私も親離れしなきゃいけないし、母さんも新しい一歩を踏み出さなきゃ。離れ離れになろうって言ってるんじゃないの。”母と娘”として、あるべき関係へ一緒に戻していこうっていうだけ。わかるでしょ、母さん。きっと私たちまだやり直せるわ」

「アヤベ……」

 

 私が話し終えると、母は嗚咽を漏らしながら私を強く抱きしめた。その体温が、あの日より温かく思えるのは気のせいだろうか。――まだやり直せる。ただ私が信じているだけの言葉かもしれない。でも今は、それを唱えることで自分を奮い立たせたかった。

 

「ごめんね、こんなに弱い母親で」

「謝らなくていい。お互い様なんだから」

「……わかったわ」

 

 母の声はもう震えていなかった。

 

「私が弱いから、あなたまで弱くしてしまったのね……でも大丈夫。あなたはもう一人で歩いていける。知らない間に私よりずっと大人になっていたのね、私がそれに気づけなかっただけで。『一緒にいるようでいなかった』って本当ね」

 

 母は体を起こし、自嘲気味に笑った。

 

「……『あの子の分も一緒にいる』って約束は、もう忘れて。あなたがあの子じゃないのはわかってるから。母親として、もう一度”あなたに”向き合おうと思う。だから、ね?」

「母さん」

「――ちょっと、二人で外を歩かない?久しぶりに。もう夜も遅いけど、いいでしょう?新しい門出を祝って、ね」

 

 私は母の提案に頷いた。

 その後あれやこれやと話をしたが、ポツリと母がこう言ってくれたのを私は忘れない。

 

 

 

 ――ダービー、頑張ってね。

 

 

 

 二人で見た夜空は、少しだけ広く感じた。

 

 

 

******

 

 

 

 一度の出来事で、全てが解決するほど事は単純ではない。ましてや私たち母娘は不器用で、同じことをぐるぐる繰り返してばかりだ。それでも意味はあって、意味はあるんだと信じて私達は互いの思いと関係を新たに構築していく。そんな日々を過ごしていると時間が過ぎるのはあっという間で――

 

 

 

 そして、ダービーの日がとうとうやってきた。

 

 

 






この話に限らず「ここすき」機能を使って好きなシーンに投票してくださると私がめっちゃ喜びます。作品作りの参考にもなりますので、ぜひお願いいたします。

この話、どう思った?(書いた本人すら困惑してるので、皆さんの感想をうかがいたいです。一番当てはまるものを選んでください)

  • 純文学みたい
  • 性癖に共感する
  • スズカさんの色気すご
  • フクキタルおかしい/怖い
  • スズカさんの方がおかしい
  • 二人より作者の頭と性癖がおかしい
  • 続きが見たい
  • いや、もう十分だ…続きはもういい
  • 表現力が他の話に比べて高い
  • 逆に表現力が他の話より低い
  • その他(是非感想欄で教えてください)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。