ウマ娘の寿命が現実の馬と同じ世界線の恋愛事情 作:daidains
投稿を決意するまでに時間がかかりました。
なので、重馬場とか残酷な描写とかアンチ・ヘイトとか、関連タグは既につけていますが、この場で再度お知らせします。
トウカイテイオーの性格や距離適性についても、寿命差設定を利用して過去に例のないであろう解釈の仕方をしています。
以上のことを踏まえたうえで読み進めるようお願いいたします。
この暗さが許容可能かどうか、コメントなどで教えていただけると、今後の方針を立てる上で大変助かります。
赤く大きな文字が、画面いっぱいに表示される。
「よし、またボクの勝ち!」
「もう一回!もう一回だけお願いしますわ!さすがにゼロ勝では引き下がれません!」
目に飛び込んでくるのは、様々なゲームマシンから放たれるきらびやかな光。耳を打つのは、コインを投入する音、ジョイスティックを激しく操作する音、そして何よりも、勝利や失敗、驚きを表すゲームのサウンドエフェクトとプレイヤーたちの歓声やため息が混じり合った独特の騒音である。
この空間は、年齢や性別、興味の対象が異なる人々が一堂に会し、共通の楽しみを共有する場所だ。そのためトレーナーやその担当のお出かけ先としてもよく選ばれている。
各ゲームマシンの周りには、熱中してプレイする人々の姿が見られ、その熱量が空気を揺らしている。クレーンゲームのコーナーでは、ぱかプチを手に入れようと、集中力を最大限に高めたプレイヤーが慎重に操作している。その隣では、リズムゲームが繰り広げられており、プレイヤーは流れる音楽に合わせてステップを踏み、スクリーンに表示される指示に合わせてタイミング良くボタンを押していく――メジロマックイーンとトウカイテイオーは、そんな熱気溢れるゲームセンターの一角で、勝負に挑んでいた。
「だーめ!ボクの勝ちだよ!これで六連勝だね!」
「う……むぐぐ……。これで本当に最後にしますわ!だからお願いします!」
「またぁ?まあどうせ僕が勝っちゃうからいいよ」
メジロマックイーンは悔しげに唇を噛みしめると、手に持っていたコインをマシンへと投入する。再びゲームのBGMが鳴り響き、画面に『GAME START!』の文字が浮かび上がった。彼女は意気込むと、真剣な表情で画面を注視する。
「今度こそ……!」
「もう、強情なんだから。ま、何度でも相手してあげるけどね!」
トウカイテイオーは楽しそうに笑うと、自分のコインを投入する。そして二人は、再びゲームの世界へと没入していった。
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「へへーん、結局全部ボクの勝ちだったね。これで七曲すべてで勝ったから七冠!どう?カイチョ―みたいですごいでしょ!」
「ぐぬぬ……」
「うおっほん、これを機に、ゲームセンターではカイチョ―と同じ大先輩としてあつかってくれたまえ」
「証明写真機とプリクラを間違えていたのに、先輩面は100年早いですわ」
「な、なんでそれ知ってるの!?」
トウカイテイオーは顔を真っ赤にすると、慌てた様子で両手を振った。メジロマックイーンはそれを適当にあしらいつつ、ゲームセンターを後にする。
「っていうか、100年は大げさすぎるって。せめて2、30年くらいにしてよ」
「ウマ娘じゃなくてヒトがつくった表現に関して私に言われても困りますわ」
「まあ、それもそっか」
トウカイテイオーはひとしきり笑うと、今度はどこに行こうかとあたりを見回す。ちょうどその時、彼女たちの視界の端で、一台のキッチンカ―が横切った。その車体には、「スイーツ/はちみー」という文字が堂々と書かれている。
「そうだ、クレープとはちみー食べに行こ!前にマヤノがウマスタに写真あげててさー。ずっと気になってたんだよね」
「まあ、いいで……、いやっ、やっぱり遠慮しますわ。ダイエット中の身なので……」
「ダンスゲームでいっぱい踊ったからいいんじゃない?いこうよ~」
「……それもそうですわね。動いたんだから実質カロリーゼロですわ。ええ、そうに決まってます」
メジロマックイーンは自分に言い聞かせるように何度も頷く。そして二人は、クレープのキッチンカーのほうへと足を向けた。近づくにつれて、だんだんと甘ったるい香りが漂ってくる。店の前には、はしゃぎながら商品を決める学生たちの塊ができていた。
二人は列に並ぶと、待っている間にメニュー表にさっと目を通す。季節のフルーツをふんだんに使ったものや、チョコソースやキャラメルソースがけなど、多種多様なバリエーションが取りそろえられている。メジロマックイーンは真剣な表情で品定めをした後、メニュー表を指差してトウカイテイオーに言う。
「私はこのミルフィーユ風クレープにしますわ。はちみーはやわめ、うすめ、すくなめで」
「じゃあボクはハヤヒデがこないだ言ってたし、チョコバナナかな。はちみーはかため、こいめ、おおめで。すいませーん!」
トウカイテイオーは快活に店員を呼ぶと、二人分の注文をする。そして程なくして、クレープが手渡された。二人は近くのベンチに腰かけると、早速クレープにかぶりつく。
「んー!おいしー!」
「ええ、この食感と甘みが癖になりますわ」
「ね!夏場はちょっとしんどくても買っちゃうよね!」
「わかりますわ」
メジロマックイーンは夢中でクレープを食べ進める。そんな彼女の様子を微笑ましそうに見ていたトウカイテイオーだったが、ふと何かに気づいたかのように立ち上がった。
「ん、どうしたのですの?」
「ごめん、ちょっと先食べてて!」
彼女はそう言うと、クレープをメジロマックイーンの右手に渡してぱたぱたと走っていく。彼女が向かった先には、公衆トイレがあった。
「はあ……。まあ、いいですけど……」
メジロマックイーンは左手に握った自分のクレープを一口かじってため息をつく。そして、再びクレープにかぶりつくと黙々と食べ進めていった。
*******
「うえっ、オええ……うう、ゲボォ……っ」
トイレの個室内に、びしゃびしゃとした音とえずく声が響き渡る。トウカイテイオーは必死に吐き気と戦いながら、胸をさすった。そして再び苦しげな呻きが漏れると、大きく息を吸って呼吸を整える。
「う……はあ……ふう……」
彼女は一度水を流すと、個室から外に出て、鏡に映った自分の顔を見た。レースのトレーニングやダンスレッスンで流す汗とはまた違う、脂汗が浮かんでいるのがわかる。顔色も少し悪く見えるようだ。
持ち歩いている水筒を取り出して、いくらかの水を口に含み、口をゆすぐ。その後、息清涼カプセルを取り出して何粒か飲み込んだ。手に息をあて、胃酸のにおいがごまかせているかをチェックする。最近はこの一連の動作もルーティン化しており、体調が悪い人物のものとは思えないほどに、彼女は手際よくこなしていった。
「やっぱりダメだ」
トウカイテイオーはぽつりとつぶやく。そして青ざめた顔をごまかすため、その場でテイオーステップを踏み、全身に血流を回した。
トウカイテイオーは何事もなかったかのように振る舞いながら、クレープが待っているベンチへと戻っていった。
******
彼女、トウカイテイオーは、拒食症を患っていた。
彼女の内面で潜む病は、彼女自身、友人、家族、さらにはトレーナーにさえ、深く秘められた秘密だった。過去一年間、彼女は食事を摂った後にそれをそのまま体内に留めておくことがほとんどなかった。毎日、毎食事が彼女にとっては一つの戦いであり、彼女は常に敗北感に苛まれていた。
彼女の心の内には、身体に対する深い恐怖が渦巻いていた。しかし、その恐怖は単なる体型への懸念という、美的意識レベルの表層的なものではなかった。
彼女が抱えるのは、もっと根深い、成長することへの拒絶感だった。トレーナーへの思いが心を占め始めてから、その恐怖はさらに勢いを増した。彼女は、「大人になりたくない」という思いを抱えていた。成長とは、身体的な変化だけでなく、精神的な成熟も含まれるが、彼女はそのどちらも拒否していた。
かつてのジュニア期には、彼女も普通に食事を取り、活力に溢れていた。勉強、トレーニング、レース、そして余暇の遊びに至るまで、彼女は圧倒的なエネルギーを発揮していた。しかし、拒食症が彼女を蝕んで以来、成長は顕著に停滞し、彼女の背丈は同年代の友人たちに次々と追い越されていった。驚くべきことに、拒食症を患う前の彼女は、同学年の中で比較すればむしろ長身の部類だった。トレーナーや養護教諭は成長の鈍化について気にかけたことはあれど、彼女がレースで輝かしい成績を収め、外向的な姿を見せ続けている限り、誰も彼女が拒食症に苦しんでいるとは想像すらしなかった。彼女が自ら自分の身体について、さりげなく「早熟型」のレッテルを貼ってしまえば、その後は誰も真実に迫ることはなかった。
クラシック期に上がった後、皐月賞の前のいつか、ふと自らの姿を鏡で見たことがきっかけだった。この頃すでに彼女はトレーナーに恋慕の情を抱いており、トレーナーの前ではできるだけ可愛く見られたいという願望が芽生えていた。
そして彼女は鏡の中で、自分の体が成長していることに気が付いた。
気が付いてしまった。
その瞬間彼女の脳裏によぎったのは、彼女がウマ娘である限り逃れることのできない、圧倒的に早い「成熟」という呪いだった。
このまま自分が生きていけば、彼女はあっという間にトレーナーの肉体年齢に追いついてしまう。そこまではいい。トレーナーと結ばれるためには、一刻も早く彼に追いつけた方がいいというのも、ひとつの考えであろう。しかしその後が問題だった。どうあらがっても、彼女は種族の限界が定めるところによって、やがて彼を追い越してしまう。人間のトレーナーと比べて、彼女の寿命は短く、成長も早い。その事実が彼女にとってはあまりにも重く、耐え難いものだった。彼との未来を想像する度、彼女の心は苦しみに満ち溢れた。自分が先に老い、彼を残してあっという間に死んでしまうこと。その不可避の結末が、彼女にとってこれ以上なく恐ろしかった。
成長の拒絶は身体だけでなく、精神面や普段の振る舞いにまで及んでいた。
彼女はいわゆる「子供っぽく」振る舞うようになった。本来彼女は旧家の出身でお嬢様と言って差し支えないウマ娘であり、上流階級のマナーや作法というのも一通り習得している。しかし時が経つにつれ言葉遣いは子供っぽく、天真爛漫な物へと変化していった。子供らしく振舞うことで、自分の成長から目を逸らすことができると、どこかで考えていたのかもしれない。彼女は自らの心が求める安心感を、幼稚な行動や言葉遣いによって得ようとしていた。そしてそれらの変化は、周囲の人間からは、「旧家の窮屈さから解放されて、本当の姿を出せるようになった」ものとして解釈された。
もう成長したくない――その思いが心を侵食していくにつれて、彼女にとって食事は忌むべきものとなっていった。
しかし、彼女の悲劇はこれにとどまらない。
彼女は同時に「成長したい」という矛盾した思いも抱えていた。
論理的に考えれば両立しないようにしか思えないこれらの思いは、まぎれもなく両方とも彼女の本心であった。
彼女は、シンボリルドルフ――彼女が呼ぶところの「カイチョ―」であり、偉大な無敗の三冠ウマ娘――のようになりたいと夢見てこの学園に入ってきた。シンボリルドルフは彼女にとって、人生の指針となる存在であり、目指すべき理想の姿そのものである。
そして、トレセン学園に入ってからは、メジロマックイーンという生涯の友、まさしく「友達以上、仲間でライバル」という関係を育むことができた。彼女にとってマックイーンは、常に強く気高い存在であり、尊敬の的であった。
シンボリルドルフのようになるためにも、メジロマックイーンに勝つためにも、トウカイテイオーにとって成長は不可欠である。だから体のために、毎回食事をとろうとは試みる。しかし、そのたびに内心の葛藤が彼女を苦しめた。食べることは成長を意味し、成長は彼女が恐れる未来への一歩を意味していた。だが、彼女は同時に、偉大な先輩たちのようになりたいという熱望も持っていた。その熱望は、彼女が食べ物を口にするたびに、一瞬だけ彼女を勇気づける。しかし、その勇気も束の間、食後の罪悪感と戦うことになる。
拒食症の結果は、三度の骨折や距離適性として外に現れた。
皐月賞や、日本ダービーといった中距離のレースまでなら、彼女は自らのあふれんばかりの才能でもって、拒食症と言うハンデをカバーすることができた。しかし「最も強いウマ娘が勝つ」と言われる菊花賞や、何よりもスタミナと気力を要求する天皇賞春などの長距離レースで勝利を目指すにあたって、トウカイテイオーの限界は明らかになった。彼女の体は、かつてのようにエネルギーを蓄えることができず、レースの後半で必要とされるスタミナを維持できなかった。
一方メジロマックイーンは長距離レースに滅法強いが、自分の太りやすい体質から、食べることが大好きであるのにも関わらず、食事制限を設けなければならない。そのため、そういった心配とは無縁といった風を装って、好きなものを食べているように見えるトウカイテイオーの姿は、彼女にとって大変うらやましいものであった。
しかし、食事に関して重大なジレンマを抱えているのは、実はトウカイテイオーの方であったというのは、何とも皮肉な話であった。
「ごめん。待たせたね」
「ええ、少し時間がかかりましたわね。大丈夫なんですの?」
「ごめんって!ちょっと混んでてさあ」
メジロマックイーンはトウカイテイオーにクレープを返し、微笑んだ。トウカイテイオーも、直前に浮かべていた暗い表情を一瞬で隠し、満面の笑みでそれを受け取った。
「うーん!おいしい!」
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静かな新月の夜、同室のマヤノトップガンがすでに寝てしまっていた一方、トウカイテイオーは全く寝付けずにいた。目が慣れることのない暗闇の中では、ありとあらゆる不安が彼女を苛んだ。暗闇から聞こえるマヤノトップガンの寝返りの微かな音は、一つ一つが彼女の精神を蝕む魔物のささやきとなり、彼女を取り囲んでいた。
被害妄想に取りつかれ鋭敏になった彼女の感性は、その猜疑心を自らの最愛の人物――彼女のトレーナー――に向けるまでに進化していた。
彼女の心は、過去の栄光と苦悩の日々から逃れられずにいた。彼女は三度の骨折を乗り越え、有マ記念での勝利を成し遂げたことで、多くの人々から称賛を受けた。しかし、そのすべてが彼女自身への愛ではなく、復活劇という物語への称賛に過ぎないのではないかという疑念が、彼女を苛んでいた。
そして、それは自らのトレーナーにも当てはまるのではないか――そう思い始めていた。
実際彼女の疑いを裏付ける根拠もあった。
少なくとも彼女にとっては、と注記するべきかもしれないが。
彼女から見れば、周囲の人間――それはヒトだけでなくウマ娘も含む――は、やたらと「物語」を愛する傾向があるように感じられた。
彼女は自分の身でもって、それを嫌というくらい体感している。
彼女が一年ぶりのレースで有マ記念を勝利した後、世間は彼女を「復活劇の寵児」として扱った。マスコミはこぞって彼女を取り上げ、自らに憧れるというウマ娘の少女も涙を流した。
しかし、それは勝利そのものへの賞賛ではなく、彼女が偉業を成し遂げたという物語に酔っているに過ぎないとしか思えなかった。
極論を言ってしまえば、客観的に言って彼女に起こっているのは「○○ということをした」、「○○ということが起こった」という事実の羅列だけであり、そこに「物語」などプレーンな状態では存在しない。
しかし、マスコミはこぞってあることないこと、でっち上げてまで「物語」を作る。大衆も喜んでそれを受け入れる。大衆というものは、ある特定の人物を神格化するために物語を欲し、そしてそれを自ら作り出すことに喜びを覚えるのだ。
そう思うようになってからは、彼女はあらゆる身の回りの出来事が、「物語」を欲しているがゆえに起きているのではないかと考えるようになった。
端的に言えば、「人間は物語の不在に耐えられない」のだ。
その一例として、アニメなどの二次創作をはじめとした同人活動が挙げられるだろう。
彼らは作品に書かれていない「隙間」を利用し、その隙間を埋めるように物語を作る。オリジナルの作品だけでは満足できないとばかりに、様々な解釈を加え物語を作り続ける。
そういう作り手だけではなく、いわゆる「読み専」の中にも、物語の不在を許さない態度が見られる。
例えば作品に些細な矛盾があったケースなどが挙げられる。作者は神ではなく人間なのだから、当然間違えるということもあるはずだ。
しかし、一部の人間はその矛盾を放置しない。放置できない。「このコマがあるから、実はこのシーンはこういう意味なのだ」とか「このセリフの裏の意味は、実はこういうことなのだ」といった具合に解釈を変え、物語を矛盾なく成立させようと、言い換えれば、物語を延命させようと試みる。
彼女にとっては、いわゆる歴史解釈問題も、これらと同じ線の上に位置づけられるものであった。
客観的に言えば、歴史で起こっているのは「○○ということが○○年に起こった」という事実だけのはずだ。それをそのまま受け止めていれば、歴史家や政治家同士で争う必要などない。
しかし彼らは物語の不在に耐えられない。事実を事実のまま受け入れるのではなく、それらを因果の糸で結び、歴史を一つのストーリーとして理解する。その物語化の過程が個々人によって異なるから、争いが起きる。
彼らが自らの歴史解釈の正当性や崇高な使命を声高に喧伝しようとも、今のトウカイテイオーにとっては、それらが同人作家同士の「解釈違い」の争いと同レベルのものにしか思えなかった。
彼らの「物語」への執着こそが、トウカイテイオーが自らの存在を、そして彼女とトレーナーとの関係を根底から疑う理由だった。彼女は、自分が本当に価値のある存在なのか、それとも単に他人の娯楽を供するための「物語メーカー」の一部なのか、という疑念に突き刺され続けていた。
「しっかり見ててよねっ!」
彼女が時折口にするこの言葉は、出来上がった、完成度の高いストーリーではなく、自分そのものを見てほしい――そういったある種のSOSの叫びでもあった。彼女の隠された真意を見抜く人物が現れることはついぞなかったが。
トウカイテイオーは、こうした疑念を振り払って寝付けようと、無理やり目を閉じた。
眠ることはできなくとも、こうやって体を休めるだけで少しはマシになれるかもしれない。そう考えた彼女は、体を丸めて、目を閉じていた。
その胎児のように丸まった姿は、彼女自身の成長への拒絶を象徴していた。
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翌日、トウカイテイオーは教室で次の授業の準備をしていた。
「うーんと……次の授業って何だっけ?」
彼女は近くのウマ娘にそう問いかけた。
「国語だよ。『羅生門』をやるんだって」
「『羅生門』か……」
トウカイテイオーは呟いた。彼女の心は複雑だった。物語を嫌い、自らの人生をただの物語として消費されることに疑問を抱いていた彼女だが、国語の授業では物語を避けて通れない。教室には、その日の授業で取り扱う芥川龍之介の『羅生門』が配られていた。
授業が始まり、教師は『羅生門』の背景、人間性の複雑さ、そして道徳的ジレンマについて語り始めた。物語の中で、飢餓と社会の腐敗に直面した下人が、最終的には生き延びるために悪事を働く勇気を持つ様子が描かれている。
この話を聞きながら、トウカイテイオーは自らの内面と対話を始めた。彼女の心の中では、矛盾する二つの願望がせめぎ合っていた。成長し、シンボリルドルフやメジロマックイーンのようになりたいという夢。そして、トレーナーに永遠に愛され、自分だけを見てほしいという切実な願い。
そしてこの授業を通じて、彼女はあるメッセージに深く影響を受けた。生き延びるためには、時には悪事を働く勇気が必要――彼女にとっての「生き延びる」とは、トレーナーの愛を永遠に手に入れることだった。
「……よし」
授業が終わり、トウカイテイオーは決心する。彼女はトレーナーを自分のものにするためなら、どんな行為も辞さない。その夜、彼女は計画を練った。
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「むぐう、うう」
目の前では簀巻きの塊が、うめき声をあげながらもがいている。
トウカイテイオーの心は高鳴り、手には確かな重みがあった。彼女はトレーナーを自分のものにするために、計画を実行に移したのだ。
夜のトレセン学園は静かで、月明かりだけが彼女の犯行を照らし出していた。トレーナーを彼の自室から拉致し、隠れ家へと連れて行く計画は完璧だった。トウカイテイオーは事前に調べ上げた隠れ家へとトレーナーを運んだ。彼は目隠しをされ、手足は縛られ、口も塞がれていた。彼女の心の中では、『羅生門』で学んだメッセージが反響していた。
「ごめんね、トレーナー」とトウカイテイオーは囁いた。彼女の声は震えていたが、その決意は固かった。
トレーナーの簀巻きの塊は、彼女の言葉を理解することはできなかったが、恐怖と混乱で心は乱れていた。彼は自分が何故、このような状況にあるのか、何も理解できずにいた。彼にとって、トウカイテイオーは信頼できるウマ娘だった。しかし今、彼女はまるで別人のように思えた。
彼女は、これから追手の届かない海外を目指す。
隠れ家の外、浮かぶ満月は彼女の狂気をありありと反映していた。
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翌日、トレセン学園は騒然となった。トウカイテイオーもトレーナーも行方不明になっていたのだ。誰もが二人の安否を心配し、捜索が行われたが、結局、彼らを見つけ出すことはできなかった。
トウカイテイオーは、自分が望む愛を手に入れるために、最終的には自らの手で運命を切り開くことを選んだ。しかし、その選択が彼女とトレーナーを、誰も知らない場所へと導いたのだった。
物語はここで終わる。
彼らがどんな生活をしているのか、彼らが幸せなのか、それとも……。
それは、もう物語として語られることはない。彼女の求めた「物語の不在」の世界が、ここに実現したのかもしれない。だが、それは彼女自身にしかわからない真実だった。
芥川龍之介にハマった時期というのが私にもありました。
ウマ娘の小説を芥川modを使ってAIに書かせたりしていたんですよね。(もちろん今作とは別です!)
あと「物語の不在」のくだりに関して興味があれば、大塚英志さんの「物語消費論」をお勧めします。
1980年代の本ですが、今でも通用するオタク論のバイブルだと思います。
加えて、「物語メーカー」の語は村上春樹さんの「アンダーグラウンド」より引用させていただきました。
届かないとは思いますが、この場を借りて芥川、大塚、村上のお三方にお礼申し上げます。