※嘔吐描写あり
あちこちから聞こえる爆発音。
荒廃した大地に侵略者が降り立つ。
そんな状況のなかで、いま、ここだけが静寂に包まれている。
「くが」
「……なんだよ」
「なんで、ぼくを庇った」
きっかけは迅の行方不明だった。
拉致されたか、殺されたか。それ以降ボーダーは迅の予知をアテに出来なくなった。それ故に、侵攻に耐えられなかった。突然の侵略に
ヒュースもそのうちの一人だ。同盟国に内通者が潜り込み、莫大なトリオンを持つ千佳の情報を流した。殿を務めると言ったヒュースはいつまでも拠点に戻らなかった。
「なんでって、そりゃあ、隊長だからな」
「そんな、ことで」
「おれにとっては、そんなことじゃないさ」
その千佳も死んでしまった。黒トリガーを遺して。そのトリガーも、襲撃によって失われた。生き残ったオペレーターたちはそこで死んだ。
ボーダーは完全に崩壊し、残りの隊員もばらばらに散った。
「お、そろそろ、だな」
「空閑!」
そして今。
目の前で、腕の中で、遊真は死に逝こうとしている。修は小さな声を聞き取らんと必死になった。
「おさむ」
「なんだ」
「しぬなよ」
「……あぁ」
それきり遊真は動かなくなった。
修は、いつまでもその体を抱きしめていた。
◆◆◆
「――っぐ」
強烈な吐き気を催し、飛び起きる。ぐっと口元を抑えてトイレに向かうが、耐えきれずに戻してしまう。苦く、酸っぱい味が口に広がり、何度もえづく。
「どうしたの」
母が駆け寄ってきた。起こしてしまったのだろうか。
「無理をしないで。背中、擦るわよ」
「ん、ぇっ……げぇっ、」
げほげほと咳き込んで、吐くものが無くなって吐き気も治まった頃に、修はようやく今を認識した。涙に歪む視界に眼鏡は無く、首筋に髪が貼り付いている。
「……ごめんなさい」
「気にしなくて良いわ。それより体の調子はどう?」
「大丈夫……急に気分が悪くなって、」
「そう。水を持ってくるから、少しだけ待っていなさい」
「……うん」
倒れないように、壁に背を預けて座る。
母が洗面所に歩いていったのを見て自分の体に視線を落とした。水色のパジャマに包まれた、細い体。あの夢を見た直後だからか、強い違和感を覚える。
修は、物心ついた頃から同じ夢を何度も見た。大抵が何かを失って終わった。それは強いストレスとなって修を襲い、あっという間に体を壊してしまった。
(あれは、なんだろう)
頭痛から気を逸らそうと、夢について考えてみる。
今まであんな怪物を見たことはない。人の死に立ち会った事もない。ああいった内容の本は、医者に読むことを止められている。
(ぼくは、あ、だめだ)
修は偶に夢に引っ張られて一人称を変えてしまうことがあった。自分を保つためにも、あまり影響されるようなことは無いようにしてほしいとも言われた。しかしその成果は、今のところ出ていない。
「修」
ふと顔を上げると香澄が戻ってきていた。一度我に返ってしまうと、廊下に漂う臭いにまたえづきそうになる。ぐるぐるとお腹の中がかき混ぜられるような感覚を覚えた。
汚れた手でコップを受け取るのは気が引けたが、それを察してか濡れタオルで手を拭いてくれた。
「ありがとう」
「いいのよ。ほら、ここに出して」
「ん……」
何度か口を濯いで口内に残った吐瀉物を吐き出し、最後に少しだけ水を飲む。修がなんとか体調を回復させている内に、香澄は後片付けを済ませていた。
「また、夢を見たの?」
「……うん」
「そう」
何度も迷惑を掛け、ついに呆れられたかと思って、目を合わせられずに俯いた。そんな修を見て、香澄はゆっくりと背に手を回す。
「母さん?」
「大丈夫、大丈夫よ……わたしがいるわ」
「っ、」
じわ、と目頭が熱くなる。自らの臭いに躊躇しながらも、修は肩に顔をうずめた。得も知れぬ恐怖を忘れてしまおうと、必死に香澄に縋りついた。
◆◆◆
体が熱い。頭がぼんやりする。
ある日曜日の昼。修は高熱を出して寝込んでいた。最近体調を崩すことが減ってきて油断していたのかも知れない。少し前に香澄が来て卵粥を食べさせてくれたが半分もいかない内に気分が悪くなって残してしまった。香澄に心配させていることを気にした修は治まらない吐き気も相まって、中々眠れずにいた。
カーテンの隙間に目を向けたままぼんやりとした眠気に身を任せていると、唐突に大きな揺れを感じて意識が浮き上がった。
(なんだろ……)
何か大きなもの同士がぶつかったような音が響いてきた。この近辺で工事をしていたという記憶は無い。なにかの事故だろうか。修はうまく働かない頭でそんな事を考えていたが、それは部屋に駆け込んできた香澄によって遮られた。
「かあさん?」
「修、ここを離れるわよ」
「えっ……?」
香澄は有無を言わせずに修を抱き上げた。見ると、以前用意していた災害用のバッグを背負っている。玄関に着くと修は降ろされて、手伝ってもらいながら靴を履く。
「歩けるかしら」
「う、うん」
突然の出来事に固まった修の背を押して、香澄は小学校の方へと足を向けさせる。その間にも揺れは続いていて、少し離れた場所でもうもうと煙が上がっているのが見えた。
香澄に支えられて歩きながら、修は何かに導かれるように後ろを振り向き――
倒壊する家があった。押しつぶされる人間があった。白い化け物があった。
そして、腕の中には、息を止めた■■が、
「う、ぷっ」
「修?」
腹の奥からこみ上げてきたモノをぶち撒けた。白っぽいどろどろとした液体が路面に広がり、酸っぱい匂いを漂わせる。ふらついた体を香澄がが支えると、えづく声と共にぼたぼたと胃に残っていたものが口から流れていった。
「っは……ぅえ、ぇ……」
「まだ歩くのは辛かったわね。少し休みましょう」
「……ん、大丈夫」
修の返事に香澄は眉を顰めたが、ここで立ち止まってしまうとまた思い出してしまいそうだった。
気づかわしげな視線に言いようのない罪悪感を覚えながら紙コップを受け取って、口を濯ぐ。側溝に近かったのもあって比較的後始末は楽に終わった。そして修は歩こうとしたが、ぐいと抱き上げられる。
「少し揺れるけれど、我慢して頂戴ね」
「歩けるよ」
「さっき戻したばっかりでしょう。大丈夫、まだまだ軽いわ」
「そう……?」
実際修は同年代の中でも小柄な方で、あまり食べられないために痩せ気味である。しかしもう小学校高学年になろうという時期に抱き上げられるのは、気恥ずかしさがあった。
「っひ、」
「……急ぐわよ」
遠くでまた地響きが鳴った。紛らわされていた恐怖が蘇り、修は恥を忘れて抱きつく力を強くする。僅かに震える娘の体調を気にして、香澄は小学校に急いだ。
◆◆◆
体育館の中には予想よりも多くの人が居た。
バッグを支えに壁際に座った修は恐怖に震える体を抑えるように毛布の端を握って縮こまった。寝汗で額に貼りついた前髪の隙間から周囲を見る。
仲の良い子を見つけてはほっと安堵し、時々響く音に身震いする。そんなことを繰り返す内に香澄が食料を持って戻ってきた。
「ん……母さん」
「起こしてしまったかしら」
「ううん、起きてたよ」
「そう。体調が良いなら、今のうちに何かお腹に入れておきなさい」
「うん、そうする」
修は差し出されたゼリー飲料を受け取った。ただ、蓋を開けようとしたものの手にうまく力が入らない。それを見かねた香澄が開けてくれた。
「ありがとう」
「気にしないで」
心配そうに修を見ていた香澄が携帯を開くのを尻目に、ゼリーを少量口に含む。ほんのりとした桃の味が口に広がり、それを飲み込めば冷たい感触が喉を通っていった。修は吐き気がないか少し待ってからまた少しずつ飲み始めた。
その時、入口の方に人が集まっているのに気が付いた。なにやらかなりの大所帯で、先生達が慌ただしく外に走っていくのが見えた。少し静かになった中で耳を澄ませてみると、校外学習という言葉が聞こえた。三門小学校の生徒が来ているらしい。
子ども達が大人に連れられて入ってくるのと同時に、ある先生がスピーカーを手に取った。
『えー、ただ今三門小学校から校外学習に来ていた子ども達が避難してきました。申し訳ありませんがスペース確保のため少し詰めて頂けると助かります』
体育館の中がざわついて人が動き始めた。
修たちは元々壁際だったのと修が体調を崩していることを伝えていたので、そこまで移動する事は無かった。強いて言えばぼんやりとした様子を気にかけた香澄が修を自身の肩に寄りかからせたくらいである。
その後無心でゼリー飲料を飲んでいた修はジュッと小さな音が手元で鳴った事で我に返った。
「ごちそうさま」
「全部飲んだのね。お腹は大丈夫?」
「うん。……あっ」
「どうかしたの」
「トイレ、行きたい」
汗で体が冷え、修は尿意を催していた。多少吐いたとはいえ朝から今まで一度しか用を足していない。この後寝るにしてもその前に済ませておきたかった。しかし人が増えてきた中、荷物を置いたまま離れるのは避けたい。
多少回復した今なら香澄に付いて来てもらう必要は無いだろう。そう考えた修は壁に手を付きながらゆっくりと立ち上がった。
「……うん。一人で行けそう」
「そう言って、廊下で倒れたことを覚えているかしら」
「う……。でも、」
「気を遣ってくれたのは分かるわ。それでも心配なの」
心配、という言葉に修はハッと顔を上げた。普段は殆ど変わらない香澄の表情は少し曇っているように見える。母もこの状況を不安に思っているのかもしれない。修はこれ以上負担を掛ける訳にはいかないと、差し出された手を握った。いつもより冷たいそれは修の小さな手を柔らかく握り返した。
◆◆◆
「ふぅ」
列に並んでいる内に増してくる尿意に危機感を抱いていた修は、個室で便座に座ると同時に息を吐いた。想像よりも多くの人が並んでいたために少し焦ってしまった。
からからから、と紙を巻き取っている間にも遠くで何かが爆発するような音が聞こえてくる。今までで一際大きいそれは、一度は落ち着いた修の中にまた不安を沸き起こらせた。
トイレから出た修を待っていた香澄はなにやら様子がおかしい娘の姿を見ると、優しく抱き寄せて背中を撫でた。とくとくと早い鼓動は次第に落ち着いていった。
「戻るわよ」
「うん。……ありがとう」
香澄はそれには答えずに頭を撫でる。修は擽ったそうに首を縮めると半歩体を寄せて手を繋いだ。
二人が体育館に戻るとどこも人でいっぱいになっていて、座る場所をなかなか見つけられずにいた。邪魔になってしまわないように移動は最低限に留めようとしたものの、人が多いために上手く空いている所まで辿り着けないでいる。
そんな二人に声を掛けた少女が居た。
小学生のなかでも端の方に座っていて、両隣が少し空いていた。詰めてくれた少女に会釈をして修を先に座らせ、香澄は荷物を持ってその隣に腰を下ろした。
「邪魔をしてしまってごめんなさい」
「えっ……あ、いえ」
「ありがとうございます」
「あの、ほんとに、なんでもないので……」
香澄の顔を見てひどく驚いたような表情を見せた少女は二人からのお礼に焦ったように返した。修は目の前で母とその少女が会話を交わす様子を見て既視感を覚え、記憶の内から懐かしさが溢れるのを感じていた。
「ああ、忘れていたわ、私は三雲香澄といいます。この子は、」
「三雲修です」
「!」
今度こそ明確に顔色を変えた少女を香澄が怪訝そうに見る。少女の視線は修へと向き大きく目を見開いた。口が小さく動いて、我に返ったように頭を振っている。
「何か、してしまったかしら」
「いいえ、なにも……知り合いに同じ名前の人が居て、ちょっとびっくりしちゃって」
「そう?」
「はい…あっ、わたし、雨取千佳です」
今度は修が顔色を変える番だった。
雨取千佳。なぜ忘れていたのだろうか。
かつて『僕』と共に戦った幼馴染の少女。ほんの数年前までは鮮明に脳裏に浮かんだというのに。笑顔が消えて、体が冷たくなって。あんなにも小さくなってしまった彼女を手に取った、その瞬間を、
「う、ぇえ」
「修?」
「え、修くんっ」
修は遂に耐え切れなくなり、胃に残っていたものが逆流してきて服と手を汚した。香澄や千佳の声も聞こえず、ガンガンと痛む頭を抱えた修の意識は暗い闇の中に落ちていった。