《――ひとつ、ふたつ、みっつ》
カウントが進む。
無数の呻きを塗り潰す、軽やかな声が響く。ただ一人、中心に立ち尽くす者は純白の髪を揺らし、指差しをしながら其れを数える。
幼く中性的な容姿とは一転、その瞳は生気を宿さない。精巧な人形、もしくは死体そのものを想起させる容姿は善くも悪くも人間からは逸脱していた。
《よっつ、いつつ、むっつ》
只々無情に紡がれる数は詩よりも浅く、意味を成さない。
到底、数え切れないとは理解している。胸を赤く染める其れ、頭部を欠損させ赤黒いナニカを零す者、脇腹から腰にかけてを抉られた誰か、全身を紅く染めて原型を留めない潰れた女性――幾重にも重なる同一人物は、総じて中心に立つ者へ手を伸ばす。
《ななつ、やっつ、ここのつ》
真っ赤な手、真っ赤な瞳、真っ赤な地面。
赤で支配された世界で唯一、真っ白な頭髪。それもパラパラと降る、赤く僅かにドロっとした雨に染められる。
それすら気にせず、カウントは進む。平然と、気紛れに気持ちを傾けた程度。興味を欠片も向けない在り方は歪でもあり、紛れもなく無垢ですらあった。
《ひゃくじゅう、ひゃくじゅういち、ひゃくじゅうに》
無機質に、淡々と、それでも塗り潰された感情の奥は情けない程までに儚く、きっと小さな『意地』が最後の支柱となっている。
《せんごひゃく、せんごひゃくいち、せんごひゃくに》
《にせんきゅうひゃくに、にせんきゅうひゃくさん》
《よんせんご、よんせんろく、よんせんなな》
出会い、別れた数。助けようとして、死なせてしまった数。赤く染まり――此方を見つめる無機質な死体の山。
その一つ一つを吟味するように、指を差して数える。罪の数は減らない。罪の数は増える一方だ。せめて、その後悔を忘れない為に――積んだ『先生』の死体を数える。
ピシリと割れる心臓にも気を止めず、指先が崩れれば視線のみを向けて。
悠久の贖罪、その始まりは『睡蓮スイ』だった。殺し、喰らった友。白州アズサの"折れない"在り方で心を保ち、睡蓮スイの二面性の色濃い楽観性バイアスによる仮面は外的側面である『ダレカちゃん』の存在を自身に許容させる。
それでも、他人の何千倍もかけて進めた
《はっせんにひゃく、はっせんにひゃくいち》
《きゅうせん、きゅうせんいち、きゅうせんに》
《いちまんご、いちまんろく――》
――それが夢であるのは自覚している。
百合園セイアに抱きしめられていた『夢』とは異なる、
死なせてきた恩師を数え、死に際の姿を鮮明に瞼へ刻み込む。他でもない自分の潜在意識がそうさせているのだ。
『………抱え込みすぎんなよ、キミ』
《……………》
真っ赤な双眼、その片方が
途端、喉から発せられるカウントに別色の声が混じった。淡々とした色のない声とは異なる、活発ながらも心配を滲ませる声質。
始まりの贖罪である"彼女"は今でも彼岸キミへ寄り添っている。彼岸キミの瞳に魅了され、生きる為の軌跡を示した少女は実態のない体で抱き締めるのみ。
『キミの半分はスイちゃんだ。っつー事は、この罪も罪悪感も独り占めは酷いぜ?』
《……だめ。これは…■の、後悔…》
『そうたぁ問屋が卸さないってモンだよ。ただでさえ、こーゆー立場?てか立ち位置をセイアさんに奪われかけてるんだし、スイちゃんは悲しいなぁ……浮気性はあんまりだぞ』
《………?……なんで、セイアさん…?》
『あ、あー…覚えとらんかぁ……ま、いーや。干渉されるタイプの夢って特殊だし。その分、スイちゃんはキミの一部だから自己完結型の夢としてヒョッコリ出来るし……お?もしかしてスイちゃんってば、最強無敵な非の打ち所のない完璧美少女なのでは?』
《………いちまんじゅう、いちまんじゅういち》
『無視しないで?てか無視しないで?』
同じ口から紡がれる、然し全く異なる二人の声。これが夢でなければ異様な一人芝居でしかないのだろう。
彼岸キミには夢に出てくる『睡蓮スイ』の存在が計り知れない。単なる夢なのか、喰らった故に彼女の人格が心に宿っているのか、それとも――
『スイちゃんはスイちゃんだぜ?深く考えるなよな、アホなんだから』
《は?ちょーぜつ、てんさい…なんだが?バカで、あほはスイ……だし》
『はぁ?おいおい、オイオイオイオイ……天才美少女を取っ捕まえて馬鹿とな?相変わらずギャグセンスは貧困ッスねぇ!髪と一緒に頭ん中も真っ白か?』
《…………スイのはげ》
『禿げてねぇよ!?……え、禿げてないよね?おねーちゃんからも禿げさせるぞって脅されてたんだけど……ちょっと後頭部見てくれる?てかカラダないじゃーん!ハーッハッハッハー!!』
《……いちまんじゅうに、いちまんじゅうさん》
『無視しないで!?ちょっ、世界の美少女が禿げてるとか…そーゆーマニアックなレッテルは要らないんだけど!』
道化のように笑い、泣き真似をする金色の瞳。
真っ赤な瞳は淡々と。そして『睡蓮スイ』の宿る金色の瞳は在りたかった『ダレカちゃん』の根本でもある。
彼女のように笑えれば、あの日の自分がそうしてもらった様に先生を救えたのだろうか。彼女のように悲しめたら、ちゃんと人間らしく泣く事が出来たのだろうか。彼女のように怒れれば、頑なに自分の顔も名前も、歳も身体も出身も隠す必要はなかったのだろうか。
いっそ身体を彼女に明け渡すのも良いのかもしれない――が、それは『大罪』を手放し押し付ける事に他ならない。
それだけは他でもない『彼岸キミ』が許せなかった。例え彼女への贖罪が身体を明け渡して新たな青春を謳歌してもらう事なのだとしても、それは全てが片付いてから――先生を救って平和になってからだ。
『……おん?なーんか妙なコトを考えてるな?』
《ん…………うん?……んー、ん…うん》
『やっぱ何も考えてないな?』
《…………ん?■…なにしてたっけ》
『寝ぼけとるんか?や、夢だから寝てる最中じゃん……てか
《………………………ふぁ?》
『キミの人生において最もアホっぽい声だなぁ』
――気絶中。
その言葉を聞いた途端、嘗ては『先生』だった其れらの目に色が宿る。泣きたくなるくらい優しく、いつも彼女が死に際に浮かべる憐憫の眼差し。
夢であるのに彼岸キミの心臓に動悸が走る。
理性と本能の狭間があやふやとなり、キミ自身も言語化に戸惑うような感覚――目覚めの波が、不明瞭な衝撃が身体を包み弾いた。
そして今回も、きっと次回も――死なせた恩師を数え切れない。後悔をしながらも、全ての後悔に向き合う事は出来ない。
◆◆◆
――そろそロ……準ビ、整う…。
◆◆◆
「っ――!」
「わひゃっ!?……あっ…コホン。えっと、その……お加減いかがですか?」
「ケホッ……ウップ………んッ、ふぅ……え、は……?……ここ、どこ…?」
喉まで上がる刺激を飲み戻し、気分悪くも一呼吸を置く。
木製の床が誰かの体重で軋み、古風ながらも綺麗に塗られた天井からはカーテンレールから純白の布が一定の区間を区切っていた。
病院と言うには古く、保健室と言うには温かみがある空間――そこから彼岸キミを覗き見るのは桃色の髪に若干小さめなナースキャップを被った少女だった。
少女は愛嬌のある笑みで傍らに膝を揃えてしゃがみ、自身よりも更に小柄な彼岸キミに目線を合わせる。
「意識はハッキリとしていますか?ここは救護院です。あなたは、宇宙服を着たまま気を失っていたんです」
「…………マ?」
「外で見付けて、なんとか私が……あ、私は救護騎士団の鷲見セリナです。あなたは……シャーレの秘書さんですよね。その…本名は分かりませんが、『ダレカちゃん』と呼んだ方がいいですか?」
状況を理解できない儘に告げられた情報を吟味し、今の格好が薄緑の患者衣であることを確認する。
部屋を見渡すと、セリナとは逆の傍らに空の宇宙服が置いてあった。つまり現状、『ダレカちゃん』の正体は完全に見られているのだろう。
最悪な気分に続いて頭痛も覚え、モヤのかかった頭に手を添えた。
「……ううん……宇宙服、じゃ…ないとき…は、『彼岸キミ』……だけ、ど…センセにはナイショ……に、して…?」
「キミさん、ですね。なんだか『ダレカちゃん』の時と印象が全然違いますね……いえ、何か事情があるんですよね。分かりました!キミさんの正体は秘密ということで」
「ん、ども……です…」
宇宙服を着た状態で彼女と接した記憶はないのだが、それでも一方的に『ダレカちゃん』を知られているのは彼女の活動範囲と時間が並外れており、常軌を逸しているからだろう。
状況を把握出来ないままにボーッと一分が経ち、ここ最近の状況を思い出す。そも、何千と同じ時間を繰り返しているのだから、寝起きで混乱するのも仕方がないのだろう。
無意識下で多大な記憶を整理し終え、やっと今の世界線へと思考が及ぶ。
宇宙服を着た状態は今のループのみ。そして救護院――救護騎士団の世話になっているという事はトリニティに居るということになる。
トリニティ関連で居るのだから、今更ながらではあるが、エデン条約の時期だ。そこまで推定し、記憶がやっと追い付いた。
追い付き、故に気絶していた空白の期間に背が冷えた。多少の無理はしていたが、想像以上に自身の身体は弱っていたらしい。
「……………どれ、くらい……?」
「はい?」
「どれくらい、寝てた……ッ!?センセは…!いま、なんじ…!!」
「お、落ち着いてください!一つ一つ答えますから、まずは落ち着いてください。……キミさんは一昨日の夜に倒れていました。それで、先生は数時間前……一応は昨日の夜、ということにはなりますが…補習授業部の皆さんと外に出ていきました」
「……きょうが、第二次特別学力試験………いま、なんじ?」
「えっと、午前一時……真夜中です」
「…試験開始、が……さんじ……あと、にじかん…?……クソッ……宇宙服じゃ、まに合わない…!」
「き、キミさん!?一体何を――」
「ごめん、なさい……ようじ、できた。ので……かえる」
「なっ……そ、そんな体で外に出ちゃダメです!過労以外にその包帯の下も、最近の傷ですし…それ以外だってッ!!」
身体を埋め尽くす程の傷跡、手術痕。それに加えて腰や後頭部、尾骨の辺りには
セリナとて先生の虐待を疑っているわけではないが、誰か――それこそ地位や財を持った人物が悪戯に小さな命を弄んでいると疑っている。
まだ幼く、酷く淀んだ瞳で過労まで動き続けていた子供を外に送り出せるわけがない。肩に手を置き、力を込めた刹那――
「……すこし、
「えっ…」
――拒絶の言葉と同時、セリナは意識を失った。
◆◆◆
マた、間二合わナイ……それが、■。愚カな、オマエ。
◆◆◆
はいチクショウ!忍ペロくんだぞゴラァ!!ペロォ!!
クッソ寝坊しました死にてぇペロ!前の世界線では無睡眠でミカさん暴走日まではイけたのに……宇宙服のせいで想像以上に負荷がかかってましたペロォ!
そんで寝坊?は?死ぬの?しぬペロ?てか死ぬ暇があったら最高速度でゲヘナに行けペロ。
第二次特別学力試験の会場はゲヘナ自治区第15エリア77番街の廃墟ペロ。ヒフミさん達が夜の九時くらいに宿舎を出て、わりとギリギリに着くくらいの距離ペロね、遠いわボケェ!こちとら寝起きやぞボケぇ!!
ウソーノ・ウルギールをやるために邪魔な羽とか角、龍尾は引きちぎったので身体は軽いペロけど、やっぱスピードだけを求めるなら布一枚の忍ペロくんだペロ。
あー、チクショウ……これなら羽だけは残しとくべきだったペロ。あと三日もすれば生えてくるだろーけど、それじゃあ手遅れペロ…。
「……ヴァニタス、伸びろペロ」
《――――――》
銃身の先が鉤爪のように鋭くなり、同時に触腕と同様に伸びて高い建物に食い込む。それが収縮すると――あーら不思議ペロ、忍ペロくんが空飛ぶ忍ペロくんになったペロよ。
忍ペロくんは鳥だし、ちゃんと飛ぶペロ。飛べない鳥はただの鳥……え、ペロロって飛ぶん?巨大化してビーム出したりはしそうだペロけど。
ま、今の忍ペロくんは蜘蛛ヒーローみたいなモンね、ペロ。これで時短時短、じーたんッス。こーゆー時は肉銃ことヴァニタスくんが役に立つんペロ。
『彼岸キミ』以外の姿では使う気もなかったけど、クソッタレなポリシーに拘っている暇なんてねぇペロ。
あー、死にてぇペロ……。
こりゃあギリギリになりそうペロ……試験会場を改造しといて良かったペロ…は?寝坊した時点で良かったコトなんてないんだがペロ?
あーーー、やっぱ死にてぇペロォ……。
◆◆◆
どうセ、繰リ返ス…■は変ワレない、それが■ダ。
◆◆◆
(………ダレカちゃん、大丈夫かな…)
光源を設置しながら、先生は秘書へ想いを馳せる。
一昨日の夜――美食研究会とのいざこざを片付けてから姿を晦ませた生徒。最近はずっと様子がおかしかったので心配はしていたが、どうにも自分の知らない所で何かをしているらしい。
セリナから『用事を手伝ってもらっている』と暗に告げる連絡を貰ってはいるが、それを言葉そのままに信じるほど無垢でもない。
あの子は強い、心配するのはお門違いだ――そう思っていた時期もある。だが、きっと。そんな外殻を纏っているのが『ダレカちゃん』なのだ。そう思わせる為に、過剰なまでに強さをアピールしているのかもしれない。
ブラックマーケットで『ダレカちゃん』から過干渉するなと言われた時。初めて指揮を受け入れられ、全くと言って良い程までに期待されてないと知った日。
きっと同時に感じていたのは『ダレカちゃん』の弱さだった。独りでしか生きられないのに、手を伸ばしてしまう子供。
強いから大丈夫だ、とアピールしているだけの幼子。そんな感覚は間違っているのか、否か。それを確かめるのが『先生』の役割でもあった。
「……そろそろ時間だね。みんな、筆記用具の準備は良いかい?御手洗に行くなら今のうちだよ」
「だ、大丈夫です…!」
「…ああ、私も問題ない」
疲労の滲むヒフミと、彼女にしては珍しく不安に俯くアズサ。それが試験に向けての感情なのか、それともこの場に居ないもう一人の生徒への心配なのか。
残り数分も無い状況で、先生が彼女達の不安を断ち切ることは不可能に近かった。
開始時刻が迫り、一人一人に裏返しの用紙を配り机に置く。もう少しでけたたましくタイマーが鳴り響き、先生はテスト開始の声を上げる事となる。汗を拭い、教卓に戻った刹那――
「………むっ」
アズサが短く声を漏らし、何かを察知する。釣られてハナコと先生が窓の外へ視線を向けると――ダンッ、と外から
「な、なに!?」
「………なにやら騒がしいですね」
第二次特別学力試験の会場、ゲヘナ自地区の廃墟が僅かに揺れる。爆発とは異なり、何かが地面へと墜落した際に鳴る、鈍くも大きな音。
先生が原因を確かめようと教卓から離れる瞬間――
「センセ!シッテムの箱を起動しろ!!」
部屋の天井が灰色の極光で消し飛び、ボロボロになった布の塊――声を荒らげる『忍ペロくん』が飛び込んできた。
「に、忍ペロくん!?」
「……チッ!」
「わっ……うぐぇッッ!?」
「先生!?えっ、えぇっ!?に、忍者ペロロ様ぁ!?」
いつもとは様子の異なる『忍ペロくん』は先生の腹を
白く染まる視界で先生が目を見開くと、着ぐるみの身体でギュッと抱き締められていた。
忍ペロくんと教卓に包まれ、真っ黒な視界の中。聴覚が
妙に聞き慣れている、いつもキヴォトスの至る場所でなっている
「め、とじてて……!」
――刹那、
スーツの下に収納しているシッテムの箱が淡く光る感覚がして、同時に最高に信用出来る秘書がまた護ってくれたのだと理解して。
吹き飛ばされる中で、先生は安心感に包まれていた。数秒にも満たない浮遊感が身体を劈く衝撃に変わる瞬間――
「あっ――」
一瞬だけ純白の髪が鼻腔をくすぐり、でも次の瞬間には意識を手放していた。