「そんじゃ、アリウスの雑魚を挑発して来るね〜」
相も変わらず淡々と、ボイスチェンジャーを介した無機質な声を残してダレカちゃんは外に駆け出して行った。
――第三次特別学力試験、当日。
日付が変わって間もなく。夏の生暑い空気を肺に含み、緊張の籠る溜息を唇の裏側で霧散させる。ここが生徒達の前でなければ、軽く一本は吸って気分を落ち着けたいところだけど、子供の前では吸わないと決めているのだから仕方がない。
前回のゲヘナまで赴いた試験より一週間、みんなは必死に頑張った。合格ラインが九割まで引き上げられ、試験当日も妨害されると決まっていても。
泣いても、怒っても、補習授業部は決して努力は止めなかった。そんな彼女達を私とダレカちゃんはできる限りサポートして、万全を期した。
「……………」
「不安かい、ヒフミ」
「…いえ……すみません、やっぱり不安です…」
酷く申し訳なさそうに、取って付けた彼女の笑みは苦々しい。尽力して、それでも不安と言うのは彼女にとっては仲間への冒涜、もしくは信頼の裏切りに近しいものと思っているのかもしれない。
すぐに口を挟んで否定したいが、この場でそうする役目は私じゃない。
生徒は、大人の居ないところでも成長するものだ。ナギサは意図していないだろうけど、この補習授業部はそれぞれがそれぞれのやり方で皆に寄り添い、支え、成長する場所となっている。
だから、きっと不安に震える仲間がいたら――
「だ、大丈夫…!」
「コハルちゃん…?」
「その……だ、大丈夫だから!わたし、全部を知ってるわけじゃないけど……ちゃんと、上手くいく……と、思う…!せ、先生とダレカちゃんだっているしっ!」
「そうですよ、ヒフミちゃん。今回はあの、ナギサさんを欺き続けて私達のサポートをし続けてくれたダレカちゃんが全面的に協力してくれるんです♪」
「それに、私達だって頑張った。努力は裏切らない……在り来りの言葉だけど、私はそう思う」
コハルに続いてハナコとアズサが寄り添い、肩に手を置いて励ます。本当ならば退学の危機に晒されず、安全で尊い青春であって欲しかった。
……大人になって、子供を俯瞰するとつい想い耽ってしまう。特段として駄目な癖とも思わないけど、不可解な事はある。
この視点、この俯瞰点。不思議とダレカちゃんも同じな気がする……いや、ダレカちゃんは私も含めて全てを俯瞰して、何かに抗っている気がする。
二次試験が終わってから六日目の夜、今から数時間前。
二人の生徒から告白があった。
一人はアズサ。自分がトリニティの裏切り者で、しかし本当はスパイではなく、元よりナギサを守る為にトリニティに編入したのだと告白した。
様々な葛藤があったのだろう。補習授業部のみんなとの日々がアズサの心を支え、プレッシャーの中でも癒しだったと思う。だから彼女は告白することを決意し、補習授業部の白州アズサとして私達の隣に立つことを決めてくれた。
もう一人は――ダレカちゃんだった。
ダレカちゃんは逆……と言ったら過言かもだけど、アズサとは似て非なる立場だった。ナギサからのスパイ、補習授業部を監視しつつも万が一には妨害、武力を用いての鎮圧を目的として配置されていた。
私も知らない情報だったので、ナギサの切り札だったのかもしれない。
でも、ダレカちゃんは言った。最初から妨害なんてする気はなかったし、むしろ副担任としてやるべき事はやっていたと。
確かに、ダレカちゃんからの妨害なんて全くなかった。一人一人に適切な授業機材を用意したり、手書きで単語帳を作ったり。
補習授業部の裏切り者と言うにはあまりにも、サポートが手厚い。そのおかげで、今日に至るまでに数日の猶予を持って全員が合格ライン――90点に届いていた。
ダレカちゃんが個人的にナギサと付き合いがあり、信用されて、スパイとして期待されていたのはダレカちゃんの言葉の端々から伝わった。
それでも――嬉しく思ってしまうのは、卑しいだろうか?私は……ダレカちゃんが味方である事がこれ以上ないくらいに嬉しくて、心強く思っている。
ダレカちゃんが隣にいればどんな事にも立ち向かえるし、ダレカちゃんの隣に立つためには強くならないといけない。
「――さて、じゃあ往こうか!」
手を叩いて声を上げる。
大人として、道を切り開こう!この作戦は誰が欠けても失敗するし、誰も欠けないように準備を重ねた。だから――笑って、開始しよう。
「ふふっ♡では、私とアズサちゃんは罠の設置を終え次第、
「はいっ!」
「任せて。二人は私が守るよ」
この後、アリウスの生徒がナギサの命を狙ってトリニティに襲撃する。闇夜に紛れるよう訓練された生徒を相手にするのは、難しいだろう。
でも此方にはアズサがいる。アリウスの侵入経路を把握し、作戦から逸れた場合の行動も大凡は理解してるアズサが味方にいるのだから、数の不利なんて簡単に覆せる。
私達の計画はナギサを守り、『本当の裏切り者』を見つけ、朝九時開始の試験にも合格する事。だから、さっき日付けが変更されたばかりの今、動く必要がある。
幸い、ナギサが隠れている
各々で襲来に備え、罠やバリケードを設置しつつダレカちゃん、ハナコ、アズサがナギサの
途中でダレカちゃんはナギサを別の場所に匿いつつ、誘導に乗らなかったアリウス生徒を制圧しながら本来の目的を誤解させるのが今回の大まかな作戦。
一足先に出ていったダレカちゃんを除いた皆で掌を合わせ、不安を消し飛ばすようにお互いを鼓舞した。
◆◆◆
――茶番、ダ……悲劇いがイ…全テが茶番ダ……。
◆◆◆
――コンコン、と小気味良く木製のドアがノックされる。
来客ではない。未明に届かない時間帯、非常識な来客ならば門を任せた者が通さないだろう。ならば、定期的に頼む紅茶のおかわりだろうか。
未だティーカップに残る紅茶を一瞥し、部屋の主――桐藤ナギサはティーパーティー所属の生徒が菓子か紅茶でも持ってきたのだろうと考えをまとめる。
そも、幾つもフェイクを重ね、唯一外部の存在で自分の居場所を把握している可能性のある彼岸キミとの連絡も絶って一週間が経った。切り捨てる様な扱いには心も痛むが、懇意にしている友人まで退学にするのだ。今更、既に手を緩めることなど出来ない。
「……どなたですか?」
一秒、二秒、三秒――カチカチと時計の音だけが部屋に響き、無言の時間が刻まれる。広い部屋、厚手のドアも挟んでいる。聞こえていない可能性も大いにあり、ナギサは先程よりも少しばかり響く声で返す。
「紅茶でしたら、もう結構です」
「かしこまりました」
今回は聞こえたらしく、ドアの向こうからは承知を告げる声がした。また溜息を一つ、テーブルランプと月光のみで照らされた手元の資料に視線を落とし――ギギッとドアの擦れる異音が鼓膜を揺らした。
もしや、また急ぎの別件でもあったのだろうか。生じる疑問符に敢えて答えを付与するように、ナギサはホストとして在るべき余裕を携えて身体をドアの方向へ向ける――刹那。
「可哀想に、眠れないのですね」
「っ!あ、あなたは……」
「それもそうですよね、正義実現委員会が殆ど居ない状態……不安になるでしょう、ナギサさん?」
濃い桃色の長髪、片サイドには白いリボンで括られた一束の三つ編み。白を基調として水色のラインを引かれたセーラー服は見慣れたトリニティの制服であり、口元に手を添えて薄く微笑む少女には酷く見覚えがあった。
刹那的に幾つもの可能性――所謂『勘違い』や『見間違え』、『現実逃避』が頭を過ぎる。然し現実は残酷に目の前に広がり、嫌でも現実的な思考へと切り替わる。
「う、浦和ハナコさん……ッ!あなたがどうして、ここに……!?」
「それはこのセーフハウスをどうやって知ったのか、という意味ですか?それは勿論、
「………っ!?」
「変則的な運用もおおよそ把握してます。例えば……今のように心から不安な時は、この秘密の屋根裏部屋に隠れるということも♡」
有り得ない、と叫びそうになる。
だがナギサの努めて冷静な部分では、方法は度外視するとして、浦和ハナコならば可能であると静かに告げる。
誰もが認めていた才女。ティーパーティーだけでなくシスターフッドからも声を掛けられ、誰よりも期待され、その才能に畏怖していた本物の天才。
しがらみに囚われず、トリニティを自由に闊歩する彼女ならば何を把握していてもおかしくはないだろう。
然し疑問はある。彼女がナギサの居場所を把握していたとして、今更何をしに来たのか。試験内容への抗議ならば、もっと早くに来ていただろう。あと数時間後には試験だ。そのタイミングで会いに来る事への説明が付かず、既にナギサであれども試験内容の変更は不可能であるのは彼女にも察しがついている筈だ。
疑念を込めてハナコを睨むが、唐突に後頭部へ
「「――動くな」」
「………!」
重なる二つの声。
目の前の少女とは別に、後ろにも二人の侵入者が居る。三人の敵対者と、戦闘には不向きな自分。最後に銃を撃ったのはいつだっただろうか。自己解決は不可能、故に事態は最悪だが、まだ希望はある。
警護の生徒さえいれば、数の利でどうにでもなる。最悪、ナギサさえ逃げ伸びれば今回の件を理由に退学に追い込むことだって可能だ。
閉じられた厚手のドアに目を向け、どう助けを呼ぼうかと思案していると。
――薄く、浦和ハナコが笑う。
「………あぁ、勿論ここまでの間に警護の方々は全員片付けさせていただきました。こちらには
心臓が嫌に早鐘を打つ。
ふと、銃口が頭から逸れている事に気が付く。それは襲撃者より、振り返って姿を確認しても問題がないと判断されたからに他ならないのだろう。
ならば、態々目を逸らす必要性もない。生存へと繋がる糸口を探る気持ちで、ゆっくりと振り返り――胃袋がひっくり返りそうになる程、頭は事態を否定していた。吐き気と動悸が心臓に負荷を掛け、立ち眩みすら覚える。
「――やあ、これは予想外だった?ナギサさん?」
「……彼岸、さん…?」
「ダレカちゃんだよ?あっ、ハナコさん。今のオフレコね?言ったら酷いぞぉ〜?」
「ふふっ、言いませんよ?私、お友達の嫌がることはしませんもの♡」
背後に佇む生徒―― 一人は予想内だった。白州アズサ、怪しい経歴と学年に見合わない偏り過ぎる学力。怪しいからこそ、補習授業部にまとめて様子を見ていたのだ。
だが、彼岸キミは予想外だ。
再会した時と同様に、成人男性程のサイズの宇宙服に身を包んだ彼岸キミはナギサを見下ろし、淡々と仲間内での会話を続けていた。
だがナギサの視線に気付いたのか、緩慢な動作で一歩下がり、道化のように両腕を広げて問い掛ける。
「……ねぇ、いつから勘違いしてたの?」
「な、何を……ッ」
「ふふっ、簡単ですよ?」
「『裏切り者』は一人じゃない。それに、何故お前は『裏切り者』を補習授業部の面々
「くっ……!裏切り者は三人だった、と…!」
「ぷっ…くくっ、なははははっ!!聞いた聞いたァ?ハナコさん、アズサさん、聞きましたァ?」
「……ふふっ、実に単純な思考回路ですねぇ♡私もアズサちゃんも、ダレカちゃんだって。
「指揮官……それは、誰ですか…!」
豪快に嗤う彼岸キミに、嘲りで薄く笑う浦和ハナコ。淡々と銃口を向けるのみの白州アズサの目にも同情に近い憐憫の色が宿り、ナギサは徹底的な敗者となった。
せめて、トリニティでも優秀な部類であると自負している自分を出し抜いた相手の名を知っておきたい。微かな畏怖と、憎々しい想いを込めて聞いたが、駒を自称する者達は素直に答える様子もない。
「……そのお話の前に、ナギサさん………ここまでやる必要、ありましたか?」
ハナコの声色が変わる。嘲りではなく、純粋な疑問。その憂いは目の前の自分ではなく、他の誰かに向けられているのは確かだった。
然し具体性に欠ける質問だ。どの段階まで把握していて、どの部分を指しての質問なのか。数秒の沈黙の後、ハナコは言葉を続ける。
「補習授業部のことです。ナギサさんの心労は、よく分かります。ですが『シャーレ』まで動員して、何もここまでやる必要はなかったのではありませんか?」
「………それ、は……」
「最初から怪しかった私や、アズサちゃんは仕方がありません。ですが……ヒフミちゃんとコハルさんに対してはあんまりだと思いませんか?それに、貴女はダレカちゃんまで利用し、切り捨てた」
「……………」
「特にヒフミちゃんは………ナギサさんと、仲が良かったじゃないですか。どうして、こんな事をしてしまったのですか?ヒフミちゃんやダレカちゃんが、どれだけ傷付いたのか、考えてなかったのですか?」
「………そう、ですね。お二人には悪いことをしたかもしれません。ですが、後悔はしてません。全ては大義のため。確かに護りたいと…守れればと思っていましたが、私は………」
後悔はしていないが、懺悔の籠った言葉でもあった。
誰が裏切り者で、何が大義なのか。見方を変えるだけで次は自分が友人や、託されて守るべき対象だった子供にまで無情に手をかける『裏切り者』だ。
独り善がりな大義とは、虚しいだけ――先程のアズサの言葉が胸に刺さる。この独り善がりは、誰の為のモノか。
護りたいものまで利用して、次は誰を犠牲にするのか。追い詰められる度に目を逸らしていた自己矛盾に吐き気がした。
――次の言葉を探し、然し言葉につっかえた刹那。また目の前の少女の表情が変わっていることに気が付く。真面目に問い詰めるものとは一転、加虐嗜好と悪意に満ちた瞳は細く、隠された口元は想像に難くない。
「………ふふっ♡では改めて、私達の指揮官からナギサさんへ、メッセージをお伝えしますね。『あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ?ナギサ様との
「………………え、は…?ま、待ってください……いや、まさか…!?」
聞き覚えのある口調、自分を『ナギサ様』と呼ぶ友人。そんなのは一人しかいない。眩む視界で、白州アズサが銃弾を放とうとするのが分かり、然し困惑に纏わりつかれて抵抗が出来ない。
全て、失敗だった。そんな後悔をしながら身体に銃弾を受ける瞬間、ふと宇宙服の生徒が視界に入る。
連邦生徒会長より託されて、護って欲しいと言われた生徒。酷い虐待と裏切りで身も心もボロボロになり、然しやっと対等に話せるまで回復していた筈の幼子。
そんな彼岸キミは宇宙服の前を開き、ナギサの目を見詰めていた。光のない赤い瞳、穢れのない真っ白な頭髪。
子供には似つかわしくない雰囲気の生徒はゆっくりと口を開いて言葉を紡ぐ――
「ナギサさん……も、うらぎる…ん……だね……」
「ッ!?あ……いや、違っ……待ってください!わ、私は……わたし、は……っ!!」
失望なんて、その瞳には宿っていない。
然し縋り付くように伸ばした腕は寸前で白州アズサに遮られ、代わりに頭部への銃弾を受けて床へ仰け反る。
「……ごめん、ね……なぎささん…」
「や、やめて……謝らないで、ください…!あ、ああ……ああああ゙ッ!!わたしは…なんて、事を……」
両手で顔を覆い、年甲斐もなく声を殺して慟哭する。何か、大切なモノを失った。自分から捨ててしまった。その後悔に打ちひしがれ――次の瞬間には容赦のない弾丸の嵐で意識を刈り取られた。
◆◆◆
「目標を確保。近距離で5.56mm弾を丸々一弾倉分当てたから、一時間くらいはこのまま気を失っているはず」
隠れ家の外、アズサは通信機を片手に淡々と仲間内での情報共有をする。簀巻きにされてタオルで隠されたナギサは宇宙服の生徒が担ぎ、次の行動を待ち侘びている。
「んじゃ、ダレカちゃんはナギサさんを隠してからアリウスの待機残党を殲滅するね。暫く合流出来ないけど、ダイジョブそ?」
「はい、問題ありません。では、アズサちゃんはこれから敵の誘導をお願い出来ますか?外の生徒はダレカちゃんにお願いするので、既に侵入してしまった猫ちゃん達を可愛がってあげてください♡」
「ね、ねこ……?……了解した。これで、まだ何処かにいる『本当の裏切り者』に嘘の情報が流れる筈。ハナコの仮説の通りであれば、確かにアリウスも襲撃を急くに違いない」
本当のトリニティの裏切り者――今回の件以前にも、セイアの襲撃やトリニティの各地にて目撃情報のあった武装集団。
まだ不明点が多いが、『本物の裏切り者』が関係しているのは明確だ。トリニティに詳しく、多少の荒事ならば隠蔽が可能な立場の人間。
証拠こそないが、既にハナコの中では一つの確信があった。故に、今から行われるのはアリウスの殲滅ではなく
それを『裏切り者』に察せられないように、アリウスの殲滅を掲げて動くのが『ダレカちゃん』の役割だ。
「――んー、そろそろナギサさんを隠さないとだし。先に行ってくるね。お二人はもうちょい猶予があるし、緻密な作戦会議をしててくれぃ!」
「うん、了解。ダレカちゃん、気を付けて」
「ふふっ、あまりやり過ぎちゃダメですよ?」
「二人の心配先が真逆な件について…………そんじゃ、軽く捻ってやりますよっと」
それだけを言い残し、宇宙服の生徒は重い身体からは予想も出来ないほど軽々と走り去った。
「ククッ……さぁて♡show timeだぜ、皆々様。ここからは
闇夜に紛れ、其れは仮面の下で嗤った。