暫くは懐古です。まだ"彼岸キミ"しか知らない記憶だから、ちゃんと観測して次のキミになってくださいね。
約二年前。
廃校寸前の僻地で、少女達が"其れ"を拾ったのは春も終わり、夏に差し掛かる頃だった。
――純白と漆黒の二色、合わせてそれを混ぜたような灰色の繭。
復校を掲げて駆け回る日々。たった二人だけのアビドス生徒会にて、大きな意味もなく朝から学校に通い、昼間には署名活動や資金稼ぎに奔放。
変わり映えしない生活――
「っ!あ、あの……大丈夫!?」
「…………」
長身の少女――梔子ユメが声を上げ、後から着いて歩いていた小鳥遊ホシノは警戒を滲ませて後方で待機する。
体の半分は砂に埋もれ、然し繭を築くように蹲る子供は明らかに
肉体を包むように純白の翼が煌めき、反する艶美な蝙蝠を思わせる漆黒の羽が光を遮る。汚れを含む真っ白な頭髪と真紅な双眸はアルビノである故なのだろう。
神秘的な出で立ちでありながら、歪であるのは半端な部位があまりにも多過ぎたからだ。
片方の耳のみが妖精のように鋭く尖り、純白の頭部には犬のような垂れ耳と猫のような立ち耳が生えている。
額に生えた鬼の黒い角と、後頭部からは頭部を覆うように漆黒の角が在り、何よりも歪さを感じさせるのは巨大な紅い龍尾だった。
傷だらけの身体。新しい傷だけでなく、左腕全体を覆う火傷や顔以外に広がる傷跡や手術痕。死んでいるとすら錯覚してしまいそうになるが、ユメが其れの身体を揺らした刹那。
――曇り、それでも紅い瞳がユメを認識する。
羽や龍尾に隠れていた右腕を動かし――その手に握られていたのは拳銃だった。
「……?……カル……ペ・ディエ…ム……」
「ふぇ?」
眉間に突き付けられた、冷たい銃口に灰色の光が収束する。無機質な紅い瞳には意思が感じられず、何処か作業を連想させた。
呆気に取られるユメ。屈んで視線の高さを合わせていたからだろうか、
「っ!先輩、下がって!!」
「え―――きゃっ!?」
放たれる極光。
圧縮された光がユメの眉間を穿つ瞬間、後方で警戒していた小柄な生徒がユメの前に躍り出た。
すれ違いざまに借りた盾を上斜めに構えて極光を弾き、弱々しくも立ち上がろうとする子供に向けて愛銃を向ける。その瞳は敵意に溢れ、もし怪しい行動をしようものならば子供であっても撃つと物語っている。
「……………」
「動くな。余計な真似をしたら撃つ」
少女に蹴り飛ばされた"異形"。不気味な程に軽い感触に苦虫を噛み潰したように眉を寄せ、再び地面に座り込む其れに最大限の警戒と温情を込めて、警告をする。
だが、緊迫する雰囲気を食い破るようにホシノの肩が後方から引かれた。
視線は逸らさないが、気配で察してはいた。ユメがホシノを止めようとしている。いっそ愚直なまでに自分を曲げられない先輩が、後輩を感化させようとしているのだ。
「ま、待ってホシノちゃん!その……急に声を掛けたのは私だし、驚かせちゃったのかも…!!」
「襲われといて何言ってるんですか…!危険なので下がっててください、別に不用意に戦おうって訳じゃないんですから」
「……ホシノちゃん。お願い」
「ですから………!……いえ、じゃあ好きにしてくださいよ……何ですか。まるで、私が悪者みたいじゃないですか…」
「ご、ごめんね…?」
――日差しが暑い。
不機嫌に顔を逸らすが、身長差も相まって、謝りながら抱きついてくるユメの胸がホシノの頭部を包む。暑苦しくて無理やり離れるが、やはり眼前の怪しい幼子を放置してこの場から離れる事は出来ない。
またすぐにでも介入出来る位置に控え、ホシノは先輩と幼子の会話を見届ける。
「……………」
「…君の名前、聞いてもいいかな?」
「……めい、れい……?」
「め、命令!?そんな仰々しいモノじゃなくて…えっと、自己紹介!わ、私は梔子ユメ!これでもアビドス高校の生徒会長だよ?」
「…………………」
言葉の応酬が成り立たない。
ホシノは内心で、冷たく断ずる。果たして拙いのは幼子の在り方なのか、ユメの不慣れな対応なのか。
名も知らない中性的な幼子――その瞳は
虚空に向けられ、何も映らない瞳は推定でも十に満たない齢の子供のして良いモノではなかった。
黒い布切れを纏い、然し露出された四肢には夥しい傷跡――消えない手術痕から始まり、火傷、最近出来たであろう青痣や裂傷が素肌を汚す。
虐待を受けていたのは明らかだ。それも単なる虐待ではなく、何か明確な目的を持ってして意図的に付けた傷だ。人権など切り捨てた
可哀想だ、と感じるよりも先に恐怖すら覚えてしまう。人間とは未知を恐れる生き物だ、とは何処で聞いた文言だっただろうか。
ホシノにとっての"最悪"はアビドスの現状であり、言わば救いのない状況での孤軍奮闘を指す。だからこそ、それ以上に過酷な環境で生きて来たであろう幼子の軌跡を想像するだけで背筋に寒気が走るのだ。
――嗚呼…
悲しく、嘆かわしく、悍ましく穢らわしく、不快で癪で怖気が湧いて――
「…別に命令で良いんじゃないですか?」
故に、ホシノは一つの譲歩をする。
「う、うーん…?でも小さい子供に命令するって、事案発生じゃないかな……」
「……そういう段階ではないでしょう?…それに、事案だとしても……貴女は放っておかないと思いますよ」
「…………うん、決めた!この子はアビドスの子にします!!」
「……………………は?」
乾いた空気に乾いたホシノの声が響く。
アビドスの子にされる予定の幼子は、何も捉えていない空虚な瞳でありながら僅かばかり、首を傾げた。
◆◆◆
「いやー、おかしな出逢いだったよね〜。キミって明らかな厄介事だったもん」
簀巻きにした宇宙服を引き摺り、ホシノは懐古に浸る。たった数年前なのに、何十年も前のように感じてしまうのは何故なのか。
忘れられないくらいの後悔。今も引き摺り続けている、きっとこれからも。今でも死にたい、逃げたい。
それでもホシノが前に進んでいるのは残された後悔――彼岸キミや、アビドスの後輩たちが居るからだろう。先輩に残されて、託された。ならば最期まで役目を果たして、少しでも大切な人達を幸せに近付けよう。
――それが赦しを求めない少女の贖いだ。
「ゆうて、ホシノさんが一人だったとしても拾ったっしょ?反抗期だった頃のホシノさんでも」
「……さぁてね?どうだっただろうね」
「ケッ、悪い子ぶりやがって。ホシノさんはホシノさんが思ってるよりも良い子だぜ?」
「うへへ、キミにとっては憧れのお姉さんだったのかな?私って」
「チビだし生意気だし二~三歳くらいしか変わらんと思ってやした」
「縛ったまま置いていくよ?」
「とても妖艶で…えっちだと思います。抱けるね」
「縛ったまま置いていくね?」
「大人ぶってるけど可愛いっすね。童顔で小柄なのに、結構クールで。ギャップ萌えの典型例かってくらいだよね。ホシノさんになら抱かれてもいいってくらいには好いてるぜ?」
「……縛ったまま置いていくから」
「なんて言えば正解なんねん…」
言葉とは相反して、ホシノは簀巻きの生徒を引き摺り続ける。絵面的には幼女が1.8Mの宇宙服を引き摺り回しているのだが、幸いというべきか。
薄暗くて見えづらく、そも、アビドスには人が少ない。通報されることもないだろう。
形だけの笑い声を上げて数秒、沈黙が訪れる。一応、素顔では数年ぶりの再会だ。話す事はあるのだろうが、然しホシノにとっての"彼岸キミ"との会話は酷く一方的で、突き放すモノだった。
「……思い出すね」
「っすねぇ」
――
これまでホシノが無意識に避けていた帰り道だ。数年前はここまで砂で埋まっていなくて、もう少し人通りもあった。
変わってしまったのだ。時間によって、この風景も二人の性格や関係性も。それを成長と断ずることが出来ないのだから、難儀であると自分達で自覚はしている。
「………変わったのに…その実、全然変わらないのかもね」
「簡単には変わらないわな、人間ってのは。何千何万と年月だけを重ねてもね」
「じゃあ…キミは変わらないの?」
「さてね?変わらないんじゃなくて、
「
「猿真似と鏡を同列にしたくはないんだけどなぁ…や、感性の強要こそがそういう事なのかもね。知らんけど」
嘗ての、そして心に眠る相棒は彼岸キミを『鏡』と言った。だからこそ彼岸キミは自分を鏡と捉えるが、ホシノは違う見方をしているのだろう。
観測こそが結果を産むなら、ホシノは観測しない。自分の認識を他人に合わせて、染められてあげたりはしない。
他の誰でもなくホシノの定めた在り方は表面上は変わろうとも、内心は決して変わらないのだ。変えられないのだ。
改めて辺りを見渡し、やはり既視感の薄い思い出の帰り道に懐古を重ねた。
◆◆◆
「……だから、命令しなくてもご飯は食べてもいいんだって。お風呂だって着替えだって、自分の判断でしてもいいから」
「…………ごめん、なさい……」
「あ、謝らなくても…………や、やりづらい…!」
幼子――彼岸キミを拾ってから一週間、未だに出生の不明な子供は小鳥遊ホシノの家で世話をしていた。
最初にユメを攻撃した故にホシノが預かる事になったのだが、やはり共同生活には難儀している現状。
彼岸キミは不思議な子供だった。相手が野生児や文明の利器に疎い存在であった方がホシノも頭を悩ませなかっただろう。
まず、彼岸キミは意志薄弱児だったが無知無能ではなかった。寧ろ基本的な暮らしであれば問題なく自活が可能なレベルで家事も出来る。
たった一つ、『命令』さえ挟めば自分で最低限の食事を作って食べ、風呂に入り、着替えて眠る。
だが――
命令しなければ何も食べない。命令しなければ睡眠すら取らない。
(……どんな環境で過ごしたら、こうなるの…ッ!?)
徹底的な、残虐的な、想像も及ばないような
「…………」
「……ん、なに?」
「……な、にを……すれば、いい…?」
「いや、だから。それを自分で考えて――」
「だれを、
「……は?……な、なにを…」
真紅の瞳は伽藍堂だった。
根源的な恐怖。慄き後退るホシノに首を傾げ、然し彼岸キミはおもむろに自身に生えていた真っ黒な蝙蝠を連想させる翼に手を掛け――
「……んっ……!」
――ブチブチ、と肉の裂ける音がホシノの耳に谺する。
幼子の半身を包む程の羽根が人体から切り離され、床を夥しい量の鮮血が染め上げる。
その光景をホシノは正確に認識出来なかった。まるで背筋を伸ばして骨を鳴らす様に、ただただ慣れて機械的に、その幼子は自分の一部を欠損させて差し出しているのだ。
無感情に、無表情に。痛みに喘ぐ事も無く行われた行為はホシノの常識からあまりにも逸脱していた。
「なっ…何してるの!?血が…ッ、う…動かないで!直ぐに治療するから!!」
「……めいれい、なら……」
「命令!動くな!!」
「……………」
何か傷を――幅のある裂傷を抑えれる布はないか。質素なリビングには物が酷く限られており、今からバスタオルを取りに行く時間も惜しい。
一秒にも満たない葛藤の後、ホシノは迷わず自分の着ている制服を脱いで彼岸キミの傷――腰裏に押し当てて圧迫する。
少しでも時間を稼いで、救急車を呼ぶのが最善だろう。こんな寂れた土地でも病院くらいはある。体全体を使って圧迫していた故にホシノ自身も血に汚れ、それでも構わず携帯端末に手を伸ばした刹那――気が付く。
「……え」
彼岸キミに押し当てている制服が全く血を吸っていない。寧ろ上半身が下着姿であるホシノの身体の方が余程血に汚れている始末。
奇妙に思い傷から制服を離すと――
「……血が、止まってる……?」
「………?……すうじつ、で…さいせいする……から、たくさん……使っても、いいよ…?」
「さい、せい…?」
「ん………
「後付け…?まさか……いや、そんな…!有り得ない…ッ!!」
果たして、他の生徒の身体的特徴を他の生徒に移植する事は可能なのか。左右非対称の翼も、両耳で形の違う耳も、頭に生えている種族の違う二つの獣耳も、複数種類のツノも。
全てが
――不可能だ。
混乱しているホシノにもそれだけは断言出来る。内臓や肌の移植とは話が違うのだ。無い筈の場所への移植、言わば一人の人間に対して手や足を追加で複数本移植し、神経を通し、問題なく動かしている事に等しい。
故に不可能だ。それが再生する事も本来ならば有り得ない。人間として――生物として破綻している。
そして何よりも、それが彼岸キミにとっての
まだ幼い子供。自分よりも小さな命。
その在り方があまりにも悲しくて、ホシノは肩を震わせる。怒りもあり、困惑もあり、悲しくもある。自分でも分からない感情の渦に埋もれ、でも一つだけ理解もしていた。
泣きそうだった。それでも、震える喉で精一杯に声を上げた。
「………二度と、自分を傷付けないで」
「……めいれい?」
「違う!お願いだから……頼むから…もう、そんな事しないで……私達が…私が、キミを守るから!!」
「…おねがい………?」
彼岸キミの記憶が掘り起こされる。
自分で殺し、喰らって自分のモノにした相棒の最期。マダムの命令を上回った『頼み』や『お願い』。あの頃よりも自我がずっと薄くなるまで
何も解らなくなっている。
何も分からなくなっている。
何も判らなくなっている。
考える事を禁忌とされていた。想う事を忌避されていた。無感情なモルモットを強制されて、心を殺すために非情な命令を受け続け。
闇の跳梁者と呼び恐れられた。何人も殺した。心を殺して何も考えないようにしていたのに――
「………うん……おねがい、なら……しゃーない…」
――今度は、今だけは……信じてみたいと思った。
なお、この後にアビドスから追い出されて()狐に拾われるモノとする。