由良来祓魔譚   作:マキアン

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意思

 

『マジか。五体満足たァ、オマエらすげえな』

 

 呑気な声が聞こえた。

 悲鳴を上げる身体はどうしようもなく限界で、辺りを警戒することはおろか、立ち上がることすらままならない。

 

『アー、いいわ。立ち上がるな、女』

 

 ガっと頭を踏みつけられて動きを止められる。

 横目で周りを見れば、周囲は不自然なほどに拓けていた。生き物の気配も何も感じられない、溢れた地獄が通った後のような有様。

 少し先にはぴくりとも動かない白髪の女祓魔師の姿。界異の言葉の通り、五体満足で生きている己。

 

 なるほど。自分は庇われたのか。

 

 由良来は唇を噛み締めて不甲斐ない己を呪った。

 結局足手纏い。肉壁にすらなれなんだ。

 無力だった。

 

『……チッ、この身体も限界か』

 

 ぼとりと顔の隣に何かが落ちる。

 ソレを見て由良来はぎょっとした。

 

 それは人の腕だ。青白く変色して腐りかけているが、間違いなく人間の、それも自分とさほど年も変わらなさそうな少女の腕であった。

 

『それかァ? それはあの女、アサカトキの仲間のモンだ』

 

 【アラハバキ】は聞かれてもいないことをペラペラと語り出す。

 動けない由良来はそれを黙って聞くことしかできない。

 

『オレサマは強過ぎるがゆえに人間に取り憑かねえと存在を保つことができねェ。本体でもこのザマさ。いや、オレサマ本体に取り憑かれたら、コイツみたいにすぐに腐っちまうがな』

 

 悍ましい、という感想しか浮かばなかった。

 それは人間的な感性だから、なのだろうか。

 いや、それ以上にこの存在を忌避する本能のようなものがあった。

 

『でもってよ。他にもいろいろ力は持ってんだが、オレサマの穢れは肉体侵食に特化してる。あの小賢しい紙があろうと、まともに喰らえばどんな祓魔師も助からねえ。それはあそこで寝てるアサカトキも一緒だ』

 

 指差した先に目を向ければ、やはり刀岐はぴくりとも動かない。息をしているかさえ定かではない。

 

『で、何でこんなことペラペラ語ったか分かるか?』

「……私の身体を奪うため?」

『ご名答! バカっぽいが頭の回転は悪くなさそうだなァ』

 

 バカは余計だと言い返す気力も無い。

 しかし、身体を奪われる? そんなこと許容できるものか。

 

「嫌だと言ったら?」

『ふむ。まあ、そうだなァ。どういうわけだかオマエはオレサマの穢れを受けても極端に影響がねェ。アサカトキが庇ったから、と言えばそれまでだが、できることならオマエみたいなレアケースは無傷で乗っ取りたいわけだ』

「無理な話ですね」

『だよなァ』

 

 だが、と言って【アラハバキ】は続ける。

 その顔は隠しようもないほど愉悦に歪んでいた。

 

『女ァ、オマエ、こっちの女を助けてやるって言ったらどうする?』

「え……?」

『だからよォ。アサカトキの命と引き換えにオマエの身体を開け渡せって言ってんだよ』

 

 その取引はこれ以上なく甘美なものだった。

 ただ肉体を奪われるのではない。誰かの命を助けて犠牲となるのだ。

 由良来にとっては何より意味のある提案であり、疲労困憊満身創痍の由良来にはそれを拒めるような正常な思考はもう既に残っていなかった。

 

「……死ぬほど嫌ですけど、それなら、まあ」

『オウ』

「約束は守ってください」

『無論。オレサマ【アラハバキ】は約束は破らない界異って評判だからな』

 

 相手は界異だ、信用などできない。

 しかし、他に打てる手もないのだから仕方ない。これは、仕方ないのだ。

 

『オレサマはオマエみたいな無垢なニンゲンが好きだ。そういうニンゲンに取り憑いて堕落と暴虐の限りを尽くす。タマラン』

「きも」

『ハハッ、手厳しいヤツだ』

 

 死にたくなんてない。

 だが、【アラハバキ】に取り憑かれたなら、間違いなく在原由良来の魂は死に存在もまた無かったことになるだろう。それよりも悍ましい結末を迎えることになるのかもしれない。

 

 

 だが、路傍の石でも人を救えると証明するにはこれ以上ないではないか。

 

 

「好きにしてください」

『言われなくても、なァ!』

「えぁ、ごぼっ!?」

 

 仰向けに寝転がって全てを放棄した由良来目掛けて、【アラハバキ】はその身を流体に変えて飛び掛かる。

 穴という穴から少女の中に侵入し、自らを馴染ませていく。息を吹き返さぬよう、念入りに少女の意識をすり潰しながら。

 

『すげえな、めちゃくちゃ馴染みやがる』

 

 ああ、何と具合の良い。まるで母の胎に還るかのような。

 そこまで考えて【アラハバキ】は自らに母などいたためしがないことに気がつき浅く嗤った。

 

 

 ◾️

 

 

「(あー、これ苦しいですね)」

 

 痛みなのかすらわからぬ苦しみを味わいながら、由良来はそれだけを考えていた。

 まだ意識はある。それが良いことか悪いことかで言えば、苦しみが長く続く分、確実に悪いことだろう。いっそ早く、苦しみもなく消えられれば、そう願う。

 

「(結局路傍の石のままでしたか)」

 

 自分みたいな人間でも、路傍の石でも誰かを助けられる、それを証明するためにこの世界に踏み込んだ。

 今日、【黒百足】を追ってこの森に迷い込んだのも、逃した先で誰かが傷付くのを想像したら居ても立っても居られなかったからだ。

 

 いつも人のこと人のこと。そうやって傷付いたりしたことも一度や二度ではない。それは現状が何より示している。

 つくづく、損な性格だと思う。変えようと思ったこともないのだが。

 

「(死にたくないな)」

 

 死にたくない。死にたいから戦っていたのではない。誰かの助けになりたいから、そして証明のために戦っていたのだ。

 死にたいなどと、思ったことはただの一度もありはしない。

 

 もう、身体がぴくりとも動かせない。きっと【アラハバキ】にほとんど乗っ取られたのだろう。

 これで本当に終わり。

 

 

「(……なんで、私諦めてるんですかね。まだ何もしてないのに)」

 

 

 ふと、少女は気が付いた。

 まだ何もしていない。界異をちょっと倒して、そして足手纏いになった挙句、今は界異に身体を乗っ取られそうになっている。それだけだ。

 

 

『クハッ、いいぜ、この身体ァ。ンンンン、馴染む!」

 

 少女の声で歓喜を叫ぶ。

 

 穢装等級V、知名度、強さ共に文句無しの五号級界異【アラハバキ】。

 境界対策課の戦力でも本体とまともに打ち合い、致命傷を与えることのできる者は片手で数えるほども、いや今となっては一人もいない超級界異。

 

 そんな彼の最大の失敗。

 それは彼が気まぐれな性格だったから、ではなく、無垢な人間に取り憑いてこの世界を面白おかしく壊してやろう、という歪んだやり方を選択したから、でもない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 ただ、その一点のみだった。

 

 

「(まだ、何もしてない)」

 

「(そうだ。私はまだ何もしてない)」

 

 

「(路傍の石のまま死ぬなんて、嫌だ……!!)」

 

 

 路傍の石にも、意志があった。

 そして今は、それだけで十分だった。

 

 

 

『「────まだ、死にたくない!!!!」』

 

 

 

 その一言がトリガーになった。

 意識が段々と覚醒する。

 倦怠感が嘘のように消え去って、身体の主導権を回復していく。

 

 【アラハバキ】から【在原由良来】に成る。

 

『な、ァ……!? なんでだ!? なんでオレサマを跳ね除けて!? そんなバカなこと!」

「クソキモ界異に乗っ取られるなんて、真平ごめんです。身体、返してください!』

 

 もう【アラハバキ】にはどうすることもできなかった。

 由良来の体内に自身の全てを収めてしまった今、外から由良来の妨害をすることも出来はしない。どういうわけか内側からも出られそうになかった。

 詰みだ。

 

 この世界で意識を得て初めて、【アラハバキ】は恐怖していた。

 

『クソ、クソクソクソクソクソォ!! オマエ、オマエ!! クソがァ!?』

「ぐぁっ、ぁぁあっ!」

 

 蹲り堪える。

 痛みと熱さ、不快感。内の【アラハバキ】が抵抗しているのだろう。内臓がずたずたに傷つけられているのは想像に難くない。

 

 しかし、奇妙なことが起きていた。

 痛みを感じる度に、ほんのりと温かさを感じて。

 それを繰り返す内に、痛みもほとんど感じなくなっていった。

 

『ァア!? どうなってやがる!? オレサマの穢れに適合したってのか? 小娘がァ? しかも完全同化で外にも出られねェ? んなバカな話があるか!』

 

 どうやら【アラハバキ】の言葉の通りになっている。自分の身体だからこそ、それが感覚的に由良来にはわかった。

 傷つけられたそばから自分ではなく、【アラハバキ】由来の再生力で回復しているようだ。より強固になるおまけ付きで。

 

 それを実感して、由良来は笑った。

 もう、痛みは感じなくなっていた。

 

「く、くふふ。私の、勝ち、みたいですね……!」

『クハ、クハハハハ! 面白ェ。ぜってェ奪い返してやる……! それまでこの身体、大切にしときやがれ……!』

「言われなくても、私の身体は私が守ります、変態界異!」

『……オマエ、気に入ったぜ。自由になったら真っ先にブッコロス!』

 

 そう吐き捨てたが最後、【アラハバキ】は沈黙した。

 

 

 路傍の石が、最強に程近い化け物を打ち倒した瞬間だった。

 

 

「はぁっ、はあっ、はぁっ。おえっ、おええぇ」

 

 胃の中身などとうになくなっていたが、不快感を吐き出したい一心で由良来は嘔吐いた。

 ひとしきりそうした後、この場にいるもう一人の存在を思い出した由良来は顔を上げて、

 

「───貴女は、【アラハバキ】? それとも祓魔師?」

「ひっ!?」

 

 目の前に突き付けられた黒不浄の切先に悲鳴を上げた。

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