由良来祓魔譚 作:マキアン
彼らにはさまざまな謂れがあって、人々の営みを侵すように在り続ける。
それこそが境界の異常。それを正すために境界対策課が、そして私達祓魔師が在るのだ。
だが、もし仮にそんな境界を無くせるような人間がいたら?
果たして境界は曖昧になってしまうのか。
それとも境界というモノは更に強固なものとして、人々と界異を隔てるのだろうか。
その行く末を、私達は知らないのである。
──朝霞刀岐の手記より抜粋──
『在原さんは本当にお人好しなのねぇ。先生、みんなにも見習ってほしいわ』
お人好しだと言われた。
頼まれたことを断らなかっただけだ。
『これだけ優しい子なら、お父さんもお母さんもさぞ鼻が高いだろうな』
優しい子だと言われた。
誰かを傷付けるとか、そんなことは考えられなかったから代わりに傷付いた。
『良い子過ぎて不気味ね』
『そんなこと言っちゃ駄目よ。良い子なのには変わらないんだから』
良い子だと言われ続けた。
そうしている方が気が楽だったから。
本当はそんなことない。
私だって人のことを嫌いになるし、嫌なことはやっぱり嫌だ。
私は臆病な我儘だった。
『あ、わりい由良来。父さん、お前の貯めてたお金使っちまった』
小学生の頃、貯めていたお小遣いを父親に全て使われたことがあった。
なんでも、酒と賭け事に必要だったらしい。働いていないから金が無いのだと悪びれもせず。
それ以来、父のことが大嫌いになった。
『由良来。あの人は本当は良い人なの。信じてあげて』
父のことを良い人だと言い続けながら、母は一人働き続けた。
それが祟って死んでしまった。最後まで私ではなく父のことを想っていたように思う。
それ以来、母のことが大嫌いになった。
『ちっ、あいつなんで死んでんだよ。ガキの世話押し付けやがって。俺は嫌だからな』
『由良来ちゃん、誰も引き取らないじゃない』
『あの男の子供なんですって』
『どうせろくでもない性悪に決まってるわ。私は嫌ですからね』
『……しかたねえ。うちにこい、由良来』
父は私の養育を渋り、嫌味な親戚を盥回しにされた挙句、祖父のもとで暮らすことになった。
祖父は目が見えない人で、表情も変わらないものだから何を考えているかわからなかった。こんな人の養子として暮らすなんて考えられなかった。
私は不幸だ。
自分のことが可哀想で仕方なかった。
だけど、自分のような子供はこんな時代にはたくさんいるということも、中学生ながらに私にはわかっていた。嫌に自らの境遇に納得してしまっていた。
『私なんて、いてもいなくても変わらない』
私は路傍の石なのだ。
見向きもされず、蹴られて傷付いても誰も気にも留めない。
『たった一度の自分を棒に振るのか?』
不貞腐れた私に祖父が言った。
『たった一度だから何? 自分のために生きろとか言うつもり?』
『いいや違う。自分のためとか誰のためとか、それ以前の話だ』
祖父はゆるゆると首を振って否定すると、真っ直ぐに私の目を見た。
その目はとっくの昔に盲いていて、私の目なんて見えるはずもないのに。
それでもその時だけは、私の全てを見透かすような底知れなさをたたえて、彼は私を見ていたのだ。
『
『それができなくば生きている意味などありはしない』
『在原由良来であることを、精々使い潰せ』
そうだ。
祖父の言葉は私の曇った心を晴らした。
私という路傍の石に、意味を与えてくれた。
どうせこの先ろくでもない人生しか待っていないのだ。
なら、普通の生き方はやめよう。私には向いていない。
どっかで野垂れ死んだっていい。
死ぬまで、抗い続けよう。
私が、
『私、人助けしてくる』
人助け。これであれば何もできない私にもできる。いや、私が得意なもので、私が息をするようにできることだ。
ならばきっと、私がするべきことはそうなのだろう。
確固たる想いを秘めて告げた言葉を聞いて、祖父は初めてふっと笑みを零した。
『おう、行ってこい。何があっても戻ってくるな』
『わかってる。証明するよ、路傍の石にだって人助けくらいできるって』
中学を卒業する直前、私は地元の高校に進学するという道を捨てて、一人上京した。
祖父が死んだのはその翌日のことだった。
◾️
考えろ。考えろ、在原由良来。
せっかく拾った命だ。まだ使える。無駄に捨てることはできない。
「わ、私は在原由良来です! その、アラハバキ、なんかじゃ……!」
「そう言い切れる確証は? 本体ともなれば取り憑いた人間の意志を模倣できる可能性もある。私が貴女を斬らなくて良い証拠は無いの?」
かちゃりと黒不浄が鳴る。
喉元に突き付けられたそれを見遣ってごくりと喉を鳴らし、由良来は必死に言葉を探す。
「私は……!」
アラハバキかどうかなんてどうでも良い。学のない私には証明もできない。
上手く回らない口を歯痒く思いながら、それでも私は在原由良来なのだと、そう吠えようとした時であった。
突然、黒不浄がぬかるんだ地面に落ちて、次いでどさりと何かが倒れた。
いや、何かだなんて言うがそれが誰なのか由良来には分かりきっていた。
「ごふっ」
「っ!? だ、大丈夫ですか!?」
倒れ込んだ刀岐を仰向けにして、由良来ははっと息を呑んだ。
暗いがゆえによく見えていなかったが、刀岐の身体は全身至る所が黒く変色していた。
「うぐっ、ぁ……!」
「ど、どうしたら……」
そうだ。目の前の祓魔師は自分を守るために身を挺してアラハバキの一撃を受けたのだ。
アラハバキも自分に取り憑く前に言っていたではないか。自らのは侵食に特化した穢れであると。
なんにせよ、このままでは先は長くないだろう。
できることを探して、彼女を救わなければならない。
「……!」
そこで由良来は一つの考えに至った。
これの元凶は何だ?
アラハバキだ。アラハバキの何らかの力によって目の前の祓魔師は汚染されている。
そしてそのアラハバキは今、自分の中に在る。
気持ちの悪い感覚だが、先から内の異物感をひしひしと感じている。
目の前のこれはアラハバキによって引き起こされた異常、穢障だ。ならば他でもないアラハバキであればそれを治すこともできるのではないか。
正確にはアラハバキ本体ではなく、アラハバキの力であれば、だが。それでも今は他に考えられる手立てがない。
どれだけ不可能に思えることでも、それをやるしかないのだ。
「なんとか、なってください……!」
手のひらを刀岐に翳して、必死になって感覚を手繰り寄せる。
死なせるわけにはいかない。
「っ」
翳した手のひらに向けて、刀岐の身体中の穢れがドロドロと吸い込まれてゆく。
加護なんて大したものは宿っていない。
生まれてこの方祓魔術なんて使ったこともなければ、使える人の感覚なんて知りもしない。
だが、今この時だけは慣れ親しんだ感覚のようにそれが繋がった。
「ぐぅっ……! 気持ち悪いけど、我慢……!」
それはアラハバキが体内に流れ込んできた時と大差無い感覚。自分の中をどす黒いもので汚される悍ましさ。
こんなもの、人間が受け止めて良いものではない。まるで自分が人間ではなくなってしまったかのような、そんな気にさえなってくる。
純粋な不快感を堪えながら、時間にして数分。
由良来の目の前には、顔は未だ青白いながらもそれ以外には異常は見受けられない刀岐の姿があった。
「すぅ……すぅ……」
「よかったぁ〜」
寝息を立て始めた少女を見て、由良来は安堵する。
これでなんとかなった。後は彼女を連れて、自分の班と合流をして……。
「あ」
そこまで考えて、由良来は自分の身体の中で確かに息づくソレの存在を思い出して頭を抱える。
このまま合流しては十中八九不味いことになる。自分は命令違反を犯した挙げ句、体内に界異を宿しているのだから。何から説明したって拙い。
ならばどうすることが正解なのか。
「ごめんなさい……!」
自分は彼女の命を今救ったのだ。
元はと言えば無闇に助太刀して窮地を作り出してしまった自分が悪いのだが、結果的に彼女が追っていたアラハバキは自分の中で大人しくなったのであるし、自分にできることはした。そう思いたい。
心の中で言い訳をつらつらと重ねて、由良来はその場から逃げ出した。