由良来祓魔譚 作:マキアン
「……」
気まずい。なんて気まずいのだろうか。
廊下に半ば強制的に連れ出された由良来は何とも言えない居心地の悪さを覚えながら、目の前で黙り込んで自身を見つめてくるだけの刀岐の言葉をただ待っていた。
ただごとではない雰囲気に、廊下を行く職員達が皆一様に二人の様子をちらりと見遣っては自らの忙しさを思い出して過ぎ去って行く。
腕を組む刀岐の、淡い色合いの狩衣の上からでもわかる豊かな双丘、それに無意識に目が行ってしまいながら。
由良来は幻想的にも見える儚い容貌の少女の、その無言の圧にタジタジになるほかない。
「ええっとぉ……?」
『(なあ、相棒。バレてんじゃねえか?)』
由良来自身、人と話すことは得意でも苦手でもなかったが、こうしているとまるで自分がコミュニケーションが苦手であるかのように思えてくる。
堪えかねて声を上げるも刀岐は一切反応を示すことなく、また一分ほど、由良来からすれば永遠にも思えるような時が過ぎて、ようやく銀の少女は口を開く。
「在原由良来」
「は、はい!」
名前を呼ばれただけだというのに身が引き締まる。
首に手をかけられている、そんな風にすら錯覚してしまう。いや、なにか罪悪感のようなものを覚えている自分は、確かに今この時、この首に手をかけられてしまっているのかもしれない。
冷や汗が一筋、額から流れ落ちる。緊張の糸が張り詰める。
「────貴女はアラハバキ?」
「え?」
『(相変わらずこの女、直球でしか会話できねえんだな)』
その問いに由良来が呆けたのも束の間、刀岐は胡乱な目を向けて言葉を続けた。
少なくとも、現状では刀岐の中で在原由良来はイコールアラハバキとなっているらしいことは、普段人の機微にそこまで聡くない由良来にも分かった。
どうしよう。どうしたら。どうすれば。頭の中で慌てふためく。誤魔化しなんてできなさそうだけれども、なんとかして誤魔化さなければ。
いや、そもそもなぜ誤魔化さねばなないのか、自分はアラハバキではないというのに。だが、それを証明する手立てもまたどこにもありはしないのだ。
刀岐はそんな由良来に向けて二本指を立てる。
「貴女には二つ選択肢がある」
「せ、選択肢?」
選択肢、選ぶ権利くらいはあるというらしいが果たして。
そもそも、その選択肢が由良来にとってどういったものであるのか。兎にも角にも穏便なものではないだろうことだけはわかる。
「五号級界異【アラハバキ】として処分されるか、私の管轄下に入って処分されるまでの間、暫定在原由良来という扱いで延命するか」
「は、え……処、分?」
その物騒な言葉は人に使うべきものではなく、普段であれば冗談であろうと笑い飛ばせてしまうくらい突拍子もないようなものだが、今この時だけは明確に違った。
瞬間、ぶわりと溢れ出る冷や汗。じりと渇くような重苦しいプレッシャー。それが真実なんであるのか由良来には分からなかったが、少なくとも返答次第で本当に自分は処分されるのだろうという真は感じた。それほどまでの殺意だった。
喉が渇いて、ひゅっと声にもならない声しか出ない。
つい一ヶ月前まで戦いとは無縁の中学生であった由良来にそれは重過ぎた。
「……大切なことは自分で決めるといい。明後日まで待つ。逃げたら前者の選択をしたとみなす」
「っ、あ、あの……!?」
言うだけ言ってその場を去っていった刀岐の姿を困惑のまま見送って、由良来はしばらくその場で立ち尽くす他なかった。
「ど、どうしよう」
途方に暮れる、そんな言葉が正しく当て嵌まる。
こんな時に限って、うるさい同居人は何も言葉を発しはしない。
□
置いていかれた教科書とノートを他の職員らの邪魔にならないようにそっと閉じて。
一人、桃花は心配げなため息を吐いた。
「大丈夫でしょうか、由良来ちゃん……」
噂には事欠かないとある部隊の隊長。公的な組織である境界対策課におけるタブー。
朝霞刀岐。
曰く、境界対策課内で誰も手出しができない存在である。
曰く、班員を自らの手で殺している。
曰く、カミの生まれ変わりである。
曰く、
「……何の意味が」
最強だからなんだとか、そんなこと。桃花にとっては何の意味があるのか、理解できる気はしない。理解するつもりもなかった。
誰かが傷付くのは、それが誰であれ嫌だ。例えばその誰かが最強で、一人だけで全てをどうにかできるのだとしても。
その人がたった一人でも、傷つくことには変わりがない。
そんな最強に意味があるとは桃花には到底思えなかった。
「はぁ〜、怖かったぁ〜」
「お疲れ様です、由良来ちゃん。大丈夫ですか?」
大きなため息を吐いて項垂れる目の前の妹分に苦笑して、桃花は頬に手を当てて考えを巡らせてみて、すぐにそれを断ち切った。
自分のような存在にとって、最強の存在なんてものは縁遠い、それこそお話や映画で見るようなそれと変わりが無い。
かかわることはないだろう。そう思う。
どうして朝霞刀岐が由良来を呼び出したのか。
それは考えてもわからないし、由良来本人に聞いたとて答え難いことかもしれない。自分に何かをできる問題ではないことくらい聡い桃花にはわかる。
それよりも、今はどこか憔悴した様子の由良来をどうにか元気付けてやる方法を考えた方が良い。
「ね、由良来ちゃん」
「んぇ? なんですか、桃花さん」
やはり疲れているのだろう。いつもの快活な彼女とは思えない、気の抜けた返事。
ここは年上の者として、お姉ちゃんとして。私が人肌脱がなければ。
「明日は非番ですよね! なら、遊びに行きませんか!」
「あ、遊び……?」
遊びに行きませんか、そう言われて戸惑う由良来。確かに明日は非番であるし、そもそも無趣味な由良来は祓魔師としての仕事以外ではいつでも暇だが。
しかし同年代の人間との遊びすら満足にしたことのない由良来にはハードルが高い、そんな気がした。せっかくだから桃花と遊んでみたい、という気持ちもあるのだが。
もうひと押しとばかり、桃花は前屈みになり上目遣いで由良来を見た。
「だめ、ですか?」
「ゔっ…」
何やら呻き声をあげながら、顔を赤面させた由良来はタジタジになる。
男なら、いや女でも飛びついてしまいそうになるたわわに実った果実。それが目の前で歪み、その持ち主の可憐な少女が自分を見つめているのだ。内心は察することができる。
『(うひょー、こいつはすげえデカパイだぜ)』
「(うるさい!)」
……主に彼女の身体の同居人の、だが。
空気をぶち壊すようなアラハバキの言葉に由良来が怒りを露わにする。
そんなことよりも、今は目の前のお誘いだ。
「わ、わかりました。そ、それじゃ、また明日で……!」
「はい、また明日。待ち合わせ場所は後で電話かメッセージでもお話ししましょう」
「あ、は、はい!」
何故か緊張する。だが朝霞刀岐と対面していた時のようなそれではない、むしろどこか心地好さも感じる緊張。
由良来は若干声を上擦らせながら応える。
「では。あ、ちゃんと休んでくださいね。無理はしちゃダメですよ」
「……あ、ハイ」
別れ際まで自分を心配するような言葉をかけてくれる桃花に、感謝の念はたえない。
こんなに誰かから心配されたことは無かったかもしれない。だからありがとう、などと。そんなことを口に出せるほど由良来は自己分析もできていなければ、大人でもなかったが。
それでも、桃花の温かさが由良来には言いようもなく幸福なものに思えた。