グラナト伯爵の屋敷、その地下牢。
そこでフリーレンは幽閉されていた。
長年の魔族との戦い……それ終わらせる為の和睦の使者を街中で襲撃しようとしたフリーレンは、2、3年反省するように、と言い渡されてしまった所だった。
旅の仲間であるフェルンとシュタルクも、事情を聞けばその判断も仕方ないと、一先ずは引き下がる事しか出来なかった。
「悪手だね」
けれど、フリーレンは語る。
魔族の話す言葉に意味なんてないと。
ただ、人類を欺く為のものでしかないと。
和睦なんて、有り得ないと。
「ですが、魔族が作った野菜がこの辺りでは人気らしいですよ。
それを作っているのが、レーベという魔族……らしいです。
しかも、随分と愛想も良く、取引をした人達からの評判も良いとか。
ただ七崩賢『断頭台のアウラ』の配下の妻らしく、おいそれと手を出せないようですが……和睦のあかつきにはグラナト領に大量の作物を卸す準備がある……とか」
「食糧の為に人命を危険に晒すつもりなのかな。
理解に苦しむね。……それにしても随分と狡猾だ」
フリーレンは僅かに感心していた。
魔族らしからぬ策ではあるが、聞く限り上手く行ってしまっているようだ。
レーベという変わり者の魔族……フリーレンも少しだけ見ていたが、確かに少し他の魔族とは違うように見えた。
それが偽装だと仮定してもなお、その有り様は何匹もの魔族を見てきたフリーレンからしても異様に見えた。
「ま、私には関係ないか。今は大人しくしてる事にするかな。
ここは暇だから、魔導書の差し入れ待ってるよ」
フリーレンは思考を切り捨て、フェルンとシュタルクに向けて言った後、牢屋の壁に背を預けた。
そんなフリーレンの様子を見た二人は、顔を見合わせた後小さく息を吐いて、ゆっくりと牢屋から出て行くのだった。
「和睦なんて糞食らえだと、儂は思っている」
抜き身の剣をリュグナーへと向け、グラナト伯爵はそう断言する。
息子を魔族との戦いで喪い、死体すら帰ってこなかった。
そんな彼にとって、その下手人かもしれない相手と同じ空間にいるだけで反吐が出る思いだった。
和睦の使者を迎え入れたのも、引き込んで皆殺しにする為……。
そう語るグラナト伯爵に対して、リュグナーは慌てず、冷静な態度のまま、静かに口を開いた。
「……そうでしょうね。正直私も、あまり乗り気ではありません。
何せ、此方も何人もの同胞を貴方達との戦いで喪ったのですから」
リュグナーは真っ直ぐにグラナト伯爵を見返す。
そして、傍らに佇んでいたレーベの肩を掴み、抱き寄せた。
「ですが、私達と違い……レーベは戦う力も持たない。
気性は穏やかで、争いを好みません。
そんな彼女が平穏に生きるために……夫である私は尽力すると決めたのです。
私達には言葉があります。どうか、話し合いの機会を。
……それすら叶わないのであれば、せめて、レーベの助命を」
「あなた……」
そんなリュグナーの言葉に、感極まり、レーベは瞳を潤ませる。
リュグナーにすり寄り、その身を任せた。
レーベの頭を優しく撫で、穏やかに微笑むリュグナー。
そっと閉じられた瞳から雫が流れるのを見て、グラナト伯爵はその瞳を見開いた。
そして……暫しの思巡の後、その刃を鞘に納めたのだった。
「……奥方の人柄も作物の良質さも、聞いている。その言葉に偽りがないのならば……。
…………少し考えさせて貰う」
苦い表情を浮かべたグラナト伯爵を、三人の魔族はじっと見つめていた。
「……誰?面会時間ではない筈だけど」
フリーレンのいる地下牢、その牢屋の中へと一人の魔族が訪れていた。
「『断頭台のアウラ』が配下、首切り役人の一人……ドラートだ」
じっと見つめてくるその瞳に殺意を感じ、それでもフリーレンは座ったまま静かに問いかけた。
「ふぅん……何の用?」
「お前は危険だ、俺達の安全の為に、此処で処刑する」
そう言って殺意と魔力を滾らせるドラート。
それでもフリーレンは静かに言葉を返す。
「外交ごっこはもう終わり?」
「いや、これからさ。
俺は処分を受けるだろうが、後の事はリュグナー様とリーニエに任せる。
多少立ち位置が悪くなろうとも、お前を処刑する事が必須だと判断させて貰った」
そう語るドラートの視線には覚悟が滲んでいた。
それなのに真正面からか、と内心で呆れを滲ませる。
半目でドラートを見つめ、フリーレンは言葉を紡いだ。
「……言っておくけど、私は強いよ」
「俺よりもか?」
「『断頭台のアウラ』よりも」
豪語するフリーレンに、ドラートは小さく笑みを浮かべた。
「そうか……」
ピッ、と、不意にドラートが左手の人差し指を上げた。
その瞬間、フリーレンの首に何かが巻き付いた。
グンッ
その巻き付いた何かは、そのままフリーレンの体を吊り上げた。
フリーレンの首にはいつの間にか糸のようなものが巻き付いており、天井の梁を通して、ドラートの左手のと繋がっているようだった。
ぶらり、宙に浮いたフリーレンの四肢が揺れた。
「……首に魔力を集中させて切断を防いだか。冷静だな。
だが、俺の糸の強度は魔族の中でも随一……。
人類の魔法ではどうする事も出来まい」
ドラートは姿勢をそのまま低くし、体全体を使ってよりフリーレンを高く吊り上げる。
グィンッ
「持続力には自信がある。その不安定な姿勢で何時まで保つ?
根比べと行こう。その魔力毎切り裂いてやろう」
「成る程……この糸をどうにかするのは無理そうだ」
フリーレンの言葉に、ドラートは不敵な笑みを浮かべる。
磨き上げた自らの魔法、その成果が出たようで自尊心が満たされてしまったのだ。
……ドラートはこの時、ほんの少しだけ油断した。
この少女は魔力こそそこそこだが、手練れの雰囲気を醸し出していた。
更にはリュグナー様が警戒するのだから、油断なく事を済ませてしまおう。
そう心に決めていたのに。
「……今、油断したね」
ズバンッ!
フリーレンの手が動いた、そう認識した時にはドラートの左腕は切り裂かれていた。
解放されたフリーレンがふわりと着地し、ドラートの目が見開かれる。
自分の切り裂かれた腕に視線が向いたのは一瞬。
「ちっ……!」
即座に意識を切り替え、無事な右手に糸を発生させて切り裂こうと腕を振り……。
「遅い」
その腕すらも切り裂かれた。
フリーレンは一気にドラートと距離を詰め、その首を両手で掴み、そのまま押し倒した。
ドサッ
「……くそっ」
フリーレンの手に魔力が集い、次の瞬間に自分が辿る末路を察してしまったドラートは、苦い顔で悪態をつく。
リュグナーの考えは間違っていなかった。
やはり、この少女が最大の障害だった。
惜しむらくは、手段を選んでしまった事だろうか。
真正面から挑んでしまった自分の浅はかさに、後悔が募る。
「……まず一匹」
何の感情も浮かばないフリーレンの瞳に見下ろされ、次の瞬間にドラートの首に衝撃が走った。
視界がガクンと揺らいだ次の瞬間、その意識は闇へと落ちていった。
「……悪くない魔法だった」
そんなフリーレンの、誰に言ったかもわからない呟きが地下牢に響いた。
「この襲撃を伯爵に報告して……」
塵と化し始めたドラートから視線を外し、フリーレンは呟く。
この後どうするか……と思考していた、その時だった。
「うぇええん!ドラくん!ドラくん!死んじゃダメです!」
そんな声が、突然地下牢に響いた。
フリーレンは目を見開いて振り返った。
魔力探知は、切っていない。
間違いなく、その一瞬前まで、そこには誰もいなかった。
「うぇええええええええん!なんでぇ!?
帰ったら手伝ってくれるって言ってたじゃないですかぁ!」
にも関わらず、そこにはドラートだった塵を掴み、涙を流す魔族の女がいた。
レーベと呼ばれていた魔族は、ポロポロと大粒の涙を流し、そこに座り込んでいた。
いつ現れたのか、何処から来たのか、何故いるのか。
フリーレンの頭にいくつもの疑問が浮かび、グルグルと回る。
「ドラくん……なんで……嫌だよぉ……。
ドラくんのとうもろこし、まだ収穫してませんよ……?
死んだらもう、一緒に出来ないじゃないですか……。
うっ……うぅううううううう……!」
けれど、何よりも、同族の死を悼むレーベの姿が、フリーレンの心を揺さぶった。
理屈ではわかっている、殺されかけたのだから当然だと。
理性ではわかっている、魔族のこれは此方を欺く為だと。
命乞いをする魔族なんて、容赦なくいくらでも殺してきた。
けれど……心が痛まない訳ではない。
目の前でただただ涙を流す、無防備な魔族。
それに対して、体は即座に処理するべきだと判断し、気付けば手をその魔族へと向けていた。
「……」
フリーレンは心を殺し、涙を流す魔族に魔法を放つ。
目の前にいる無防備な魔族を、見逃す事なんて出来なかったから。
「ドラく――」
ズバンッ
ポンッ
「ドラくん」
「レーベ……すまない、失敗してしまった……。
約束も、守れなくなったな……」
「ううん、大丈夫ですよ」
「あれは危険だ……リュグナー様とリーニエにも、忠告を……」
「わかりました。伝えますよ」
「ああ……そうか。ありがとう……すまない」
「いいえ、いいえ、此方こそありがとうございました」
「……この二十数年は……楽しかったな」
「ええ……私も楽しかったです」
「だが、これで……終わりか。少しだけ、寂しいな……」
「大丈夫です。ドラくん、私達はずっと一緒ですよ」
「そうなのか……?そうか……なら、良いか……」
「はい……おやすみなさい、ドラくん……」