「…………え?」
フリーレンは、その言葉が自分の口から漏れたのだと暫く気付かなかった。
あまりに呆けた声色で、自分の声だと認識出来なかったのだ。
だが、それだけ今目の前で起きた現象が衝撃的だった。
『
情け容赦なく、一匹の魔族を消滅させるに不足のない、いやそれ以上の威力を込めた。
にも関わらずその光線は……。
「ん……ご馳走さま」
殺そうとした魔族との間に突如現れた魔族の前で、消えた。
防いだ、弾いた、受け流した、ではない。
消えたのだ。
『
けれど、そう容易く消せるような魔法でもない。
それは『
にも拘らず、その魔族は何もなかったかのように、自身の唇をペロリと舐めた。
その身には傷一つなく、その白いドレスのような服についた埃を手で払っていた。
褐色の肌に、頭の左右から生えた角、その顔には微笑みを浮かべてフリーレンを見つめ返していた。
フリーレンは油断なくその魔族を見つめ続けていた。
杖を握る手に思わず力が入る。
今こうして対峙しても、先程の現象がなんだったのか、まったくわからなかった。
魔法ではない、魔力は感じなかった。
いや、そもそも目の前の魔族からは
自分がしている魔力制限や、魔族が不意打ちする為に身を潜める時の魔力隠匿ではない。
そんな未知の存在に、フリーレンは強い警戒を抱いていた。
だが、そんな警戒し杖を向けているフリーレンを気にする様子もなく、その魔族はくるりと背中を向けた。
そして、泣き崩れていた魔族、レーベへと向き直ったのだった。
「レーベちゃん」
静かに名を呼ぶ魔族に対して、レーベは呆然とした様子だった。
やがてその顔がゆっくりとあがり、その魔族の顔を見初めると、その表情をくしゃりと歪めた。
ぶわりと涙がまた溢れだした。
「トート……ちゃんっ……!」
レーベはその魔族の名を呼び、その体にすがり付いた。
わんわんと声をあげしゃくりあげ、悲しくて堪らないと感情を爆発させていた。
「よしよし……可哀想に、ね」
そんなレーベを、トートと呼ばれた魔族は受け入れる。
レーベの頭と背中に手を回し、頭を撫で、落ち着かせるように背中を叩いた。
まるで子供をあやすような仕草だった。
「トート……?確か……南の勇者が警告していた魔族……『終極の聖女トート』……」
彼が警告する訳だ、まるで得体が知れない。
心の中でそう呟き、フリーレンはその背中を見つめ続けていた。
自分に対して無防備に背中を見せていて、魔力も感じない。
にも関わらず自分の中の何かが、強く警鐘を鳴らしているのだ。
だが、今一番不思議なのは……レーベという魔族とトートという魔族、その二人の容姿があまりにも瓜二つである事だった。
レーベはずっと泣き顔で、トートはずっと微笑みを浮かべている違いはあれど、その顔立ちは同じ。
髪色も、肌の色も、角も、体型も……違うのは服装くらい。
その不気味さも相まって、フリーレンはこの後の行動を決めかねていた。
(万全を期すか)
相手があまりにも底知れない相手な為に、フリーレンは一時撤退を決める。
一度派手に目眩ましをし、結界へと逃げ込ませて貰おう。
周囲のアウラが操っていた鎧姿の死体達を放置する事になるが……仕方ない。
そう決めて、魔法を放とうとした、その瞬間だった。
ひたっ
「ダメよ」
「ッ……!?」
気付けば、背後から声がかけられ、自分の首に手が回されていた。
ひやりとした指が、フリーレンの喉を撫でる。
一瞬前まで、間違いなく誰もいなかった。
間違いなく、何の気配もなかったのに。
「いつの、間に……何も、感じなかった」
喉をひくつかせて呟き、視線だけを背後に向ける。
そこにいたのは、トートと呼ばれた魔族……。
何故、と視線を前に戻せば、そこでは未だにトートがレーベを抱き締めて慰めていて。
そこでフリーレンは思い至る。
分身、魔族が使うのを見るのは三度目なのに、それを警戒仕切れていなかった事に自分の迂闊さを呪う。
とはいえ、ずっと魔力を探っていたにも関わらず、何の揺らぎも気配もないのでは、どうしようもないとも感じていた。
「変な動きはしない事。
そのか細い首をへし折られたくなければ、ね」
「っ……」
フリーレンの喉が鳴る。
かつてここまで直接的に、魔族に命を握られた事はなかった。
緊張感が身を包むも、どうにか打開する為に、フリーレンは口を開く。
「まさか、魔族が魔力制御をしてるなんてね……。
私がまったく感じ取れない制御をしてる魔族なんて、いるとは思わなかったよ」
「してないよ」
していない、その言葉にフリーレンの目が怪訝そうに細められた。
「そんな事有り得ない。今もお前の魔力は感じられない」
「ああ、そう言う事……それ、よく勘違いされるんだよね」
背後から、少しだけ呆れたような声が響いた。
フリーレンの背中に自らを密着させ、その耳元に静かに囁く。
「あなたが気付いていないだけ……」
その感触……いや、気配を改めて感じて。
その気配に覚えが、いや、覚えというより。
「『私』はあなた達とずーっと共にあった」
大地に寝転んだ時のような、そんな雄大な感覚がフリーレンを包んでいた。
つぅ
その事実に気付いた時、フリーレンの額に冷や汗が流れた。
杖を持つ手が、気付けば震え始め、その目が目一杯に開かれる。
そして改めて探知した魔力に、悲鳴が漏れそうだった。
例えば、アウラ等の大魔族は、魔力を探知した時天を衝くように魔力が立ち昇っていた。
フリーレンはそれより上、魔力制御を解除すれば天を覆うような魔力が立ち昇る。
だが、だが。
トートの魔力は。
「私の呪いは既に
フリーレンが、ずっとそこにあるからと、何もないと判断してしまう程に慣れてしまっている空間、それら全てがトートの魔力。
「わかった?それなら良かった」
それに気付いてしまったフリーレンは、今まで感じた事もない恐怖にその身を震わせた。
それではまるで、トートの腹の中で飼われているようなものじゃないかと。
既に自分の命すら握られている現状、口の中がカラカラになるような緊張感の中、フリーレンはどうすれば良いか暫し思巡した。
そして……脳裏に浮かんだのは旅仲間の姿。
今まで関わってきた人々の姿……。
今の平和を築き上げた、勇者の姿。
この魔族を生かしておけば、間違いなく人類に災いをもたらす。
なら自分が今する事は?
命を握られていようと、私がすべき事は……?
「……そう、だね」
その瞬間、フリーレンは、自分の命を
首を掴む手を振り払い地面を蹴ると、杖を瞬間的に構え直し、目の前で抱き締めあっている魔族へと向けた。
「あら」
本体なのか分身なのか、それはわからない、自分では判断もつかない。
けれど、もう目の前の二匹を吹き飛ばす事、それだけしか今の自分には出来ない。
瞬間的に高まった魔力が、無数の光線と化す。
それらは宙に曲線を描き、四方八方から魔族二人に襲い掛かった。
これで、終わって。
雄大な気配が背後に一気に近付いているのを感じつつ、フリーレンは願った。
しゃく
だが、現実は非情だった。
抱き合っている方のトートがちらとフリーレンを見たと思ったら、先程も聞いた不思議な音が鳴り、その全ての光線が消えた。
もう一度見てもやはり、まったく原理のわからない現象だった。
「まだ……!」
それでもフリーレンは諦めない。
『
そう思って次の魔法を使おうと思考した。
ドッ
その瞬間、フリーレンの背中に衝撃が走った。
「え……」
攻撃がくるのはわかっていた、改めてトートの存在を知った今でも魔力は感知し辛い上に、フリーレンは魔法を使う時魔力探知が途切れる。
おまけに分身の発生は予兆もない……攻撃を避けられるとは思えなかった。
だからこそ、それを受けつつも死を迎えるその時まで、最後まで足掻くつもりだった。
多少の痛みなんて耐えれる、と。
「悪い子ね」
けれど背中に衝撃が走った瞬間に、フリーレンが感じたのは痛みではなく耐え難い虚脱感だった。
まるで自分の全てが抜けていくような、そんな感覚だった。
意識すら保つ事が出来ず、手からすり抜けた杖がからんと音をたてた。
そのまま力無く膝をついたフリーレンの瞳がぐるりと回り、白目を剥く。
ずしゃ
そして、前に倒れこんだフリーレンの背後で、トートは静かに佇んでいた。
白銀に輝くリンゴのような果実をその手に持って。
うつ伏せに倒れたフリーレンは、白目を剥いたままピクリとも動かなかった。
「見事に実ったわね……」
倒れたフリーレンを毛程も気にする事なく、トートはその手に持つリンゴを掲げる。
白銀に輝くリンゴは、とても色艶が良く、不気味に輝いていた。
「それじゃあ、いただきます」
そして、トートはその口をパカリと開いた。